虚夢
クラスメイトとは別れても透とはまだお別れではない。
空港へ向かう電車に乗るため、駅へ向かった。透は紙袋のミノムシのように黙ってついて行く。
駅の前までたどり着くと中から発車メロディの童謡が漏れて、ここまで聞こえていた。昼下がりのバスターミナルでは眠たそうに運転手が運転席で体操をしている。一通りが多く、真っ赤で目立つ立派な鳥居の下を老若男女が知らず知らずにくぐっていく。
改札前で透は立ち止まる。
『あら、マルコのために入場料は払ってくれないの』
「……残念だけど、憧れのカレン・リードさんの見送りでも入場料は払えないよ」
『ふん、ケチね』
子供のようにカレンは拗ねた。過去に夢中で憧れた彼女が歳相応の反応を見せた。それに対して失望はなく、親しみを感じた。
『あぁ、そうそう忘れるところだったわ。マルコ、あれ、透に渡して』
透はマルコから茶封筒を渡される。癖で開ける前に中を透視するとお金が入っていた。ドルではなく、日本円で。
『鞄の中に入っていたの。たぶん貴方のね』
「違う、これは……」
アルバイト料だった。全額返すつもりで昨晩鞄の底に忍び込ませていたがバレたようだ。
『成功報酬は後で送るわ』
「いい! いい! そんな大金は悪いから! てかアルバイト料もいらない!」
『それじゃあそれは二人分の宿泊代ってことで受け取って頂戴。それで新しい服でも買いなさい。いろいろと窮屈なんじゃない? それにもう一つ渡したいものがあるの』
カレンの指示通り、マルコから筒のようなケースを渡される。
『開けてみなさい』
中には眼鏡が入っていた。透視能力者ジョークというものがあり、その一つに透視能力者は全員視力が良いという話があった。常に透視で遠くを見渡せるから、という簡単な理由だった。全員がそうとは限らないが、透はその通りに両目の視力が共に健常であり、眼鏡は縁のない物だった。
『伊達眼鏡よ。かけてからマルコに思考の透視をしてみなさい』
「そんな勝手に。お前の弟だろ」
『いいから、いいから』
急かされて、かけてからマルコの思考の透視を試みる。
「あ、あれ……全然読めない」
『それは不調でもなんでもないわ、それが今のあなたの限界なの』
マルコがサングラスをかけた時もそうだった。煌や物部の思考が読めなかったのもこれが原因だった。
「こんな……簡単に……」
一生をかけても解決できそうになかった悩みをカレンはいとも容易く解決させてしまった。
『こちらはほんの少しのお礼よ。私達、姉弟を引き合わせてくれたお礼』
「困ったな。お礼の返しが思いつかないな」
『いいのよ、私達をあなたは救ってくれたんだから。感謝しきれないのはこちらのほうよ。それじゃ、私の用は済んだからしばらく黙るわ。おやすみ』
そう言って腕時計は布団に入ってしまった。とは言っても器官の一部となってしまった彼女は今やマルコと一心同体。マルコが起きてる時は彼女もしっかりと起きている。そのことを隠し、空気を読み、この場にいないように振る舞う行為はカレンなりのお礼だった。
お喋りが消えて、再び静かになってしまった。残された二人は何を言い出すべきか、そして言い出すタイミングを西部劇のガンマンのように見計らう。
最初に話しかけたのは透だった。ここでも当たって砕けろの精神が生きた。
「……ちゃんと帰れる? この後どこを行くんだっけ」
「羽田ではなく成田に行って、サンフランシスコまで飛びます。空港からはバスを使います」
「そうか、それなら安心だね」
「はい、迷子にはなりません。お姉ちゃんもいますから」
「お土産はもった?」
「渡す人がいないので買ってません」
「あ、なんかごめん」
「いえ、気にしません」
そして二人はまた、黙り込んでしまった。トントン拍子で進めたと思ったが地雷を踏んでしまい、話したかった本題が胸でつかえる。
透は一言だけでも「また会おうね」と言いたかった。しかしそれを言う勇気が彼女に足りなかった。遠く離れ離れになるし、照れくさすぎるし、そして自分に自信が持てなかった。
マルコもまた透と同じことが言いたかった。そして同じく言う勇気を持てなかった。自分の存在は平穏を望む彼女の邪魔になるかもしれないと考えたからだ。この二週間で彼女に負担に負担を重ね、終いには命に関わる大事件に巻き込んでしまった。どの面を下げて「また会おうね」なんて言えるのだろうか。
二人の距離は近くて遠かった。カレンとマルコがそうだったように、お互いを想う気持ちが強くて歯車がずれ始めていた。
電車が正常な歯車のように一分のズレもなく、時刻表通りに到着した。
「それでは。これで、さようならです」
断腸の思いでマルコは改札を通る。
振り返らずに去っていく彼を透は見守る。いつぞやか背中を見送ったときがあった。その時より幾分か身長が高くなってるように見えた。
「なんだよ、あいつ……まだ、年輩の私がお別れの挨拶まだ言ってないだろ……それに、さようならってそっけなさすぎるだろ……」
小さくぼやき、必死で「また会おうね」と「さようなら」以外のお別れの挨拶を探す。
ふと、いくら揺すっても風が吹いても枝にしがみついていた木の葉が音もなく落ちてきた。その言の葉を透は叫んだ。
ずっと透明人間になろうとしていた彼女が人目を気にせずに大声で叫んだ。
「see you again!」
その言葉はマルコまで届いていた。マルコの周辺を歩いていた数人、その先を歩いていた数人も何事かと思い、透に注目した。しかし一番に気付いて欲しかった彼はその言葉に気付かずに振り返らずに、掃除機に吸い込まれるホコリのように電車に入る雑踏にまぎれた。
彼の姿が見えなくなった。透視してもその姿を追えなかった。
電車がマルコを連れて走り去る。しばらく透は改札口前で立ち尽くしていた。
当たった結果が砕けた。それでおしまいだ。思えば一年前もそうだった。全身全霊で自分のできる努力をして、母を助けようとしたが結果は成功と言えなかった。意味が無いのにあれこれ努力して、周囲の人間に期待し、裏切られ、ひねくれ具合に磨きをかける。
結局のところ、努力は報われない。惨めに終わった。
あぁ、どうしていい加減学ばないのだろうか。
あぁ、どうしてこんなに不器用なのだろうか。
もうやめよう、今度こそ透明人間になろう。
透は超能力者であっても超人ではない。今まで築き上げた努力が無意味と化すなら、挫折し、無気力になる。
透は駅を早々に立ち去り、帰路に着いた。
失意の週末を乗り越え、否応なく月曜日が始まる。
見てもすぐに忘れてしまう夢のような陰鬱な生活が始まる。




