第3話(後)
「まず、捜索対象――トッシュ・ガルムの資料が欲しい」
席に着くなり私は言った。
ヒューゴーは無言で、黒い封筒を差し出した。紙数枚ほどの厚さだ。開けてみると、ガルムの写真と、紙切れ数枚にまとめられた周辺情報。目新しい情報はなさそうだ。決まった住所はなく、ギルドの溜まり場や酒場を転々としていたようだ。
「……で、タリスマンを売った後のガルムの足取りは、本当にまったく掴めていないと? 」
「雲隠れだ。どこでも目撃情報がない」
ヒューゴーはたくましい肩をすくめた。
「奴もどうやら、こちらに見つからないように行動しているらしい。タリスマンをカネに換えなかったのも、カネを使う気がなかったからだろう。今考えてみれば、干し肉と酒を買い込んだというのも篭城の準備に違いない。何か、アテがあって隠れているのだ」
ヒューゴーはイラついた様子で拳を手のひらに叩きつけた。
「故買屋か、第5大隧道あたりのやくざものどもか……とにかく、何らかのバックがついている可能性は高い。
そもそも、我々があまりおおっぴらに動くわけにいかんというのもある。例のタリスマンと古代魔法のことは、まだバザール内でも機密事項だ。正体がなんであれ、古代魔法が一個人によって隠匿されているという事実自体が混乱を招くからな。
だからこそ、君の出番というわけだ」
よく言う。
私は口をつぐんだまま考えた。バザールからこの件を「隠匿している」のはどちらなのか。そもそも、この依頼自体がヒューゴーの独断でないという確証もないのだ。
「そちらはどうだ? 何か思いつかないか? 古代魔法の遺物を手に入れたとして、次にやつがとる行動は何だと思う? 」
「そう……『宝くじが当たったら何したい? 』と聞かれているようなものですな。質問の幅は広すぎ、情報は少なすぎる」
私はマフィの店での一件をヒューゴーに話したものかどうか思案しながら答えた。
あの侵入者がこの件に絡む者であるという可能性は低くない。非合法に流通した古代遺物の行方を追うとしたら、マフィの店は確実に狙われるだろう。だが、相手がどこまでこちらの自由を見逃してくれるか分からない状況で、持ち札を全て明かすのは得策とは言えない。
「これから本格的な捜索にかかるが……どうするんです?
トッシュ・ガルムを探していると、市場じゅうに触れ回ってもいいんですか? 」
「ある程度は、それも仕方あるまい」
ヒューゴーは渋い顔で答えた。
「ただ、タリスマンの話は決して出すな。ギルドの金を持ち逃げしたとでも言っておけばいい。
同時に、炎の魔法に関する遺物のことも調べてもらいたい。ただし、2つの捜索に関係性があると疑われてもまずい」
「注文の多いことだ」
私は帽子を脱いだ。初対面でない相手に、顔を隠す必要もない。
「それで、どこから調べる? 」
「まずは、故買屋をひととおり当たってみるつもりですがね」
私はカマをかけるつもりでそう言ってみた。
「市場にも、顔見知りが何人かいますから」
ヒューゴーは別段動揺したそぶりも見せなかった。
「まあ、具体的な方法は君に任せる。とにかく、バザールの意向としては、ガルムの身柄を出来る限り早く押さえて、発見した遺物を押収したいのだ」
私は指でテーブルをコツコツ叩いた。ラチがあかない。そろそろ、強く押してみるべきか。
「いい加減にその、バザールを引き合いに出すのは、やめませんか? 」
「何? 」
「あなたの聞かせてくれるお話をそのまま受け取るつもりはない、ということを言っておきたいんです。おとぎ話を聞かされてベッドに入るには、まだ時間が早い。
ガルムの身柄を押さえるだけなら、私なんぞをかり出さなくたってその道のプロがいくらでもいるはずだ。古代魔法の知識だって、本当なら無い方がいいくらいだ。変に知恵の回る奴を使ったら、横取りされる可能性だってありますからね」
ヒューゴーは、眉の間に深い皺を作った。
「何が言いたいのかね? 」
「別に、私は誰のために働くんでもいいんです。カネさえもらえて、まともな仕事ならね。ただ、本当の事情を隠されていると、その仕事にやりにくさが生じるんでね」
私は黄色い目を大きく開いてヒューゴーを見据えた。
こちらの視線を受け止め、はじき返すヒューゴーの瞳には、暗い怒りが灯っていた。思い通りに動かない機械装置を見る目だ。
「ま、あなたが本当にバザールの意に沿って動いているのか、それとも抜け駆けで私腹を肥やそうとしているのか、その辺は聞く必要もないでしょう。
ただ、私が行動するにあたって、バザールは完全に味方として動いてくれるのか、それだけは確認しておきたい。どうなんです? 」
ヒューゴーはしばらく黙っていた。部屋を照らすランプの炎が揺れ、私たちの影を奇妙に揺らめかせる。
「……それも、含めての報酬のつもりだ」
沈黙ののち、ヒューゴーはゆっくりと言った。
「出来る限り、バザールの介入は抑える。私の手の者も使う。
どの道、まだ事は公になっていないのだ。妨害の可能性は、始まってから考えても遅くはない。
……私の方の話はこれで終わりだが、どうだね? 何か呑んでいくか? 最近、上等のラムを入れさせたんだが」
「せっかくですが、夜の早いうちからラムの匂いを嗅ぐと、頭が鈍る気がしましてね」
私は帽子を掴んで立ち上がった。
「なんにしても、カネの払いだけはきっちり頼みます。早々に予想外の経費が出てるもんでね。じゃ、私はこれで」
立って見送ろうともせず、苦々しげな顔で手の傷痕をさすっているヒューゴーをソファに残して、私は個室を出た。
帽子を目深にかぶるのも忘れずに。店内にはすでに幾人かの客がいて、そこかしこで静かな話し声が上がっていた。店主ザナの姿は見えない。
「おや、お帰りですか? 」
バーテンのジギーが私に微笑みかける。
「楽しい会話をさせてもらったよ。いい店だ」
私はカウンターに肘をつき、ポケットからバザール紙幣を取り出してカウンターの上に置いた。
「さっきのカクテルの代金だ」
「おや、これはこれは……先ほどの一杯は、店からのサービスだったのですがね」
「旨い酒は自分のカネで呑む主義なもんでね。店主――ザナさんだったかな。彼女によろしく」
「さて、よろしくされて喜びますかどうか……」
ジギーは毒のある笑みを作った。やはり、彼女に対し何か含みがあるようだ。私は興味をそそられた。
「と言うと? 」
「こう申すのもなんですが、お客様のその、容貌に関係のあることでして……」
私は思わず、深くかぶった帽子のひさしをさらに深く下ろした。
周りの客も、私の顔までは見えていないようだが、室内で帽子をかぶった私に違和感を覚えている様子だ。たまにチラチラと視線を送っているのが見える。
「……なるほど、だいたいは察した。店先に晒しとくにしちゃ、あんまりいい看板じゃあないからな、この顔は」
「気にする側が悪いのですがね、本来は」
整った顔に嫌悪感をにじませつつ、ジギーは言った。
「横で酒を呑んでいる者の顔に構い立てする奴の方が、よっぽど幼稚なんです。しかしこのあたり――中心街には、そういう幼稚な輩が多いものでして。もちろん、大声では言えませんが」
「言うねえ……蜥蜴人種の探偵風情に、そこまで言ってくれたのはあんたが初めてだ」
「私はただ、店に入った方は誰もがお客様だと――そしてお客様はみな、ただ純粋にお酒を楽しんで出て行かれるべきだと思っているだけでして」
ジギーは歯を見せて笑った。
過剰なほどの自信が垣間見える笑いだった。確かな能力に裏打ちされた、自分への信頼。そういうものがいつも心の芯に座っている人間の笑いだ。
「店主と合わないなら、勤め先を変えたらどうだい? 君の腕なら引く手あまただろうに」
「その、腕が問題で……実は、両手のこれを入れる時に、少しばかり借りを作っちまいましてね。今のところは、この店に飼われてるようなものなんです」
ジギーは自嘲するような笑みを浮かべながら、契約紋の入った両手をひるがえして見せた。
「……そうだ、ついでと言ってはなんですが、もう一つお話ししましょう。トッシュ・ガルムの話なのですが、お聞きになりたくはありませんか? 」
流石に驚いて、私は目の前の男をまじまじと見た。若きバーテンはあくまで笑顔で、こちらを見守っている。
「……どうして、その名を? 」
ジギーは軽く肩をすくめた。
「事が何であるにせよ、酒場の中で、バーテンダーに知られずに事を運ぶことなど出来はしませんよ。ヒューゴー様はお得意様ですしね」
「なるほど……で、聞かせたいことというのは? 」
「ガルムの、最後の居場所です。あちこちの酒場やら宿屋やらをフラフラしてた、渡りの冒険者ですがね。奴がついこの間までどこに身を寄せていたか、想像できますか? 」
ジギーの皮肉な笑みから、なんとなく、想像がついてきた。
「……この酒場、ということか? 」
ジギーは喉の奥でクツクツと笑った。
「半年ほどでしたかね。何もせず、ただ居ついておりましたよ。これ以上申し上げると、雇い主を悪く言うことになりそうですが」
私は目を細め、頭の中を整理した。
考えてみれば、元々つながりはある。ヒューゴーは、調査の結果偶然見つかった遺物を回収しようと私に依頼してきた。その遺跡を調査したのはガルムだった。そしてヒューゴーと、『空に星』亭のザナは、バザールの構成員で、知り合いかそれ以上の仲らしい。
共通項はバザール。調査を行ったのがバザールである以上、単に狭い世間の中で起こる偶然とも考えられる。が、しかし――何か、順番を間違っているような違和感が、私の鱗を震わせた。
「お役に立てましたでしょうか、お客様? 」
ジギーは面白がるような表情を浮かべていた。
「ああ。余計、こんがらがったような気もするが……こういう気分になった時はたいてい、2、3日のうちに全てが片付くって前兆なんだ。ありがとう。
しかし、一体なんだってまた、雇い主を裏切るような真似を? 」
ジギーは少し真顔になって考えていたが、
「気まぐれ……ですかね」
「気まぐれ? 」
「はい。バーテンダーでも、時には人並みに気まぐれを起こすことが出来ると、それを証明してみせたかったんでしょうなあ」
ジギーは言って、屈託のない笑顔を見せた。
私は短く口笛を吹き、ギザギザの歯をむき出して微笑んで見せてから、酒場を後にした。
自分より冗談のうまい奴と話すのは、いいものだ。
太陽苔は休眠に入り、市場は夜の衣装をまとい始めていた。
上空高くに張り巡らされた枝道が、黄金色の灯りを実らせる。大竪穴に星はない。あるのは人の灯すあかりだけだ。
そこらじゅうに灯された火は、しかし、竪穴の底まで照らすことは決してない。どころか、かえって光の当たらぬ影をくっきりと浮かび上がらせるのだ。
吹き上げる竪穴風に鱗をなぶられながら、私は頭上にうっそりとそびえる枝道の影を見上げ、歩き出した。