任意同行
透は店から出ると外の暗さに少し驚く。太陽は舞台袖にはけて外は暗転幕で覆われていた。街灯が少なく、今夜の月はやや頼りない。そんな空の下、二人は並んで歩いている。マルコは今にもスキップを始めそうなほど上機嫌だった。
「また行きたいですね、透さん」
「あぁそうだな、また来よう。ってか行かなくちゃいけないな」
生徒手帳を担保にツケにしてもらうつもりだったが常連だったことが助かり、温情でその場では無料となった。しかしタダ食いは気持ち悪いため日を改めて払い直そうと透は決めた。また充実した漫画ライフを送るためにも必ず行かなくてはいけない。
少し先を歩くマルコに透は話しかける。
「気に入ってくれた? あの店」
「はい! どれも美味しかったです!」
疑うことも透視するまでもなく、彼の満面の笑みは真実を語る。内心を語ると一般の高校生が奢れる値段の料理屋が近所にあそこぐらいだから選んだのであって味に自信があったわけではなかった。
「んじゃまた行くか、ケイトさんに秘密で」
「そうですね、ケイトさんに秘密で」
『聞こえてるわよ、全く……』
「……怒ってます?」
マルコは恐る恐る尋ねる。
『……週一ぐらいにしておきなさい』
呆れてはいるが怒っている様子はなかった。
二人の距離が近づいたことを透は側で確認し、満足げに頷く。
「マルコはどこかホームステイしてるの。そこまで送るよ」
「駅前のビジネスホテルに滞在することにしてます」
「ブルジョアかよ……まあなんだ、公園で寝泊まりじゃないならいいか。それか砂浜にテント立てて野営とか」
「それも考えましたけどキャンプの経験がないので諦めました」
「やろうとはしたんだ……」
またここでも節約。透に負けず劣らずの倹約家だった。
「透さんはどこにお住まいなんですか」
「学校脇のオンボロな寮。畳だし風呂は追い焚きできない。誰も住もうとしないから家賃は格安なのが良いところ。でもやっぱ古いから私以外の部屋空いてるんだよね」
「それって寂しくなったりしませんか? 心細くなったり」
「特に感じないかな。テレビや漫画があるし暇になればとっとと寝ちゃうし」
「テレビや漫画あるだけで寂しくないんですか?」
「そりゃあまあ、そうだけど」
「透さんは大人なんですね……」
マルコは俯きながら寂しい表情をした。
「そうかな、皆そうだと思うよ」
「僕も見習います、立派な大人になるためにも」
そう言うと走りだし先に進んで振り返る。
「透さん、今日はありがとうございました! ここでお別れにしましょう!」
大声でそう言った。透は駅前まで送るつもりだったが、その前にマルコが勘付いた。駅から学校は遠い。今、二人は学校と駅のちょうど中間地点にいた。ここで別れるのが平等と言える。しかしマルコはまだ子供だ、お姉さんとして最後まで見送らなくてはいけない、という義務感から一歩踏み出すも、
「レディがこれ以上遅い時間を歩いちゃいけません」
ほうレディと来たか、と二歩下がる。レディ扱いされ良い心地になり、妥協し帰ることとした。追いかけても逃げそうだし帰ることにした。
「わかった、今日はここでさようならね」
無性に外国人籍相手にオシャレに英語で挨拶を決めたくなるも英語でさようならをなんと言うのか、ど忘れしてしまう。今日の別れ際にも言ったはずなのにそれすら出てこなかった。生徒の語彙力が中学生以下だと知ったら英語の担任は泣くに違いない。
「うん! さようならだ!」
透は早々に諦めて手を振り返し、身を翻し軽快に家路についた。
その後ろ姿を遠くからマルコは見送っている。言い残し、言い忘れはないはずのに、じっとその場に留まる。
『本当にレディ扱いなら家の前まで送ってあげれば』
ケイトはそう勧める。
「そしたら、なし崩しに家の中に引き込まれて泊められてしまいそうなので辞めておきます。ご飯ばかりか宿泊先まで提供してもらっては悪いです」
『そう、なるほどね。それじゃあ早く帰りましょう。いくら日本が治安が良いからって夜は危ないわ』
「そうですね、でも……せめて透さんが見えなくなるまでここにいていいですか?」
『そこまでご執心なのね、彼女に。あなたの姉に似てるの』
「いえ全然違いますよ……あ、でも……いや何でもないです」
『でもって何よ。カレンには内緒にしててあげるからケイトおばさんに教えなさい』
「絶対に秘密ですよ? ……滅茶苦茶なところはちょっと似てるかもしれません。でも違いますよ? 僕のお姉ちゃんはもっと峻厳で立派な人でした」
『わかった、絶対に話さないわ。それとずっと言いたかったけどそのお姉ちゃんって呼び方も止めなさい。子供っぽいわよ』
「はい……すみません……お姉さん、ですね」
姉の生前、彼女とはいつも英語で話し、呼ぶ時はいつも名前で呼んでいた。家族ではない他人が呼ぶ時と変わりない呼び方だ。弟でありながら、どんどん有名になり超能力者と成長していく姉と縮まらず離れていくだけの距離のせいで彼女がまるで別人のように思えるようになっていた。そんな距離を縮められるような気がする魔法の言葉を母から教わっていた。それが「お姉ちゃん」だった。親しみやすく姉を近くに感じられた。いつか機会があれば、お姉ちゃんと呼ぼうとずっと思っていた。絶好の機会が巡ってきたが虚しくもその直前に彼女は自分の前から姿を消してしまった。そんな悲しい過去がマルコにあった。
電灯の有無で透の姿が見え隠れする。また明日会えるはずなのにどうしてか心細くなる。だからお別れの前に留学初日から世話を焼いてくれた年上の女性に言わなくてはいけない気がした。
「透……お姉ちゃん……」
そう呟いた瞬間、透は突然スカートの裾を引っ張られヘソ周りが締め付けられ前のめりになって転びかけた。
「うおっ!!! なんだ!!!!」
透は素っ頓狂な声を上げた。その怪奇現象は一瞬で止んだ。
「今のは……食べ過ぎたから……じゃないよな」
お腹を擦りながらそう呟いた。腹八分目ぐらいで満腹にはなっていない。誰か引っ張ったかと思って振り返っても誰もいやしない。手のひらに乗るぐらい小さくなったマルコだけが遠くにいた。
「まだあそこにいるのかよ」
同じ場所に突っ立っている。一歩も動いていない。
「今のってもしかして……」
スカートの裾を念動力で摘まれたことを思い出す。
「でもまさかな、この距離だし」
遠く離れているのに念動力が届くはずがない。
何となく手を振るとマルコが手を振り返す。華奢な手首で腕時計が上下する。透はとある悪戯をふと思いつく。それはあまりにバカバカしく、幼稚な悪戯だったが、思いついてしまったばかりに実際に実行してみたくなった。
「……よしっ」
マルコからの視点だと、透が転びかけたかと思うとおもむろにストレッチを始めていた。足でも挫いたのだろうか、という心配をよそに透がこちらに向かって走りだしてくる。膝を高く上げ腕を振り回してスカートの翻りを気にしていない。あれは間違いなく速い。
「え、え、透さん……」
なんというか身の危険を感じたマルコは彼女に背を向けて走り出した。チーターに追いかけられる兎のように、本能がそうさせた。
「マルコおおおおなぜ逃げるううううう」
街頭の少ない暗闇のせいで猛スピードで追いかけてくる透がお化けに見える。
「透さんこそなんで追いかけてくるんですかああああ」
「お前が逃げるからじゃああああ」
勝負は一瞬で着いた。
「金髪オッドアイ男の娘ゲットだぜ!」
「放してください!」
マルコは必死に抵抗するも手のやり場に困り思うように行かない。胸に触れないよう抵抗するので効果は薄い。
「何言ってんだ、寂しがってたくせに~」
頬にキスの嵐。思考の透視はしていないがそう決め付けた。
「寂しがってなんかいません!」
「つれないこと言うなよ、マルちゃん~。今晩は側に体の火照りを冷ましてくれる殿方がいてほしいの」
「水風呂に入ってください!」
下ネタが通じなかった。
「まあまあ。せっかく留学してきたんだし、ホームステイだよホームステイ」
「せめてホテルに行かせてください!」
「まあ! この歳でもう女の子をホテルに誘うなんて!」
「そういうつもりは全くありません! 荷物を取りに行くだけですから!」
こちらは通じた。からかう相手は初々しい反応する奴に限る。
そして一行は一旦駅前のホテルに荷物を取りに行き、透の家に向かうことになった。