12 丘上の墓所
「道、こっちで合ってるよな……?」
ガサリ、ガサリ。
一歩踏み出す度、足下の草木が雑音を奏でる。
周囲は見渡す限りの樹木――。ここは丘へと向かう森の内部である。
辺りは暗さを増している。木陰に加え夜が近いのもあるが、主要原因は頭上――つまり雨雲だ。灰色の積乱雲が日光を大幅に遮って、周囲一帯の明度を著しく低下させていた。降雨すら予想させる空模様である。
「……そうなる前に、探さねぇとな」
懸念の中。視界の確保すらままならぬ草木を掻き分け、迅は丘の方角へと進んでゆく。
ここエピーヌの外は、草木が鬱蒼と密集する森林地帯だった。
迅は先ほど丘とは反対の方向を高所から確認してみたが、見渡す限りの緑は地平線の向こうへ、更に向こうへ……と延々途切れる事無く続いていた。ソフィアの「エピーヌは田舎」という発言もあながち自虐だけともいえない。正に陸の孤島――外界へと続く数本の道が機能停止すれば、たちまちエピーヌは孤立するだろう。
だからこそ。レイルはこの「陸の孤島」から抜け出したかったのだろうか。
探索者となって。
幾ら深読みしたところで答えをくれる者はいない。むしろ今はその答えを持つ本人を探しているのだ、無理な話だろう。
「ん? ……っと」
突如、前方が開けた。
木々の密生が途切れたのだ。ゆっくりと迅は前へと進んでゆく。
高所を目指して歩いていたため、自然と見晴らしは良いロケーションだった。更に進むと立ち木はほぼ消滅して、緑の短い草だけが茂る丘へと到達した。エピーヌを見下ろす景観の良さに思わず心奪われる。
ここが目的地だ。ようやく辿り着いた。
そして……目的の人物もそこに居た。
「――ようやく見つけたぜ。弟クン」
迅の声に彼、レイル・グロースロンドは振り向いた。
「またあなたか……。何か用でも?」
素っ気なく返し、すぐに顔の向きを元に戻すレイル。視線の先にはこの丘に設置された大きな石の塊が見えた。形は整えられ、表面には彫刻や文字が彫り込まれている。
墓石だ。
「それ、誰の墓なんだ」
「墓碑銘が書いてあるじゃないか。読めないの?」
「あいにく『言葉は通じても文字は読めない』っていうヘンな状態でよ、この世界に来てから。――で、誰のなんだ?」
「言いたくないね。特にあなたにだけは」
「まぁ別にそれでも構わねぇけどよ……お前一晩中ずっとココに居たのか? 魔物だって出るんだろ。あんまり姉貴に心配かけんじゃねぇよ」
「…………あなたが、それを言うのか。他ならぬあなたが」
「?」
ギリリ、とレイルが歯を噛みしめたのを迅は見逃さなかった。だがそれも一瞬の事、レイルはすぐに取り澄ました表情と口調に戻った。
「……心配しなくていいよ。姉さんには『ちゃんと帰る』と伝えておいて。しばらくしたら一人で家に戻るから」
「しばらくしたら? 今から俺と戻ればいい話じゃないかよ」
「分からないかな。あなたと一緒に居たくないんだよ」
これ以上無い完全な拒絶に迅は言葉を失う。今までに経験の無い強固な拒否反応だ。
だが負けてもいられない。情報収集も兼ねて、迅は話題を変える。
「……あ、そうだ。マチス・ライプニッツって奴を知ってるか?」
「知らない筈ないだろ。姉さんの婚約者だ。数ヶ月後には式を挙げる予定だよ」
「まっ、マジかよ……! マジで婚約者なのか!?」
「マチスがまた何かやったの?」
また、という冠が気に掛かる。それ程に評判の悪い男なのだろう。
加えて、マチスがソフィアの婚約者であるというのは公然の事実のハズだ。にも拘わらず、迅は大通りの町人たちから熱い歓迎を受け、ソフィアに至っては恋人の存在を祝福されていた。
導き出される結論は唯一つ――。「マチスは皆に嫌われている」のだ。
「昨夜、あの男が家に来たんだよ。ソフィアに手を出したからお仕置きしておいた」
「なるほど……。あの男は陰湿だ。大方姉さんの元に男が転がり込んでるのを見て、勘違いして逆恨みに発展したのかな。違う?」
「良く分かってんなお前……でもソフィアは、何であの歳で婚約なんかしてんだ?」
「あなたには関係の無い話だよ。僕たち姉弟の問題だ、首を突っ込まないでくれないかな」
「関係無くはねぇよ。一宿一飯の恩もある」
「それだけの理由で僕たち兄弟に付きまとう訳?」
「つ、付きまとうってお前……!」
「とにかくもう関わらないでくれ。これまでもそうやってやってきたんだ、僕たちは」
言葉を切って、レイルはまたしても墓の方に視線を戻した。
最早とりつく島もなかった。もう迅の方を向く兆候すら感じられない。
「……分かったよ。ソフィアには伝えておく。ちゃんと帰ってこいよ」
レイルに根負けした形で迅は踵を返す。そして一歩目を踏み出し、元来た道を戻るように歩き始めた。
だが――。迅にこのまま引き返すつもりは毛頭なかった。
理由は説明できないのだが……何故かこの姉弟を放っておけないのだ。元来、迅はそれ程世話好きという質でもない。人と関わる事にも積極的ではない。「誰もがそれぞれの信念に従い生きている」が信条なのだから。にも拘わらず、レイルとソフィアの二人の助けになってやりたい――強くそう願ってしまうのだ。
だからこそ、知る必要がある。彼ら姉弟を取り巻く状況を。
だがレイルは完全に拒絶の殻に閉じこもっていた。これでは本音は引き出せない。
「ソフィア」と姉の名前を呼んだ事すらも怒りとして勘定している様子だ。あと一言、余計な台詞を吐けば……レイルの怒りは爆発するだろう。そんな予感さえある。
――だから。煽ってみる事にした。
「そうだ。一つ訊いてもいいか、レイル」
「……何」
名前を呼ばれた事が不快なのだろう、レイルはあからさまに表情を歪めた。
それでいい。不愉快な感情を掻き立てるのが目的だ。
やがて迅は気持ち卑屈に見える笑顔で。その言葉を吐き出した。
「俺って、誰に似てんだ?」
「――ッ!」
予想通り、レイルは逆上した。
それはもはや誰の目にも明らかだ。瞠目すら必要ない。
何故なら――レイルは剣を抜き放ち|
迅に向けている《・・・・・・・》のだから。
磨き抜かれた刀身、その切っ先を鼻先数センチに突きつけられながら。
迅は一歩も動かずにレイルを見据える。
「やっぱりな。その墓が原因か」
「もう……それ以上喋るな……っ!」
曇天の鈍い光を受ける切っ先が微細に震えている。
「あなたの言動、その一つ一つが僕を不快にさせる! わざとなのか!? だとしたらあなたという人は……っ!」
「答えてやる。『半分はわざと』だ」
「……!?」
「そうしねぇとお前は本音を語らねぇだろ? 煽ったのは悪かったよ。……ただ、カマをかけたのは墓の件だけだ。その墓の主が俺に似てるんだろ? 後は何も読み取れねぇ」
「あ、あなたに……何が分かる!」
「分かるさ。墓の主が誰か――それを訊いた途端、お前は目に見えて不機嫌になった。ソフィアの言動も含めて考えると、その墓の人間が俺に似ている……そう推察できた」
「っ……! だ、だとしても!」
「で、何よりの証拠は『お前がそれを否定しない』。決まりだ」
「もういい。……喋らないでくれ」
「変な話だと思ったぜ。ソフィアの奴、会ったばかりの俺をチラチラ見てるわ、妙に親切だわ……今思えば、誰かに重ねてたんだろうな」
「もういいって」
「ハッ。我ながら恥ずかしい話だ。もしかしたら惚れられてんじゃねぇかと――、」
「喋るな!」
ビュンッ! 虚空を切り裂く音が鋭く鳴った。
少し遅れて、抉られた地面から飛び散った小石や土が吹き上がる。
レイルだ。彼が遂にその剣を迅に振り下ろしたのだ。だが迅は微動だにしていない。先刻の立ち位置から一つも動いてはいなかった。レイルの斬撃が当たらない事を理解しての行動である。
「しっかし……威力だけはとんでもねぇな。どんだけ重い剣使ってんだよ」
「……家に戻ると言ったけど、やめだ。あなたとの繋がりを断ち切る。今、ここで」
重量のある剣を地面から持ち上げ、正眼に近い形でレイルは構える。
「次は本気で斬る。――正直我慢ならないんだ。姉さんとあなたが一緒に居るのが!」
「は!? ま、マジで言ってんのかよ……? 姉離れしろよ!」
「そういう意味じゃない。その場所にあなたが居る――。その事実が許せない!」
レイルはやおら剣を抜き、その切っ先を迅に向けた。
「……穏やかじゃねぇな」
「僕と戦ってくれ、ジン。負けたらこの町から立ち去ってもらう」
「じゃあ俺が勝ったら?」
「僕を好きにすればいい」
「軽い気持ちでンな事言うんじゃねぇ。もし俺が『死ね』って言ったら死ぬのかよ?」
「死ぬさ。――その覚悟は、ある」
「いや……。別にお前に死んでもらおうとは思ってねぇよ。ただ――、」
スッ、と迅が半身で構えた
「お前が負けた時は話せよ? 何故ここまで俺を嫌うのか、その墓の主は何者なのか。そして、お前たち姉弟が何に縛られているのか」
レイルは返答しない。代わりとばかりに後ろへと下がり、剣を正眼に構える。
いつでも切り込める――。口で語らずとも全身の殺気がそう告げていた。