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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ 子らを悼む歌 ~
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第6話(3)

「そうだ……それと、あと一つだけ」


 私は思い出し、コートの内ポケットをまさぐった。


「これを、お返しします。パルが私のところに持ってきたもので」


 私は反故紙の包装を剥がし、旧貨幣をテーブルの上に置いた。パルが横で声を上げる。


「それは……」


 口を開けて何か言いたそうなパルに、私は優しく言って聞かせた。


「心配しなくても、契約を破棄しようってんじゃない。依頼はきちんと遂行する。だが、こいつを受け取るわけにはいかないよ。どうも君は、これの値打ちをちゃんと理解していないようだしな」


「なるほど、依頼金として持ち出したのか」


 ジャルはひび割れたカギ爪で旧貨幣をつまみ、下らないものでも見るような目で眺めまわした後、フンと声を上げながらテーブルの上へ投げ出した。


「もはや、儂にとっては無用の長物だ――この部屋にある他の財物と同じように、元は部族の宝だったのだがな。儂が工場を手に入れて、代わりに部族の長を辞めた時、部族の宝のほとんどは仲介料として儂の手に渡されたのだ。大体が儀式的な意味を持つものばかりだったからな。儀式を仕切る族長の一族が受け継いでいく、というのが一番自然だったのだ。


 だが、もはや部族の儀式も、年々形骸化し廃れていくばかり。元族長などという肩書も、何のハッタリにもならん。息子ですら、恐れ入ってはくれんほどだ。他人のことをさんざんこき下ろしてはきたが、結局一番下らんのは、未だに部族なんぞというくくりに縛られている、この儂なのだろうよ」


 自嘲するようにジャルは言い、テーウルの上の旧貨幣を見つめた。私は戸惑い、何も言えずにいた。先ほどまでの鋭い雰囲気はどこへやら、今目の前にいるのは、時代に流されることも逆らうことも出来ぬままに、たゆたいながら老いていく一人の男だった。


「……すまんな、年寄りの愚痴を聞かせてしまった」


 ややあって、ジャルは小声でそう言った。思わず感傷的なことを口走ってしまった自分を、恥じているらしい。


「詫びの代わりだ、今日はここへ泊まっていくか? メシくらい出してもいいが……」


 ジャルの申し出に、私は少しの間考え、それからためらいがちに答えた。


「せっかくの申し出ですが、ここはお断りしておきましょう。あなたは今回の事件に近すぎる。義理が出来てしまうと、調査がやりにくくなりそうなんでね。それに、さっきのイバラ茶で懲りました。あなた方の味覚を楽しむには、私はまだ幼すぎるようで……」


 私が額を掻くと、ジャルの目元はふっと緩んだ。パルも、ほんの少しだけ、口元をほころばせた。私の冗談がこれほど成功するのは、年に何度もないことだ。雨でも降るんじゃないのか。

 私は思いながら、習慣的にカップを取り、口に運んだ。直後、衝撃的な味がまともに舌を直撃し、私はむせかえった。


   *   *   *


 ジャルの家を辞去し、私は駅の方へと向かった。宿をとるためだ。後ろからパルもついてくる。自分から「送っていく」と申し出たのだ。親切心から、というよりは、私の宿がどこにあるか把握しておきたいという目論見によるものではないかと思えた。もしもの際に、万一にも出し抜かれないように。


 私たちは重苦しい空気を引きずったまま黙々と歩いた。太陽苔は、私たちの気分などにはお構いなしに、明るい光をさんさんと振りまいていた。今日もいい天気だ。が、空気のどこかに湿っぽい匂いが潜んでいる。雨が近いのだろう。


「……ありがとう」


 後ろからパルが、小声で言った。私はあえて振り向かずに答えた。


「何に対してだい? 仕事を受けたことか、それとも……」


「いろいろ」


 パルはぼそりと言った。


「仕事のこともあるし、それから、お祖父さんを説得してくれたことも。僕一人だったらきっと、負けてた――お祖父さんの言いなりに、父さんが死んだのは仕方ないことだって、諦めてたよ」


「何も大したことをしたわけじゃないけどな、私も」


 私は本心からそう言った。


「ただ、君の祖父さんの言い方がちと不公平だと思ったもんだからな。一人の男が決断したことを、あんな風にこき下ろす権利は誰にもない。ましてや、その男の息子がいる前で……」


「ありがとう、でも、いいんだ」


 パルはほとんど聞き取れないほどに小さな声で答えた。足音が聞こえていなかったら、遠くに行ってしまったのだと思ったかもしれない。


「お祖父さんはお祖父さんで、思うことがあるんだ。僕にだって思ってることがある。いくら家族でも、そういうのを全部分け合うなんて、無理なんだよ」


 硬い声が、背中にぶつかった。後ろを振り向きたい衝動を押し殺しながら、何気ない口調で私は聞く。


「……まだ、復讐のことを考えてるのか? 」


「弾丸は返してくれないの? 」


 パルは私の問いに、質問を返してきた。私は答えず、ポケットに手を入れて歩いた。パルから取り上げた弾丸は、旧貨幣の代わりに金庫にしまってきた。そこまで厳重に保管する必要はないのだが、まあ、気休めだ。彼には、銃を使ってほしくない。それを強いる権利が私にあるのかどうかは分からないが、とにかく、私はそう思っているのだ。


「考えてみることだな、もう一度。想像してみるんだ。自分が銃弾を撃ち込んだ相手が、どういう風に血を流し、どういう風に悶えるか……そうして……」


 私の言葉は、途中で虚空へと消えた。あまりの白々しさに、バカらしくなった――というわけではない。通りの向こうに、見覚えのある影を見たのだ。ぼろきれを継ぎ合せたような奇怪なコートに、焔の形にうねり上がる錫杖。痩せて背の高い、その人影は――


「パル、お前はここに居てくれ。ちょっと、行かなきゃならない」


 私は振り返り、鋭い声で言った。パルは首を傾げながら立ち止まった。


「行かなきゃ、って、どこに? 何かあったの? 」


「ここに居ろ、パル。動くんじゃないぞ。いいか、追ってこようなんて考えるな。じっとしてるんだ」


 戸惑うパルの肩を掴み、押し殺した声でそう命ずると、私は砂利を蹴立てて背の高い影の後を追った。確かに、あのシルエットは――間違いない。あの、奇妙にぼやけた輪郭を見間違えるものか。ジャムフ。片目のジャムフだ。


 かつてジャムフと会いまみえた時の記憶がよみがえり、治ったはずの傷が痺れるような感覚に襲われる。ジャムフは宗教結社「メイユレグ」の導師で、強大な古代魔術を使う得体のしれない男だ。メイユレグは亜人を中心とした過激派の宗教団体で、私も2度ほど仕事で関わったことがあるが、そのたびごとに死人が出ている。そんな連中が、今まさに宗教紛争の吹き荒れるこの地に来ている――嫌な予感に、私の鱗はざらざらと鳴った。


 迷路のような通りに紛れ、ジャムフの姿はかき消えてしまっていた。どの角から出てきたのかさえ、もはや記憶にない。私は荒い息をつきながら、しばらくの間未練がましく周囲を見回していたが、やがて諦めてパルの元へ戻っていった。

 一瞬、パルを放り出して走り出してしまったことに気付き、ギクリとしたが、杞憂だった。パルは通りの真ん中で、うららかな昼の陽ざしを受け、不思議そうな顔で立ち尽くしていた。


「どうしたの、急に……」


「いや、何でもないんだ。知り合いがいたような気がしたんだが、見間違いだったみたいだ。済まなかったな」


 私はまだ荒い息を整えつつ、そう言ってごまかした。ただでさえ混乱した状況だというのに、この上メイユレグのことまで持ち出すことはない。彼の父親と関係ある話かどうかも、まだはっきりとはしていないのだ。


「とにかく、早く駅前へ行って、宿を決めてしまおう。まだ陽はあるし、それから調査の続きだ」


 私は声を張り上げて、パルの先に立ち歩き出した。パルはどう思ったか――多少訝しんだかもしれないが、それでも黙って私の後について来た。


 私は自然と急ぎ足になっていた。メイユレグが出てきたとなれば、ぼやぼやしてはいられない。まさかあのジャムフが物見遊山に来たとも思えない。近いうちに何か、大きなことが起こる。私は後ろからついてくる足音を聞きながら、黙って考えた。

 私に何が出来るのか、どこまで出来るのかは分からない。だが、何が起ころうともこの子だけは無事に済ましてやりたいものだ。プロとして、あるいは、同じ亜人として。それとも――考えは千々に乱れ、まとまらぬままに胸の中で揺れ続けた。

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