大きくなる足音
透は続けてこう言った。
「いい? 驚かないで聞いて。最悪驚いてもいいけど、どうか信じて欲しい。今は、ケイトさんよりも私を信頼して」
マルコは無言で頷く。
透は一世一代の大勝負を目の前にして深呼吸をする。失敗は許されず緊張感で吐く息にビブラートがかかる。空間はしんと静まっていたが透の耳は心臓の音で埋もれていた。プレッシャーに押し潰されそうになる。この場から逃げたくもなる。しかし透はその場に踏みとどまっていた。ついに巡り待ってきた使命を果たすべく、透はかつての憧れ、理想、畏怖の対象に立ち向かう。今から狐が虎に勝負を仕掛ける。狐には虎のような骨を噛み砕く牙も肉を抉る爪もない。優れているとしたら、それは化かすことだけだ。
「さっきからずっとだんまりだけどさ、ちゃんと聞こえているんだろう。見えてもいるんだろう。私としたことがケイトさんにすっかり騙されちゃったよ……いや、こう呼ぶべきかな……カレン・リード」
空間がしんと静まる。空間は支配され、独り舞台のようになっていた。
「あんたは大きな嘘を二つ吐いている。嘘を見破れず、ついつい信じてちゃった。一つは自分の正体をケイトだと偽ったこと、もう一つはあんたが音だけでなく、しっかりと映像も見えているということ。さてさて、これらを見破れたのは何だと思う? あんたは初対面から大きなミスをしてたんだ。ラーメン屋の出来事を覚えてる? あの時誰も餃子とはカレンが話すまで誰も言葉にしなかった。それなのにテーブルの上に餃子があるとあなたは知っていた。それは見えていたからだ。だけどここで矛盾が生まれる。腕時計にはカメラの部品が含まれていない。それじゃあどこから見ているのか」
透はマルコを指を指した。
「ぼ、僕ですか」
「その答えはイエスでもあり、ノーでもある」
透子の指は、正確にはマルコの右の茶色の瞳を指していた。
「カレン・リード、あんたは今、マルコに移植された自分の欠片……目と耳となっているんだ」
開いた口が塞がらないマルコの手元に腕時計が戻る。
「それじゃあそろそろ本人に登場してもらおうか、腕時計返すね」
動物の肉球のように温柔な手に戻っても腕時計は石のように固まり口を閉ざしている。
「マルコ、呼んであげて。呼び方間違えないでね」
信じ難いが透との約束通り信じた。
「か、カレン……」
『……違うわ、違う。私は……私は……ケイトよ』
岩のように頑固だったが、言葉に先ほどの力強さはなく和紙のように軽かった。
マルコは問いかける。
「ずっと僕を騙してたんですか?」
その言葉で油に火が点いたように彼女を燃え上がらせる。
『それは違う! 騙してなんかいない! 騙そうとしてるのはそこの女! 騙されないで、マルコ! 信じちゃダメ!』
「ごめんなさい、僕は……彼女を信頼します」
『なんで私を信じてくれないの……待って、そうよ、証拠! その女に証拠がないじゃない!』
「見苦しいな、カレン・リード。私の能力を忘れたの? 目さえ合えば思考の透視ができるって。これが証拠」
その証拠はハッタリだった。茶色の瞳が黒く焦げるまで見つめても思考は飛んでこない。これが実力の限界だった。飄々と平静を装うが心臓はばくばくと鳴っている。ハッタリだと気づかれないことをひたすら祈る。
『違う! 違う違う! カレンは死んだのよ! マルコ、早く帰りましょう。この女の家じゃなくてアメリカの家に!』
「……嫌です」
『なんで……なんで私の言うことが聞けないの……』
きっと昔から温順なマルコは姉の言うことをしっかりと聞いていたのだろう、だから初めて頑なに拒否を続けられ、彼女は途方に暮れる。そんな彼女にもマルコは温かく接する。
「違います、僕は姉がまだ生きてるって信じたいんです」
『……』
再び腕時計は静かになる。攻勢と判断し、透は援護に入る。
「言っておくがカレン。マルコがこれで諦めると思うなよ。マルコの執念はそんなに簡単に折れると思うなよ。よく考えてみろ。マルコがここに来たきっかけはちっぽけなもんだ。ネットの噂を信じて性別隠して留学までするか?」
『……』
ほんの少しの追撃のつもりが説得しているうちに、煮え切らない態度に、思わずヒートアップしてしまう。
「そもそもだ! そもそも、ネットの噂は最強の念動力者というだけでカレンの一文字も出ていない! それでもマルコは信じてやってきたんだぞ! それがこれっきりだと思うのか! 日本なら言葉が通じて私がいるからまだいいさ! 今度は日本とは限らない! 北極か、南極か、アフリカの奥地か、チョモランマのてっぺんにだって行くかもしれない! 今も世界中でどこかで噂ができるかかわからないぞ、なんせ世界中に名の知らない者はいないカレン・リードだからな! 話題に尽きないだろうぜ!」
説得する透も平静を忘れ、語調がクレッシェンドのように強くなる。
『そ、そんなこと、わからないじゃない……』
「マルコ、日本の次はどこの予定だ」
「次は……バミューダトライアングルです」
突然話を振られ、返答にもたついたが意志の強さが見て取れる返事だった。
『あなたはどこまで……』
「バカって言いたいのか? そうだな、お前の弟はバカだ。姉バカだ。大好きな姉のために三千里も旅するとんでもないバカだ。旅だけじゃない、カレンがいなくなる前からずっと勉強を頑張って飛び級したのは何でだと思う? おかしくて笑っちまうぜ、忙しい姉と少しでも一緒にいたいからだよ! 研究に携われるように遊びを我慢して必死で勉強したんだよ! なのになのに! どうして! どうして、こんなに愛してくれる家族がいるのにそれに気付いてやれないんだよ! 気付いておきながら、向き合ってやれないんだよ!!!」
マルコの右耳に口を近づけて大声を上げた。
「この! バカレンがああああああああ!」
再びの沈黙。肩が凝りそうになるほど過重な沈黙だった。
最初に沈黙を破ったのは、
『……だって…………だって、こんな、惨めな姿を見せたくないじゃない……私がどれだけ……どれだけ弟を愛しているかわかって言ってるの』
カレン・リードだった。
カレン・リードがついに正体を認めた。狐と虎の異種勝負は狐に軍配が上がった。
透は緊張で凝りに凝った肩の力を抜き、ため息をこぼした。何とも言えない脱力感があった。
観念したカレンは二人に自分の身に何が起きたか、わかる範囲で説明をした。まず彼女が意思疎通できるのは言わずも知れた腕時計の未知なる部品が関連していた。これはカレンの念を感知し、言葉に翻訳するデバイスだった。超能力者の念は感情が深く関わっており、怒れば怒りの念に、悲しめば悲しみの念に、人の顔のように念は感情を変える。感情のパターンを記憶させ、ついには言葉に翻訳させられるようにまで至った。
「超能力者なら誰でも使えるの?」
一縷の期待を込めて透は尋ねるも、
『それは無理ね。このデバイスは試作品で私専用なの。だから透どころかマルコにも使えないみたい』
この試作品の開発が成功すれば一生分の暮らしができる報酬を約束されていた。カレンはマルコとの生活を我慢し、彼のワガママに付き合ってあげたかったが先の未来のために研究に集中した。
『私がいなかったらこの腕時計は完成してなかったわ。この装置、元は東京ドーム一個分くらいはあったのよ』
「嘘! まじで!」
『えぇ、嘘よ』
「嘘かよ!」
『本当は内野ぐらいの大きさ』
野球に疎い透はすぐに規模を想像できなかったが、
「それでも充分すごいよ……」
マルコは充分に理解していた。
開発に終りが見え、賞与として多額の金額が支給された。それと一緒に長期休暇を貰えた。その矢先にあの悲劇は起きた。そこからはマルコも知っての通り、彼の命を救うべく自分の命を差し出した。
その後カレンが何故マルコの耳と目になったのかは自分でもわからなかった。邪推で考えられるとしたら超能力が関連しているとしか言いようがない。
「本当に……カレンなんだね……あっ」
今の言葉を失言だと捉え、マルコは口で手を抑える。彼は未だに半信半疑のようだった。そんな言葉を投げかけるのは無理もない。いくら超常現象を日常とする彼でもこのような超々常現象はすぐには信じられない。ちなみに透は早々に考えるのを諦めてカレンの言うことを携帯ショップの店員の説明を聞いている時のようにほいほい頷いていた。
『えぇ、そうよ。寄生虫みたいになっちゃったけどね』
「本当の本当に……カレンなんだね」
『ええ、そうよ。今まで騙してごめんなさい。騙すつもりはなかった……と言ったら言い訳よね。情けなくて惨めでしょうがない姉の姿を見せたくなかったの。でも嘘に嘘を重ねて、終いには見破られてますます情けなくなっちゃったね』
カレンは自分の身体を失う前から真っ直ぐで優しい弟に相応しい真っ直ぐな姉でいたかった。
「情けなくなんかなってないよ。ずっと側で僕を見守ってくれたんだもん、やっぱ無茶苦茶凄いよ。お姉ちゃんは」
二人の歯車はずっと逆方向に回っていた。姉は自分を忘れて欲しかったが、弟は姉を忘れたくなかった。お互いの想いは余りに大きく、相手の気持ちの大きさに気付かずにすれ違っていた。
「お姉ちゃん、ずっと言いたかったんだ。会えたら言おうと思った言葉、ここで言うね……僕を身を挺して守ってくれてありがとう。大好きだよ、お姉ちゃん」
『私もよ、マルコ。これからもずっと一緒にいましょうね』
透はしばらく二人だけにしようと気を利かせ、その場に後にしようとした。しかしその足が一旦止まる。
階段のほうからぎしぎしと鶯張りの廊下が鳴る音が聞こえた。
透は自分の浅はかさ、愚かさに後悔した。小さく舌打ちをした。
何故、犯人が帰ってくると考えられなかったのか。タイムマシンがあったら過去に戻って自分の顔を百回殴りたい気分になる。
呼吸を整え、心臓の乱れを抑えて、透視を行う。彼女の瞳は確かに足音の主の正体を捉えた。
その正体を認識したと同時に心臓が飛び跳ね、透視が強制終了された。透視を再開しようにも鳴り止まぬ心臓の鼓動と身体の震えを抑えられなかった。だがしかし透視の必要性がないほど這い寄ってくる足音の正体ははっきりと確認し、今回の全ての事件の黒幕だと確信した。
「二人共、感動の対面はまた後だ。今、向こうから犯人がやってくる」
『片耳の私にも聞こえたわ。ごめんなさい、もっと早く気付くべきだったわ』
「悪いのは私だ。透視で周囲を警戒するべきだった」
音は着々とこちらに近づいている。この教室に真っ先に向かっている。
「いいか、マルコ。よく聞け。相手が誰であろうと発炎筒を投げるから、その隙に逃げろ」
「まだ持ってたんですか、あれ……」
「今は呆れてる場合じゃない」
透はキャップを開き、いつでも火を点けられる体勢に入っていた。
傷んだ古い木が軋む不気味な足音が三人がいる教室の前で止まると同時に扉が開く。
「あらあら、あなた達こんな時間にこんなところで何してるの」
足音の正体は物部万理だった。
物部万理が突如現れた。




