09 『絶牙』
部屋の内部は……やはり予想通りだった。陰鬱極まる雰囲気に満ちている。
中央に置かれた小さなテーブルには水晶珠だけが置かれ、そこのみが緩やかな燐光を放つ唯一の光源と化していた。朝なのにこの暗さ――。一番最初の訪問地がこの店で大丈夫なのだろうか。迅は今さらのように後悔し始めていた。そもそも何の店だ?
「何の店だ、って思ってるでしょ」
迅の心中を察したようにソフィアが笑った。
「探索魔術で色々と『見てくれる』のよ。このお店は」
「見てくれる? 何を? このババアの寿命とかか?」
「餓鬼があああッ! こン糞餓鬼ゃアアアあッ! 死ぬンは貴様じゃあッ! くたばれえッ!」
「や、やめろ! 冗談だやめてくれ痛ぇ、杖で乱打するな! 痛いっっての!」
「ハァ……見てくれるのは『魔術体質』よ」
呆れ顔のソフィアは、杖による打撃の応酬に呑まれた迅へと回答を提示する。
「その魔術体質の中でも、今回重要なのは『魔術レベル』ね。魔術レベルっていうのは『どの魔術がどれだけ得意か』を判明させる事なの。この検査で、あなたが本当に魔術を使えないかが分かるわ」
「そうなのか。よくそれだけでこの店やっていけるな……?」
「五月蠅いわ糞餓鬼! 見るのは魔術レベルだけじゃないわい。他にも『特性スキル』なんてのもあるんじゃ。誰にでも出来る技術ではないからの。年寄り一人食っていく分には充分すぎるんじゃ!」
――占い師。彼女は現代で言うところのそれに当たるのだろう。
「『魔術レベル』と『特性スキル』。この二つを併せて、魔術体質って呼ぶのよ」
得意げにソフィアはそう結んだ。
やがてベラが椅子に腰掛け、水晶に手をかざした。彼女の行動にソフィアが追随する。
ベラとソフィア、両者はテーブル上の水晶を挟んで向かい合う形となった。
「じゃあ、まず私からやってみるわよ」
そう言ってソフィアが水晶に触れた。次いでベラがその上に手を添える。
即座に球体から漂う燐光が閃光と化し、薄暗い室内を一気に照らし出した。
赤、青、緑、黄、白……様々な色彩へと室内が塗り替えられてゆく。繁華街のクラブよりも数倍上品な演出の只中、この現象は次の段階へと移行した。
光の粒が六つに割れ、水晶の上部を浮遊したのだ。
「お、おおっ! 凄ぇ……!」
この光景に心奪われている迅とは違い、女性二名は冷静そのものだった。ベラに至っては揺れる光球を一つ一つ確認し、しきりに感心している。
「ほう……! 以前よりも格段に成長しとるな。これは再度見てみて正解だったかも知れんぞ、ソフィア」
「ホント?」
「特に各種魔術の伸びは目覚ましいの。レベルが総じて上がっておる。やはりこの町一番の魔術師じゃな。最後にソフィアを見たのは何時だったかの?」
「半年前だったかなー……さらに成長してるって事ね!」
嬉しそうに笑顔を交わす二人と反対に、迅はちんぷんかんぷんだ。
あの光から如何にして読み取ったのだろう。何が読み取れたのだろう。
迅も光の粒をジロジロ眺めてみるが、情報らしきものは何一つとして確認出来ない。ベラの「誰でも出来る技術ではない」という発言を思い返す。
「ソフィアや。読み取った結果を伝えるぞ。――『攻撃魔術:Lv32』『防御魔術:Lv26』『治癒魔術:Lv29』『探索魔術:Lv29』じゃ。特性スキルは『付与:Lv9』『拡散:Lv12』『持続:Lv7』『近接:Lv11』。それに『俊敏:Lv4』が加わっておるな」
「スキルまで成長したんだ♪ じゃあ次はジンの番ね!」
「お、俺?」
「本来の目的は『あなたが本当に魔術を使えるか確認する』だったでしょ。……おばあちゃん、お願いね」
「うむ。ホレさっさとせえ糞餓鬼」
「……」
「早よ座らんか。見てやりたくないが見てやるわい、ソフィアに免じてな。早よせえ」
迅は黙って、ソフィアと入れ違いに椅子へ座る。
しばらくそのまま佇んでいたが、ソフィアに肘で突かれて水晶に手を置いた。先刻の流れをトレースするようにベラもまた手を置く。
「……」
「……」
「………………あれ?」
何も起こらない。
六つの光球など発生しなかった。驚きでベラも目を見開いている。
「な、何じゃこの糞餓鬼、反応が皆無じゃ! ――ソフィア、これは一体!?」
「いや……この人、魔術が一切使えないって話だから……」
「魔術が使えない!? ば、馬鹿な!」
「え、あ。あのー……お二人さん?」
困惑する他ない迅。
自分の与り知らぬ所でソフィアとベラが戦慄している。何か自分が悪さをしでかしたようで居心地が悪い。しかし反応が無かったという事は、やはり自分には魔術の才能が無いのだろうか。
と、疑問に答えるように光の粒が一つだけ飛び出した。
ふわり、ふわり――。白い光が静かにささやかに、室内を照らしている。
「……おばあちゃん。これどういう事? 検査光が出たって事は一応魔術は使えるの?」
「いや……この光は特性スキルを伝える種類じゃ。それ一つだけ出たという事は、つまり『特性スキルは感知できるが魔術レベルは一切感じ取れなかった』という事じゃ」
「じゃあやっぱり……ジンは魔術が?」
「使えん、という事になるな。信じられん事実じゃが」
その言葉通り、ベラはソフィア以上に驚愕していた。
「この世界で魔術を使えない人間は居ない」。そういう話だった筈なのに。
いずれにせよ魔術が使えないと分かったのだ、これからは培ってきた技術だけで生きてゆく事になる訳である。迅は嘆息した。己の未来を案じつつ。
ベラは残された白い光を眺めている。
「……じゃがこの糞餓鬼、特性スキルだけは凄まじいのう。怪物レベルじゃ。『神速:Lv62』『近接:Lv71』『気配:Lv60』。――そして『絶牙:Lv99』」
「きゅ、きゅうじゅうきゅう!? じ、冗談でしょ? 私とそんな歳変わらなそうなのに99って! しかも『絶牙』の!? 持ってる人すら初めて見たわよ!?」
「ワシもお目に掛かったのは初めてじゃわい……」
盛り上がる二人の間。迅がおずおずと右手を挙げた。
「……あの。お二方。今さらなんですけど。『特性スキル』って何スか?」
「あ、ああ……説明してなかったわよね。特性スキルっていうのは、個人が持つ『魔術の応用法』や『身体技術』よ。あなたの場合は魔術関連をひとつも持ってない。でもそれを補って余りあるほど他の身体技術が凄いわ。その代表格が――、」
ソフィアが人差し指を立てた。
「『絶牙』。これは飛び道具での狙撃能力が極めて高い人が得る最上位スキルよ。下位は『射手』、上位は『狙撃』。でもあなたはそれらの上を行く『絶牙』。初めて見たわ、絶牙持ちの人間なんて」
「そんなに珍しいのか」
「実在すら疑われるレベル。まだ誰一人として所持した人が確認されていないはずよ。ねぇおばあちゃん」
「うむ……。本来『射手』スキルは狩人が多く持つ。魔術で狩りを行えば獲物が必要以上に損傷してしまうからの。故に弓を用いるのじゃ。結果、狩人は生涯かけて『射手』スキルを伸ばしてゆくのじゃが……『狙撃』まで到達できる者すらごく僅かと聞く」
「かなりの差があるのか、その『絶牙』と」
「『狙撃』は”狙いを外さない”。『絶牙』は”狙いを絶対に外さない”、の差ね」
「おおっ、絶対と来たか。それは相当な差だ」
「ジン……あなた一体どういう生き方をしてきたの? 『絶牙』だけでも充分異常なのに、レベルすら上限に到達してるなんて」
「う、うーん。と言われても。『弛まぬ研鑽の果てに得た技術』としか……」
「……ま、あなたは魔術が使えなくても支障なさそうね」
最早ソフィアは呆れ顔だ。それ程までに迅のスキルは異様なのだろう。
――だが、ようやく方針を得る事が出来た。
この世界で気懸かりだったのは唯一つ。「魔術無しでこの世界で生き抜けるのか」という点だ。だがその悩みも今、ソフィアのお墨付きにより解消された。手持ちの戦闘力だけでこの異世界を生き抜くのは不可能でないらしい。
魔術を使えぬ自分。だが、それ以上の物がこの身には宿っているのだ。
「それじゃ、そろそろ出ましょうか。――朝から面倒かけたわねおばあちゃん。行くわ」
退出を告げつつソフィアはテーブルに近寄った。
「お代は一人で二千エクスだったわよね。――ほらジンも早く出しなさいよ」
「え、俺も?」
「当たり前でしょ! な、何? まさかあなた……私に払わせるつもりだったの!?」
「ンなつもりじゃねぇよ! 払うって!」
ンなつもりだった。全く以て。
焦りながら迅とソフィア、同じ額をそれぞれ支払った。これで残金は三千エクス。
ベラは黙ってそれを受け取る。だが視線はソフィアには向けられていない。迅へと差し向けられていた。
「……な、何だよバアさん?」
「糞餓鬼。貴様、一体何をやってきおった? 深い業が感じられるぞ、その眼からな」
「ん。まぁ……色々と?」
「話す気は無いっちゅー事かい。……フン、まあええわ。じゃがソフィアを騒ぎに巻き込むでないぞ。要らぬ騒動を巻き起こす者じゃ……貴様は」
「占いがそう告げてきた?」
「否。勘じゃ」
「言ってろ。――占いサンキューなバアさん。じゃ」
「あっ! ま、待ちなさいよ、ジン!」
一人で入口の暗幕を潜ってベラの店を出る。
既に歩き始めている迅の思考を巡るのは「あのババアは何者だ?」という疑問だった。
容易に背後を取られた件、そして見事な杖の一撃を加えられた件もある。だがそれ以上に気になるのは「眼」を指摘された点だ。
自分が敵の行動指標を読み取る際につかう手段を、他ならぬ自分相手に使用された。ばかりか来歴すら推測してみせるとは。
「……ははは」
自然と口をついて出る自嘲。
だが不快感は一切無い。むしろ心地よく、自分より上手の人間に与えられた「完敗」の気分に浸る。こんな感情はしばらく味わっていなかった。
(見た目通りの凄いババアだ。ありゃ、只者じゃねえわ――)
「ちょっと! 待ちなさいよジン! なーに一人で先行っちゃってんのよっ!?」
後方からはソフィアが走って追い着こうとしている。
焦りながらも若干の怒りが見受けられる。思考していたせいで彼女を放置してしまった。
「……なぁ。あの婆さんって何者なんだ?」
「ベラおばあちゃんの事? 私も詳しくは知らないわ。五十年以上前は探索者として名を馳せたらしいけど……それがどうかした?」
「否」
「何よソレ」
ベラの口調を真似てみると、不思議と穏やかな気持ちになった。
「ぶらっと町を歩いてみないかソフィア。この世界の生活とかも知りてぇしさ」
「ぅえ? ……あ、ああ。うん。勿論。最初からそのつもりだしね!」