16 共同戦線
風が頬を叩く。
それが妙に心地よい。空が今にも雨を降らせそうな様相にも拘わらず。
迅は、芝生の上に腰を下ろす。足を伸ばして。
そして隣で意識を失い倒れ込んでいるレイルを一瞥し、呟いた。
「やりすぎたかな……」
あの戦闘が終結してから、既に二十分以上が経過していた。
レイルは攻撃を避け続けられた末、体力が空になったところに迅の一撃を貰って気絶していた。彼が眼を醒ますまで、迅は完全に手持ち無沙汰となっている。
レイルの悔しそうな表情を回想し、思わず苦笑する。
理解不能だ。
他ならぬ、自分自身の行動が。
――何故自分はここまで、レイルやソフィアに関与しようとするのだろう。
思い当たる理由は幾つもあるが、やはり「放っておけない」のだ。
ソフィアとレイル、二人の姉弟を見ていて覚える違和感。それがこの世界に降りたって以来、気になって仕方がない。
レイルは確信を探らんとする迅の挑発によって、己を見失っていた。
ソフィアは「自分」という存在を偽っている、そんな気がした。
まるで薄氷一枚の上に成り立っている歪さ――。どこか腑に落ちない。彼らが何を背負っているのか、何に悩んでいるのか、それを知りたかった。
つまり。自分は「グロースロンド兄弟の力になりたい」と願っているのだ。
迅は己の名状し難い感情を、そう結論づけた。
「つっても……本人はありがた迷惑なんだろうけどな」
視線を丘の下方へと向ける。
ここからは町の全容を一望できた。円状に広がるエピーヌは中心部に向かってなだらかな山の形となっている。
中心部、もとい頂上部に座を構えるのは、一際豪奢な三階建ての豪邸。この町の領主館だ。
その下方には、ソフィアと巡った町の大通りが下り坂として続いている。
更に下がってゆけば二人の家の立っている位置が見えた。
迅の視線は町の外へと向く。
「樹海」と評するに相応しい木々の生い茂る森林地帯――。
数分前に自分も通過してきた一帯だ。
――と、迅の目線がある一点で停止した。
森の中に蠢くものを視界に捉えたのだ。
恐らくは人であろう。数名の男たちが藪こぎを伴い、森の内部へと進んでいる。
「……何だ、あいつら」
「あれが『探索者』だよ」
「お?」
いつの間に眼を覚ましたのか、レイルが疑問に答えた。
気まずい雰囲気を拭えず、迅はかける言葉が見つからない。
なので、レイルの喋るに任せる事にした。
「エピーヌ近郊の森林には、魔物が多く発生しているんだ。だから、探索者である彼らが依頼を受けて狩猟しているんだよ。魔物の革や爪は多くの目的に利用されるからね」
「へぇ……。一言に探索者っつっても色々あるんだな」
「一部では『便利屋』なんて陰口を叩かれたりもするんだけどね。でも王直属の探索者である『王の瞳』に任じられたら、誰もが羨望の眼差しを送る。世界中を股に掛け活躍するんだから。利点は他国にすんなり入れる事だけじゃない。船や馬も国費で与えられて、移動手段が通常の探索者とは比較にならないんだ」
「随分楽しそうに話すんだな、お前」
「……夢、だったからね」
「ソフィアが言っていたもんな。『レイルの夢は探索者になる事だ』ってよ」
「僕だけの夢じゃないよ。――姉さんと僕、二人の夢だ」
「あいつも?」
怪訝そうな迅の横で、ゆっくり。
レイルは上半身だけを起こした。
先刻までの怨嗟に満ちた表情は、欠片も見受けられない。少年らしい、素直で晴れやかな印象だけがそこにあった。
その視線の先には、件の墓石が沈黙を続けている。
迅もそちらに眼を向けた。
「……兄さんのなんだ。その墓」
ぼそり、と。レイルはそれだけを口にする。
「……急に話すなんてどうしたんだよ。さっきは誰の墓か訊いたらキレたじゃねぇか」
「話すつもりは無かったからね。……似てるんだよ。ジンが、ネイト兄さんに」
「俺が? …………――――っ」
迅の言葉は途中で切れた。
気配を察知したせいだ。
後方から忍び寄る「複数」の気配を。
――いや。気配だけならば身構える必要など無い。
問題は、その気配が放つ「殺気」だ。
抜き身の刃のような殺意。その全てが迅へと向けられているのだから。
「……おい、レイル」
「何?」
「様子が変だ。向こうの森の奥から妙な気配が――……、」
「あああぁあ~いたいた! 探したよぉレイル!」
聞き覚えのある粘着質な声。それが丘の周囲に響き渡った。
レイルと共にそちらへと眼を向ける。
「……マチス?」
視界に捉えたのは予想通りの人物――マチス・ライプニッツ。
昨夜、ソフィアの家を突然訪れて暴挙に及び、迅にやり込められた少年だった。
「レイルー。まーた兄貴の墓参り? 飽きないねー。よく来るなら、こんな辺鄙な場所に造らなきゃ良かったじゃん」
レイルは彼の言葉に気を悪くした様子もない。
「何の用なの」とマチスに問うた。
「用っていうかさぁー。……こっちに来なよ、レイル。今からちょっと騒がしくなるからさー。その男のせいで」
「その男……? ジンの事? 彼をどうするんだ?」
「殺すに決まってんじゃん」
「は、はぁ!?」
レイルの声が裏返る。
数秒の後、彼は迅へと振り向いた。
……が、迅は微動だにしていない。
驚く事ではない。殺意を先刻から察知していたのだから。
疑問なのは「なぜ異世界から来た自分の排除を狙うのか」、その一点に尽きる。
マチスとは昨夜初めて顔を合わせたばかりだ。あの件だけで殺意を抱いたとは思えない。
――まさか。斑祈の手の者ではないのか?
そんな迅の推察は、すぐに間違いだと確信させられた。
「オマエさぁ。王都から来た密偵なんだろ?」
「……?」
マチスの発言、その意図が理解できずに迅は首を捻る。
自分は防衛省統幕三室のエージェント――。
確かにある意味では「密偵」である。彼の言葉を頭ごなしに否定は出来ない。
故に返答を濁したのだが……マチスはその行動を「肯定」と取ったらしい。
「オマエ、魔瘴獣の件を嗅ぎつけたんだよな? まぁどうでもいいけどね」
「何言ってるか全然分かんねぇ……」
「もう一度言うよ、レイル。こっちに来なって。お前は見逃がしてやるから。さっさと立ち去ってここであった事は黙ってな」
指をパチンと鳴らすマチス。途端に森の奥から男達が姿を見せた。
十、二十、――総勢二十五人。
総員鎧に身を包んでおり、手には剣が握られている。
数分前から放たれていた殺意は今、明確な形となって眼前に広がった。
「えーと……何ていったっけアンタ。……ジン、だっけ? ソフィアがそう言ってた」
「よく覚えてるじゃねぇか、エピーヌ領主のドラ息子。俺に何か用か?」
「死んでくれ」
その言葉が合図だったのだろう。
枷の外れた獣の如く、男たちが一斉に動いた。
二十を超える掌が迅へと向けられる。
「『光捉嚆矢』!」
攻撃魔術。
それが四方八方から放たれた。
青白い光によって構成された、五十センチ弱の槍が飛来する。
これ以上ない形で殺意は顕現し、迅へと向かってくる。
だが、迅に焦りは無い。
冷静に、冷徹に。殺到する光の槍の特徴を見極める。
――速度は矢と同等の時速二百キロ程度。威力は喰らってみない事には分からないが、かなりの物だろう。有り得ない、「殺す」と息巻いた相手へ殺傷能力が低い攻撃を放つなど。
いずれにせよ、脅威にはなり得ない。
そう結論して回避へと移行しようとした迅。
が。突如飛び込んできた影が、迅の前に立ちはだかった。
「レイル!?」
バシン、バシィィンッ――。
着弾した光の槍が、レイルに届いた側から破裂音を響かせて消失。
光の粒へと分解されて虚空の露と消えた。
ふぅ、と息を吐くレイル。迅は状況把握に時間を要した。
「……防御魔術、か?」
一瞥すらせずレイルが頷く。
迅に向かってきた光の槍を、レイルが防御魔術で防いでくれたのだ。
「レイルが迅を守った」。その事実に、マチスの表情が険しさを増した。
「連中が放った魔術は僕に任せて。魔力障壁ですべて防ぐから」
「へぇ? こりゃ頼もしいぜ!」
魔術が相手だろうと自分一人で十分だ。そう思っていたが……心強い。
ニヤケ面を隠せぬまま、迅は拳銃を取り出して弾丸を込める。
そんな二人を、マチスは冷めた眼で見つめていた。
「おぉーいレイルぅー。何で邪魔すんだよー? そいつ殺さなきゃ駄目なのにさー!」
「……理由は?」
「そいつ自身に訊けば? ――あーメンドくさ。兄貴と一緒だな、オマエ」
「何?」
「まぁいいや、邪魔するならレイルも一緒だ。死ねよ」
マチスの言葉で周囲の賊が動いた。
一歩一歩、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「死ね」だの「死んでくれ」だのが合図とは。物騒に過ぎるのではないか。
愚にも付かぬ思考の迅を蹴散らすように、賊たちは徐々に距離を縮めてくる。そろそろ対応を考えなければ面倒な事になるだろう。
「……レイル。二つ確認してもいいか」
「何?」
「一つ目。――お前、戦ったばかりだろ。体力は大丈夫なのか?」
「問題ないよ。横になってたから体力は戻ってる。それに戦ったばかりなのはジンも同じでしょ」
「了解だ。二つ目。ソフィアから聞いたんだが、魔術ってのは『右手を失ったら使えなくなる』って事で問題ないんだよな?」
「う、うん。確かにその通りではあるけど……、ってジン!?」
回答が終わるのを待たず、迅は前へと進み出た。
――レイルの腰から、予備の剣が一本消えている。
迅がたった今、無言でレイルから拝借したのだ。
体勢を低くして。剣をさらに低位置で構える。
そして、地を蹴った。
一番近い標的へと最短距離で向かってゆく。
「っく! ……こ、コイツっ!?」
すぐさま魔術が飛んできた。
迅の前方数メートル先で魔術発動の閃光が迸る。
――予想通りだ。
この距離で、飛び道具である魔術を躊躇いなく撃ち放ってきた。
仕方のない事だろう。彼らの行動を見る限り、今までは「数で圧す戦闘」を繰り返してきたに違いない。今回もその定石に従ったに過ぎないのだ。
だが、これではっきりした。
この世界において「攻撃魔術は拳銃と同等の武器」と考えて相違ない。
そして理解した。彼らは「近距離で飛び道具を使用する素人」なのだ、と。
迅の口元を悪辣な笑みが支配する。
「だったら、元の世界と同じだ」
ここから先は、流れ作業のようだった。
迅は光の槍を紙一重でかわす。頬を掠める風圧には構わず、なおも直進。
そして戸惑う賊の男の鼻先数十センチまで一気に至ると、――一閃。
斬撃を放った。
「ぁ、ギ、ひ。……ィ、ぃイイイイ!」
ドサッ。
蠢くような呻きと共に、芝生に何かが落下する嫌な音が響いた。
腕だ。
迅は魔術を放った、賊の右腕を切り落としたのだ。
「ひ、ひぃッ?!」
「アノ野郎……やりやがった!」
追撃すら忘れ、騒然とする周囲。レイルは思わず引き笑いになってしまう。
「す、凄いね、ジン……。一切の躊躇い無く、敵の腕を切断するなんて」
「弾丸節約しねぇとな。それに腕切り落としたって、どうせ治癒魔術なんかで後からくっつくんだろ? なら今は魔術を封殺するのが最優先だ。……そっちは任せたぞ、レイル」
「了解!」
もはや、先ほどまでの険悪さは二人に存在しない。
今や「数年来の相棒」が如き呼吸で、この丘に共闘の陣を布いていた。
位置の離れた二人は、互いに頷き合う。
すぐに、それぞれの標的を見定め――攻撃へと移行した。