噂の留学生
マルコ・マカリスターが留学してきたその日のうちに里見透の悩みがまた一つ増えてしまった。
悩みとはマルコのあまりにも下手なストーキング行為だった。授業中も黒板ではなくじっとこちらを横目で見つめ続ける。素直な好意なら嬉しいのだが、さりげなく右を向くと凝視していることを悟られたくないのか慌てて目を逸らす。いつもは彼女がしている悪癖だが、される側に立たされると少し傷ついた。
昼休み中もマルコの監視は続く。透が教室を出るとマルコはそれについていく。
透は昼食をいつも学食で済ませている。高校に入学した直後は経費削減で自炊に挑戦し弁当を持ってきていたがいろいろとあって面倒になり今では週五で通って食べるほどのカレージャンキーになっていた。普通盛りと大盛りの値段が変わらないのでいつも大盛りで頼んでいる。
「おばちゃん、カレー大盛りでお願いします」
通常では大盛りを頼むと一旦確認を取られるが常連で顔を覚えられた透の場合、その工程は省かれる。
注文し終わるとお盆を取り、横に移動する。透のすぐ後ろに並んでいたマルコもそれに倣う。
「おばちゃ……おばさん。カレー大盛りでお願いします」
「あら、いいの? 大盛り全部食べられる? ご飯だけでも400gあるよ?」
一見さんのマルコは決まり通りに確認を取られた。マルコは不意を突かれ一瞬しどろもどろになる。確認を取られたことよりもご飯の量に仰天した。
この食堂の大盛りの設定は廃棄処分するご飯の量を減らすために設けられた経歴があるために破格の量となっている。
「え、えと、それじゃあ普通盛りで」
マルコがお盆を取り、透の後ろに着いた時には透の分のカレーライスが出来上がり料金を払い終わっていた。
透はお気に入りの席に向かう。それは受け取り口から一番離れた食堂の角の席だった。遠いからかその近辺は人が比較的少なく席を確保しやすく、お一人様でも人の目を気にせずに食事が出来るスポットだ。
そんな日陰な過疎地域に座っていても引力でもあるのかマルコは透のもとにやってくる。しかし目の前と左右が空いている席が空いててもマルコは彼女の後ろに死角に入るように座る。距離を取らず真後ろの席に座る。なんとも杜撰なスパイだった。
このような距離を取り方をされる原因は何かと透は省みる。
超能力のせいだろうか。それはないとすぐに否定した。反応を見る限り超能力には怯えている様子はなくむしろ好意的のはず。
それではあの大胆なキスが原因だろうか。偏見だが、アメリカならあれぐらいのスキンシップは常識の範疇ではないのだろうか。
カレーライスのスパイスの刺激で脳の活性化を期待したが、結論に至らなかった。結論に至らない場合、ひとまず何でも行動に出るようにしている。藪蛇だろうと当たって砕けろをやってのける性格だった。
大きなため息を漏らして振り返り、柔和に話しかける。
「マル……コちゃん、一緒に食べない? ほら、私の席の前の空いてるよ?」
しかしマルコはそっぽ向いて、あたかもさっきから自分は食事に集中していましたそれとなんか知らない人が後ろから話しかけてくると言わんばかりにカレーライスにがっつく。意外と気骨のあるちびっ子だった。
透は渋面を作りそうになるも必死に耐え、スマイルを維持したまま営業を続ける。
「さっきチュ~したの謝るから仲直りしよう? ね?」
それでも態度は変わらず、無視を通される。透のイライラゲージが20%にまで上昇する。
次に皿を持ってマルコの隣に移る。するとマルコは即座に自分のカレーライスを持って一つズレる。この態度にイライラゲージが上昇するかと思いきや、これはこれで楽しいので10%に下降した。磁石みたいで面白く可愛く楽しく思えた。
マルコの食器には少量のご飯、肉、そして大量の人参が残っていた。透はそれを確認し、次の作戦に移る。
「あ~! ダメじゃない、人参残しちゃ! 大きくなれないよ」
わざとらしく大きな声を上げる。食堂にいた幾人かが透とマルコに視線を向けた。
好き嫌いを恥と感じているようでマルコは手で皿を隠すも隠し切れていない。皿をじろじろ見てくる透に対して、マルコは彼女の皿を指差して反駁する。
「透さんだって玉ねぎ残してるじゃないですか!」
「あ、やっと話してくれたね」
またもマルコは逃げようとするが腕を掴んで逃がさない。華奢な腕だった。舐め続ければ溶けてなくなりそうなか弱い腕だった。
「放してください! もう食べ終わったので教室に戻るんです!」
じたばたと暴れるが、体格差で圧倒する。
「まあまあ、アメリカじゃ残すのは常識でもここは日本。残したらもったいない。あ、もったいないの意味わかる? ところで物は相談なんだけど」
最近の小学校の給食事情では残しても良い決まりになっているが新聞は表紙の番組表しか見ない透がそんなことを知るはずもない。
「マルコちゃん、人参がダメなんだよね? でも玉ねぎは食べてる。私はその逆で人参は食べてるけど玉ねぎはダメ」
そう言って、アイコンタクトのウィンクを飛ばす。
「飛び級するぐらいお利口さんなんだから、ここまで説明すればわかるよね?」
こうは言っているが実は透に好き嫌いはない。マルコが真後ろに座った時からこっそり透視で観察をし好き嫌いが発覚したので話の種になるのではないかと思い、このようなミスリードを誘った。
「……分かりました。お願いとあれば食べてあげます」
マルコにも食べ物を残すことに抵抗があったようで(片側が多少武力行使に出ていたものの)交渉はここに成立した。お互いの皿を丸ごと交換して食事を再開する二人。今度は隙間なく隣同士で座っていた。
「そういえばお姉さんって何してる人なの? 超能力者なんでしょ」
視線を皿に落としながら透から話しかける。
無言では気まずいと思い会話を始めようとしたが、
「秘密です」
峻厳な態度で出鼻を抉られた。
「お姉ちゃんって今どこにいるの? 日本にいるの」
「わかりません」
「わからないってことはないんじゃない」
「……教えられません」
透のイライラゲージが70%に達した。距離を縮められたと思った矢先にこの態度である。年頃の子は難しい、ではなく、ただひたすら面倒くさいと学んだ。こちらから歩み寄っても逃げられ、逃げようとすれば追いかけられる。猫のような生き物なら許せるが、意思疎通の可能な人間同士だ。自分には保母や教師は向かないと思うと同時に、教師という職についた担任の物部万理を少し見直す。
会話に乗らないのであれば長居は無用。当たった結果、砕けた。邪険に扱いづらかったが今後はカレーライスのように辛く接することを決心した。
皿に残っていた人参を一瞬にして平らげ席を立つ。同席者の食事はまだ終わっていない。
「それじゃさようなら」
挨拶というよりもにべもない独り言を残してその場を立ち去る。この態度を橋頭堡に次からもっと邪険に悪辣に徹しよう。
よく言えたと自賛する一方で食器の返却口に向かうその足は泥沼を歩いているように重い。足が重くなった原因はなんとなくわかった。それはほんの一瞬だけマルコの目を見てしまったからだった。懐かない猫のような態度をしていたと思えば今度は捨てられた子犬のような目をしていた。あんな目をしている子供に自分はこれから果たしていじわるばあさんを演じることは出来るだろうか。
縁を切ったつもりが早くも後悔の念に駆られ始めていて、自分の意志薄弱さを痛感する。さすがに小さき留学生にさようならは思いやりに欠けたかもしれない。あちら側にも人には言えない深い事情があり、それがこじれにこじれ、不可解な接し方を強いられているのかもしれない、と自分の境遇を重ねてみる。
「まあ、臨機応変って大事だよね……」
方針変更。食器の返却が終わったらマルコのもとに戻り、今度はなるべく温和に挨拶して誤解を解こうと決めた。
食器を片付け、食堂のおばちゃんたちにご馳走様と挨拶し、いざ行動に移そうとした瞬間、そこに物部万理が突如現れた。
「透さん。今食事終わったところ? 手伝ってほしいことがあるんだけど良いかなって……どうしたの、髪を掻きむしって」
「いいえ、何でもないんですよ! 何でも!」
透は人生の不如意さに苛立つ。そして担任の間の悪さに見直した分を帳消しにする。
厄介な相手と出くわしてしまった、と差し迫る状況に透は心の中で愚痴った。物部は静謐な学校生活を送る透にとっての上から二番目の天敵だった。授業中なら何も問題ないが休憩中にマンツーマンでエンカウントすると一人でもできるような用事を手伝わされ昼休みを潰されるなどろくな目に合わない。
いつもは特に言い逃れができないために渋々と手伝っているが今日に限っては違う。
「すみません、私にも用事がありまして」
高校からはずっとぼっちだったので用事があるなんて大それたこと久しぶりに言う。
「それってどうしてもはずせない用事? できるなら先生の用事を優先させてほしいんだけど。ほんっとうに急いでてね」
食い下がってくる物部に対し舌打ちをしたくなるもあくまで柔和に笑顔で対応する。経験上彼女の用事がほんっとうに急ぎだった試しはない。どれも明日でも間に合う案件だった。
「そうですね、どうしてもはずせない用事がありまして」
期待してマルコのほうに目をやる。恐らく留学初日で知り合いも話し相手もいない。櫂を失った小舟のように漂白し悲哀を漂わせて食事をしているであろう。そこに自分が迎えに行かなくてはいけない。
しかし、彼女の目算は外れる。
食堂内に女子グループの人だかりが忽然と現れ、ゆらゆらと揺れる魚群のようになっていた。その魚群はいつも過疎気味の食堂の角、つい数十秒ほど前まで自分が食事をしていた席とまったく同じ位置に出現していた。まさかとは思い、透視で中を覗く。その渦中にはマルコはたくさんのお姉さん方におもちゃのようにちやほや弄ばれていた。
「マルコちゃん、いくつ? 今一人? お姉さんが学校案内してあげようか?」「どこ住み?てかSNSやってる?」
学年関係なく大勢の女性に質問攻めにあっていた。ユニークな魅力で溢れている子だ、他の女子も放っておくわけがない。
その光景をしっかり確認した透はまっすぐと物部万理を見据え、こう言った。
「暇です。超暇です。ぜひ手伝わせてください」
笑顔は消えていた。ただ、不気味に感じるほど無表情だった。
「そ、そう? でも今さっき用事があるようだったけど」
あまりの異質さに物部は思わずたじろぐ。
「そうでしたか? もう今の私はフリーにフリーですよ? フリーが集まってフリーズですよ」
「……先生の見間違いだったかな」
透がそう言うのであればそうなのだろう、と物部は深く考えないことにした。
「それとその英語はめちゃくちゃだからすぐに忘れてね……」
大事なことを忘れずに付け加えた。