第7話(後)
「……そろそろ、この異例の申し出について、説明していただけませんかね」
デニアが腕を組み、憎々しげな顔で催促してくる。あたしは頭の中を整理しながら、半ば上の空で答えた。
「焦ンなよ、なんか、分かりかけてきたことなんだからさ……ほら、見てみろよ、その血の跡。まん丸だろ? 妙じゃねえか? エディオル先生の話じゃ、被害者は立ってるところに腹を刺されたってことだったろ。世の中、水は低い方へ低い方へ流れるってのが自然の摂理だ。だのに、その血の跡はほとんどしたたった形跡がない。まるで湧き出てから、そのまま留まったみたいだ」
「そんなこと……」
デニアは言いかけた言葉を飲み込んだ。ビジュアルの影響力ってのは強い。法廷内も、あたしの言葉に耳を傾ける雰囲気になってきた。悪くない。あたしは励まされる思いで、さらに言葉を続けた。
「血が流れ出したから、被害者はその場で死んだ。死んだその場にいたから、ベキムが犯人だ――そういう、論法だったよな。だけど、血が流れ出さなかったとしたらどうだろう? 血が、刺し傷のところである程度の時間留まっていたとしたら、その時間分だけ被害者は生き延びられたわけだ。やがてそこへベキムが通りかかり、血が再び流れだしはじめ、被害者はこと切れる……」
「異議あり!! 」
デニアは拳を振り上げて、ほとんど悲鳴に近いような叫び声を上げた。
「今の発言は、不当な憶測であり、陪審員に誤った先入主を与えるものです! 第一、「血が留まる」などという非現実的な仮定を持ち出すなど……裁判長? 」
裁判長はしかし、デニアの声も耳に入らぬ様子で、口をぽかんと開けて一点を見つめていた。視線の先には、証拠物件2――乾いた血の円が浮かぶ、被害者の着衣だ。
その円の縁が、うっすらと青く光り輝いていた。
「これは……! 」
鎚を中空で静止させたまま、裁判長が呟く。陪審員も、デニアさえも息を呑んで光の輪を見つめていた。あたしも驚いた。誰もがあっけにとられる中、光る服を高く掲げているジギーだけが、謎めいた笑顔を浮かべていた。
「私の契約印から、少々水の魔力を流し込んでみました。普通、水気のないところではこうも強く反応しないのですが、どうやら残留魔力が強く残っていたのに反応しているようですね」
横合いに座っていたザナが、美しい顔を鋭い憎悪に歪め、ジギーを睨みつけている。が、ジギーはどこ吹く風だ。
あたしはジギーの言葉に、心の中で膝を打っていた。治癒魔術と同じことだ。水の粘性を高めて、血が体外に出て行かないようにする。被害者が死にきれずに立ち尽くしている間に、通りの中央へ押し出して、自分は枝道を逃げる。道の真ん中で魔力が切れた被害者は、そのまま倒れて息絶えるという寸法だ。
「と、これで、水の魔術で血がせき止められてたってことはハッキリしたわけだよな……でも、そうなってくるとさ、なんか、分かってくるような……」
あたしの言葉に、デニアは食ってかかる。
「単に、この布地に水の魔力が染み込んでいたというだけだ! その魔力が殺害の際に使われたとは言い切れないし、ましてそんなトリックに使われたかどうかなんて……」
「黙ってろよ、あたしゃ今、考え事してんだから! 」
デニアに怒鳴り返し、あたしは半分がた自分に言い聞かせるように呟きつづけた。
「ちょっと待って……なんか、思い出すことがあるんだよね。水の魔術って言われると。そうだ、検死の時のことだ。ナイフを抜いたら、傷穴から血が噴き出しそうになって、先生が魔導杖で止血してた……でも、考えてみたら妙な話だよな。もう心臓の動きが止まってる死体から、血が噴き出すなんて。
理屈自体は、ぜんぜん何の不思議もないんだよ。水の魔術でせき止められた血が、傷口の周りに溜まってたからだと、今はっきりしたもんな。分かんないのは、何で検死の段階でそれを予想できたのか、ってことだよ。エディオル先生は、ナイフを引き抜く時既に魔導杖を準備してた。まるで、これから血が噴き出すのを予想してたかのように……。
そもそも今になってみたら、水の魔術を扱う治癒魔導士が、どうして服に染み込んだ水の魔力の残りカスを感じ取れなかったんだろう? さっき、ジギーが軽い魔力をかけただけでも、あんなにハッキリ反応したってのに……」
デニアが席を蹴り、猛然と反論しようとした……が、それより早く、誰かの叫び声が上がった。
「おい、何だ! 」
見ると、椅子を蹴倒し、柵を飛び越して傍聴席を駆け抜ける影――エディオルだ。法廷の出口を目指して、必死の形相で走っている。通路の脇に居並ぶ傍聴人たちが突き飛ばされて、椅子から転げ落ちる。法廷は一瞬にして、ざわめきと混乱に包まれた。誰もかれも驚きうろたえるばかりで、走るエディオルを止めようとする者もいない。控えていた衛兵たちさえ、部屋の隅から動けずにいた。亜人が暴れるのは想定していても、まともな人間がコトを起こすのは予想外ってわけか。畜生、役立たずどもめ。
「これは……何事です、いったい! 」
鎚を握りしめ、立ち上がりながら裁判長が叫ぶ。あたしは裁判長席によじのぼり、その手から小さな鎚をもぎ取った。
「ちょいと借りるよ! 近場に手ごろなもんが、これくらいしかないんでね! 」
そう言うなり、あたしは手に持った鎚を力いっぱいぶん投げた。
鎚は重い頭を中心として回転しながら飛び、ちょうどドアに手をかけていたエディオルの後頭部を直撃した。大当たりだ。たちまち、エディオルは膝から崩れ落ちる。あたしはふうっと息を吹き出し、呆気にとられている裁判長の代わりに、拳で鐘を激しく打ち鳴らした。いっぺんやってみたかったんだ、これ。
鐘の音に圧倒されて、ざわついていた法廷内が徐々に静かになっていく。その雰囲気の中、胸を張り大股に証言台に進み出る男が一人――ベキムは、ギザギザの歯を剥きだして、朗々と響く声で言った。
「さて、ここに至って裁判は、意外な展開を示しました……この状況を整理するため、一旦休廷として、改めて告発の内容を検討し直すことを提案いたします。いかがでしょう、裁判長? 」
裁判長は力なく頷くしかなかった。デニアは、乱れた髪型を直す気力もないといった顔で、崩れ落ちるようにして椅子に座り込んだ。あたしは裁判長席にしがみついたまま、ため息をついた。
「あんたはまだ被告人の立場だろうに……おいしいとこだけ持ってきやがって、カッコつけのトカゲめ」




