親子喧嘩
「いただきます」
「いただきます」
手と声と息を合わせてから食事を始める。久しぶりの二人での食事だった。入院は決して長くなかったのに懐かしいと思えるほどに時間が経過しているように思えた。
テーブルには透の手作りカレーライスにキャベツの千切りにトマトとゆで卵を添えたサラダ、お湯を入れたら出来上がるインスタント味噌汁が並ぶ。一般家庭から見れば質素だったが、里見家ではおおむねこのような献立だ。有雁の分は透に比べると極めて少ない。元々小食であったが病み上がりなのであまり食べないように制限していた。
有雁がまず先にカレーライスを食べ始める。スプーンでルーとご飯とじゃがいもを掬った。じゃがいもは二日目の為か、丸みを帯びて小さくなっている。食いしん坊には口寂しいが病み上がりには飲み込みやすくてちょうど良い。噛んだらほろりと崩れるところがまた良い。
「どうかな、おいしく出来てる?」
このカレーは透にとって一人で作る料理としては処女作だった。調理中にアドバイスしてくれる人がいなかったから自信作ではない。
「うん、これなら暖簾分けしてもいいかな」
親方は親指と人差し指で輪を作って見せると弟子はガッツポーズする。
「はぁ、これで心置きなくカレーが食べられる。自分で作ったの食べても味がわからないんだよねぇ。お母さんのお墨付き貰ったんだからおいしいに決まってる」
有雁が一口咀嚼してる間に透は三口も食べる。
お互いの量が違う皿が空になるのほぼ同時だった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
手と声と息を合わせてから食事を終える。
「それじゃあ私が片付けするわね」
「待って、透。片付けぐらいは……」
仕事を任せっぱなしに居心地の悪さを隠しきれず、透を止めようと立とうとするが軽い立ちくらみが襲い膝を崩す。
「おっとっと……」
「ほらほら、今日一日ぐらいサボってて。それと後で見てもらいたいものがあるからね、また倒れて入院しちゃ嫌だよ」
「そう……それなら仕方ないわね……」
どんどん自分が情けなく思えてた。もう言い訳のしようがなく、自分が役立たずのように思えた。母子家庭で自分が大黒柱で娘が一人前になるのを支えなくてはいけないのに、これでは穀潰しと変わらないと自責の念に駆られる。
病室でも同じ気持ちだったが、さらに加減のない現実を目の前にし、陰鬱なため息が出る。
透は食器洗いを済ませると自室に向かった。そして戻ってくるとA4サイズの封筒を持っていた。
「お母さんにこの書類にサインしてほしいんだけど良いかな?」
「何? 通信教育? 付録目当てに契約したいの?」
「そんなの小学生で卒業してるから。まあまず見てみて」
開いてみると、高校のパンフレットのようだった。表紙は制服を着た女子が二人並んで微笑み合っている写真だった。
微笑ましい写真を飾る表紙なのに何かが引っかかる。有雁にとってそのパンフレットに違和感のような不吉な予感を感じていた。
透の顔をちらりと見る。彼女は至って笑顔だった。自分を騙すような表情ではなかった。いつも見せてくれている、自分にもったいないほどの天使のような笑顔だ。
「こういう、制服が好きなの?」
「うん、まあ、そうだね」
制服は初めて見るデザインだった。近所でも通勤途中でもこの制服を見たことのない。違和感の理由はこれだろうか。しかし通勤と逆方向に学校がある可能性は否めないし、もしかしたら新しく出来た学校なのかもしれない。
こうして転がっていた違和感のヒントをあっけなく一蹴してしまう。
「でも私立でしょう? お金が掛かるわねぇ、でも貯金崩せばギリギリ大丈夫かな、あ、でも修学旅行積立金なのね、ううぅん、残業すれば足りるかしら」
「うん、その心配は必要ないから」
透の言葉に疑問を感じながらも疑わずにパンフレットをめくり続けて、いよいよ最後のページに至る。そこに電話番号と住所が記載されてあり、ようやく、違和感の理由に気付いた。
「……ここって……隣の櫻濱県の学校じゃない、私の通勤場所より倍遠い……しかも華枕市? 何回乗り換えるつもりなの!?」
その問に{透|むすめ}は無邪気な笑顔で告白する。その告白は天使のような笑顔で、そしてに{有雁|はは}とって悪魔の宣告だった。
「私、お母さんを離れて一人暮らし始めようと思うの」
有雁の表情は険しくなる。その形相はかつて夏休み最終日に英語の宿題が半分残っていたことがバレた時の比ではない。
「……私はそんなこと初めて聞いたわよ」
透は一瞬怯む。自分の想像していた反応と180度違っていて戸惑う。
「そんな怖い顔しないでよ」
「これで怖い顔しなくていつするのよ。まさか、あなた、一人暮らしできると思ってるの」
「出来ます」
自信を持って透は返した。
「いいえ、出来ません」
これに自信を持って有雁は返した。
「お母さん、私の家事見てたでしょ? 文句付けて来なかったってことは問題ないって認めたんでしょ!?」
段々とヒートアップしていく。透は膝立ちになって証左を示す。
家事については有雁は否定できなかった。しかし安易に認められずに、
「ダメなものと言ったらダメ! 第一こんな大金誰が出すと思っているの! 子供のあんたがいくら働いても入学金も修学旅行費も教科書代も出せないでしょ!」
「お金の心配はいらない……パンフレット、貸して」
有雁の手からパンフレットをひったくり、とあるページを開いてテーブルに叩きつけた。
「ここ見て。超能力者特待生制度。認定した超能力者ならさっき言ったお金も寮費も全額免除になるの」
自治体によって超能力者の勧誘に意欲的な学校に補助金を支給し超能力者の育成を促進する制度がある。そのためイノベーションと決まり文句を豪語しては超能力者を確保するため躍起になり優遇制度を取る学校も存在する。
「認定ってあなたはまだ……」
言い終わる前に気付いた。
「認定だったらとっくに終わってる。その証拠に、これも持ってる」
ピンクとシルバーを織り交ぜたリボンを持った左手で透は右肩をかざす。
「これで文句はないでしょう? 登録と違って入学には保護者のサインが必要で」
透は言い終わる前に言葉が途切れた。本人にも訳がわからなかった。会話の途中に急に何かが左から飛びかかってきて、今は頬がヒリヒリと痛い。
「透……どこまで私を裏切ればいいの……こんな大事なことを隠して勝手に決めるなんて……ひどすぎる」
有雁は透を初めて叩いた。彼女はとても温和な性格をしていて、どんなに悪さをしても絶対に暴力を振るう女性ではなかった。その性格は生まれた頃からであり、それはつまり今この時の暴力が彼女の生涯で初めての暴力だった。
しかし暴力を振るったからといって解決するわけでもない。すでに登録は済まされてあり、取り消しなんてことは出来ない。この暴力は何の価値、正当性、生産性もなく、ただの有雁の憂さ晴らしに過ぎなかった。
「……」
透はすぐに自分が叩かれたと気が付かなかった。自分に叩かれる理由がないと信じていたし、あの世界一温和な母親が暴力に出るとは考えもしなかったからだ。
手に持っていたはずのリボンがどこかへ消えてしまった。その紛失のおかげで自分は吹っ飛んだとようやく認識した。
「……」
並大抵の子供なら暴力を振られれば、まずは親の言うことに従うだろう。それが間違っていようと悪だろうと理不尽だろうと、子供は矛盾を抱えようとも謝って従う。
しかし、透は並大抵の子供とは違った。彼女は自分の中で滾る正義に、親情に従った。
だがしかし彼女はまだ子供だった。自らが考えて行う正義、親情がどんな形であろうと通せばいいという餓鬼のような我儘に打って出てしまう
「先に裏切ったのはどっちさ……」
透は立ち上がり、頬の痛みに耐えながら話す。突きつけてはいけない、手を出してはいけない最終兵器を使ってしまう。
「ずっと大事なことを隠していたのはどっちさ……」
「何を言ってるの、透……」
疑問形で返すが有雁には裏切りと隠匿に身の覚えがあった。その裏切りと隠匿を彼女は一日たりとも忘れたことはない。忘れようともしたこともない。
「惚けないでよ……お母さんは……本当のお母さんじゃないんでしょ」
「何を言ってるのか、私にはさっぱり」
透は容赦なく事実をぶつける。
「飛迦……これが私の本当のお母さんで………………有雁さんのお姉さんでしょう」
有雁は名前で呼ばれ、なんとも言えない気持ちになる。否定したくても事実で、否定しようとも事実で、何も言えなくなる。
透は透で便宜上とはいえ、名前で呼んだことをすでに後悔していた。
本来なら母と呼び続けたい。甘え続けたかった。
「だから、これ以上迷惑掛けたくないから……私は自立します。それが、お互いの為になると思うから」
そう言って有雁をひと睨みし、透は自室に走って行く。
部屋に戻って布団を敷き、そのまま布団を被ってサナギになる。
瞬間就寝が得意だったが、今日は上手く行かなかった。いつも寝る時間より二時間早かったからわけではない。頭が冴えすぎて、眠気は生まれてこなかった。
彼女の眠気を妨げる障害は後悔だった。有雁に対して言い過ぎたと自覚していた。大いに傷つけてしまっただろう、謝りに行こうと何度も考えるが、それを正義と親情が許さなかった。ここで挫けては今までやってきたことは無駄になる。
これでいい、これでいいのだ。これで親愛する母親が子育てから解放され、自由になり、体調も改善されるだろう。
そう思い言い聞かせていると心は軽くなり、自然と眠気が湧いてきた。それと同時に思考の余裕が出来て、着替えや歯磨きを思い出す。口周りにカレールーが残ってるような感覚がするが面倒臭く全てを放棄した。




