寡黙な腕時計
二時間目は体育で、マルコは着替えずに制服のまま見学をしている。クラスメイト達が誘おうと声をかけてくるが断って考えることに集中していた。彼の頭の中は透に届いた脅迫文のことで頭がいっぱいだった。幸いにも思考の透視ができる透に悟られなかったが彼女がいない間に鞄の脅迫文を読んでしまい自責の念にも駆られていた。
再び彼女の負担をかけることが起きてしまった。これだけではない。トイレを半壊させた失態も彼女が背負おうとしてる。全ては自分の責任なのに。
「ケイトさん、いる?」
『いるわよ』
まるでずっと側で話しかけられるのを待っていたかのようにケイトはすぐに返事をした。
マルコはケイトに今朝起きたこと、脅迫文のことを報告した。
『脅迫文は恐らく悪戯じゃないかしら。送り主に何のメリットもないし、バレた時のリスクが大きいと考えるはずよ。誰が好き好んで肩章付きにちょっかいをかけるのかしら』
肩章には本来の意味とは離れた意味と偏見が広まっている。着用することで自分は実力者だと自称する意味を持ち始めていた。偏見でも一度広まってしまえば常識になってしまう。生徒、教師から見れば透は常に核ミサイルのスイッチをちらつかせているように見える。
偏見が原因で謙遜を美徳とする文化及び出る杭は打たれる文化が根付いた日本ではその普及率は圧倒的に低い。アメリカなら一ヤード、一メートル未満でも瞬間移動できれば肩章を両肩に付けてしまう。
『リスクを省みず送るとしたら、ネットの情報で念動力者だと信じ込むお馬鹿さんか、透の能力を知っている人物か』
「脅迫文の送り主がもし仮に交通事故の犯人だとしたら、それは姉さんだと思いますか?」
『さあ、どうかしらね。あなたはどう思うの』
「ありえません。絶対にありえません」
マルコは断じて今回の事故に姉は関わっていないと信じていた。無茶苦茶な彼女でも命に関わることは絶対にしないと信じていた。
『わからないわよ。見つかりたくないから強行手段に出たのかも』
「ケイトさんは……姉さんの友達じゃないんですか」
姉を侮辱されたように思え、温厚なマルコも怒りを露わにする。
『あら、怖い。そんなにお姉さんが恋しいの?』
「恋しくなかったら探そうとは思いません」
ケイトはわざとらしくため息をこぼした後に説教を始める。
『何度も言うけど捜索なんて無駄よ。止めなさい。あなたはアメリカで遺産で平穏に暮らせば良いの。それはきっとあなたの姉が望んでることよ』
「ケイトさんは姉の捜索に元から反対でしたもんね……だからそんなこと言えるんですよ」
ネットで噂を知り日本に行くと決めた時もケイトに相談したが、彼女は真っ先に反対した。その時と全く同じことをケイトは言っている。
『今回の一件でもまだ懲りないの。カレンは死んだのよ。諦めなさい。諦めたら口のうるさいいじわるケイトばあさんからも開放されるかもしれないわよ』
ケイトの話にマルコは耳を傾けなかった。彼の意志は変わらなかった。
「手紙の差出人はケイトさんなんですか? 脅迫すれば引き下がると思ったんですか」
マルコはケイトを勘ぐった。
『……やれやれ、まだ諦めるつもりはないの』
ケイトは否定もせず肯定もせず、ただマルコの頑固さに呆れてた。
「誰がなんと言おうと、僕は探し続けます。見つけるまで探し続けます」
『いい加減にしなさい。下手すれば死ぬかもしれないのよ』
「それはいいですね、天国まで姉を探しに行けます」
屁理屈にケイトの怒りは頂点に達する。
『もういいわ! 死んだって知らないから!』
大きな声が漏れるが気付く者はいなかった。
その後、何度話しかけても叩いても反応はなかった。腕時計の向こうにいるはずの彼女はどこかに行ってしまったようだった。
「ケイトさん、疑ってごめんなさい」
聞こえてるかはわからないが謝っておいた。
勘ぐりはしたがマルコは相談、監視役のケイトも姉と同様で脅迫文の犯人として疑ってはいなかった。高圧的ながらも自分の身を案じてくれるいつものいじわるばあさんだと信じていた。最近覚えた日本語にツンデレという言葉がある。きっとケイトみたいな人のことを言うのだろう。
「でも男の僕にはやらなくちゃいけないんです」
透と姉の名誉のためにも真犯人を見つけ出し彼女の潔白を証明してみせる。
姉の捜索は中断にして、まずは事故の情報収集しなくてはいけない。学校内で目撃者がいないか探してみることにした。
授業の合間の小休憩の時間も使い、聞き込み調査を続けるも手応えがないまま、昼休みになっていた。
調査の進捗状況は最悪だった。真面目な話をしているのにまるで取り合ってもらえなかったのだ。話しかけると誰もがまず黄色い声を上げ、人形のように弄び、情報ではなくジュースを提供してくれる。
こんな時、透がいればもう少しやりやすくなるだろうが、彼女は今、学校にいない。例え、いたとしても頼ることは出来ない。カレンの捜索以外でこれ以上彼女を頼ってはいけない気がした。
マルコの机の上には飲み切れない量のジュースが並んでいた。全て差し入れだった。生真面目なマルコは貰い物を捨てられず、時間をかけながらもちゃんと消化していたがさすがに飲み切れないと判断し、残りを持ち帰り、透に譲ることにした。家で落ち込んでいるであろう彼女に少しでも喜んでもらおうという心遣いだった。
飲み物が主食だった昼食が終わり、調査を再開する。生徒とは話にならない上、情報を持っていない。教師、それも物部に話を聞いてみようと考え、職員室へ向かった。
職員室を目の前にして、窓からとある車が見えた。
「あ、あれは……!」
思わず声が出る。姉の次に恋焦がれる車が職員用の駐車場に停まっている。できるなら側でじっくりと鑑賞したかったが今は大事な用がある。しかしいつ間の悪さに定評のある車の主が現れ、カモメのように飛んでいってしまうかわからない。この機を逃したら次が来ないかもしれない。
「いけない、いけない。僕には使命が……」
とは言いつつもあれよあれよと車に引き寄せられてしまい、我に返った時には憧れの車の前に辿り着いていた。透の影響で良くも悪くも誘惑に負けやすくなっていた。
憧れの車を目の前にし、湧いた感情は喜びよりも嘆きだった。物の価値をまるでわかっていないオーナーに手に渡ってしまった車の惨状を目の当たりにした。
ウィンカーの下が塗装が擦れて剥がれて徹夜した後のクマのようになっていた。タイヤは未舗装の道でも走ったのか泥んこで、サイドシルはへの字に曲がっていた。極めつけに百葉箱のようにルーバー状になっているボンネットがレンガでも積んだのか、ぽっきりと折れてしまっていた。
あまりの惨状に失神しかけたが何とか持ち堪える。傷だらけではあったが少年の強い憧れは消えなかった。
内装は整理が行き届き、シートにはシミひとつなかった。満身創痍ながらも純正のステンレス製のボディは鈍く光り、まだ走れると力強く主張しているようだった。
自分もこの車のように逞しい男にならなければ。マルコはそう決心した。
うしろ髪を引かれながらも職員室に引き返すマルコ。しかしその足を一旦止めた。
「ううう……!」
唐突な尿意が襲う。昼前から飲んでいた分がお腹を通り過ぎていた。
トイレはマルコにとって死活問題だった。マルコは思春期ゆえに女子トイレに入るのに抵抗があった。偽装をバレないようにするためにも入らなくてはいけないが、それでも仕切りはあるとはいえほとんど同じ空間内に異性がいるのは気恥ずかしくてならなかった。そのためいつも透に協力してもらい、中に人がいないことを確認してもらってから入るようにしていた。
しかし今日はその透がいない。男性職員用のトイレを使うわけにも行かない。万事休す、と諦めかけたが旧校舎を思い出した。
マルコは早歩きで、そして内股で旧校舎へと急いだ。
我慢の限界の一歩手前で辿りつけたが、また新たな問題が発覚した。
囲いが撤去され、便器だけが並んでいた。小便用なら男子なら見慣れた光景だが、並んでいるのは大便用だった。おまけに窓枠は外され、風通しも見通しも良くなっていた。戻ろうにも我慢はできそうにない。マルコは意を決して便器に腰を掛けた。過去に油断してしまい立ったまま用を足している現場を透視され性別がバレた時から、最近は座るようにしている。
誰も立ち寄らないことを祈りながら、羞恥に耐えながら、用を足す。
無事に用を済ませ、服装を正し、水を流してから手洗い場に向かう。入った時は気付かなかったが鏡が外されていた。いつも対面するはずの姉の形見が見えないのが少し寂しい。
蛇口を捻ると水が出てきた。手の甲まである袖を捲るともう一つの形見が出てきた。
「これも濡れないように外さないと」
ご機嫌斜めのケイトのことは今も気がかりだった。彼女は二時間目から無言を徹している。試しに水をかけて驚かせてやろうと思ったが子供じみているので、やはり濡れないように外すことにした。
石鹸を探すも見当たらないので、水だけで洗うことにする。
指先が水に触れる、その瞬間だった。
マルコは後ろから何者かに寄って羽交い締めにされ、口に布を押し付けられた。布から正体不明の薬品の臭いが感じ取った瞬間から睡魔が強襲する。
「んん!」
恐怖に屈しそうになったが持ち堪え、暴れて必死に抵抗する。
不審者の脇腹に手を伸ばし、腕の力だけ振り払おうとしたが払えなかった。子どもの力では勝てなかったが彼には超能力があった。念動力を加えれば成人男性並の力を出すことができた。筋力と念動力を合わせ、全力で背中から後方の不審者に体当たりを食らわせた。
「かはっ」
不審者のうめき声が聞こえた。
口から布が離れ、背中の感触から不審者と距離を取ったとわかった。
顔を見ようと振り返るも、今度は強烈な力で床に叩き付けられた。距離を取っていたと思っていたので完全に不意を打たれてしまった。顔の側に不審者の物と思わしき眼鏡が落ちている。倒されてもなお、目だけで不審者を追う。しかし強烈な眠気で焦点が定まらず、人の形をかろうじて捉えるが男性なのか、女性なのかもはっきりとわからなかったが不審者が手の届かないところまで離れていたのはわかった。
直感で理解した。今の自分は腕ではなく、超能力で押さえつけられている。そして不審者は自分と同じ念動力者だ。
意識が遠のいていくがマルコは抵抗を諦めなかった。筋力と念動力で立ち上がろうとするが不審者との力量の差は大きく指一本動かせない。
抵抗も虚しく、マルコは気を失う。不審者が眠っていることを確認してから、落とした眼鏡を拾ってかけた。フレームが歪み、鼻あてが微妙に浮いて気持ち悪い。
チャイムが鳴る。不審者はその音に顔を顰める。
「……ちっ」
舌打ちをした後、マルコを小脇に抱えて早々にその場を立ち去る。
白昼に繰り広げられた念動力者同士の対峙の目撃者はいなかった。
超能力の衝動で手洗い場から落ちた腕時計に気付く者はいなかった。
持ち主の危機でも腕時計は寡黙を貫いていた。




