夜のコンビニにて
透が回鍋肉定食、マルコが餃子定食を存分に堪能した帰りにコンビニに立ち寄る。市役所よりも開いている時間も取り扱っている契約をも幅広い彼の地で透がATMからお金を落とす目的で立ち寄っていた。
時間は八時半、夏で日が長いとはいえ、すでに街は落ち着き、暗闇に包まれている。
あまり都会とは言えないアパート周辺ではコンビニの照明は目に障るほど眩しい。店外に設置された殺虫器は光で誘引された羽虫が飛び込んでは忙しなく音を立てている。透は全力で殺虫器を見ないようにして店の入口へ進む。
「マルコは何か買う物ある?」
「そうですね、僕は……」
ふとマルコの視界にとあるバイクが登場する。ただ置いてあるだけのバイクのはずなのに、その存在感はマルコの意識を全力で持っていく。
「あ、あれは……! ◯ァットボーイ!」
そのバイクは名前の通り、重量感、堅牢感、肉厚感など、どれも軽自動車なんかより上回って見える。タンクは上下が短い代わりに幅が広く、給油口はメーターと一体化している。闘牛の角のような骨太なエンジンガードの後ろにメーカー最大の特徴の厳ついV型エンジンが威風堂々と積まれている。排気管は二本あり、一本はフロントから、もう一本はシートの下から生え、車体右側で収束し、一本のサイレンサーに繋がっている。マフラーはカスタムされているがモデルの最大の特徴たるディッシュホイールはそのままで色はタンクと一緒で黒塗りだった。大型のヘッドライトは慣れない人にはギョロ目に見えなくもないが出目金のような病的な不気味さはない。むしろこのアウトローさが数多くの人を魅了している。
マルコはその中の一人であり、現に透との問答を忘れてバイクの側でしゃがんでウットリとしていた。
「いいなぁ……いいなぁ……」
そんな彼を見て、透は呆れつつも入店する。
「おっと」
その際、自動ドアで出てきた女性とぶつかりそうになる。背丈は透と同じほどで蒸し暑いというのに長袖の革ジャンを着ていた。
透は反射的に左に避けた。すると革ジャンの女性は鏡合わせのように右に避けて透の前に立ちふさがる。
次に透は右に大きく飛んだ。ほぼ同時に革ジャンの女性も同じ距離分だけ右に飛んだ。
「……」
「……」
ならばこれならどうだ、と自動ドアの真ん中で棒立ちする。しかし革ジャンの女性も全く同じ考えだったようで二人は見合い状態になる。自動ドアが閉まり始めるもセンサーが奇妙な二人を感知し、再び全開になった。
「……」
「……」
左か、真ん中か、右か。透は迷っていると革ジャンのほうが素早く右に二回飛び、ぶつからない程度に離れることに成功した。
それからお互いに会釈だけで非礼を詫びてからすれ違う。よく見ると革ジャンの女性は黒髪のショートカットだった。それだけで少しの間、透の視線は奪われる。そのことに気づくと自分もマルコのことを言えないと自嘲した。
革ジャンの女性は歩きながらシールの貼られた煙草の箱を革ジャンの胸ポケットに押し入れつつ、腰に吊り下げたカラビナからバイクの鍵を外す。
しかし所有しているバイクの前に見知らぬ子供がいた。追い払うことも出来たが、その子供が大層バイクを気に入っているようだったので話しかけることにした。
「きみ、このバイクが好きなの?」
女性は元来子供が好きだった。職業にするほど好きだった。
「はい! 大好きなんです!」
マルコはテンション高く返事をした。しかし話しかけてきた女性の格好がバイク乗りだとわかるとすぐに冷静に戻り、
「あ、すみません、邪魔でしたか」
「いいの、いいの。満足するまで見てて良いよ」
「充分楽しめましたのでもう大丈夫です」
「そう? 遠慮深いお嬢ちゃんだね。でもバイクが好きなら音も聞きたいでしょう?」
そう言って鍵を回し、セルスイッチを押すも轟々たるエンジンは動じない。
「……あれ?」
もう一度鍵を回し直し、セルスイッチを連打するも反応がない。
「え、え、うそ! バッテリー上がっちゃった!? それとも故障!?」
突然のトラブルにあたふたし始める。
「そうだ、キック! ……って、インジェクションだからキックないわー! ソレイドスタータースイッチは……あああ、まだ付けてなかったんだ!」
正式な所有者が狼狽する中、マルコは冷静にバイクを検査する。
「……あ」
そしてハンドルにある、スターターとは違うスイッチを押した。
「お姉さん、もう一度かけてもらっていいですか?」
「◯AFって何番だっけ……117だっけ……いや家まで押していくか……」
聞こえていないようなので仕方なくマルコは独断で鍵を回し、セルスイッチを押した。
すると貫禄のある車体が振動し、不規則な重低音を奏で始める。
「おお、エンジンかかった! 何故!?」
「キルスイッチが入ってました。たぶん誰かがイタズラしたんじゃないかと」
「お嬢ちゃん、やるねぇ! 助かったよ!」
シャンプーを馴染ませるような豪快な手つきがマルコの頭を撫でる。
「お嬢ちゃんはやめてください! 僕は……」
「お嬢ちゃんじゃなかったら、なんて言えばいいんだ?」
マルコは自分の格好を思い出す。今は膝上より短いミニスカートを履いている。我ながら悲しいが、どこからどう見ても女の子だった。
「オジョーチャンでアッテマシタ! ニポンゴ難しい!」
「唐突に片言になったな……」
革ジャンの女性は訝しがるも照れ隠しの一種だと思い、深く考えないことにした。
緊張をほぐそうと思い、自己紹介を始める。深く緊張させないための配慮だった。
「あたし、葉石千佳って言うんだ。隣の市で先生をやっている」
「ぼ……私はマルコです。近所の学生です」
葉石は愛おしそうにタンクを撫でる。
「このバイクは仕事で稼いだ金で買ったんだ。高校の頃からコツコツと貯めて……そして最近現金一括で買ったんだ」
次は愛おしそうにタンクを頬ずりした。通行人の目を引くが本人はお構いなしだった。
「そんな大事にされてるバイクを勝手に触ってすみません」
「いいの、いいの、気にすんなって! そうだ、またがってみるか?」
「そ、そんな! 悪いです!」
「いいの、いいの。子供が遠慮するなって」
彼女は子供の面倒見が良く、マルコを抱きかかえて細身のシートに跨がらせた。
スタンドを立てた状態なので車体は左に傾いている。しかしそこから見た景色はいつもより高く、広く見えた。
音に対し、振動はそこまで煩わしくない。シートが柔軟で質の良い物を使っているようだ。
「なんなら噴かしてみるか?」
「それは本当に悪いですって! コンビニの駐車場なのに!」
「いいの、いいの。怒られるのはあたしだから」
「よっぽど悪いですって!」
マルコは素手のまま、グリップを握らされる。アクセルグリップを手前に捻ると、エンジンが唸りを上げる。
「お、おお、おおお……!」
鼓動がマルコの身体の芯を直に刺激した。この振動は劇薬だ。これに魅了されて過去に何人もが我慢できずに手を出してしまう、悪い劇薬だ。
「……とまあ、こんな感じだ」
鍵も回してエンジンを止める。錚錚たるバイクは石のように静かになった。
再びマルコは抱きかかえられて地面に帰還した。足裏が飛行機に長時間乗った後のように浮いた感触がある。車体に触れていた手と尻が振動で痺れている。どの感覚も基本的には好ましくないが、マルコにとっては甘美なものだった。
「どうだ? 満足したか?」
「はい、すっごく楽しかったです! バイクも好きになりました!」
「本当は乗せて走ってやりたいところだけど今日はもう暗いからな……」
「乗せてもらえるんですか!? ぜひ乗りたいです!」
憧れのバイクに搭乗し、さらに走ることはマルコにとってまたとないチャンスだった。携帯番号、メアド、もしくはSNSのアカウントを交換して約束を取り付けたいところだったが、
「お父さん、お母さんはどこ? 一応許可は取らないとな……」
「え、えと、お父さんお母さんは……」
すでに他界していると言ってしまえば簡単だったが、真実を伝えてしまえば相手はきっと謝らせることになる。バイクに乗せてくれた恩人の気を害す訳にはいかない。
それに憧れのバイクにはどうしても乗りたい。乗りたくて乗りたくて仕方ない。何が何でも乗りたかった。
そこに丁度、用を済ませた透がやってきた。
透を見て、マルコは閃く。一発逆転の奇策に打って出る。
「おーい、マルコ。帰るぞー」
何も知らない彼女の腕を強引に引っ張り、葉石に紹介する。
「この人が! お母さんです!」
和やかだった場の空気が固まる。
「……」
「……」
「……」
『……』
その場にいた全員が無言になる。
重い空気にマルコはすぐに自分の行為が奇策ではなく失策だと思い知らされた。
さすがに透を母親に仕立てるのは無理がある。若すぎる上、何より同じ制服を着ている。どこに子どもと同じ制服を着る母親がいるだろうか。
膠着した空気を打開したのは透だった。
「……どうもはじめまして、マルコの母です」
ノリの良い透はひとまず乗っかることにした。
「ええええ!?」
葉石はひどく驚く。まず嘘だと疑う。しかし透があまりにも堂々としているため、嘘のように見えなかった。「いやいや冗談ですよね?」という言葉が出かかったが、何とか飲み込み、
「あ、保護者の方でしたか……随分とお若く」
透が母親という設定が生きたまま話は進む。
マルコは小さくガッツポーズする。失策かと思いきや、意外や意外に、マルコの思惑通りに事が進む。自作のルーブ・ゴールドバーグ・マシンの連鎖を見守るように興奮しながらも何とか抑える。
「最近マルコの様子はどうなんですか? 迷惑かけていませんか?」
「いえいえ、とんでもありません。とても聡明なお子さんで、先ほど私も助けていただいたところなんです」
「まあまあ、それは何よりです」
「それでですね、お子様がバイクに大変興味を持たれているようでして……」
来た、と。肝心要の本題が始まり、マルコは前のめりになる。
「私の運転するバイクに乗りたいってことなんですね。勿論安全運転は心がけるつもりですが宜しいでしょうか?」
決まった。もう決まったも当然だ。
後は透の返事を待つばかり。マルコはにこやかに透の方を向いた。
「え? バイクに乗るの? ダメダメ。危ないじゃないですか」
透は顔の前で手を仰ぎ、否定のジェスチャー。
即答だった。即全否定だった。
そのあっけらかんとした態度に、
「透さあああああああああああああああああああああああああああああああああん!」
マルコは絶叫した。
「恥を忍んで透さんをお母さんに仕立てたのに、赤っ恥じゃないですか! どうしてくれるんですか!」
「マルコ……夜中なんだから大声あげない。ご近所さんに迷惑だよ?」
「人の話聞いてない!?」
制服を着た母親が嘘だとわかり、葉石は溜息をつく。
「あ、やっぱりお母さんって嘘かよ……」
「まあ準保護者ってところです。本当の保護者にカレ……ケイトさんっているんですね」
「そうだ、ケイトさんに許可をもらえれば……!」
「でもこれが保守的というか頑固者というか極度の分からず屋で許可取れるかわからないですけど、まあほとんどダメ元ですけど、善処するだけしてみます」
「すごく消極的!?」
「いや面倒なだけ」
「理由として、もっとダメですよ! それにそんなに面倒くさくないでしょ!」
腕時計を巻いているのでカレンを混ぜてすぐに会話できるが、一般人である葉石の前ではそれはできない。
「それじゃあ電話番号交換しようか。そのケイトさんに許可が取れたら連絡くれよ。交換方法はBluetoothでいいか?」
「はい、それでお願いします」
マルコはポケットからスマートフォンを取り出した。端末の半分はモニターであり、その下に爬虫類の鱗のようなQWERTYキーボードが配置されている。
「お、珍しいスマフォ使ってんな」
「これ、お気に入りなんです。英語入力しやすくてそれにハードキーがどうしても欲しくて」
「あっははは、本当に面白いやつだな、お前」
葉石はマルコの肩をぱんぱんと叩く。彼女は大切な乗り物であるバイクを見ず知らずのマルコを乗せてあげるなど明るく爽やかな人柄をしている。
透は眼鏡を外して葉石の考えていることを透視し裁定しようと思ったが、すぐにやめた。先の一件からどうも近づいてくる人間を疑う癖が染み付いてしまっている。そうなっている自分に壁壁としている。そもそも人の思考を覗くことにはかなりの抵抗がある。ほいほいと人の思考を覗く最低な人間にはなりたくなかった。
しかしそうしないとマルコの身に危険が振りかかるかもしれない。準ではあるが保護者として彼のためになりたいと決心している。
いかんともしがたいジレンマに透は癖っ毛気味の髪を指を櫛にして掻いた。そして大きなため息をついた。
「大きなため息をつくなぁ、若いのに」
「あ、すみません、出てました?」
「出てた。あ、お前、超能力者なんだ」
葉石は透の肩章を見てそう言った。
葉石の指摘に透は思わず手で隠しそうになるも、
「もしかして瞬間移動能力? 寝坊しても一瞬で学校に登校したりすんの?」
葉石の態度は変わらず笑って話しかけている。
「……瞬間移動できたらコンビニの入り口みたいなことは起きないですよ」
透は微笑んで返す。やはり透視をしなくて正解だったと再認識する。
「あっはっはっは! そうだな、鈍くさかったもんな!」
そう言って葉石はスマートフォンを透に向けた。
「お前も持ってるだろ、ケータイ。早く出せよ」
「私もいいんですか?」
「いいよ、いいよ。交換しようぜ」
透はガラケーを取り出す。型は古く、折りたたみ式でタッチパネル非対応の骨董品だった。
「Bluetoothついてるの、それ」
「恐らくついてるはずです……」
透は携帯電話を操作する。同じ画面を行ったり来たりする。
「もしかして……使い方わからない?」
「……はい」
透はそこまで機械音痴ではない。ただ使わない機能に疎いだけだ。
「あっはっは! それじゃあ息子さんから口頭で教えてもらうといいよ」
「そうします、先生……」
番号の交換を終え、別れの時間になる。
葉石はバイクに跨がり、エンジンを始動する。静かな住宅街にエンジン音が轟き渡る。
「そういえば、電話するならどの時間帯が良いですか?」
マルコは思い出して質問をした。
「出来るなら夜にしてくれる? 八時以降ならだいたい出れるよ」
「昼じゃダメなんですか? うちの担任なんて職員室で漫画読んでますよ」
「透さん、それは特殊な例ですよ」
「そういや言ってなかったな。あたし、先生は先生でも保育士なんだ」
「……な!」
「それじゃあな」
葉石は風となって走り去る。音も姿も小さくなっていく。
静謐が帰ってくる。人の声、自動車の音もない。
限りなく無音な世界で、透は言う。
「それじゃあ帰りまちょうね、マルちゃん〜」
「赤ちゃん言葉で僕に話しかけないで下さい!」




