イッツノーゲーム後編
「ここで決着をつけてやる……」
「望むところだ」
そんな台詞を今日だけで何回聞いただろう。マルコは数える気も失せるほど体力も精神力も疲労していた。
未だに熱が冷めずに元気な二人が行き着いたのはエアホッケーだった。
四人対戦対応の台でレボン絞り器の形に似たマレットが四個置いてある。
「二刀流はあり?なし?」
「どちらでも好きな方で」
「じゃあ私は二個で行かせてもらうよ」
透は両手にマレットを持つ。黒髪は一個だけ右手に持った。
「一刀流とは渋いね」
「別に。二個持っても邪魔くさいだけだよ」
「負けたあとで二個はずるいとか言うなよ」
「別に。負けたあとでやっぱ一個が良かったって言うなよ」
売り言葉に買い言葉。こんな一触即発な空気がずっと続いていた。
透たちの会話と同時にゲームは始まる。
ルールは1分の制限時間内にゴールを入れるか、という単純な物だった。
先制は透で、彼女の陣地に白く薄い円盤型のパックが盤上を油の上の氷のように滑らかに滑っていく。
「先制点は……私のもんだ!」
透は左手のマレットで手首のスナップを利かせながらパックを強打した。
パックは猛スピードでゴールの端ギリギリを狙う。
もらった、と透は確信するが、パックは直前で90度方向転換する。
黒髪が透が自信を持って放ったスマッシュをあっさりと弾いたのだ。パックは勢いを維持しながら両側面を反復に反射している。
「アクビが出るスマッシュだな……スマッシュはこうやって打つんだよ!」
黒髪は台の左側面に回りこみ、パックをネットギリギリに運んでから、
「……おらぁ!」
パンチングマシーンを打ち抜いた時にように全力でスマッシュを放つ。
マレットは飛ぶ。さながら弾丸のように撃ち込まれた。
透はすぐさま自陣のゴール前に二個のマレットで塞ぎ、スマッシュを受け止めると苦悶の表情を浮かべる。
(くっ……! なんだ、この威力は……!)
片手で放ったスマッシュを両手で受け止めているはずなのに衝撃は凄まじかった。何とか弾き返すも両手指は感電したように痺れる。
「く、まだまだ……!」
透は敵陣に移ったパックから目を離し、黒髪の位置を確認する。恐らく正面にいるだろうと予見するがそれは外れることになる。
黒髪はまだ左側面にいた。それどころか、再びスマッシュの構えをしていた。
危機を感じガードを作ろうとするがもう遅い、サッカーの股抜きのように透の両腕を弾丸はすり抜けて行く。
ガゴーン!!
パックは轟音を響かせながらゴールのポケットに収まる。
栄えある先制点は黒髪が勝ち取った。
透は無言で俯きながらパックを回収し、盤上に戻した。
「……どうした、驚いて声も出ないか?」
黒髪の煽りに対し、透は、
「くくく……」
これを笑って返した。そのまま笑いを抑えきれず、公の場で大笑いする。
「あはははは!!!!」
別に透はトチ狂ったり、麻薬のような危険な薬を打ったわけではない。しかしある意味、麻薬並みの危険性のある、逸楽にふけていた。彼女の理性の堤が切れ、愉快さが溢流する。
「楽しいなぁ……こんなに楽しいのは久しぶりだ……」
透はパックを側面に打ってはマレットに打ち、側面に打ってはマレットに打ち、とバスケのドリブルのような真似をする。
「それじゃあ、こっからが……本番だ!」
透の左手のマレットが左薙ぎに大きく動き、パックに突進する。
向かって黒髪は反射的に左側に体重を傾けて迎撃体勢に入った。
居合のように俊敏に動く透のマレットはパックを切った……否、空を切った。
「な、なに……!」
黒髪はまんまとフェイントに引っかかった。
体勢を戻しているうちに透の空いていた右腕のマレットがパックを叩いてネット下の壁で反射させる。その後のパックの行き先は元々迎撃体制に入っていた黒髪の左側の空白を突く。
「まだだ! まだ間に合う!」
ほぼ真逆の右端にいたマレットをそのまま持ってきても間に合わない。黒髪は奇策に打って出る。右手の裏表を返し、その勢いでマレットを滑らせて左手に移し替える。
「間に合ええええええ!」
だがしかし、パックは黒髪を愚弄するかのように、触れる直前に壁に反射する。
「なんだと!?」
右に逸れてガードをかいくぐり、パックはゴールに入った。
「よくもやってくれたな……!」
ポケットからパックを取り出すその手はわなわなと震えている。しかし表情は満面の笑みだった。
「はっはっは! これで一からやり直しだ! もっと楽しもうぜ!」
それからは手汗握る白熱する試合展開になる。今までの戦いを再現するかのように一進一退の攻防が繰り広げられた。先ほどでは息の合った連携を見せたが、二人の戦法、戦術はまるで真逆、端的に言えば透が柔で黒髪が剛だった。詳細に言えば透は巧みなフェイント、高度な心理戦に長けている一方、黒髪は優れた身体能力で押していた。
勝負は残り20秒。得点は相変わらず同点だった。
二人は息を切らしながらお互いを睨み合う。罵倒しながらも全力で戦い、相手を負かせることだけを考えてここまで来た。
透は目標達成まで目前だというのに、今では不思議と一生このまま続いてくれないかとすら思ってしまう自分がいることに驚く。手を抜いて、また引き分けに持ち込もうかとすら思ってしまう。しかしそんな甘えた迷いは投げ捨てた。手を抜くことは相手に失礼だし、何よりそんなことをしたら自分が許せず嫌になる。後日、手を抜いたことを思い出してはああああになるやもしれない。
元来、自分のことが大好きなわけではないが、だからといってわざわざ嫌うようなこともするのも不自然な話だ。
「そろそろ、ここらで終わりにしようか……」
透は再びドリブルのようにパックを自陣で跳ね返し始める。
「まだ本気で勝ち越せると思っているのか?」
買い言葉に売り言葉。黒髪は余裕を見せるも内心では焦っていた。この勝負で分が悪いのはどちらかと言えば自分にあると考えていた。決してマレットを一個だけしか使っていないからではない。透の取っていた心理戦が終盤になり響いてきたのだ。手を目で追えばどうにも一挙一動にも反応してしまう。もはや黒髪に予測する余裕はなく、ただ反射神経に頼るだけになってしまった。今までならそれでも通用したが、それも終盤では疲れが溜まり、精神力に欠けが出る。
ふと黒髪はこれと似た状況をどこかで見たような気がする、と既視感を覚える。思い出そうとすると、
「隙あり!」
透の張り上げた声が聞こえて意識を強制的に試合に戻される。
透は声を張り上げながらもワンテンポ遅れて、その上であえて速度が出ないよう、遅くなるようにパックを打った。野球のピッチングでするように速い投球の中にあえてスローボールを織り交ぜることで敵を翻弄させてミスを誘う作戦だった。
その作戦にまんまと黒髪はまんまと引っかかる。いつもの調子でガードのために腕を振ると想像したよりも早くパックと掠めるように当たってしまい、前方に跳ね返してしまう。これだけで軽微なパニック状態に陥り冷静な判断が欠け、黒髪は離れていくパックを深追いしてしまう。背筋を伸ばし、腕を伸ばし、パックをマレットと盤上に抑えこもうとするが届かない。
パックはネットの下をくぐり、台の右側面でスマッシュの待機をしている透のテリトリー内に入る。
「しまった!」
前のめりになっている黒髪が体勢を直すよりも疾く、
「スマッシュのお返しだー!」
透は弾丸スマッシュをお見舞いした。
パックは空をかっ切りながらネットの下を抜け、黒髪のマレットの横を抜け、黒髪の平坦な胸の下をかいくぐり、ゴールのど真ん中へと直線的に直接的に突き進んだ。
(もらった!)
透は確信するも、ここでも彼女の予見は外れることになる。
パックはゴールの直前で何かに弾かれる。その何か、とはマレットだった。
すり抜けたはずのマレットと黒髪の手がゴールの前に立ちふさがっていた。それどころか、すでに黒髪は体勢をそのまま後ろに下がっていた。
「おぉ、すげぇな……あの体勢から元の位置にあんなに早く戻れるなんて……」
さすがの透も常人では決してありえない動きに驚嘆かつ感嘆の声が出てしまう。
パックは透の陣に戻り、透はそれを左手で抑える。
「っふっふ、ヤルじゃあないのぉ……さすがは……えーと……名前なんだっけ」
「……」
黒髪は返事をしない。無言でその場に立ち尽くしていた。そう、それは先ほどガンシューティングの最中に財布を覗いた時と同じだった。
「まあいいさ。私が勝ったら教えてもらうんだから……ねっと!」
透は右手で右薙ぎにパックを打ち込んだ。そのシュートは黒髪の手をすり抜けてゴールになる。
「おっしゃー! もうけ、もうけー! 私のリード、カレン・リード♪」
試合時間が残り10秒になった途端、盤上にたくさんのパックが放り込まれる。
「おぉー! サービスターイム!」
喜々として透はパックを打ち込み、どれも単純に直接ゴールを狙う。
そのシュートはどれもゴールとして決まる。
「あはは、あはは、楽しいな……」
この頃には透はようやく異変に気付く。
さっきから黒髪が微動だにしない。俯いたままで表情も見えない。
黒髪の陣地にパックが漂っているので試しに相手陣地にまで赴き、一つ残らずゴールに入れてみる。
卑怯者と声高に罵ってくるかと期待をしたが、それでも黒髪は無反応だった。
筐体が甲高い電子音でタイムアップを知らせる。
この勝負は透の圧勝となり、初の二連勝になった。
「おい……」
透は低い声を出す。
「ふざけるなよ!」
マレットを盤上に放り捨て、黒髪に掴みかかろうとするも、
「お疲れ様〜☆ はい、飲み物」
傍観者でいた幸が介入して、その手を阻む。
「あれー? ちょっと具合悪い? それじゃあもう帰ろうか? ね?」
幸はおねだりの時に見せるような上目遣いをする。
「そ、そうだな……」
意識を取り戻した黒髪は頷く。幸の差し入れであるスポーツドリンクを受け取って、蓋を開けて、ぐびっと半分を飲み込む。
透は飲み込み終わった直後に抗議のタイミングを狙うも、
「このゲーム、お前の勝ちでいいから」
蓋を閉める前に黒髪はそう言った。
透がいちゃもんをつける直前に、動く直前にぴしゃりと断りを入れる。
そうなると透が言いたいことは無くなり黙るしかなくなった。少しの抗議でジト目を送る。
「やーん、こわーい。食べられちゃうー」
幸は黒髪の腕を掴み、引っ張るように店の外に出て行った。
それを見送りながら、
「いかにも毒を持ってそうなキノコをだれが食べるか」
透はぼやいた。やり場のないヘイトを幸にぶつけた。
「終わりましたか?」
終戦を嗅ぎつけて、マルコが透の元へと戻ってくる。
「終わった、終わった。私達もさっさと帰ろう」
二人もゲームセンターを出る。温度、湿度が一気に高まり、自動ドアを一歩出るだけで汗が噴き出る。
蒸し暑いというのに透の歩きが妙に大股で、ペースが速い。いつもなら歩幅をマルコに合わせるが今はずしずし前へと進む。
その荒れた様子にマルコは心配する。
「あまり機嫌がよろしくないですか? もしかして結果は」
「勝ったよ、勝った。でもさ、あんま気持ちの良い勝ち方じゃなかった。手、抜かれた」
「勝ちを諦めたとかじゃなくてですか?」
「そんな奴じゃない。最後の最後までしぶとく諦めない奴だよ」
初対面のはずの人間を、肩をもつ、というより、気心の知れた、というより、高く評価し執着しているようでマルコは拗ねそうになる。
「そりゃあの人は身長高くてかっこ良くいいですけど、すでに女性がいますし……」
「何か言った?」
「いえ! 何も!」
「それじゃあカレンさんが言ったのかな」
「そ、そうかもしれませんねー、お姉ちゃんー?」
『……』
愛弟の呼びかけとあらば即返事するはずのシスコンが、どういうわけか、返事をしない。
「あれ、マルコ、腕時計どこかにしまったの?」
「あ! 忘れてました!」
ポケットから腕時計を取り出し、定位置の左手首に巻く。
「ほら、お姉ちゃん、これでお話できますよ」
『……』
それでも返事はない。
「……あー、こりゃ拗ねてますわ。弟に忘れられて拗ねない姉はいないからな」
「そ、そんなことはありません! きっとお話する気分じゃないんですよ! そうだ、筆談! 筆談ならしてくれるはずです」
マルコはポケットサイズのメモ帳と万年筆を取り出す。万年筆はカレンの愛用品であり、アメリカに戻った時に持ってきた物だった。
眼前に並べると万年筆がふわりと浮く。これはマルコの意思の念動力ではない。
「ほら、やっぱり、筆談って気分だったんです!」
万年筆は浮かぶも蓋を開けるどころか、メモ帳に文字を綴るどころか、マルコの眉間目掛けて飛びかかった。
「うわっ」
万年筆はマルコの眉間でドリルのようにスピンする。
「あー! 忘れてごめんなさい! 痛いです、お姉ちゃん!」
悲鳴を上げながら謝るマルコを眺め、
「……平和だなぁ」
透は溜飲が下がり心安らかになる。
この日は彼女にとって何もかもが上手く行かない一日だったが、幼い彼のおかげで思い出深い物となった。




