14 ウラとオモテ
◇
いつからだろう。
「自分」という存在を軽んじるようになったのは。
いつからだろう。
「弟の旅立ち」が自分の夢と化していたのは。
そして……いつからだろう。
「本当の自分」を、「願い」を仮面の下に隠しつつ、生きるようになってしまったのは。
異世界の来訪者・諏雷迅と別れ。
ソフィアは一人、町の大通りの外れを緩やかな足取りで進んでいた。
目的など無い。ただ、あの青年と同じ空間に居たくなかった。
――否。居たくなかったのではない。居られなかった。
辛いのだ。異世界から来たという彼の言葉、そのひとつひとつが。
「……違うのは、分かってるわよ」
そうだ。分かっている。
ただ似ているだけだ。彼は別人だ。瞭然たる事実だ。
理解はしている。しているのに……「あの人が帰ってきたのではないか」、気付けばそんな愚にも付かぬ妄想に取り憑かれてしまっている。そんな自分が恐ろしかった。
故に、彼の側にいる事に耐えられなかった。
故に、こうして一人で町の通りを歩き回っている。いつもどおりに。
……だが。ジンは嫌いではない。
例の件を抜きにしても、ソフィアは迅というぶっきらぼうな存在に好感を抱いていた。
乱雑な口調の中にも、彼の優しさが見え隠れしているからだ。
マチスに手を出したのが良い例だろう。普通あの場面では「見て見ぬフリ」を決め込む人間が多数だ。だがジンは逡巡する事もなくマチスを止めてくれた。
本人は感情の暴走を後悔している様子だったが、正直、嬉しかった。それでいて、あれだけ反抗的なレイルの事を気に掛けている様子も見て取れた。
スキュラを一瞬にして斃したその戦闘力にも、学ぶべき部分が多い。
魔術を使わずに魔物を「解体」するなど常軌を逸している。恐らく、彼は自分とはまるで違う過酷極まりない生き方をしてきたのだ。『絶牙:Lv99』という超常の特性スキルがそれを物語っている。
彼と共にいれば、強くなれるだろうか――。
ふと彼の残滓を感じたくなってしまい……手渡された贈り物を手に取る。
途端、思わず「でも何なんだろ、これ」と呟いた。
弾丸。それを目の前に持ってくるソフィア。
用途や構造などの詳しい説明はしてくれた。してくれたが、ソフィアにはまるでちんぷんかんぷんだった。迅の説明が下手なのだろう。決して自分の理解力の問題ではない。決して。
こんな小さな金属の筒が、武器と化すだなんて。
魔術を最大限に行使して立ち回る彼女にとって、弾丸のような存在は理解がし難かった。「異世界の武器」という点を除けば、その価値を正当に評価する知識が不足しているのだから。
――別に、彼から物を贈られるのは嫌ではなかったが。
「……ははは」
乾いた笑いが、口をついて出た。
浮かれている。今の自分は。
男子に贈り物をされた事で「自分にも別の未来が開けているのではないか」と、叶わぬ希望を抱いてしまっている。
自分はもう、未来の展望の覗こうとはしない――そう誓ったのに。
馬鹿馬鹿しい。
そう呟くと、ソフィアは懐に弾丸をしまった。
と、間髪いれずに声を掛けられた。
「あ、ソフィアちゃん! ソフィアちゃんじゃねぇか!?」
呼ばれた方に目を向ける。
見た目四十代の男。顎髭が四方八方に散っており、野性味を感じさせる風貌だ。肩に重そうな生木を背負っている。
「材木屋のロニさん。おはようございます」
「おう! ……いやーアレだろ? さっき一緒に歩いてたあの子、彼氏だろ!?」
「ち、違いますって! あいつはタダの通りがかりで……!」
「まーたそんな事言っちゃって! 今は居ないって事は喧嘩でもしたかあ? 仲直りしなきゃ駄目だぜ!」
そういって、彼は通りを鼻歌まじりで横切っていった。
「……ジン」
迅は今も、中央通りを一人で歩いているはずだ。
彼も自分と同じように、通りがかりの町人から「ソフィアと仲直りしなよ」なんて言われているのだろうか。そう考えるとつい苦笑してしまう。
行こう。
そう一言呟いて。ソフィアは再び、一人で歩き出す。
やはり目的地など見定めてはいない。
レイルの居場所に心当たりはあった。だが、向かう気にはなれない。
今は「自分の未来」に関わる人間、その誰とも言葉を交わす気になれなかった。
◇