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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ 探偵 マフィ・エメネス ~
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第6話(3)

「続けて、次の証人を喚問いたします……エディオル先生。あなたは、被害者ムラト・レギナムの検死を担当されましたね? 」


 証言台に進み出たエディオルは、小さな体をさらに縮こまらせながらも頷いた。


「被害者の死因について聞かせてください」


 デニアの言葉に、エディオルは話し出した。自分の専門分野の話になると、背筋も伸び、声にも張りが出てきた。


「腹部にナイフを突き刺されたことによる、失血死です。ナイフは柄のところまで深く突き刺さっており、これが栓の役割を果たしましたので、血は体外に流れ出さず、腹腔内に留まっていました。刃の侵入角はやや下から上へ突き上がっており、低い構えから突き出されたと考えられます」


 デニアは大きく頷くと、裁判長に向き直った。


「ここで、証拠物件1と2を提出したいと思います。被害者の着衣と、凶器のナイフです。被害者は着衣の上からこのナイフで刺され、それが致命傷となりました」


 原告席に用意された箱の中から、デニアはナイフと血の染みこんだ服を取り出し、掲げた。息を呑む声が法廷のあちこちで聞こえる。遺跡に潜ったりすることもなく中央街で暮らす中流の連中には、なかなか刺激的な見世物だろう。


「ナイフについての解説をお願いします、先生」


 デニアに促され、エディオルはナイフを指さしながら語った。


「両刃の、鋭い先端を持ったナイフです。武器のことにはあまり詳しくありませんが、特に目立ったところもない、ごく普通の刃物だと思います。柄の部分には、血の跡や手の脂などといった痕跡がまったく認められませんでした。おそらく、犯人が拭き取ったものと思われます」


「腹部の傷の程度はどうでしょう? 被害者は、刺された後にどれくらい動けたでしょうか? 」


 あたしは眉をひそめた。嫌な質問だ。エディオルは、慎重な面持ちで少し考えた後、やや声のトーンを落として答えた。


「ハッキリしたことは言えませんが……この深さでは、そう長いこと生きていられなかったでしょう。自力で歩いたり、逃げたりといったことは、まず無理だったでしょうね」


「つまり……見えないところで殺された後、自力で歩いていて偶然被告人と鉢合わせした、ということは考えられないと? 」


 デニアの問いに、キブルは立ち上がりかけた。が、エディオルが答えるのが早かった。


「ですから、ハッキリしたことは言えないと申し上げております。とはいえ、治癒魔導士としての経験から言わせてもらえば、そういう可能性は極めて低いでしょうな」


 デニアは満足げに頷いた。


「以上で、原告側の尋問を終わります」


 間髪入れずにキブルは猛然と立ち上がった。青白い顔に、脂汗が浮かんでいた。


「弁護側の反対尋問を始めます……エディオル先生。あなたは先ほど、致命傷となった傷は腹の刺し傷だとおっしゃいましたね。では、致命傷とならなかった傷はどうですか? 」


「ああ、それも、ありました」


 エディオルは屈託なく認めた。


「体じゅうに、打撲の痕や軽い擦過傷が見受けられました。ごく、軽いものです」


「体じゅうに? 」


 キブルは一段高い声で叫んだ。


「それは何の傷でしょう? あるいは、被害者と誰かが争った際の傷だったのでしょうか? 」


「それは……そういう可能性も、あるとは思いますが」


「では、その傷が争いの結果だったとして、そういった傷がつくほどの争いがあった際に、一方のみ全身に傷を負い、もう一方がまったくの無傷、ということがあるものでしょうか? 」


「異議あり」


 デニアが素早く片手を上げる。


「あまりに飛躍した考え方です。弁護人の質問は推論の上に推論を積み上げて、その正当性を証人に認めさせようと強いるものです」


「異議を認めます」


 裁判長は軽く鐘を叩き、キブルを牽制した。


「証人は、証拠の分析結果を証言するために当法廷へ召喚されました。弁護人はその点を考慮して、証拠の内容にのみ焦点を当てるようにお願いします」


 キブルは不承不承頷き、一段トーンを落とした声でエディオルに再び質問を投げかけはじめた。


「先ほどのお話では、ナイフは下から上へと突き上げられた、ということでしたが、それは犯人が小柄な人間だったということでしょうか? 」


「いえ、そうと限ったものではありませんよ! 」


 エディオルは強く首を振った。


「そもそもナイフというのは普通、上段に振りかぶったりせず、腰の辺りで構えるものです。そこから突きを繰り出したら、大抵は上に突き上げるような軌道になりますよ」


「突き上げる、とはおっしゃいますが……ナイフが直接、被害者の体に突き立てられたと断定する根拠は何かありますか? 例えば、離れた場所からナイフを投げたとしたらどうでしょう? 低い体勢からナイフを投げあげたということも考えられるのでは……」


 あたしは心中舌打ちした。そりゃ、あたしが考えて、当のキブルに一笑に付された話じゃないか。苦し紛れもいいとこだ。案の定、エディオルは苦笑しながらあっさりと答えた。


「それはありますまい。ナイフを投げあげるという体勢がかなり不自然であることを無視しても、飛び道具が着弾する軌道と言うのはどうしても、こう、放物線になりますから。上から下への傾斜がつくのが普通ですよ」


 キブルは何か言おうとして、諦めたようだった。締めくくりの言葉もそこそこに、疲れた顔で弁護人席に戻る。

 続けて、デニアは再びベキムを証言台に立たせた。挑みかかるような目で、デニアはしばらくベキムを見つめた後、不意に横を向き、何でもないことを話すような調子で質問を始めた。


「被告人は、事件の合った当日、手袋をしていたそうですが? 」


「今も、はめていますよ。ほら」


 白手袋をかざして見せるベキムに、デニアは相変わらず気のない口調で尋ねた。


「それは、普段から着用しているものなのですか? 」


 ベキムは肩をすくめる。


「まあ、ほとんど外すことはないですね。オシャレですよ。男だって、身なりに気を使って悪いってことはない」


 言いながらベキムは、頭の上で手を動かした――あたしは思わずにやりと笑ってしまった。傍聴席からもひそやかな失笑が沸き起こる。その身振りは、髪を整える仕草――明らかに白髪染めを使っている不自然な黒髪を、デニアが気取って整える仕草にそっくりだったのだ。デニアのハンサムな顔が歪み、頬がこころなしか紅潮する。デニアは初めてベキムの方をまともに見据え、怒声を押し殺したような声で言った。


「ところで――凶器となったナイフの柄には、血どころか手の脂さえ、痕跡と呼べるものは何もついていなかったということでしたね。それこそ、手袋をして扱ったかのように」


 ベキムは手袋を外し、鱗に覆われた手を見せながら、落ち着いた声で答えた。


「ま、これを見てください。この手で、脂やら汗やらがつくと思いますか? 手袋をしていたから殺人犯なんて、無理のある理屈をひねり出すには及びませんよ。そもそも、犯人が柄を拭いていったとも考えられるわけだし」


「誰も、そんな憶測はしていません」


 怒りのにじむ低い声で、ぴしゃりとデニアは言った。


「次の質問です……証拠物件2のナイフを見てください。このナイフに、見覚えは? 」


 ベキムは机の上に置かれたナイフをしげしげと眺めるそぶりを見せた後、ゆっくりとかぶりを振った。


「さて……証拠物件2として紹介されたってこと以外は、何も。お互いの名前を知ってるだけで、お近づきになるのはこれからって感じですかね」


 再び法廷内に失笑が沸き起こる。裁判長が鐘をけたたましく鳴らし、明らかに不快そうな顔でベキムを注意した。


「被告人は、聞かれたことにだけ答えるように」


「失礼いたしました、裁判長。生まれつきサービス精神が旺盛なたちでして」


 ベキムは軽い調子で頭を下げる。何をやってんだか――あたしは他人事ながらハラハラしてきた。あたし相手に軽口を叩くくらいだったら、ムカつくけどまあ気持ちは分かる。しかし命のかかった裁判の場でふざけることはないだろう。

 デニアは咳払いして、質問の続きを口にした。


「被告人は、事件当日は武器の類を所持していなかったということでしたが、それは事実ですか? 」


「当日は……というか、いつでも武器は携帯しないんですよ。そういう主義なもんで」


 ベキムが答えると、デニアはここぞとばかりに身を乗り出した。


「ベク=ベキムさん。あなたの職業は、『探偵』だという事でしたが? 」


「ええ、そうですが」


「探偵というと、人と人との間で厄介な調査や交渉をこなす仕事ですね。時には荒事もありうるでしょう。それでも、武器は持たないとおっしゃる? 」


 あたしが驚き、そして呆れたことに、ベキムはさもおかしそうに口を開けて笑い出した。鋭い歯が、奥まであらわになる。毒気を抜かれて唖然となるデニアに、ベキムは笑いながら言った。


「いや、失礼。なんというか……あなたの口からそういう、冒険活劇めいた話が出るとは思わなかったものですから。こう言っては何ですが、結構夢見がちなタイプなんですねえ」


「な、な……」


 怒りを通り越して言葉を失っているデニアに、ベキムはさらに続けた。


「でもまあ、私の職業についてはそういう誤解がままありますよ。武装しないと危ないんじゃないのか、だとかね。それについてはこう答えさせていただきます――暴力が解決してくれる状況というのは、無いわけじゃないけれど、意外と少ない。以上。

 カッコいいと思ったら、メモして後で使っていただいても構いませんよ」


 ベキムはそう言って、歯を剥きだした笑顔を法廷に振りまいた。陪審員が顔をしかめる。あたしも顔をしかめた。スベってるんだよ、バカトカゲが。


「……これ以上は、ムダのようですな。原告側の尋問を終わります」


 デニアは、小刻みに震えながらやっとそれだけ言って検事席に座った。それ以上言葉を続けたら、耐え切れずに怒鳴ってしまいそうなのだろう。気持ちはよく分かる。

 したり顔で被告人席へと戻ってきたベキムに、あたしは冷たい視線を向けた。


「あたし、さっきも言ったよな? ふざけた態度をとるなって……」


「この裁判が始まってからずっと、私は責められっぱなしで見せ場がなかったからな。ここらでストレス解消したってバチは当たるまい」


 ベキムは、言葉だけは軽く答えた。しかしその口調には緊張がにじみ出て、膝の上に置いた拳は不自然なほどに強く握りしめられていた。


「それに、ここらでデニアをちょいと興奮させておかなけりゃいけないんだ。今後の布石として、な……マフィ、いよいよこの後が大事なんだ。休憩を挟んだ後、ついに弁護側の証人喚問が始まる。いの一番にお前さんを呼び出すから、そこで3日間の調査結果を発表するんだ。それで陪審員が納得すればよし、もし失敗するようなら……」


「ま、革は財布かなんかに加工して、肌身離さず持っといてやるよ」


 あたしは出来るだけ陽気に言い、ベキムの丸まった背中を引っぱたいた。


「……言っていい冗談と、悪い冗談があるぞ、縁起でもない」


 恨めし気にこちらを睨むベキムに、あたしは思いっきり意地の悪い微笑みを返した。

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