ラベンダーと沈黙と
透は会計を済ませて店の外に出る。夏至はとうに過ぎてるも空はまだ青い。喫茶店の前で咲いたラベンダーも鮮やかに青い。
店の前には瞬とマルコが談笑している。その姿を見て、透はほっとする。当たり前ではあるが、二人が忽然と消えなかったことが嬉しかった。
「お待たせ」
「透さん、お金足りてました?」
「あっはっは、マルコも言うようになったなー」
指を開いた左手でマルコのおでこから前髪をかき上げる。質の良いマルコの髪はするりと指からすり抜けていく。
「なんですか、これ。なんなんですか、これ」
動揺するマルコにさらに触る手が増える。
「おぉ、ほんとに髪の毛さらさらだなぁ、あたしといい勝負かも」
「瞬さんまで!? あんまり触られると禿げますよ」
「そう? じゃあ私は瞬の髪の毛さわろっかな」
「は? 天パが移るからやめて?」
タブーだったはずの髪の話が出てくる。険悪な方向に空気は動くかとおもいきや、
「わかんないぞ? 逆に私の胸が移るかもよ」
「そうか、じゃあもっと移るように胸に触るか」
「セクシャルハラスメント!」
透は胸の前でバツを作る。
「それじゃあ仕方ない、マルコ触るか」
「そうだね、マルコ触ろう」
「どんな着地点ですか!」
理不尽な世界の結論にマルコは抗議を申し立てるも、透は呟きながら撫でる。
「英語が上達しますように……英語が上達しますように……」
「僕は賓頭盧尊者像じゃありませんよ!」
「よくまあそんなの知ってるな……」
瞬は手を離し、
「それじゃ、あたしはもう行くぜ。ショートケーキご馳走様」
「あぁ……うん……」
透は小さい返事をして黙ってしまう。歩くたびに馬の尻尾のようにたなびく黒髪を見送ってしまう。
遠ざかっていくほどもやもやとした感情が胸の中で強く疼く。このもやもやの解消法はもうとっくに知っている。知っているはずなのに、何故か声が出せない。
「透さん」
マルコが透の手を握る。
マルコの手は一般的で普遍的な子供の手だった。小さくて柔らかくて温かい。
そんな手でも握られると勇気が湧き上がる。
透は深呼吸する。そして大声を出した。
「あ、あのさ!」
しかしそれよりも爆音のような声が透の声をかき消した。
「ボス! こんなところにいたんですか!」
ミルクティーを飲み、カルシウムを取ったばかりの透もさすがにイラッとする。声はすぐ後ろから飛んできた。
「誰だ誰だ、ボスなんてこっ恥ずかしい言葉を叫ぶ輩は……」
声の主は透の横を通り過ぎて行った。
一瞬だったが、声の主を透は見た。マルコも見た。二人は沈黙した。
(まさか、あいつ……!?)
見間違えるはずがない。あの中学生しか付けなさそうなドクロのヘアピン。
嗅ぎ間違えるはずがない。あの不快なだけのタバコの臭い。
透の横を、あの胡桃が通り過ぎて行った。
幸いにも胡桃はボスとやらに気を取られ、お尋ね者には気が付いていない。
振り返らずに立ち去るか? いや、スケアリーモンスターのボスがそこにいるはずだ。これは顔を知るチャンスだ。
透たちは振り返った。容易に想像できたはずだったのに、正体を知り絶句する。
通り過ぎて行った先には、胡桃以外には永谷瞬しか立っていなかった。
「あぁ、お前か。何の用だ」
「ボス、探しましたよ」
二人は朗らかな笑顔で談笑しあう。胡桃の凶悪さはウソのように抜けていた。包丁を持った凶悪犯にも恐れず飛びかかる警察犬がバディの前で腹を見せて寝転がっているようなそんな光景だった。
「まだ華枕の魔女がどこに潜んでるかわからないんですから、見つかるまでボスは待機してください」
「あのなぁ、そいつが華枕の魔女だとは限らないだろ?」
「例えそうじゃないとしてもスケアリーモンスターが狙われたのは事実ですから!」
「心配しすぎだっての……危険かもしれないんだから早く帰れって」
「ボスこそ、皆に早く帰れって言ったのにまだ外を歩かれてるじゃないですか」
「あたしはちょっと道草だ」
「道草って何ですか」
「そこに二人いるだろ……お茶をご馳走してもらったんだ」
「二人ですか……どこにいませんよ?」
「……あれ?」
二人は瞬に見つかる前にその場を立ち去っていた。
喫茶店の前に咲いたラベンダーは鮮やかだ。それでも空虚に見える店の前を瞬はじっと眺めていた。
路地裏に逃げ込んだ透たちは駅までのルートを確認していた。いかに安全に駅まで行くか、その算段もしていた。
「僕ら悪いことをしてないのにまるで犯罪者ですね……」
「まあまあ、スリリングのある鬼ごっこだと思えばいいさ……」
「それにしてもまさか、瞬さんがスケアリーモンスターのボスだなんて」
「マルコ、その話はいいから逃げ道を検索して」
「……そうですね、今、調べてます。透さんは周囲の警戒をお願いします」
「……それがですね、もう近くまで十字架ネックレスが来てるんですよね……」
「えっ、もしかして長身でやせ細っている方ですか」
壁の向こうに犬見が歩いている。もうじき、路地裏の入り口の前を歩き、透たちが見えてしまう。
「急いで逃げたほうが……」
「いや……ケータイを取り出した。こっちに気づいていないんだ。このままやり過ごそう」
透の計算通り、犬見はスマートフォンをいじったまま、通り過ぎて行った。
「透視能力ってほんと便利ですね、見えないモノまで見えるんですから」
「まあ見えない側からとしたら気持ちの悪いことこの上ないでしょうけど」
まただ、とマルコは思う。また謙遜をする。透視能力のおかげで危機を退けたというのに謙虚にも程がある。
有能な超能力を持っているのに、自信を持たないどころか捨ててしまっている。
「……透さん、謙遜しないでください。僕は透さんの能力はすごいと思います」
「何よ、突然」
「お姉ちゃんの次に、透さんがすごい超能力者だと思います」
「月とすっぽんみたいな並べ方だね」
「透さん!」
捻くれ者を一喝する。
子供みたいな手をして、こんな時は男らしく吠える。
「……わかったよ、ありがとうね」
頬を少し赤くに染めながら透は感謝する。
「なんだかなぁ、褒められると変な気分になるの。もぞもぞというかうずうずというか」
そう言いながら眼鏡を外し、丁重にケースに仕舞う。
「でも、きらいじゃないかな、こういうの」
かつて超能力の女王と謳われたカレン・リードの次にすごい(※マルコ比)とされる里見透が本気を出す時が来た。




