満員電車に乗ろう
エスカレーターを上がると夏にしては涼やかな風の流れを感じた。フロアは白を基調とした明るい雰囲気がまばゆく、やや目が細くなる。入口付近にはうどん屋、たいやき屋、洋菓子店などが並んでいて風の流れと一緒にグルメな香りが運ばれる。今朝も日常通りのトースト2枚を食べて満足していたはずのお腹がきゅっと締めてくる。地下よりも居心地が良く、興味を引かれるが、一息もついてはならない。
マルコはキーの多いスマートフォンで瑠璃にメッセージを送る。そのメッセージには画像が添付してあった。言うまでもなく、瞬が映っている写真だ。
『写真を写真で撮るってなんか非効率ね』
「この場合は仕方ありません」
送信と同時に改札を通過した。「今から届けに行きます」とメッセージに書き、否応なく迎えにこさせる算段だ。
下準備は整った。後は電車に乗るだけだ。
以前にもやってきた櫛形ホームにあがり、目の前に止まっていた電車に飛び乗る。
「これでOKです」
『本当にこれでいいの?』
「逆方向に行くって心配してるんですか? 大丈夫ですよ、この駅からはどの電車も一方向にしか行きませんから」
『だから、あのね』
「行き先の心配もありません! 途中の分岐の四股川駅には必ず停車するので」
『そう……それならいいんだけど』
「リサーチ済みです、抜かりはありません」
マルコは自信満々意気揚々と勝ち誇っていたが、その勢いは数分後には崩れてしまった。
乗車した彼は入り口近辺に陣を構えず、きちんとマナーを守って車両の真ん中、座席の前へと進んだが後から後から無数に乗客が現れ、あれよあれよと言う間に小さな彼は肉の壁に圧迫されていた。
車内の湿度が外気と並んでいるかのようだった。額から一筋の汗が伝う。
「もしかして、四股川駅って……」
『そうね、櫻濱県中からいろんな人が集まるのよ』
「……市中じゃなくてですか?」
『県中よ』
「それで、この時間帯は……」
『一番混む時間でしょうね』
時刻ばっかり気にしていたせいで混雑具合をまるで考えていなかった。
「なんだか養豚場の豚の気持ちがわかります」
『養豚場の豚のほうがまだ幸せそうよ』
満員電車は地獄だった。
電車が揺れると毛の深い腕の肘が頭に小突かれる。小突いた者は気付かないのか、または知らないふりをしているのか手に持ったスマートフォンをじっと見つめている。
夏場ともなると臭いも気になってくる。痛みはまだ我慢できるが臭いは辛かった。加齢臭や化粧品の香りはまだ我慢できるというか仕方ないと諦められるが、タバコの臭いだけはダメだった。後ろに背中合わせで立っている乗客が臭いのもとだとはっきりわかった。副流煙は害になると話題にはなるが臭いも充分に害になりえる。
「……なんで言ってくれなかったんですかー」
『だって満員電車ってなんか非日常って感じがしてわくわくしない?』
「日常にしている人が聞いたらなんて言って怒るんでしょうね」
四股川駅には運転試験場の他に県指定の超能力研究開発センターが設立されている。登録した超能力者たちは月には一度必ずここで検査と試験を受けなくてはいけない。透も月末ギリギリになると慌てて通っている。また学校のテスト会場としての役割もあるために期末テストの期間になるとスケジュールを合わせて分散させていた超能力者達が一気に押し寄せてくる。今がちょうどその期間だった。皆が開場に合わせて最寄り駅に到着するよう調整するために必然的にこのような混雑具合になってしまう。アクセスも都会にしては非常に限定的で鉄道一社で線路は一本のみ。一部の県民からは陸の孤島と揶揄されている。自家用車という手段も残って入るが運転試験場であるにも関わらず駐車場は備わっていない。さらに周辺には広大な有料駐車場はなく、悪循環の一途を辿っている。
車内にスーツ姿の老若男女もいれば、制服姿の女学生も見かけられる。デザインはどれもバラバラで、簡易な見本市になっていた。マルコは着ることに抵抗を感じるが、見ることは大好きだった。一見すれば所属を明らかにする識別だがよく見るとそれでも彼女たちは決められたルールの上で独自に趣向をこらして個別化している。細かいところには気を抜かないところに職人魂を感じられる。
『あんまジロジロ見てるとむっつりだと思われるわよ』
「……」
別にそういう目で見ていたわけではない。彼女たちの秘められたストーリーを邪推していたに過ぎない。
ちなみにマルコはここ数ヶ月ですっかり日本の生活に馴染んできてはいたが、未だに違和感を抱く風景もある。彼の母国なら外を出歩けば必ず目のつく、海の向こうの女性たちの間で流行していたアレをついぞ見ていない。
車両には女学生の他にも成人女性も乗車しているがその誰ひとりとして肩章を着用していない。衣服に傷や穴が空くことが原因で敬遠する事情もあり、昨今では針や糸を通せる布のリングを肩にあしらうデザインも開発され、すでに世に送り出されているがここ日本では効果は薄いようだった。
『まったく、これだから……』
「どうしたの、お姉ちゃん」
『なんでもないわ、そろそろ黙らないと一人芝居してる変な子になるわよ』
「……はい」
話し出したのはお姉ちゃんのほうじゃないか、なんて言えず、口をつぐんだ。
それから10分程で四股川駅に到着し、押しくら饅頭はゲームセット。チームメイトは解散し、車内には半分以下も残っていなかった。
「やっと座れる……よっこいしょ」
『ジジ臭くなってるわよ。というか透の悪い影響ね……』
天井に張り付いた扇風機が首を回しながら送風しているがあまり涼しくはない。激務の彼もまた肩が凝っているのかもしれない。




