視線の先
「なんだ、物部先生か……」
見知った人物にマルコは胸を撫で下ろすも透は臨戦態勢のままだった。
「先生、それ以上近づかないで下さい。近付いたら爆弾を投げますよ」
「と、透さん、先生相手にそれは」
爆弾と聞いても物部は顔色一つ変えなかった。
「あらあら、先生も嫌われちゃったものね」
警告を無視し、物部は一歩前進した。
透は予告通りに火を点けた発炎筒を物部に投げつけた。
発炎筒は物部の眉間目掛けて飛んでいくも、直撃する前に見えない壁に阻まれたかのように床に落ちた。
夥しい量の煙が物部の足元で吹き出し始める。しかしそれでも物部は眉一つ変えなかった。炎天下の砂漠の上でも溶けない氷のような狂気があった。
「なにしてるんだ、マルコ! 早く逃げろ!」
「で、でも、先生は」
「今のでわからなかったか! あいつは念動力者だ!」
能力を見破られても物部は冷たい笑みを浮かべるだけだった。
マルコはようやく事態を飲み込む。自分を誘拐した犯人、そして馬詰を事故と装い殺そうとした犯人、それがいつも教壇に立っていた先生だということをようやく理解した。
「いいか、マルコ! サンマで落ち合うぞ!」
サンマと聞き、マルコは真っ先に魚屋ではなく中華料理屋を思い浮かべた。
「透さんも一緒に行きましょう!」
「大丈夫、すぐに後を追うから」
「で、でも……!」
「逃げ足には自信がある。私を信じろ」
ウィンクする透に急かされ、ようやくマルコはもう一つの入り口へ走り出す。
その道を阻もうと物部は走り出す。マルコの逃げ道確保のため、透はもう一本火を点けた発炎筒を物部に目掛けて投げ付ける。
「姑息ね」
物部は足を止め、念動力に集中する。すると発炎筒はフォークボールのように急激に角度を変え、再び床に叩き落とされる。直撃前にはたき落とされてしまったが煙は濛々と吹き出ている。
直撃したところで何のダメージにもなりはしない。ただ当初の目的通り、マルコを逃がす時間は確保できた。
「ちょっと煙いわね」
彼女の周囲だけを避けるように煙が広がる。
発炎筒の役目が終わり、視界がクリアになる。教室には物部と透が残っていた。
透は逃げずにその場で立ち尽くしていた。
「あら、逃げないの? それとも、かくれんぼはスタート地点近くに隠れて鬼をやり過ごすタイプ?」
逃げるにも逃げられなかった。足首が未だに傷んで走れなかった。
近づいてくる物部を無視し、透は透視でマルコの行方を追っていた。無事に校舎を抜け出したのを確認し透視を解除した。
「まあ、いいわ。ちょっと痛いから我慢してね」
物部は手をかざし、ほんの少し手首を撚る仕草をした。それと同時に透は見えない手によって床に叩き付けられ、金縛りのように身動き一つ取れなくなった。
物部はポケットから紐を取り出し、セレナーデを鼻歌で歌いながら透の腕と足をセオリー通りに背中で縛り始めた。
「先生はいつから超能力に目覚めたんですか?」
身動きが全く取れなかったが、辛うじて口の自由は許されていた。
「何? 時間稼ぎのつもり? でもいいわ、生徒の疑問に答えてあげるのが教師の努めですものね、教えてあげるわ。先生ははだいぶ遅くてね、高校卒業してからよ」
淡々と質疑応答は続く。
「馬詰を事故と見せかけて殺そうとしたのは」
「先生よ」
「脅迫文を入れたのは」
「先生よ」
「マルコを誘拐したのは」
「それも先生」
悪びれる様子もなく、授業の時と同じように笑顔で質問に答える。
いつもと何ら変わらない。警察に任意同行された時に見せてくれた笑顔のままだった。それが腹に立ち、透は声を荒げる。
「……なんで、なんで、こんなことするんですか!」
他人を拒絶していたにも関わらず他の生徒と変わらず差別なく接してくれた教師だった。本当に信頼に値する人だった。
きっと何か訳があるに違いない。彼女にもそれなりの事情、それなりの葛藤があり、自分を殺めようとしているに違いない。
しかしここでも目算は大きく外れた。
「それはね、透さん。あなた達が先生にとってハエとウンコのような存在だからよ。ハエをいくら駆除してもウンコがそこにあれば必ず寄ってきちゃうの」
透の希望を粉になるまで砕くような鬼畜な答えだった。
物部が馬詰を殺そうと決心したのは唐突のことだった。
物部は以前から超能力者である透にちょっかいを出す馬詰の行為を問題視し、監視を続けていた。馬詰の問題行動が公になると学校の全体の問題と大きくなりえるので上には報告せずに握り潰していた。しかしついに物部の手には負えない事態が起きてしまった。馬詰がネットに実名付きで超能力を公開してしまったのだ。真偽はどうであれ、誰にでも目に触れられるのが良くなかった。問題が握りつぶせなくなったのだ。
問題は学校にも発覚され、物部は教頭に呼び出され、二時間も説教に付き合わされた。二時間も愛しい人といる時間を奪われた。もしこのまま馬詰を野放しにしていればこれ以上の時間をさらに無駄に浪費するかもしれない。
こうして簡単に、馬詰抹殺計画を立ち上げた。
馬詰の行動パターンはすでにほとんど把握していた。決まった曜日、決まった時間に彼女は朝練のため、早朝から登校する。その時は学校内とは違い、ひと通りの少ない時間に一人で行動をする。暗殺にはうってつけだった。
証拠が残らないよう、超能力を使うことにした。しかしそれが原因で彼女は重大なミスを犯す。彼女の超能力は遠方のコントロールが苦手で、馬詰を殺し損ねてしまった。
救急車で病院に運ばれた馬詰に何食わぬ顔で事故で怪我した生徒が心配で駆けつけた教師の体で近付いた。
当初彼女は自分を殺そうとしたのが透だと勘違いしていた。しかし警察がやって来て透が念動力者ではないと物部もいる場で説明した。
「学校にも来てた警察官、覚えてる? あのいかにも一生独身そうな男。病院でね、ちょっと色目使ったら門外不出のはずのあなたについての書類を見せてくれたわ。あ、勘違いしないでね、先生はダーリン一筋よ? そいつに指一本体を触らせてないから」
また一つ問題が発覚した。自分が透の前で念動力をつい使ってしまったのを思い出す。それはマルコが留学した初日、透が変な格好で校門に立っていた時のことだった。後輪が浮いて立ち往生してしまった車を念動力で脱出するところを見られてしまった。気付いている様子がなかったがバレるかもしれない。
どうしても事件から目を逸らせたく苦肉の策として脅迫文を閃いた。職員室で誰もいない内に脅迫文を書き上げた。理由は不明だがカレン・リードを探しているようだったので彼女の名前を利用させてもらった。その手紙を読んで透が喜ぼうとも怯えようとも関係はなかった。ほんの少しの時間稼ぎになればいい。後は放課後で透一人しか住んでいないアパートに足を運び始末すればいい。
透の問題をクリアできたが、またも問題が発生した。昼休みにマルコが車に接近し、何やら調査をしているようだった。透にばっかり気を取られていたが、マルコも目撃者になりうる人物だった。どうにか口止めをしなくてはいけない。その時に閃いたのが馬詰から没収したクロロホルムだった。使う場面はすぐにやってきた。狙われていると知らず旧校舎に一人でのこのこと歩いて行くのを追いかけ、隙を見て襲った。
その場で始末したかったが時間が許してくれなかった。物置から使えそうな物をかっぱらい、誰も近寄らない二階にマルコを隠した。夜になったら改めて殺そうと考えていた。
「さてさて、他に疑問はある?」
「……それじゃあ私をどうやって殺すんですか?」
「良い質問ね。先生ね、血が見るのは嫌なの。人の血も獣の血も魚の血も……自分の血以外はどれも平等に嫌なのよ、だって汚いじゃない? だから血が出ない殺し方をしてあげるわ……っと、こっちも終わったわ」
透の手首はヒモで何重にも縛られた。透視能力があっても解くのは不可能だった。
「それとね、透さん。特別に良いことを教えてあげる。あなた、ちょっと冷静すぎなのよ」
そう言いながら物部は尻をまさぐる。ポケットに異物があるのを確認し、取り出す。
「立派なナイフね。でも学校に不要物持ってきちゃダメよ。没収します」
「か、返せ!」
「いくら言ってもダメなものはダメです。それともう一つ良いことを教えてあげる。マルコさんを無事に逃がしたと思ってるでしょうけど、先生が取り逃がした時の策を考えてないと思った?」
「……どういう意味だ」
「あなたの姿を校門で見かけた時に虫の知らせってやつ? それがしてね、マルコさんをね、捜索願いをしたのよ。あの独身男にお願いしてね。今では彼女は街のお尋ね者よ。どこに隠れようたって無駄なの。ついでに見つかったら先生の元に連れてくるようにお願いしてあるわ」
「警察に捕まるなら好都合だ。そこで真実を話せば良い。あんたが超能力者だってばらしてやればいい」
「残念、現実ってそう上手く行かないものよ。子供の言うことを大人が簡単に耳を傾けると思う?」
「そんなのわからないだろ! 実力のある超能力者を呼べばマルコが嘘を吐いてないとすぐにわかる!」
「透さん、残念ながら0点を上げるわ。もうちょっと社会について勉強するべきね。警察は保守的でね、各方面で超能力が認められ始めた昨今でも未だに物的証拠として認めてないのよ。裁判でも無視されます」
「そんなことが……そんなことがあってたまるか! じゃあ何なんだよ! 何で超能力があるんだよ!」
「認めたくないのはわかるわ。でも現実がそうなんだから受け止めなさい。命を挺して助けたつもりだろうけど残念でしたね」
そう言って物部は教室を後にした。その隙に透は身を捩らせながら尺虫のように脱出を試みた。
廊下まで逃げ出すことができたが、そこで物部は戻ってきてしまった。手にはプラスチック製のポリタンクがぶら下がっていた。
「まあまあ、よく頑張るわね。頑張る生徒にはご褒美を上げないとね。丸焼きにするつもりだったけど燻製にしてあげる」
物部は透にかからないように廊下に油を撒き始めた。
廊下を一周すると同時に油が底をつく。
「さて、と」
ポケットからマッチを取り出す。使い慣れているのか、一発でマッチに火が灯った。
「あんたは何の権限で私を殺すんだ……!」
「もう質問何回目よ、もうすぐ死ぬんだからおとなしくしなさい」
「教師だったら生徒に何してもいいわけ無いだろ! 大人だったら子供に何してもいいわけ無いだろ! 私は良い子にしてただろ、なんでわかってくれないんだよ!」
「はいはい、じゃあこれが最後ね……。先生はね、女王様なの。だからこうやって女王を脅かす不届き者を火炙りにできるのよ」
殺す理由というなら、透は死線を越えたのだ。その死線、基準を設けたのは傲慢極まりない物部だっただけの話だ。
「脅かすって……全部あんたの撒いた種だろうが!」
透の言葉はもう物部の耳には届いていなかった。彼女の頭の中には家に帰ったらシャワーを浴びて愛しの恋人といちゃつくイメージが浮かんでいた。
そう、だからこそ、すぐには受け容れられなかった。
突如として自分の親指の根元の拇指球に深い切り傷ができ、深紅の血が漏れ出しているビジョンは受け容れられなかった。最初は何かの見間違いと思ったが遅れてやってきた激痛に現実だと教え諭される。
「きゃああああ!」
ピッチの合ってないソプラノのような絶叫が響く。耳をふさげない透は顔を顰める。
「それ以上、透さんに危害を加えたら許しません!」
その場にいた女二人は声の方向を向く。
その少女は女王に仇なす蛮族に見えた。
その少年は窮地を救う王子様に見えた。
マルコ・マカリスターが二人の視線の先に立っていた。




