38 迂闊な一言
しばし総員、呆然としていた。
眼前の状況に現実感を得られなかったから。
が……それも数秒の事。すぐに3人全員が、この戦場で起こった結果を緊急事態として理解し始めた。
「レイルが斃された」。動かし難い、その事実を。
最初に動いたのは蒼衣だった。
「っ! ……レ、レイルっ!」
焦燥の表情で蒼衣は横たわるレイルへと駆け寄っていった。迅も取り憑かれたように彼女の後を追う。次いですぐ、レイルの安否を確認しようとする。
が、すぐに蒼衣は頭を左右に振った。
「……駄目です。助かりません。ダメージが臓器にまで至っています」
無常極まる宣告に、呆然とする他ない。
彼女の言葉が無くともそれは一目で明かだっただろう。
――散々たる有様であった。
完全に気を失っているレイル、彼の腹部は広範囲にわたって切り裂かれていた。傷口は極めて深く、喰らった一撃の威力を物語る。内臓からは赤黒い血液が際限なく吹き出していた。出血量も危険だが、目下問題なのはこの内臓の損傷だ。
恐らくは肝臓であろう。損傷部位が悪すぎる。ここには処置できる施設も設備も存在しないのだから――。
「……レイ、ル」
「残念ながら、私たちに出来ることは……ありません。何も」
絶望に覆われる。迅も、蒼衣も。
この世界でやっていける。そう思っていた。だが現実はいとも簡単にその牙を剥いた。
レイル・グロースロンドという名の若者へと。夢を語り、自分を兄と間違え、互いに背中を預けた戦友へと。
怒りすら湧いてこなかった。唯々、呆然とする他なかった。
何もできない、レイルが絶命するのを眺めるしかない。そんな現実を、直視しながら。
――だが。
「ど、どいてッ!」
ソフィアだけは別だった。
無力感に支配されている現代の2人を押し退け、横たわる弟へと縋り付く。
そしてすぐ、傷口に手を当てた。途端、ささやかな燐光が明滅し、出血が徐々に減少していくのが分かった。
これは……治癒魔術だ。
「な、治るのか!? 内臓までイッてるんだぞ?」
「大丈夫よ、これなら治癒魔術でどうにかなる! ……ただ、少し時間がかかるわ。機能破壊された臓器を元に戻すのは、本来専門的な施術が必要だから……っ!」
それを聞いて、ホッと胸を撫で下ろした。
ソフィアは必死の形相でレイルへと治癒魔術を施している。傷口の奥から「ピキ」という音が断続的に響き、施術が良好に進んでいることを知らせている……ような気がした。
「…………ふーっ。大丈夫、みたいだな」
「はい……さすがに焦りましたね。ソフィア様々です。久しぶりにゾッとしました」
ソフィアの「どうにかなる」という宣言。その言葉から貰った安心感は、何にも代え難かった。
己の無知をつい恥じてしまう。あれ程の殺陣を披露しようとも、やはり二人はこの異世界の「初心者」なのだ。
顔を見合わせて苦笑いする、迅と蒼衣。
……が。となると、次は逆方面から怒りがこみ上げてきた。
「なるほどな……ッ! これが、テメェの考えていた『ソフィアを蚊帳の外に置く方法』かよ、オーヴェル!」
振り返った先。オーヴェルは肯定の頷きを返してみせた。
「あぁそうだ。簡単な話だ。『ソフィア以外の誰かを重傷にする』。そうすれば、その女は負傷者の治療に占有され、魔瘴獣へと攻撃できんだろう?」
「で、実際テメェの目論み通りになったな。悪辣すぎて殴りたくなってきたぜ」
「殴ってみるがいいさ。届くのならば、な」
己のすぐ前、元の位置へと帰還したベディウスを撫でながら悪辣に笑うオーヴェル。悪質に過ぎるその嘲笑に、苛立ちは青天井と化した。魔瘴獣が前にいては殴れるはずもない。
が。その一方で、この男の策略は認めざるを得ない――。そうも思っていた。
穏やかに会話していたと思ったら、不意を突くようにベディウスを仕掛けてきた。歴戦の強者とて、あの一手には対応しきれないだろう。現に迅は隙を突かれた。
魔瘴獣の尋常ならざる機動力を理解し、それを忌憚なく行使する――。『魔人の末裔』の件で目的が変わり、すぐにその手に打って出たのだ。「魔瘴獣に対抗可能なソフィアの行動を縛る」、ただそれだけの為に。そして現在、ソフィアの無尽蔵な魔力は完全に封殺されたかたちとなった。
この臨機応変な対応力には目を見張るものがある。アドリブに強いのだ。戦場でも何処でも、こういった手合いは一番面倒な敵となる事が多い。
やはり、一筋縄ではいかない相手である。
――と。
「ん、っ……」
「おおっ、息子よ! 目覚めたかっ!?」
その強敵が、間の抜けた父親の表情を見せた。
輪を掛けて間抜けな息子・オーヴェルがようやく目を覚ましたのだ。
「…………と、父さん? とベディウス……? お、オレのために魔瘴獣まで出したの!?」
「良い良い、本来はお前の奪還が最優先の目的だったのだからな!」
「そ、そうだったの!? ゴメン、父さん!」
「謝罪などいらぬ。親が子を思うのは自然の摂理だ。――さぁ、屋敷に戻るぞ。ベディウスはここに残して、な」
「置いていくの? で、でも、アイツらが街の外に逃げたら? 精神操作はこの街の範囲内でしか発動しないんじゃ……?」
「確かにそうだ。だが気に病むでない。街の外へは出さないよう設定してある。……それに、連中がソフィア抜きで魔瘴獣を退けられるとは思えんしな。故にこの場はベディウスに任せ、我々は結果だけを手にしよう。現状ではその選択が最良だ。後は戻って考えれば良いのだ。行くぞ」
「う……うん……分かったよ」
のそり、のそりとマチスは身を起こした。
手持ち無沙汰なオーヴェルは、こちらへと余裕に満ちた顔を見せる。
「――というワケだ。我々親子は、この辺りで退散させていただく」
「随分と息子思いじゃねぇかよ。ソフィア確保の件はどうすんだ? 諦めたのか?」
「何、心配するな。貴様らのみを殺し尽くし、後から捕らえさせてもらうさ。その魔瘴獣は置き土産とでも思ってくれ」
「タチの悪い土産だな……近所に配って廻れねぇだろ、こんなバケモノ」
「ならば手間賃という事でどうだ。地獄の案内人にでも手渡すがいい。……――さて、それではさらばだ。密偵の二人、そしてグロースロンド姉弟。命があればまた会おう。――否、ソフィアだけは生きたまま手に入れたい所ではあるな、ハハハッ!」
捨て台詞を残し、オーヴェルとマチスの親子はこちらに背を向けた。「この世界にも地獄の案内人なんて概念が存在するのか」と訝しむ迅に構うこともない。
やがて緩やかに歩を進め出し……通りの向こうへ。すぐに二人の姿は見えなくなった。
背後へと銃撃する事もできただろう。が、その中間地点には魔瘴獣ベディウスが衛兵の如く陣取っていた。弾丸の無駄に終わるのは明白だ。
残されたのは、迅、蒼衣、ソフィア、負傷したレイル。――そして魔瘴獣・ベディウス。
その姿が見えなくなる間際、オーヴェルの高笑いが聞こえた気がした。安全圏に至ってから迅たちへと送る、挑発じみた置き土産であろう。
だが。迅の意識は別のところに在った。
「……蒼衣。聞こえたか」
「はい、しっかりと。マチスの発言ですよね?」
「ああ。『精神操作はこの街の範囲内でしか発動しない』――。アイツは確かにそう言った」
「オーヴェルはそれを肯定しましたね。『街の外へは出さない』という発言も確認できました。しかし、それらの発言に確証はありませんよ」
「だろうな。だが今の俺たちはその発言が真だとすがる他ない。それに目覚めてすぐ誤魔化せる程、マチスが賢しいとも思えない。加えてオーヴェルの反応も極めて自然だった。真実だと断定していいだろう」
「同意です。だとすれば……私たちが取るべき行動は、ひとつですね」
「ああ」
「撤退戦」。
口だけを動かし、二人は意志を疎通させた。




