43 撤退戦・Ⅴ
「――――――――――――ッ、ッッッッッッッッ!!」
悲鳴とすら呼べぬ叫びが、周囲一帯を覆い尽くす。
ベディウスの口から放たれたソレは、暗黒そのものと言って良かった。
正気を奪うかのような声色である。
思わず顔をしかめる程の邪悪さ――。近場にいた迅は勿論、少し離れた位置取りをしている蒼衣でさえ、想像を絶する声量に耳を覆った。
「迅っ!」
蒼衣は、自分が何故叫んだのか、分からなかった。
ただ……叫ばずにはいられなかった。
背の上に立つ迅の貌が、あまりにも邪悪に映ったから。
「オラぁッ! まだだ! まだ終わりじゃねぇぞ!」
ドォン!
ドォンッ!
ドォン――、!
銃声が断続的に轟く。
その度に、噴き上がった血しぶきが迅の全身へと降り掛かった。だが構っていない。修羅の形相で銃身を突き刺したまま、迅は銃撃を続ける。
ドォウッ! ドォォン!
薬莢が跳ぶ。
硝煙が舞う。
その度に、シグ・ザウエルは文字通り血に染められていった。
また一発――。次いで二発。
勢いよく噴出する鮮血。もはや間欠泉もかくやといった様相である。
ひどく血生臭い戦場である。周囲を覆う暗闇の中、発砲で生じたマズル・ファイアが体内より明滅し、ひどくアンバランスにこの光景を彩っている。
今ではベディウスの傷口に銃身どころか、迅の前腕までもが飲み込まれていた。
迅の射撃技術は『絶牙:Lv99』という「絶対に狙いを外さない」保証を戴いている。遠目から発砲したとて、照準を逸する事など有り得ないだろう。
が……所詮、たかが数発だ。一瞬のうちにマガジンの弾丸すべてを吐き出し、短時間で全力を叩き込むにはこの方法しかない。
「銃身ごと体に突き刺し、発砲する」。この方法しか。
ドォン! ――ドォオンッ。
周囲には血液が火薬で焼かれ、得も言われぬ臭気が満ちている。胸が悪くなるような悪臭に、眼下の蒼衣は思わず口と鼻を塞いでいた。
――やがて。
ドン、……――――。カチカチカチ、カチ。
残弾がゼロとなり、スライドが下がったままロックされる。
にも拘わらず、迅はなおもトリガーを引こうとしていた。「もっと撃たせろ」とでも言わんかの如く。
そして銃撃が終わり、刹那「グラリ」、と。迅は足元が揺れるのを察知した。
「ぅお、っ、……っと!」
ベディウスが身体を大きく動かしたのだ。
結果、迅はバランスを崩し、魔瘴獣の背中からずり落ちた。
その瞬間――背を蹴って、宙を踊る。
深く抉れた地面へと受け身の要領で着地する迅。
久方ぶりに帰還した大地は、ベディウスの血液で赤黒く染められていた。ヌルリ、と嫌な感触が靴底を通して足元から伝播される。
「迅っ! 無事ですか!?」
すぐに声と共にが駆けつけてくる少女が視認できた。
蒼衣だ。
ベディウスから距離を離しつつ、迅は蒼衣へと親指を立てる。
「……大丈夫だ。怪我してるように見えるだろうけどな。アイツの返り血のせいで」
「良かった。全身血だらけですもんね」
「お互いにな」
「さすがは迅です。――『魔瘴獣の体内は物理障壁が無効化される』。なぜそれが分かったのです?」
「勘だよ。全身に魔術的な障壁が存在するとはいえ、さすがに体内までは及ばないんじゃないか、……なんて思っただけで、確信は一切無かった」
「結果としてその推測は正しかったようですね」
「氷結斬撃の成果だな。あれのお蔭で、内部が曝け出されたんだからな。感謝だぜ」
「それは魔術を付与したソフィアに? それとも斬撃を放ったわたしに?」
「両方に、だよ。…………っし」
迅は血の池の只中でゆっくりと立ち上がる。
次いで、前方のベディウスを睨んだ。
「ググゥッ……。グ、オ、オ、ォ、ォ、………………ッ」
――ベディウスは、動きが鈍くなっていた。
一目で明らかである。先刻に比べ、動作ひとつひとつから精彩も殺気も欠けている。
唸りとともに迅と蒼衣を威嚇してはいるが、飛び掛かってくるような様子は見受けられなかった。こちらからの次なる攻撃を警戒しているだけであろう。
背中の出血も酷く、もはや身体の半分が赤く染まっていた。噴出した血液は膨大な量に及んでいる。そのため、この魔瘴獣の体力は明確に減少しているのだ。
体内へと叩き込まれた弾丸は、確実にダメージを与えた――。そう判断できる。
迅の推察は、ベディウスの物理障壁の間隙を突いたのだ。
銃数発の銃弾へと姿を変えて。




