04 探索者
「出来たよ」
すべて話し終えると同時。
レイルは三つの皿にスープを盛って、テーブルに並べた。
傍らにはそれぞれパンが一切れずつ置かれている。以前から家に備えてあったものらしい。焼けた麦の香ばしい匂いはまだ残っている。空腹にこの組み合わせは、唾液分泌を倍加させる効果を持っていた。
「……い、いいのか? 食べても」
「どうぞ」
視線すら合わせずに。素っ気なくレイルが答えた。
途端、迅は「よし」と許可された飼い犬が如き勢いで、スープにスプーンを沈ませる。行儀も何もあったものではない。
そして口にスプーンを運んだ瞬間、迅の瞳は驚愕で見開かれた。
「う、美味っ!? ……お、おい弟っ! お前ムチャクチャ料理上手いじゃねぇかよ!?」
「ああそう良かったね」
レイルは褒められた事にも無関心だった。施しの主に構わず、迅の手は止まらない。
空腹は勿論ある。だがそれ以上にレイルの腕前が凄まじいのだ。
具はニンジン、イモ、タマネギというシンプルな組み合わせ。コンソメに近い味付けで軽く仕上げられており、すいすいと口に運んでしまう。熟練された腕前だ。かような料理をこの少年が作り上げたとは――。単純極まる料理しか出来ない迅にとって畏敬に値するスキルであった。
黙々とレイルの作った料理を口にし続ける迅。
彼よりは数十倍上品にスープをすするソフィアは、その様子を嬉しそうに眺めている。
「そっか……ジンにとってこの世界で初の食事になるんだ。どう、美味しい?」
「美味ぇ! 美味えよおッ! こんな美味ぇ料理ひさしぶりに食った! 美味ぇよお!」
「そ、そんなに? 普段何食べてたのよ……?」
「仕事中は味気ねぇ携帯糧食ばっかだ! 栄養価はあるけどマズいの何のって……! おい弟! お前料理人になれるぜ、俺が保障する!」
「らしいわよ? 良かったわねレイル」
「別に」
素っ気ないレイルに対し、ソフィアは「そうそう!」と新たな話題を提示した。
「でねレイル! 私、ジンは『探索者』になったらどうか、って思うのよ!」
「探索者? ……まぁ、いいんじゃない」
「ん?」
新たな単語が出現した事で、迅の手が一端停止した。
「何だよ。その『探索者』って?」
「あなたがなるべきものよジン。――さっき言いかけたでしょ、『世界中を廻る事が出来る職業』って。それが探索者よ。国境を越える際、探索者ならライセンスを見せるだけで簡単に入国することが出来るの。その行動可能範囲は旅商人なんか比較にならないわ」
「マジか!? ど、どうすりゃなれるんだ、その探索者ってヤツに!?」
「王都の探索者中央管理局で申請する必要があるわね。まぁ余程素行に問題のある人じゃなければ、許可は数日で降りるって話よ」
迅の思考が目まぐるしく回転する。ようやく動き出すきっかけを得た。
探索者。これになれば、統幕三室のメンバーを探す手に苦労しないだろう。当面の日銭を稼ぐ手段としても悪くない。それに自分にとってピッタリな職業だ。最悪現代日本に戻れなかった時は、探索者として新たな人生を踏み出すことも視野に入れられるのだから。
「現実的じゃないね」
だが。その思いはレイルの一言で雲散霧消した。
「『世界中を廻れる』なんて聞こえはいいけど、実際の探索者の仕事って海域踏査や魔物討伐みたいな地味なのばかりだよ。本当に世界中を巡れる探索者はごく一握りさ」
「……らしいが?」
迅はソフィアに話を振るが、彼女は一笑に付している。
「ふふっ! レイルってば素直じゃないわね。ホントは自分も探索者になりたいのに」
「ね、姉さんっ!」
「でねジン? ここからが本題なんだけど……。弟も王都に連れて行ってほしいの。レイルと一緒に探索者になってくれない?」
「は!? こ、コイツと一緒に!?」
意外すぎる提案だ。まさか自分を嫌っている相手と「旅に出ろ」と言われるとは。
「学校を卒業していないから、レイルは本来探索者にはなれないんだけど……ジンが先に探索者になるなら話は別。同行者としてなら問題は無いわ。実際、名を上げた探索者ってみんな卒業前から活動してた人ばかりだし」
「ま、まぁ俺は別に構わねぇけどよ。……弟クンはそうは行かないんじゃねえの?」
「まっさかあ! レイルだって断るつもりは無いでしょ?」
「お断りだよ」
「え?」
「この人と探索者になるなんて御免だ。一人で王都に行けばいい」
「ちょ……ちょっとレイルっ!」
予想外の拒絶だったのだろう。
焦るソフィアを余所に、レイルはスプーンを皿に置いて椅子から立ち上がった。
「本当は姉さんが探索者になるべきだ」
「……それ無理なの、分かってるわよね」
「分かった上でだよ。僕なんかより、姉さんに夢を叶えてほしいんだ。僕は」
「私の夢は一人だけでは叶えられない。それも分かってるわよね」
「勿論。つまり『僕たちの夢は永遠に叶えられない』んだ」
「そうよ……だからレイルだけでも!」
「気持ちは嬉しい。けど、その人となんて無理だよ。僕自身を許せなくなる」
レイルは扉へと歩いてゆき、その足を止めた。
「――僕は認めない。その人が『兄さんの居場所』を奪うなんて、断じて」
誰に向けるでもない。
それだけ言い残すと、レイルは家から出て行った。
「……」
「……」
残された二人は、黙ってその様子を眺める他ない。
気が抜けたように扉を睨む迅とソフィア。やがて、先に気を取り直したソフィアがようやく迅の方を向いた。
「ご、ごめんジン……。何か私が一人で盛り上がってたみたいで」
彼女の謝罪に迅は首を振る。
「別にレイルを怒ったって構わなかったのよ?」
「いや何つーかさ……アイツに対して怒りが湧かないんだよ。何でか知らねぇけど」
何故だろう。そう自分自身に問いかけてみるが、答えは返ってこない。
恐らくはレイルが「姉の事を第一に考えて行動する人間だ」と、行動の端々から読み取れるせいだろう。自分の為ではない、すべてはソフィアの為を思っての行いなのだ――。迅は己への疑問をそう片付けた。
……それにしても。
気になる事実がまた一つ増えた。「兄さん」とレイルが口にしていた件だ。
二人の両親は既に他界したとの事だが、ソフィアの上にまだ兄がいるのだろうか。
例えそうだとしても、無論この家の兄らしき人物の姿は無い。やはり「亡くした身内」というのは……。
訊くべきか、訊かざるべきか。先刻の件もあり判断にあぐねていると。
「……ん。誰か来るぞ」
迅がそう口にした直後、家の扉がノックされた。
だが迅もソフィアも、そのノックがレイルのものだとは微塵も思っていない。
ソフィアは「弟の叩き方ではない」とすぐに理解したのだろう。一方迅は「戦う人間の足音ではない」と読み取ったからだ。
果たして、扉を開けた人物はレイルではなかった。