18 魔瘴獣・Ⅱ
「っはははははハハッ! そうだ、そうだよレイル! その墓石の下で眠ってるオマエの兄貴を殺した魔瘴獣『ベディウス』さ、コイツはなぁッ!」
心底愉快そうに笑うマチス。
対して迅の神経は、不愉快の極地に在った。
正常な人間の行為ではない。人の死を笑うなど。
マチスに対する「憎めない小悪党」という認識を改める必要がありそうだ。
レイルの表情は変わらない。
なおも怒りを強く放っていた。
「ったく……何だってんだよ」
迅は頭髪をくしゃりとやって、状況整理を開始する。
――まず、この魔瘴獣は三年前、レイルとソフィアの兄を殺した。
――そして何故か今はマチスに従っている。
――だが本来、魔瘴獣は人に従うような生物ではない。
――ならばマチスが魔瘴獣を操ることが出来るのは何故か。
疑問ばかりが噴出するが、一向に答えは出てこない。
得ている情報が少ないのだから、無理もない状況だ。
レイルならば疑問の幾つかには回答できるのだろう。
だが、訊く訳にはいかない。先刻から迅は「鉄火場のにおい」を嗅ぎ取っていたからだ。
元の世界で「仕事」に取りかかる直前は、常にこの予感に襲われた。
つまり「もうすぐ戦闘が始まる」。そう本能が確信しているのだ。
魔瘴獣が自分とレイルに襲い掛かってくる――。
そんな予感に満ちている。
「コイツを見せたからにはもう逃がさない。二人揃って死んでもらうよ」
「……なんて言ってるが?」
「勢いだけの台詞じゃないよ、ジン。魔瘴獣は桁違いの戦闘能力を有しているんだから。ジンの戦闘力でも対処しきれるかどうか、……――ッ、来るよ!」
「ググォォォォォオオオオッ!!」
地が割れんばかりの咆哮。
顔をしかめつつ、魔瘴獣の攻撃に迅は備えた。
だが。
「……え」
一瞬、何が起こったのかを理解出来なかった。
自分の脇を突風が吹き、思わず顔を腕で覆ってしまったのだ。
違和感を覚えたのは……その風の「性質」。
まるで列車や自動車が速度超過で突っ込んできたような、大規模な暴風――。
その原因を探るべく、後方へと眼をやると……全てを理解した。
「おい……冗談だろ?」
魔瘴獣が、――自分の前方から、後方へと移動している。
突風の原因は魔瘴獣の突進だった。
あまりの速度で、眼で追えなかったのだ。
「っはははははははははッ! どう? どうだい? これが魔瘴獣だ!」
マチスの挑発すら、迅の耳には届かない。
――己の正気を疑った。
ヒグマに匹敵する体躯を持ち、肉食獣の獰猛さを兼ね備える異形。ソレが常軌を逸した速度で突っ込んできたのだから。
「衝突すれば吹き飛ばされる」というレベルではない。生命の維持すら危ういだろう。
最早戦車もかくやという超常の生物を前に、迅は意識を切り替える。
この魔瘴獣はキケンだ――と。
「……だったらコイツはどうだよ!?」
叫び、銃を抜いた。
この魔瘴獣の機動力には、自分の剣戟が通用しない。
斬りかかろうにも避けられる上、運良く接近出来たとしても斬撃が届く前に回避されてしまう。
ならば、猛獣狩りだ。
彼らに対する最も有効なハンティング手段――。
即ち「銃で撃ち殺す」!
「――――――ッ!」
やおら身体の向を変え、同時に銃口を獣へとかざす。
何度も何度も経由した動作だ。早撃ちもかくやという速度で、迅はトリガーを引き絞り続ける。
狙う先は魔瘴獣の頭部。
ドォン、ドォン、ドォン、ドォン。
銃声が一つまた一つと轟く。
意識は魔瘴獣から離していない。狙いは無論の事。
獰猛な獣はさすがに銃弾の速度には反応できず、その身に銃弾を――、
「……え」
魔瘴獣は、無傷だった。
銃弾を全身に受けたにも拘わらず。
狙いを一つとして外さなかったにも拘わらず。
回避動作へと移行する暇すら与えなかったにも拘わらず。
なぜ。どうして――。
理解とは程遠い思考に支配されたまま、迅の眼は魔瘴獣へと釘付けにされていた。
やがて「自分の撃ちはなった銃弾は弾かれた」という事実に気付く。
地面や木々に弾痕が刻まれているのが何よりの証拠だ。
「弾いた動作は確認できなかった……抗弾装備も着用していない……! なぜだ」
思考が疑問の渦に呑まれている。
故に、魔瘴獣の攻撃を察知するのが数秒遅れた。
「ッガアアアアアアアアアアア!」
「――ッ!」
たかが数秒、されど決定的な数秒だった。
迅が回避体勢を取る前に、既に魔瘴獣は攻撃動作を完遂――。
地を蹴り、宙を飛んで、迅へと飛びかかってきている。
獰猛に開かれた口からは鋭い牙が覗く。
マズい、と咄嗟に銃を差し向けるが――、
「ジンっ! コイツに物理攻撃は駄目だ!」
ギィィィイイイインッ!
鋭い金属の反射音が鳴り響き、魔瘴獣の突進が停止した。
迅の目の前には魔導剣士レイル。
彼が迅の前に飛び出し、魔瘴獣の攻撃を剣で受け止めたのだ。
ギリ、ギリと力が衝突したのは数秒だけ。
すぐに魔瘴獣はレイルから飛び退いて、先刻と同じような距離を保っていた。が、レイルはまだ警戒を解かずに剣を構え続ける。
「……悪りぃ。油断してた」
迅の謝罪に隣のレイルは「気にしないで」と声だけで応えた。
と、迅の視線が彼の手元に引き付けられる。
――剣だ。刀身が紅く煌めいている。この現象には見覚えがあった。
「それは……俺と戦った時の『付与魔術』か?」
「うん。伝え忘れたけど、魔瘴獣には物理攻撃の一切が通用しない。常に全身が『物理障壁』発動状態になっているんだ」
「は、反則級じゃねぇか!」
「そう反則級なんだよ! だから兄さんは為す術もなく殺されたんだ!」
予想外の難敵出現。思わず表情が引きつる。
レイルが想像している以上に、迅は打ちのめされていたのだ。
この世界の現実に。
正直「魔術など使えなくてもどうにかなる」と自負していた部分はあった。エージェントとして磨き上げた戦闘力が魔物、野盗、そしてレイルをも圧倒していたのだから。
が、ここに来て「物理攻撃を無効化する」という敵が現れた。
己を構成する戦術のすべて――それら一切合切が切り捨てられてしまう相手が。
(……何か手は無いのか)
そんな迅の不安を察知したか、レイルは微笑んでみせた。
「安心して、迅に魔術が使えなくても対抗策はある。その剣を渡して」
言うが早いか、レイルは迅の手から貸していた剣を奪い取った。
次いで柄を握って呟き一つ。迅に再度その剣を手渡した。
「こ、これは……!」
刀身がレイルの剣と同様に紅く煌めいていた。
『付与魔術』だ。
「僕と戦った時と同じ『爆炎招来』を付与した。これで五分程度は戦える。その間に……!」
「ああ、――分かってる!」
二人は頷き合い、互いの思考が統一されていると確信した。
逃げるのだ。
魔力を纏った剣で牽制しつつ、この丘から。
迅もレイルも「状況はかなり悪い」と理解していた。
マチスと残りの野盗ならば数分で片付くだろう。
しかし魔瘴獣の登場により、両者のパワーバランスは完全に崩壊した。銃弾すら通用しない相手を、正攻法で討伐できる筈がない。
逃走の意志を決めた二人。
その策を知ってか知らずか、マチスは怪訝そうに彼らを見据えている。
「ん? 何だよレイルー。ソイツって魔瘴獣の事知らないのー? 何かヘンな武器で物理攻撃なんかしてたけどさー?」
「……とか言ってるよ?」
「知るワケねぇだろ……。魔瘴獣なんて言葉すらついさっき知ったばかりだぞ」
「でもオマエ、密偵なんだろ?」
「恐らくお前の考えてる『密偵』とやらとは絶対に違う。誓ってもいい」
「え……まさか本気で密偵じゃないの? マジ? ……ま、まぁ? どちらにせよ? オマエたち二人には死んで貰うけどな? コイツを見ちゃったんだから!」
「見たから殺す? ――レイル、どういう意味だ?」
「魔瘴獣を管理しようとする行為は王都から固く禁じられているんだ。つまり、マチスはその法を侵している。僕たちがそれを目撃したから消す――。そういう意味だろうね」
「見せた張本人が何言ってやがるんだ? おいレイルあいつ頭おかしいぞ?」
「……なぁマチス。聞いてくれ」
迅の発言を遮って、レイルが問いかける。
「何だよーレイル」
「君が何故、兄さんを殺した魔瘴獣を使役しているのかは知らない。後でじっくり聞かせてもらうさ。だがもし、兄さんを殺したのが君ならば――ただではおかないからな」
「っくくくくくっ……! 強がるんなら魔瘴獣を斃してからにしろよー、レイルっ!」
確かに、と答えて。
レイルは魔術を纏った剣を構え直す。
すぐ隣の迅も魔瘴獣へと意識を切り替えた。
周囲の野盗は動かない。否、動けないのだろう。
魔瘴獣が目覚めた今、下手に動いては攻撃に巻き込まれる。それを恐れて迅たちに攻撃すら出来ず硬直しているのだ。
敵の中で嬉々としているのはただ一人――マチスだけだった。
彼はより一層顔を歓喜に歪ませて、叫ぶ。
「――――さぁ、行け! あの二人を喰い殺せ! 魔瘴獣ベディウス!」