02 ソフィア
「ぅおーいもっと右だ、右ぃ!」
「建材が古すぎて回復魔術が通らねぇぞ! ヒビ入ったレンガは全部取り壊せ!」
「怪我をしたヤツは向こうで治療してもらえよーっ!」
「王都への連絡は不要だ。それより探索者ギルドに…………、」
怒号飛び交う、町の中心部――。
誰も彼もが忙しそうに動き回り、怪我人の搬送や破損した建築物の修復などに取りかかり始めている。
あの巨大な怪物・スキュラの襲撃から数十分の後、すぐに彼らは動き出していた。今では徐々に騒動も終息の兆しを見せ始めている。
常にこういった脅威に晒され続けた結果の「慣れ」なのだろう。
「……ねぇ。いつまでそうしてるつもり?」
少女が隣の迅へと問いかける。
迅は返事をしない。先刻までの超起動力は微塵も感じさせない。
周囲の忙しさとは反し、地面に座り込んだまま頭を抱えている。
あの怪物の襲撃からかれこれ数時間、迅はこの格好で自分一人の世界に没入していた。時折飛び出す独り言が何とも不気味だ。
「大蛇……魔術……! 何だよコレ……ッ!?」
「またそれ!? もうっ、さっきまでの壮絶な戦闘力はどこにいったのよ!?」
覇気を一切感じさせない迅に、少女は呆れ顔だ。
最早迅の思考は混乱の只中に在った。
先刻は「敵の襲来」という対処すべき事態と対峙していた為、気に掛ける暇などなかった。が、こうして落ち着いてみると疑問ばかりが噴出する。
この運び出されている三つ首の大蛇は何だ。
周囲の家や木々を修復している魔術は何だ。
研究所にいた統幕三室の仲間たちはどこだ。
そして……自分が研究所から飛ばされたこの場所はどこだ。
インカムをはじめとした通信機器は一切使用不可能となっている。仲間の安否すら確認できない現状に、不安よりは焦りが先行してしまう。
「任務」にしてもそうだ。
このままあの研究所へ戻れなければ……「途中で任務放棄」という事になるのだろうか。
考えれば考える程ドツボに嵌り、思考の沼から抜け出せなくなる。
だが、しかし。
視線を少し上げて、少女の方を見てみると。
チラ、チラ。……ふいっ。
――チラ。チラ。
「チラ見しては視線を逸らす」。
少女はかような動作をかれこれ数分以上続けているのだ。絶賛混乱中の迅でさえ、流石にこれは気になってしまう。
自分の恰好や行動に何か変なところでも見受けられるのだろうか。
もう何を思索しても答えなど見当たらないのだから、ここは「情報収集」に切り替えるべきだろう。
そう決めた迅は少女に話しかけてみる。
「……なぁ」
「ふぇ!? な、なななな何!?」
虚を突かれた少女はアワアワしながら迅から後ずさりした。
「い、いや。ちょっとアンタに教えてほしいんだけどよ。──ここってどこだ?」
「は? ……何? 記憶でも失ってるのアナタ?」
「違うって。ちょっと忘れただけだ」
「そ。じゃあまず、名前くらいは名乗っていいんじゃない? 記憶が本当にあるんなら」
「──迅だ。諏雷迅」
「あらご丁寧にどうも。私はソフィア。ソフィア・グロースロンドよ」
ここにきてようやく少女が笑った。
迅は彼女の可憐さにあてられ、思わず視線を逸らす。
彼女──ソフィアは、「美少女」と評すべき優麗さを備えていた。
整った顔つきは幼さの中にも女性的な色香を放ち、強気そうな表情すらひとつの魅力だと言えた。小柄だが「出るところが必要以上に出ている」といった体躯だ。腰は細く、脚も細いながらも長くしなやかにスカートから伸びている。そして絹のような長髪。腰まで届くそれは日差しを受けて輝いており、彼女の艶やかさを一層引き立てていた。
戦闘中はまじまじと確認する暇は無かった。
が、こうして改めて眺めてみると……鼓動が高鳴るのを感じてしまう。
迅は彼女への照れを隠すように、咳払いした。
「……で? どこなんだよ、ここ」
「あ、うん。エピーヌの町よ。北へもう少し行ったら王都があって、……──ん、どうしたの? まーた頭抱えちゃって」
「いや。『聞かなければよかった』と思って」
「……あなた、どこから来たの?」
俺が聞きたい、そう言いかけた。
「日本は知ってるか」
「知らないわね」
「アメリカは」
「知らない」
「東京は」
「さぁ」
「スマホは? ネットは? テレビは?」
「聞いた事も無いわね。……何なの、この尋問」
釈然としていないソフィアを余所に、ジンはようやく自分を取り巻く状況を察し始めた。
自分の脳内に漠然と組み立てられつつあった「仮説」。
それが今は「事実」として形を得ている。
間違いない。この世界は――。
「ようやく理解したぜ。ここが『異世界』だって事がな……!」
「は?」
「現代日本どころか、世界中探したってあんな巨大魔物は存在しない。魔術だってそうだ。あんな奇術が実現出来る人間なんて誰もいなかった!」
「う、うん……?」
「大体何だよあの魔物は!? あんなデカくてヤバい化け物なんざ俺の管轄外なんだよ! 本来は人間やせいぜいが戦闘車両専門だ、猟友会のハンターじゃねぇぞ俺はッ!」
「で、でもあなた、そのスキュラを斃したじゃない。魔術すら使用せずに」
「使わないんじゃねぇ! 使えないんだよ!」
「は……?」
「俺は魔術が一切使えないの!」
「えええええええええええええええぇー!?」
信じられない――。
ソフィアの表情、そして絶叫はそう物語っていた。
「嘘でしょ!? 魔術って個人差はあれど誰でも使えるのよ?! 何で!? 何で使えないのよ? おかしいわよソレって!」
「それこそが俺が別世界から来たっていう証拠なんじゃねぇの? よく分かんねぇけど」
「べ、別世界……?」
ソフィアは、告げられた事実を受け止めきれずにいるようだった。
変人扱いされると思ったが、どうもこちらの言い分を信じてくれているらしい。迅にとっては、魔術のほうが余程不可思議で常識外れな現象なのだが。
──と。
「お、っと。……悪い。借りっぱなしだったな」
迅はひとつ「忘れていた事」を思い出す。
剣だ。スキュラを斃す際、ソフィアから失敬した剣をまだ返却しておらず、地面に置き放しだった。借り物がこの扱いで良い訳がない。
剣を拾い、立ち上がって。迅はソフィアにそれを返却しようとする。
その瞬間だった。
「――姉さん、危ないっ!」
ブォッ! 凄まじい風圧と殺気が迅の鼻先をかすめた。
どうなっていただろう、後方へと身を引いていなかったら。
頭部に振り下ろされた剣が直撃したのではないか。
緊張感が一気に引き上げられ、迅は銃を手に握った。
仕掛けてきたのは少年──。
自分よりは年下だろう。だがその瞳は敵意に満ちている。
彼が迅に突然斬りかかってきたのだ。
「な、何をすんだお前は!? 辻斬りかよ!」
「お前こそ……姉さんに何をしていた!」
迅の問いに回答することもない。
少年は息つく間もなく更に剣撃を放ってきた。
「く、ッ!」
銃身で剣を防ぐ。
ガギン、と金属の衝突する音が響いた。
齢に似合わない重い攻撃だ。迅は意識を切り替えて回避へと移行する。
その間も少年は迅を追跡するように攻撃を繰り返してきた。
だが、その剣戟はどれ一つとして命中しなかった。
直情的な攻撃だ、避けるのはワケない。
「や、やめなさいレイルっ!」
ソフィアが焦りながら少年に向けて叫んだが、彼は意に介さない。
「姉さんは下がってて! 僕がコイツを片付けてやる!」
「この直情朴念仁バカ弟っ! そいつは私を助けてくれたのよ!?」
「……え? い、いや、だって! 剣を姉さんに向けてたじゃないか!」
「そうね、向けていたわね。貸してた剣を返してくれようとして」
「ぼ、僕は『ソフィアが襲われてる』って聞いたから駆けつけたんだよ? こいつが姉さんを襲撃したんだろ!?」
「そうね、襲われていたわね。スキュラに」
「……魔物に?」
少年の攻撃が停止した。迅は大きな溜息を一つつく。
「……もういいか? まさかこの俺が蛇の魔物に見える訳じゃねぇだろ?」
剣が下されて、熱気も冷め。少年は剣を鞘へと納めた。
ソフィアがホッとしたような表情を見せる。
だがレイルと呼ばれた彼は、一向に落ち着いた表情を見せはしていない。
「紛らわしい……僕は家に帰ってるよ」
「お、おぉーい待てやっ! 勘違いして人殺し寸前までいきながら謝罪なしか!?」
迅の言葉に少年は、──「フン」。鼻で笑ってそのまま通りの向こうへと消えた。
「……な、何だよアレ?」
「ごめん。あいつ、私の弟でレイルっていうんだけど……どうにも単純バカで」
ソフィアは心底申し訳なさそうな表情だ。
次から次へと雪崩のように訪れる事態に、迅は考えることを放棄していた。この少女といてもロクな目に遭わない――そんな気さえしている。
もう立ち去ろう。美少女との別れは名残惜しいが。
迅はソフィアに背を向けた。
「じゃあな」
手を振りながら歩を進める。
特に目的地など無い。あろうはずもない。ここがどこかすらも分からないのだから。
だが。
「ま、待ちなさいよっ!」
迅の服の裾を引っ張る手があった。ソフィアだ。
「な、何だよ」
「いや……アレよね。どうせあなた、行くところが無いんでしょ?」
「鋭いな。今いるこの場所すら分からん状況だよ」
「そう! そうよね! ……じゃ、じゃあ今夜の宿すら決めていないわよね!?」
「まぁ」
「……――か、『借り』を返してあげるわ」
「は?」
「あ、あなたへのお礼がまだ済んでないじゃない! でしょ!? だから……ウチに泊まっていきなさいっ!」