第6話(2)
ベキムは、指で証言台を示した。再びデニアの大柄な体が、颯爽と壇上に上がっていた。
「次の証人を喚問いたします。被告人は、事件の当日は泥酔しており、犯行が不可能だったと供述しました。その証言を覆す証人として、被告人が事件の直前に利用していた酒場の店主とバーテンダーを喚問いたします」
とうとう来やがった。敵さんがガッチリ手の中に握り込んだ証人、『空に星』亭の女店主ザナ・ステラだ。呼ばれたザナは、気取った歩き方でゆっくりと証言台へ立った。今日は場所柄を考えてか、この間のような扇情的な黒いドレスではなく、清潔感の漂う白のロングドレスだったが、体の要所要所の形はハッキリと分かるようになっていた。デニアの作戦だろう。この印象を強烈に焼き付けることで、証言の重みを増そうと言う魂胆だ。そして腹立たしいことに、傍聴席の男どもの顔を見るに、その目論見は一定の効果を上げているようだった。
「それでは、ザナ……あなたは、中央街の酒場『空に星』亭のオーナーですね? 」
「はい、間違いございません」
かすかに微笑みながら、ザナは玉を転がすような声で答えた。息遣いに従って、滑らかな金髪がふわりと揺れ、甘ったるい香水の香りを運ぶ。
「被告人に、見覚えはありますか? 」
言われてベキムを見たザナの目の奥に、一瞬だけ燃えるような嫌悪がよぎったのをあたしは見逃さなかった。亜人だからとか、蜥蜴人種だからとかでは説明のつかない、激しい憎悪だ。あいつめ、何かやらかしたことがあるのか。
「……はい。何度か私の店で見たことがあります」
ザナはデニアの言葉を認めた。デニアは励ますように頷いて、質問を続ける。
「何度か、というと、どれくらいの頻度でしょう? 」
「そう……月に1度か2度くらいでしょうか。意識して見てはいないので、正確なところは分かりませんが」
先ほどの反対尋問を見て警戒しているのか、ザナは明言を避ける言い方をしている。デニアも心得たもので、そこに突っ込むのは程々に次の質問へと移った。
「事件の当日、被告人は来店していましたか? 」
「はい。当日、カウンターに座っているのを見かけました」
ザナは、今度はきっぱりと認めた。
「時間としてはどうです? いつからいつまでいたか、また、どれくらい量を呑んでいたかというのは、分かりますか……」
「それは……いいえ。私は奥の部屋で、別のお客様のお相手をしていたので、直接カウンターの様子を見張れたわけではありませんから」
ザナはためらわず否定した。証言としての内容より、曖昧なところを無くして信頼感を高める手で来たらしい。一貫してうわっつらの印象だけを強調しようというのか。
「それでは、被告人への応対は誰が行っていたのですか? 」
「店頭での応対は、すべてバーテンダーに任せておりますの。今日、ここに来ている、ジギーに」
デニアはわざとらしく頷き、裁判長へ向き直った。
「裁判長、続けて2人目の証人への尋問に入りたいと思います。よろしいでしょうか? 」
よろしいでしょうか、もないもんだ――あたしはうんざりしながら欠伸をかみ殺した。ここまで、予定調和の流れだ。まずは見てくれのいいザナで「信用できる」という雰囲気を作り、内容ある証言はジギーにやらせる。小手先の技だが、確かに効果はある。
ジギーが、ザナと入れ替わりに証言台へ立った。白昼の陽光に照らされたその姿は、酒場でカウンターの向こうに立っている時とは違って、妙に頼りなく見える。
「さて……あなたは事件当日、『空に星』亭で被告人の相手をしていたそうですが? 」
「それが、バーテンダーの仕事ですからね」
皮肉に口を曲げてジギーは笑った。裁判長が、上からたしなめる。
「聞かれたことにだけ答えてください。検事の質問への答えは、イエスですか、ノーですか? 」
「まあ、イエスですね。あの晩、私は確かにベキム様のお相手をしておりました」
デニアは頷き、鋭い目でジギーを見据えながら、次の質問を発した。
「あなたは、それ以前にも酒場で被告人の相手をしたことがありますか? あるとしたら、何度ほどです? 」
「はい。そうですね……正確なところは分かりませんが、ひと月に2,3度ですから、通算すると結構な回数になっているんじゃないかと」
「それでは、被告人とは顔なじみと言ってもいい関係ですね? 」
デニアの問いに、ジギーは硬い表情で頷いた。
「それで、そういう関係のあなたから見て、事件当日の被告人はどうでした? いつもより、酒を過ごしている様子はありましたか? 人を刺し殺すことなど覚束ないほど、酔っている様子でしたか? 」
「い、異議あり! 」
キブルが立ち上がる。
「証人の判断を求めています! 証拠となる、事実の範囲から逸脱しています! 」
「証人がどのように判断したかは、十分に証拠としての能力を持つ証言だと考えます。証人は、酔った客の相手をするのが仕事のバーテンダーなのですから」
デニアは落ち着き払って答えた。
「しかし、事実の範囲を出るのはこちらとしても本意ではありません。質問を変えましょう。あなたは、被告人の様子をどう感じました? いつもよりも酔いが深い様子でしたか? 」
ジギーは、端正な顔立ちを苦しげに歪めた。長い沈黙の後、ゆっくりと薄い唇が開かれる。
「……いいえ、いつもと変わらない様子だったと思います」
「被告人は、いつもよりも遥かに酒量を過ごしてしまい、歩くのもやっとの状態だったと供述していますが? 」
さらに長い沈黙があり、ジギーは申し訳なさそうな目で被告人席を見た後、ゆっくりと答えた。
「私の目から見る限りでは、いつもとお変わりなかったように思えます」
「それは、バーテンダーとしての意見ですね? 職業柄、酔っ払いを何人も相手にした経験を踏まえて、そう答えていると? 」
デニアは畳みかけた。ジギーは言葉では答えず、ただ破れかぶれといった様子で首を縦に振った。デニアはしたり顔に笑った。
「尋問は、以上です」
キブルは弁護側の反対尋問を放棄した。証言とは言っても、引き出されたのは個人の印象論だ。突っ込もうとすれば水掛け論になる。これ以上屁理屈をこねて、裁判を遅延させようとしている印象を陪審員に与えるのはまずい――そういう判断だった。
続けてデニアが召喚した証人は、ベキム自身だった。
「ベク=ベキムさん――つい先ほど、あなたの供述を否定するような証言が出たのはお聞きですね? 」
「否定、ですか? いいえ」
ベキムはただでさえ大きな目をことさらに大きくおっぴろげて見せた。
「彼の意見は、彼の個人的見解に過ぎないと思いましたがねえ。彼は私が酔っていないと思った。私は酔っていると思った。何の矛盾もないんじゃありませんか? 」
「顔なじみの、それもプロのバーテンダーが、客が酔っているかどうかも見分けられなかったと? 」
皮肉な口調も、ベキムはどこ吹く風で受け流す。
「何しろ、ごらんの通り、面の皮が厚いうろこ張りですからね。顔色を読み取れなくたって、仕方ないんじゃないですか? 」
ぐいと顔を突き出して見せるベキムに、法廷のあちこちから失笑が沸き起こった。デニアは咳払いをし、苛立たしげに髪型を直す。
「まあ、いいでしょう。当初の供述通り、あくまで泥酔していたと主張するわけだ。それでは、具体的に、あの晩何をどれだけの量呑んだのか、この場で述べていただけますか? 」
ベキムは、ちょっと口の端を吊り上げた。笑っているのか? 呑気な……。あたしがイラつくのも知らん顔で、ベキムは思い出し思い出し語り始めた。
「そうですな……カクテルを7、8杯といったところでしたかね。あの店はオリジナルのカクテルを出すんで、名前を言っても分からないでしょうが。まずサンセット・グレネイド、アンバー・ピロウ、それから、ファントム・レディ……ん、これはどうだったか……おいジギー、ファントム・レディは頼んだかな? 」
突然、ベキムは証言者席に座るジギーに声をかけた。デニアも、当のジギーさえも唖然としてベキムを見つめる。ベキムはけろっとした顔で質問を繰り返した。
「なあ、どうだっけ? ファントム・レディを頼んだかな? 」
「……いいえ、頼んでおられません。あの日はお呑みになりませんでしたよ」
ジギーが答える。それを聞いてようやく我に返ったのか、裁判長がけたたましく鐘を鳴らした。
「被告人は許可なく証言者に話しかけないように! 陪審員の方々は、今の発言を審理の際に考慮しないようお願いします。さあ、尋問を続けてください」
裁判長に促され、デニアは白けた様子で首を振った。
「……原告側の尋問は、これで終わります」
クスクス笑いとざわめきに送られて、ベキムは被告人席に戻ってきた。浮かない顔だ。あたしは小声で話しかける。
「何をやってんだよ。あんなふざけた態度をとることはなかっただろうに。それに、カクテルの注文の話なんかしてさ。挙句に注文を間違えて……あれじゃお前の証言なんて、誰も信用しなくなるぞ」
「心強いお言葉、痛み入るよ」
ベキムはぶすっと答えた。表情には余裕がない。内心冷や汗をかいている、といった顔だ。と言っても、冷血動物なので実際に冷や汗はかけないけれど。
「どうせ、私が何を証言したところで、無実を証明するほどの力はないんだからな。今回は相手の証言の印象を落とすことが目的だった。多少なりとも、真剣みが薄れただろう? 」
「その代わりにお前の印象が悪くなってりゃ世話ねえよ」
あたしはそっけなく決めつけた。
「せめて、ジギーの奴の証言が変わってりゃなあ……奴を抱き込まれたのは、結構痛かったよな。あれであんたの証言の信憑性がかなり薄れた」
あたしがそう言うと、ベキムは証言台を降りて初めて、薄気味の悪い笑みを浮かべた。
「そりゃ、どうかな……まだ100%信じるわけには行かないが、私の予想通りなら、彼は必ず最後には私のために動いてくれるだろう……さ、どうやら次が最後の証人らしいぞ」
ベキムはデニアの方を指さした。原告側の証人席には、エディオル先生の姿があった。




