39 撤退戦・Ⅰ
「魔瘴獣を殺せるのは、魔術のみ」。
これは動かし難い事実である。
が、レイルの負傷によりソフィアは治療に専念する事となった。つまり完全に魔術の使用が封殺されたかたちとなっている。
結論からいえば「今の迅たちにベディウスを斃す手段は存在しない」という事だ。
となれば――残された路は「撤退」。それ以外に無い。
これはマチスの漏らした「魔瘴獣はこの街を出ることができない」という発言に乗っ取ったプランである。確証の無い、薄氷の上に成り立つ歪な策ではある。が、もはやこちらに残された手段は皆無だ。迅も蒼衣も、それを充分に理解していた。
せめて、ソフィアが逃げ切るまでの時間稼ぎを――。二人の意識はそれだけに向けられている。
視線はベディウスへと向けたまま。迅は後方で治療中のソフィアへと叫ぶ。
「……ソフィア! そのままで聞いてくれ! ベディウスは恐らく、この街を出ることが出来ない! だからお前はレイルの治療を続けながら、街の外へと運んでやってくれ!」
「ぇ、あ、……う、うん。で、でもあなたとアオイは? どうするの?」
「俺たちか? 作るさ。お前の『退路』をな」
「た、退路って!? ま、まさか……あなた達が魔瘴獣を引き付けておくってこと!? 無理よ! 魔術だって使えないじゃない!」
「大丈夫! 私たちに任せてください! ですから魔術を付与した武器を、ソフィア!」
蒼衣の叫びに気圧されたか、ソフィアは戸惑う。がすぐにレイルへの施術を中断し、自身の武器へと手を伸ばした。
一瞬の後――。ソフィアは二人にそれぞれ一本ずつ、武器を投げてよこした。
刃渡りはそれほど長いものではない。護身用・探索用の短剣であろう。そしてその刀身は付与魔術により光り輝いていた。迅のものは紅に、蒼衣のものは青白に。どうやら各々に異なる魔術が付与されているらしい。
「ジンのは炎熱、アオイのには氷結を付与してあるわ。お互い用途やタイミングを見計らって使って。刀身が短いけど、最低でも3分は魔術が保つハズよ!」
頷く二人。これで最低限、魔瘴獣に対抗する武器は揃った。
ソフィアも行動が早く、すでにレイルの腕を肩に回し、立ち上がらせていた。少女ひとりには重労働だろう。が、そうも言っていられない状況である。
迅と蒼衣はベディウスの足止め。ソフィアはレイルを治療しつつ運ぶ――。これが今こなすべき役割なのだから。
弟をともに街の外へと足を向けたソフィア。そんな彼女に、蒼衣が声をかける。
「――ソフィア。そのまま真っ直ぐ、街を出てください。次いで樹海を常に直進。そうすれば後から追ってきたわたしたちと合流できます。そういう手筈で今から動きますから。ね?」
「……別世界の人でしょ、あなた。この辺りの地形に随分と詳しいのね……?」
「はい。ついさっきまでわたしのお庭でしたから、あの樹海♪」
蒼衣の笑顔に、ソフィアは思わず苦笑いを返した。
こういった鉄火場でも変わらぬ蒼衣の余裕には、いつも助けられていた。深刻極まる状況でさえ、平常心を取り戻させてくれる。もしや彼女の最大の武器は「神速の二刀斬撃」にはなく、その人間性なのかもしれない――。ふと迅はそんな事を思った。
「……この世界で最初に会えたのがお前で良かったよ」
「ん? 何です、迅?」
答えない。次いで前方へと意識を向け直す。
ベディウスはあの不気味な唸り声をあげ続けていた。こちらの出方を窺っているのか、攻撃を仕掛けてくる様子はない。ここから去ったオーヴェルが、こちらからの攻撃を行動開始トリガーにでも設定しているのかもしれない。
――チリ、チリと。
手元の短剣が火花を散らす。「早く力を解放させろ」とでも言いたそうに。だが、攻撃はまだ始めない。ソフィアとレイルが安全圏内に逃げてからだ。
後方をちらと伺うと、すでにソフィアは歩みを開始していた。
「二人とも、――頼んだわよ!」
返事はいらない。頷き一つで十分であろう。
彼女が弟と立ち去る足音を背中に聞きながら。迅と蒼衣は、動かぬベディウスを睨み続ける。
やがて、ソフィアの足音が聞こえなくなった頃。
「さて……と。どうするよ、相棒」
問いながら、ようやく短剣を構えた。
遂にこの戦場に残るのは迅、蒼衣の二名。それに魔瘴獣ベディウスだけとなった。
「どうしましょうか。たまにはわたしから仕掛けてみましょうか、相棒?」
蒼衣も氷属性を宿す短剣を逆手に握る。
「珍しいな……お前がそんな提案をするなんて。とにかく、あと2分半程度しか俺たちは戦えない。それを考慮すると出来る事は限られる」
「ですね。加えて対象は理性を持たぬ獣――。であれば、ある程度のダメージを与えつつ、魔術が切れたら即撤退、といった感じでしょうか。ソフィアが逃げる時間稼ぎさえ出来ればいいんです。殺し切るなんて選択は有り得ませんね」
「つまり『どちらかが引き付けてどちらかが攻撃』。これを交代しつつ繰り返し、か」
「言うは易し行うは難し、ですねー」
「……だよなぁ。だとしても、やるしかねぇ」
「まぁ気を楽にしていきましょうよ。こちらは相手を猛獣だと思って戦えばいいんです」
「だな。ヤツは闘牛、俺たちはマタドールみてぇなモンだ。ひらりひらり、左右に上下にと揺さぶってやればいいのさ。多少デカいペットを煽りたおす要領で行こうぜ」
「あやすように」
「弄ぶように」
「ふふっ! 了解です、相棒♪ ――では作戦行動を開始しましょう。わたしから行きます!」
前に少しだけ進み出た蒼衣は、悪辣な笑みをその整った顔に作っていた。
セクションⅢにおいて「双牙」とまで呼ばれた諏雷迅・上月蒼衣のコンビ――。その再生に打ち震えながら。




