その姿に見違えて
里見有雁は無事退院し、帰路に着いていた。寝たきりの病院生活を終えた後のだるさを抱えながら歩いている。平日の赤く染まっていない夕方に近所を歩いていると何故か罪悪感が湧く。それを払拭をしたく、恐らく溜まっているであろう家事をせめて頑張ろうと頭の中で分刻みのスケジュールを組む。
まだまだ子供の透のことだ、きっと家事をサボっている。そう決めつけていた。畳まれていない洗濯物を枕にリビングで昼寝をしていようものならキツく一喝しようとも考えていた。
自宅の前に着くとなるべく音を立てないように玄関の鍵を開けて、あえて迎えのない帰宅をする。
靴置き場はきちんと清掃され、透の靴が揃えて置かれている。そして玄関からでもリビングに置いてあるテレビの音が聞こえる。透が帰宅している気配があった。
スリッパを掃かずにリビングの扉を開けて中へ侵入する。
すると、どうだろう。洗濯物の山を枕に制服のまま寝転がっている透が……いなかった。それどころか、洗濯物の山はない。あるのは洗濯物の摩天楼だった。タオルも衣服もシワを伸ばして畳まれて種類ごとによって整然と積まれている。
これは一体誰がやったのか、有雁にはすぐわからなかった。娘に教えた覚えがあるが、彼女の仕業ではないと自信を持って言えた。彼女なら例え畳んだとしても服の間にタオルを挟むような手抜きをする。
「これはきっと……家政婦に頼んだに違いない!」
「あ、お帰り。お母さん。思ったより早かったね」
「あ、ただいま……って何その格好は!?」
「何って……エプロンだけど? お母さんの借りたのダメだった? それとも制服の上からじゃまずかったかな」
「……あなたは誰!?」
「里見透。あなたの娘です」
「私の知っている透はそんな格好はしないわ! 私の知っている透は言っても家事なんてろくにせずにゴロゴロしてるような子だわ!」
「……お母さん、今日の下着は白でしょ」
透は透視でズバリと有雁の下着の色を言い当てた。
「本物!? ……もう、驚かせないでよ……」
「下着の色当てが娘の証明になることに驚きだよ」
透はぶつくさ愚痴をこぼしながら洗濯物を片付けて掃除機を掛け始める。ゆっくりと動かし、ホコリを吸い込みやすいようにしている。それを文章を書くように、端から端へ、まっすぐとかける。
有雁は揚げ足を取ろうとする姑のごとく、厳格なチェックをするが特に問題はなかった。
「……はっ、家事を見てるだけなんてダメよね。それじゃあ夕食の支度でもしようかしら」
夕食はいつも有雁の仕事だ。これは何年も続いている伝統とも言える。
だがしかし、その伝統もこの日、ついに潰える。
「お母さん寝てていいよ。昨日作ったカレーの残りがあるから」
その言葉を疑うわけではないが、有雁は台所に行き、コンロの上に置いてある鍋の蓋を開ける。中には焦げていないカレーが入っていた。肉だけでなく、野菜も入っている。その野菜もちゃんと刻まれている。
「そう、それじゃあ……買い出し行ってこようかしら。カレーだけじゃバランス悪いでしょ」
「それも大丈夫。冷蔵庫の中に刻まれたキャベツとか入ってるから」
今の透は病気の母親に代わって家事をこなす、よくできた娘といえる。親であるなら褒め言葉の一つでもかけてあげるところだが、有雁は違った。
「……あなた、本当に……透なの?」
そんな疑問を投げかけてしまった。
「あ、ごめんなさい、こんなこと言ったら失礼よね」
すぐに訂正する。失礼なことを言われた透は気分を害したかと思いきや、
「見違えたでしょ? 私もいつまでも子供じゃないんだから、えっへん」
胸を張るも脂肪はあまり揺れなかった。
有雁は目を細めて今度こそ透を褒めた。
「そうね、偉い偉い。うふふ」
小さな子供にするように頭を撫でる。跳ね返り気味の髪の毛がピアノの鍵盤のように沈んでは浮かんでくる。
「もう、やめてよ。子供じゃないって言ってるでしょ。髪型崩れるぅ」
透は抵抗はするもまんざらの様子ではなかった。
里見家が日常に戻ったひとときだった。
このときまでは。




