スケアリー・モンスター1
保浦瑠璃は今は傍若無人な身の振り方をするも、以前は幼馴染の小見山よりも大人しく控えめで目立たなく、人見知りだった。昼休みは図書室で、自習の時も友達と会話をせずに本を読んでいた。熱心な読書家というわけではなかった。読む本は厚くなく、内容の難しくない短編小説を好んで読んでいた。人に自慢できることはクラスで一番図書室で本を借りた数で、一度だけ表彰もされたが、他のクラスにもっと本を読む同級生がいて、数を比較すればそちらのほうが上だった。
彼女が本を読んでいたのは本が好きだからではなく、安価で時間を潰せるからだ。コストパフォーマンが良かったからだ。
そんな彼女の人生に一瞬だけスポットを浴びる瞬間があった。たった数日だが、彼女の第一の人生の転換期だった。
今から二年前の夏の日、母方の祖父が急逝し遺品整理に中学1年生の彼女も借り出されていた。別居していたので母方の実家の倉庫整理を任せられ、その最中で彼女は思わぬ骨董品を見つけた。
デジタルカメラやスマートフォンの普及で、今ではすっかり見かけなくなったインスタントカメラだった。ギークではない彼女の目を引くユニークな見かけをしていた。折りたたみが出来て、さらにレンズの向きが地面に水平ではなく、下斜めに俯くようになっている。
確実に平成生まれではないガジェットだったが、状態が良く、修理に出せば使えるかもしれない。
早速、母親と祖母に自分の成果を見せに行く。しかし彼女たちの反応はといえば、
「じいさんめ……まだこんなおもちゃを隠していたのか……」
「これは売れば高くなりそうね、おばあちゃん」
二人は売る気満々だった。それもそうだろう、遺品整理はそれが主の目的なのだから。
「そっか、売っちゃうのか……」
瑠璃はすぐに諦めた。もし自分が所持しても宝の持ち腐れだと考えた。
しかし残念がる娘の姿を母親は見逃さなかった。
「ほしいの?」
「ほしい、というか、捨てるのもったいないというか」
「ほしいのね、なら貰えば?」
「いいの?」
「どうせジャンク品よ、もらっておきなさい」
矛盾した言い方だったが庇ってくれているとわかった。
こうして遺品は彼女に引き継がれた。その後修理に出したが、特に故障はなく、外見がクリーニングされただけで手元に戻ってきた。
このインスタントカメラが活躍するのはそれから少し後、秋の文化祭だった。
陰キャラだった彼女は自分で担当を選べない。クラスに貢献、悪く言えば犠牲になる。余った不人気の担当、撮影係りを任せられた。
これも何かの巡り合わせかと思い、文化祭当日はインスタントカメラを持って行った。あとは影のように目立たずにクラスメイトを撮影しよう、そう考えていたが、しかしクラスメイトから思わぬ好感をもらう。
物珍しい外見を然ることながら、その場で現像されることが大いに受けた。デジタルが斡旋する中、アナログならではの味わい深い出来も人気を集めた。
教師陣からも懐かしむ声があった。陰キャラだった彼女が教師、生徒からも引っ張りだこになる、慌ただしい日となった。
引っ込み思案ではあるも、誰かに必要とされることは心地が良かった。皆のどんな要望をも彼女は叶え続けた。
しかし幸せな時間もそう長く続かなかった。彼女の幸福な時間は文化祭最終日で終わる。
文化祭終了間際のことだった。客がいなくなったところからフライングで片付けを始めている、そんな時間。瑠璃がトイレから戻ると机の上に置いていたカメラが消えていたのだ。今思えば不用心すぎるが、その当時の彼女は持て囃されて浮かれに浮かれていた。正常な判断は出来なかった。
反省するのは後だ、自分のカバンの中を必死で探すも見当たらない。片付けを開始しているクラスメイトに訊ねるも知っている者は見つからなかった。
教室から貴重品がなくなる、なんて日常茶飯事だ。そして二度と見つからないのもまた日常だった。
まるで手がかりがない。諦めように諦められない。事実を受け止めようにも受け止められなかった。
もう一度鞄の中から探し直そうとする彼女を助けたのが、唯一無二の親友である小見山香美だった。当時の彼女は瑠璃とは別クラスだった。そんな彼女が気まぐれには遊びには来ない。
「あのね、瑠璃ちゃん。瑠璃ちゃんのカメラ、私、見たよ」
「本当!? どこにあった?!」
「……迫さんの鞄の中に」
その名前を聞き、瑠璃は一瞬で納得した。
迫はクラスの中でも度々目立つ人物だ。勉強やスポーツが優秀なわけではない。彼女の特徴は手癖の悪さだった。噂の域だが、教室で紛失したアクセサリーと同じ物を身に着けた迫が街で見かけたという目撃情報もある。しかしアクセサリーならたまたま被ることもありえるために深くは追求できなかった。疑われれば不快な感情を示すものだが、彼女は何食わぬ顔で生活を送っている。
また生徒と教師とで彼女の評価は二極化している。教師に対しては猫撫声で接しているからだ。
教室を見渡すと迫の姿はない。確か片付け係のはずだが、ドサクサに紛れて帰ったのかもしれない。部活動も文化祭中は全て休止してるし、彼女がどこかに所属している話も聞いたことがない。
「ありがとう、香美ちゃん。ちょっと追いかけてみる」
先生とクラスメイトに事情を話し、もし教室に戻ってきたら確かめてもらうように約束をした。ちなみにこんな当たり前の会話だが夏までならあり得ないことだった。何故ならインスタントカメラというきっかけがなければ打ち解けるどころか通常の会話すらままならなかった。
「瑠璃ちゃん、私はその……まだ片付けがあるから……」
「わかってるって。教えてくれただけでも、助かった」
瑠璃は鞄を持たずに教室を飛び出して校門を抜けて街へと繰り出した。
その最中、ふとした疑問が湧いた。
「あれ? なんで違うクラスの香美ちゃんが迫さんの鞄の中を知ってるんだ?」
実はこの時の小見山香美は既に透視能力に目覚めていた。しかしこの事実を幼なじみであり、親友であるはずの瑠璃にも隠していた。
不思議に思うも、迫を探すことに専念する。
教師から迫の自宅の住所を教えてもらっていたが捜査網にはハナから入れなかった。勉強熱心ならありえなくないが、彼女の成績は下から数えたほうが早い。
街中のファーストフード店やゲームセンターを探し回るつもりだったが、学校から最も近いゲームセンターであっさり見つけられた。
迫はレーシングゲームで1人で遊んでいた。CPUと対戦しているようだが、何故か逆走をしている。そして最後まで走り切らずに席を立ち上がってしまった。もう少しゲームに夢中でいてくれたらカバンに触れられたがそのチャンスは消えてしまった。
迫が瑠璃を視認すると無視して鞄を抱えて走り去る。明らかに怪しい動きに瑠璃は確信して追いかけた。
二人はゲームセンターを出た後も競走を続ける。
「何追いかけてるのキモっ」
「いやいや迫さん片付け係でしょ? 戻りましょう?」
彼女たちに体力差はなかったが、荷物を抱えている迫の分が悪かった。投げ捨てないところを見るとやはり中を見られたくないらしい。
間もなくして公園で瑠璃は迫を捕まえた。鞄を奪おうとするとまさかの頭突きが額に当たる。
手を離してしまうが迫は逃げない。彼女にも頭突きのダメージがあった。
「何すんのよ、この泥棒!」
「泥棒はどっちよ! カメラ返せ!」
「カメラ? 何のこと?」
「とぼけんな! 友達が見たんだ!」
瑠璃の言葉遣いは怒りで荒げる。
「疑い晴らしたいなら鞄の中見せてよ! 出来ないでしょ、この泥棒が!」
至極当然な正論に、迫をやけにさせる。
「あーはいはい、見せればいいんでしょ見せれば!」
鞄からカメラを取り出した。
「ほら、やっぱり! 今すぐ返して!」
ここまで来れば、これからも顔を合わせれば啀み合う程度には丸く収まるだろう。しかしそれが出来ないのが手癖の悪い人間だ。
「返す? なんで? これ、私のだから」
迫の発言に瑠璃は唖然となる。
「保浦さんが使っているところを見て、私も欲しくなったの。でも同じものを買ったなんて知られたらミーハーだと思われて恥ずかしいでしょう? だから隠してたの」
逃げ切れると思っているのか。ちょっと突けばホコリが出る筋書きを即席で作り上げる。
「そのカメラはそんな簡単に手に入る物じゃない!」
「ネットで買ったの!」
「それじゃあ、そのカメラの型番、名前を言ってみろ! 値段も一緒に!」
「それは……その……親に頼んだから」
「……もういい。こうしよう、警察に行こう。警察に行って、指紋検証しましょう」
「はあ!? なんでそうなるの!」
「それで迫さんの指紋だけだったら土下座しますよ。全裸で土下座」
頭痛が消えた瑠璃は堂々と詰め寄る。
しかし迫は追い込まれながらもずる賢く頭が回った。
「警察に渡すぐらいなら……こうだ!」
カメラを両手で頭上高くに投げ飛ばした。
瑠璃は受け止めようと手を伸ばし、上昇するカメラから目を離さなかった。
その隙に迫は瑠璃の腹に渾身の力で拳を突いた。
呻き声を上げて崩れ落ちる瑠璃、カメラをキャッチする迫。
咳き込みながらうずくまる背中に何度も土足が踏みつけられる。
「バーカ!バーカ!!バカバカ、バーーカ!バーカバーーカ!」
呼吸と体力が続く限り、罵倒は続いた。
「陰キャラがでしゃばるからこうなるのよ……」
土だらけの背中を見下しながら吐き捨てる。その行為も肩で息をしながらで精一杯だった。
迫は立ち去ろうとするも、数歩で左足に違和感を感じた。靴の中に石ころでも入ったかのような感触。しかし実際には違った、靴下で地面を踏んでいた。
まさか、と思い、振り返る。ちょうど瑠璃が迫のローファを身体の下に隠すところだった。
「返しなさいよ……」
「はてさて何のことでしょう」
「靴よ……」
「交換、しましょう」
肩甲骨にローファのかかとが食い込む。
「このカメラはあんたの何なの! たかだか古いカメラでしょ!」
左右に何度も踏み捻られる。もはや洗っても落ちない汚れが制服の一年目のシャツに付いてしまった。
瑠璃は背中に数多の痛みを感じていた。子供の頃にジャングルジムから落ちて骨折した時よりも痛く辛かった。それでも信念は折れなかった。
「言ったって、わからないでしょう。人の物を簡単に盗める人には」
実際には瑠璃にもカメラにこだわる理由がわからなくなっていた。
祖父の遺品だからだか? 正直言って祖父の思い入れはない。いつもお年玉で一万円以上もらっていたくらいしか思い出がない。
骨董品だからか? しかし祖母と母が売ろうとした時も止めようとはしなかった。
恐らくは、意地を張っているだけだ。カメラじゃなくても何でもいい、ただ奪われるのが嫌でこうして今も戦っている。
「陰キャラのくせに生意気な……」
迫はどうしても屈服させたかった。足蹴になっている女を泣き叫ばせたかった。
そのことを深慮したばかりに元も子もない結論に至った。
「そう……じゃあ交換しましょうか」
瑠璃は勝利を掴み取ったと確信した。喜んで頭を上げる。悔しがる迫を拝んでやろうと見上げるも、その予想は外れる。
迫は見たこともない悍ましい邪悪な笑みを浮かべていた。
「カメラ投げるから、あなたも靴を投げてね?」
何の救いもない無茶苦茶な提案を強要する。
「ちょっと待っ」
「いっせーのーで」
反論する間もなく、問答無用でカメラは放り投げられ、瑠璃のはるか後ろへ飛んで行く。
弧を描いて落ちていくカメラを地面に這いつくばりながら眺めていたこの時、瑠璃は自分がいかに無謀で矮小で愚図なのか、身の程を知った。下らない勝利にこだわった結果、最悪の事態を招いてしまった。少しでも考える頭があったのなら、確実に取り戻せる手はいくらでもあったはずだ。
しかしいくら反省したところでカメラは手元に戻ってこない。せめて地面に不時着し壊れる様を見届けよう、そう思っていたところに突如人の形をした影が現れてカメラを受け止めた。
影かと思ったが違う、それは大きな黒だった。
大きな黒の正体、目を凝らして今度こそ真実の姿を確認する。
それは黒一色のセーラー服と背中まで伸びた麗しい長髪だった。
「間に合った……」
その少女は髪も長かったが、背も高かった。カメラがいつもより小さく見える。
「おい、そこの女。物は大事にしろよ」
その少女はカメラを持って、こちらに歩いてくる。
「すみませーん、以後気をつけます。だから返してください〜」
迫は無邪気な笑顔を見せて黒髪の少女に近づく。性格の悪さは筋金入りで、こんな愛想笑いを教師にはよく見せる。
「ありがとうございまーす」
奪おうとするがカメラは避ける。
傲慢にも強奪しようとする強欲な手は何度も空を切る。
「……なんの冗談ですか?」
「それはこっちの台詞だ。お前のじゃないだろ、これ」
黒髪の少女ははっきりと言い放った。
そして目の前の女を睨みつけた。
「お前の醜態、遠くからでもよく見えたぞ」
黒髪の少女は偶然通りかかったわけじゃない。明確な意志で救いの手を差し伸べていた。
敵意がバレた迫は演技を止め、今度は黒髪の少女に掴みかかった。攻撃は素早く、武術の達人であろうと避けられないほどに近かったにも関わらず当たらなかった。さらには掠りもしなかった。
黒髪の少女は一歩後ろに下がり、手がギリギリ届かない安全地帯で棒立ちしている。
「近くで見たら益々醜いな」
そう言ってる間にも一瞬で間合いを詰め、目にも止まらぬ速さで顎にフックを決めた。
迫は怯まずに反撃を仕掛けるもまた黒髪の少女は手の届かない場所にいる。手を伸ばそうとするが足がついてこなかった。
「……あららら?」
異変に気付く。船の上のように真っ直ぐ歩けなかった。
千鳥足になった彼女をよそに黒髪の少女は地面に転がる瑠璃を引き起こした。
「ほら、このカメラはお前のだろ。今後は盗まれないように」
そう言って瑠璃の首にストラップでぶら下げるとさっさと立ち去ろうとする。
頭の回転が追いつかなくなっていた瑠璃だったが、何とか言葉を捻出する。
「あ、あの……! お名前は!」
ベタな台詞だった。少女漫画の見過ぎじゃないかと言った後に後悔する。
そんな後悔を吹き飛ばすような出来事が起きる。
黒髪の少女が振り返って、共に長く麗しい黒髪をたなびかせながら返事をする。
「名を名乗るほどの者じゃないよ」
嫌味を感じさせず、かつ自然であり、様になっていた。
一分ほど呆然となった瑠璃はふと我に返る。
「……学校に戻らなくちゃ」
夢遊病のようにフラフラと、吉夢の中のようにふわりわふりとした脚付きで学校へと戻る。
最初に会ったのは小見山だった。校門でずっと帰りを待っていたようだ。
瑠璃の汚れた姿を見るや、より一層に心配して駆け寄った。
「大丈夫!? 怪我してない!? 外傷は……ないようだけど、どこか傷んだりしない? 何があったの?!」
「……何があったか……何から説明すればいいのやら」
瞼の裏には今も助けてくれた少女が鮮明に克明に焼き付いていた。あの凄さは言葉の表しようがない。どれだけ雄弁でも夢のような光景を表現しきれないだろう。
「それじゃあ、質問一つだけ、教えて」
小見山は顔の前で指を一本だけ立てた。
「わかった、一つだけ、どうぞ」
立てた指をそのまま瑠璃の胸に指差した。
「……その手にある靴は何なの?」
「……あ」
瑠璃の両手には握りつぶしたローファがあった。




