show you.
マルコが料理屋に着いてから、ずっとがっかりとした表情で品書きを眺めている。透は気に留めることはなく、漫画雑誌を読んでいた。
当初マルコは料理屋に連れて行ってもらえると聞き、日本ならではの寿司屋、焼肉屋など思い浮かべ、さらに箸が使えるかどうかを聞かれたので間違いなく洋食ではないことを確信し楽しみにしていた。だがしかし連れて来られたのは洋食でも和食でもなく、まさかの中華料理屋だった。日本に来て中華料理屋だった。学校の近くに建っているが客は自分たち以外いなかった。内装と外装が共に古く脂っこい中華料理ということもあり女学生で入ってくるとしたら透ぐらいだった。
「透さん……なんでここのお店なんですか」
久々の外食でかなり期待し浮かれてしまっていた。姉以外のとある人の言いつけを守り、アメリカでもハンバーガーすら我慢していた。
マルコは納得の行く理由が欲しかった。
「ここはね、とっておきの場所なんだ。漫画雑誌が充実してる」
「漫画! ここに来たの漫画目当てですか!」
納得の行くはずがない。冗談であってほしい。実は三ツ星レストランだったり、せめて昔、シェフが本場の中華街で働いていたとかそういう情報が欲しかった。
「そうだよ」
あっさりと認めた。
「すごいぞ、ここ。週刊だけでなく、月刊も揃えている。しかも発売日の昼には必ず最新号が置いてある。コインランドリーはこれぐらい見習ってほしいものだ」
「あの、漫画の話を力説してもらっているところ悪いんですか、ここのお店のメニューのオススメを教えて下さい……」
料理と関係ない話が長くなりそうだったので年上の女性の話だろうが流れを切らせてもらう。
「いつもラーメン半チャーハンセットを頼んでるからオススメとかないかなぁ。ぱっと見、サンマーメンとか美味しそうじゃん、秋刀魚とか入ってそうで」
料理の方は熱のこもっていない適当な説明だった。
「……僕も透さんと同じのにします」
マルコは怒る気も失せて脱力した。透は注文を伝えると再び読書に戻った。
貸切状態だからか料理は早く届いた。エプロン姿のおばちゃんがお盆からテーブルに移す。
「ラーメン半チャーハンセット二つ、お待たせ」
ラーメンと半チャーハン、スープ。そして餃子が四つ乗った皿が一枚付いてきた。料理が届くと透は読んでいた漫画雑誌を本棚に戻してから食事を始めた。勤労の後のご飯が思いの外、美味に感じられ箸が進み、ずずずと意図せず音を大きめに立てて啜る。
『啜る音やめてもらえないかしら』
突如、若い女性の玲瓏な声がした。その声は不思議と透の耳によく響く。
「あ、すみません」
反射的に謝り、今度は控えめに啜るもすぐに違和感に気づき、店内を見渡すが声の主の若い女性はいない。透視をしてもおじさんは屋外でタバコを吹かし、おばちゃんは厨房に引っ込んで隠れて携帯電話をいじっていて他には誰も隠れていなかった。ラジオやテレビの類も置いてない。
周辺を確認した後に再び大きな音で啜る。
『啜る音控えなさいって言ってるのよ、下品ね』
透は頭を抱えた。
「場末感が漂う古い建物だとわかってはいたが、ついに幽霊が出るようになったか……」
それは冗談で、透はマルコの巻いている腕時計に注目した。
「ケ、ケイトさん……ここでお話は」
マルコが慌てた様子で腕時計と会話を始めた。
「その腕時計喋れるのか。喋られるのは妖怪の仕業かな」
「……驚かないんですか」
「まあさっき、ちょこっと透視しちゃってね」
とは言うものの内心は通信機能が備わっていたことに少なからず驚いていた。腕時計を透視し、歯車とソーラーパネル、スピーカらしき部品が見えていた。わかったのはそれだけで他にも見たことがない部品が細かく、見てるだけで疲れてくるほど、びっしりと詰まっていた。どの部品が担っているのかエンジニアではない透にはさっぱりわからず、そういうものなのだろうと丸め込んだ。
透は箸を止め、軽く身だしなみを整えてから、
「自己紹介が遅れました、里見透十六歳です。透視能力者です」
マルコの関係者なら特に危険はないと判断し、少々他人行儀な自己紹介を済ませる。それに対し腕時計は軽快に、
『あらあら、何でもかんでも透視しちゃうのね。まるで庭に我が物顔で入ってくる野良猫ね。早く餃子食べて中毒起こして動物病院に運ばれて頂戴』
毒を吐いた。
「あー……マルコ、この口の悪い人は誰なんだ。カレン・リードさんか」
「僕のお姉ちゃんはここまで口は悪くないですよ……この方はケイトさんです。時々腕時計越しのみでお話をするんです。彼女は説明しにくいんですけど僕の後見人というか保護者というか監視……相談役みたいな人です。僕が小さな頃に一度会われたことがあるようなんです」
今のご時世に合ってるのか合ってないのか、スマートフォンを使わず高機能腕時計で会話をしている。
『別に紹介なんていらないわ、仲良くするつもりはないし。名刺もいらないわ』
「マルコ、一刻も早くこいつを黙らせろ。飯がまずくなる」
おろおろと困りだすマルコ。愛人と浮気してたら本妻が突入してきた男のように困り果てた。
「ま、待ってください。連絡をくれたってことはきっと大事な話があるんですよ」
『そうよ、大事な話よ』
「話って何でしょうか。出来るなら透さんを怒らせないような話をお願いします」
『マルコに音を啜って食べる下品な料理を食べさせるわけには行かないわ、今すぐ帰りなさい』
「え、えっと……それだけですか。もっと大事な話があるんじゃ」
『大事な話よ。預かってる子だけど躾はちゃんとするわよ』
ケイトの主張は容易に否定できたがその圧迫的な態度にマルコは押され気味だった。
「でもまだ一口も食べてないですし」
『返事は?』
「はい……わかりました……」
声だけで威圧され、マルコは持っていた箸を下ろそうとしたが透はそれを止めた。
「ヒステリー起こしてるババアの言うことは聞かなくていいぞ、マルコ。お前がいるのは日本だ、日本では麺は啜って食べるもんだ」
自国の文化を否定された上、
「で、でもケイトさんが……」
「それじゃあ一口だけで良い、食べていけ。それだけでいいから」
「ケイトさん、一口だけ良いですか」
『……一口だけよ』
マルコは再び箸を握った正しく完璧で優雅な箸の持ち方で教育が行き届いてることが見て取れる。麺を啜る行為に慣れておらず、レンゲを使いながら麺を口に運ぶ。
『食べたわね? それじゃあもう帰るわよ』
「……もう一口だけ」
箸とレンゲは止まらなかった。次は一口目よりも大量の麺をレンゲに乗せて冷まさずに食べる。
熱々の醤油ベースのスープが絡まったややちぢれた麺が舌の上を撫でながら過ぎる。コシの少ない柔らかなもちっとした食感。スープの味は濃すぎず薄すぎず、飽きさせも物足りなくもない絶妙なバランスだった。麺の中に薬味の刻みネギが紛れ込んでいて奥歯でしゃきしゃきと音を立てる。青臭さはなく、辛味の刺激が舌に残っているスープの味を邪魔するどころかさらに引き立てる。ネギの大きさすらも計算づくで刻んでいるのかもしれない。
マルコにとって、これは未知の料理だった。彼の知っているラーメンはカップ麺のみだった。ラーメンと名が付いているはずなのに今食しているラーメンは別次元の代物だった。
「おいしいか、マルコ」
もはや透の声も聞こえていない。箸の持ち方は上品だったが、食べ方は良く言えば歳相応、悪く言えば豚のようながっついていた。食欲の前に理性など保つわけがない。一口でも舌を許してしまえば一気に付け込んでくるのが欲望というものだ。
マルコは今まで食事で我慢してた分を取り戻していた。夜にお菓子、ジュースが飲みたくなっても我慢していたのだろう。その鬱憤を今ここで晴らしている。
『……全くこの子ってば……』
「おやおやまだいたんですか、いじわるケイトばあさん」
勝利を確信し、透はからかいを始める。
『……私はまだ十八よ。それにいじわるじゃないし。さっきはああ言ったけど本当は栄養バランスが気になっただけよ。何よ、ラーメンにチャーハンに餃子って。野菜はどこ。炭水化物だらけじゃない』
透はおもむろに橋の先で刻みネギを一枚摘む。
「あるだろ、ネギ」
『小さすぎるわよ!』
「まあまあ、アメリカだって肉&肉&肉で人の国のこと言えないだろ。ってかケイトさんはアメリカ人? 日本語上手だね」
『さあね、それほどうかしら』
彼女は苗字を名乗っていない。マルコも知らないようだった。
「誰からか頼まれてんの」
『そうね、強いて言うならカレン・リードからかしら』
カレン・リードを呼び捨てに呼んでいる。後見人に指定するほどだから信頼を築けるほど親しい間柄なのだろうか。それと十八歳なら、もしもカレンが生きてたとしたらケイトと同い年になる。
「それは生きてる時に頼まれたの、死んだ時に頼まれたの」
『ご飯は冷めないうちに食べなさい』
ケイトは質問を無視する。直接対面していれば彼女の嘘を吐いているかどうか一瞬で暴けるが彼女の姿はない。
透にとって思考の透視はお茶等を買った時におまけで付いてくる興味のないキャラクターのおもちゃみたいな存在だったが、通用しないとわかると悔しく思えた。我ながら図々しい性格をしていると自嘲した。
「どうしても教えてくれないんですか、ケイトお姉様」
今度は下出に出る。
『私にラーメンを奢ってくれたら考えてあげなくもないわ』
「この場にいない人物にどうやって奢れというのか。食べたければ出前しろ」
『あら残念。ラーメンに興味があったんだけど、あなたは奢ってくれないのね』
「まるで私をケチみたいに言うな……そうですね、ラーメンは奢れませんのでせめて麺を啜る音だけでも楽しんでください」
『や、やめなさい! ほんとに啜ってる音、不快で苦手なの!』
効果は想像以上に効くようで本気で焦っている様子だ。どういう仕組みか不明だが、マイクは常時オンになっており、こちらの音を切るに切れないようだ。
「なんてね、そんな子供みたいな真似はしないよ。なるべく音を控えます」
ちゅるちゅるとストローで吸い上げるように食べ始める。
「……こんな食べ方してたら冷めるし伸びる」
ラーメンは若干冷め始めていたが美味には変わりなかった。
『ラーメンってそんな美味しいものなの』
「あ、本当に食べたことないの」
『啜って食べる印象が強くて食わず嫌いしてたわ。でも、マルコが夢中になるようだし、きっと美味しいのね』
「アメリカにだって日本のラーメン屋があるらしいし、行ってみればいいよ」
『……そうね、行けたら行くわ』
「なんだ、行かなそうだな。ひょっとして住んでるところ、よっぽど田舎なのか」
『あんまりお喋りしてると冷めるわよ』
途切れかけた会話を繋いだのに一方的に切る。答えたくないようだった。失言のないように情報を小出しにしている。腹の探り合いにならないように壁を作っているようだった。そんな雰囲気を透は感じ取り、どこか既視感を覚えた。
show youと醤油かけてます。