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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ 探偵 マフィ・エメネス ~
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第5話(後)

 『空に星』亭を後にしたあたしは、そのままベキムが辿ったと思われる道をぶらぶらと歩いて行った。中心街から外周へと出ていく道なので、歩いていくに従い街並みは寂しく静かなものになっていく。酒場や高級商店が立ち並んでいた中央街から、日用品店がぎっしりと並ぶ商店街を抜け、専門店や病院などといった来店頻度の少ない施設が並ぶ外郭区画へと入る。建物の間を抜け、枝道へと出ると、もう両脇に建物はない。ただ、腰の高さほどの柵が巡らされた道があるだけだ。


 あたしはベキムが通った時のことを考えながら、枝道をゆっくりと歩いた。両脇の柵を越えると、底なしの大竪穴がくろぐろと口を開けている。下には落下防止のネットが張られているし、別の枝道も走っているから、落ちたとしても真っ逆さまに底まで落ちてしまうということはまずありえない。とはいえ、あんまり落ちることを想像したくもない。


 そうこうしているうちに、ベキムの言っていた事件現場の辺りと思われるところまでやってきた。ぽつりぽつりと街灯の明かりが灯っている以外は、目につくものもない。寂しい道だ。あたしは道の真ん中に立ち、ちょっとあたりを見回してみた。

 道はわずかにカーブしているし、街灯はまばらで影も大きい。まして深夜ともなれば、隠れようと思ったらどこにでも隠れられるだろう。犯人が被害者を刺した後、夜の闇にまぎれて逃げ出した可能性は否定できない。といったって、いたかどうかも分からない真犯人を持ち出しても陪審員は納得しないだろうが。


 太陽苔の光はもう消える寸前といった具合で、街灯もまだ灯されていない。あたりは真夜中のように暗かった。あたしは心中舌打ちをした。魔導ランプを持ってくるんだった。何も見えない。手がかりも見つけようがない。途方に暮れて、手すりに寄りかかる――と、ふと奇妙な感触を覚えた。

 闇の中で、手すりの表面を触ってみる。木製の手すりに、細かいへこみがあるのが分かる。欠けている、のか? あるいは、何かがぶつかってへこんだのか……うずくまって、見えない目を凝らしていると、後方から薄明かりが差してきた。振り返ると、道の向こうから歩いてくる人影がある。長い竿状の魔導杖を持ち、街灯に近づけては魔力の炎を灯していく。街灯夫だ。定刻になったので、魔導灯を灯しに来たのだろう。好都合だ。


「おぉい、そこのお前! ちょっと、こっち来てくれ! 」


 あたしは街灯夫に向かって怒鳴った。男はちょっとの間ためらった後、魔導杖を担いでおずおずとこちらへ歩み寄ってきた。


「何だい、姉さん。こっちゃ忙しいんだけどねえ」


 ひょろ長い面をした、気弱そうな男だ。あたしはその手の魔導杖をひっつかむと、無理矢理に引っぱって手すりの方へ近づけた。


「ちょ、ちょっと! 何すんだよ! 」


 悲鳴を上げる街灯夫の肩に手を回し、あたしはなだめすかすように言った。


「悪いね、ちょいと、明かりを貸してほしいんだよ。ランプを忘れてきちまったもんだからさ」


「困るよ! 俺にゃ、まだ仕事が残ってるんだ。灯さなきゃならない街灯はまだたくさんあるし……」


「すぐ済むからさ、いいだろ? 別に減るもんじゃなし。ちゃっちゃと照らしたら、すぐ放してやるからさ。ほれ、早く炎の魔力を出せよ」


 言いながら、肩にかけた腕に力を込める。街灯夫は苦しげに喘いだ。


「分かった、分かったから、力を緩めてくれ。締め上げられてちゃ照らしづらいよ……まったく、何があったか知らないが、ムチャクチャだ」


 ぼやきながらも街灯夫は魔導杖を高々と上げ、その先端から炎の魔力を放った。暖かいオレンジの光があたりを照らし出す。手すりの傷も、はっきりと見えた。何かが擦れたような跡だ。ちょうど、人の体くらいの幅がある何かが――


「おい、姉さん……まだかい? こうしてるのもけっこう疲れるんだけどな」


「黙って光ってろよ、お前は」


 情けない声で訴えてくる街灯夫にそっけなく答えると、あたしは体を屈め、手すりに顔を近づけた。傷痕のほか、目立った痕跡は見られない。だが、あたしの嗅覚は、かすかに残った血の匂いを捉えていた。乾いた、古い血の匂いだ。それも、うっかり手すりのトゲにひっかけて切ったという程度の広さじゃない。匂いの広がり方からして、拭き取られてはいるが血はかなり広くこぼれたものと思われる。


「なあおい……本当に、仕事に行かなくちゃいけないんだよ。早くしてくれないか? 」


 哀れっぽい声で懇願する街灯夫に、あたしは逆に聞き返した。


「ここで、殺しがあったことは知ってるか? 」


「えっ? ああ、そういや話は聞いたよ。何でも、亜人が誰かを刺し殺したとかいう話で、バザールの連中が道を封鎖してたな。一晩で封鎖は解除されたけど」


 あたしは考え込んだ。一晩で封鎖を解除? もし路上に血がこぼれていたなら、そんなに早く掃除してしまうことは出来ないはずだ。板張りの道に染み込んだ血は、そうそう取れない。見たところ、路上に血痕は残っていない。

 犯人が殺した後に拭き取ったのか? そんな時間があったのか? そもそも、それでも路上に血痕が残っていない説明はつかない。何故、手すりにだけ血の匂いが残っているのか、もだ。しかし……説明は今のところ出来ないが、これは何かしらの手がかりになりそうだ。


「なあ、いい加減……」


「うるせえなあ、後ろからブツクサ言うなよ、ちょっと退いてろ。考えごとしてんだから」


 そう言い返すと、流石に街灯夫は気弱そうな顔に怒りを見せた。


「退いてろって、あんたがこっちへ無理矢理引っ張り込んだんじゃないか! 」


「はいはい、悪かったよ。お仕事ご苦労さん。もう行っていいから、人々の暮らしを照らすために頑張って来とくれ」


 あたしが言うと、街灯夫はぶつくさ言いながらも道の向こうへと、街灯を点ける作業に戻っていった。面倒をかけてしまったが、おかげで手がかりはつかめた。しかし……あたしは立ち上がりながら、ふと気づいた。よく考えてみれば、「匂い」なんてものを法廷でどう説明すりゃいいんだ? 陪審員を現場に連れてきて手すりを嗅いでもらうってわけにもいかないし、だいたい純粋人類の嗅覚でこの匂いが分かるとも思えない。


 無駄足だったのか……? 暗い気持ちで、あたしは街灯を見上げた。オレンジ色の光は、はるか先、大隧道の壁面に向かって伸びていく。あの街灯夫が仕事をしているのだ。

 あと一日――焦りを押し殺しながら、あたしはその場を後にした。


   *   *   *


「これは……何のビンだ? 」


 荷物の中から小瓶を見つけ出して顔をしかめる番兵に、あたしは肩をすくめた。


「ただのハッカ水だよ。危険なもんじゃない。何なら、ナメてみるかい? 」


 気安い口調で言うあたしに、番兵はもったいぶった手つきでビンを返す。


「分かってると思うが、あんたが面会しようとしてる相手は、殺人の容疑者なんだからな。それも、極めて残忍な犯行の。厳重に警備してしかるべき相手だ」


「脱獄でもされたら大事だってかい? あたしが、あのトカゲ野郎に鉄格子を切るヤスリかなんかでも差し入れると思ってんの? 」


 あたしは思わずバカにした口調で言った。


「あのねえ、あいつの左手、見た? 契約印だよ。あいつは大地の魔神と契約してる。大地の魔術ってのは、金属なんかの無機物を操る魔術だ。鉄格子くらい、その気になったらいつだってフッ飛ばせるんだよ」


「……それは本当か? 」


 番兵の表情に不安の影が差した。あたしは堪え切れずに吹きだしてしまった。


「それが今の今まで大人しく閉じ込められてるってのは、要するに出ていく気がないってことなんだよ。あいつ、あんな顔で意外と小市民なんだ。じゃ、あたしは通るぜ。小市民どのの遺言を聞いてやらなくちゃならないんでね」


 そう言ってあたしは番兵の横をすり抜け、奥の独房へと廊下を歩きだした。

 ああいうトラブルを避けるために、昨日まで独房へ荷物を持ち込むことはしなかった。だが、今日は特別だ。ついに裁判は明日に迫った。判決次第では、今日があいつと話す最後の日にもなりかねない。差し入れくらい持ってってやらなければ。


 あたしは独房のドアを開けた――鉄格子の向こうに、ベキムは長々と体を伸ばして横たわっていた。両腕を床に突き立て、そのまま体をゆっくりと沈め、またゆっくりと持ち上げる。


「二十……三。二十……四……っと、マフィか、よく来てくれたな。まあこっちに来て……って、どこ行くんだ、おい」


 ゆっくりと後ずさりしてドアから出て行こうとしたあたしに、ベキムは慌てて声をかけた。


「……お前、何やってんだ。裁判の前日に」


「何って、腕立て伏せだよ。見りゃわかるだろ」


 低い声で尋ねたあたしに、ベキムはしれっと答えた。


「こんな狭いところに閉じ込められてると、体がなまっていかん。気分転換がてらに、ちょっと運動をと思ってな」


「心配したあたしがバカだったよ。こう思うのは何度目か、自分でも分かんねえけど」


 あたしはため息をつきながらも、ハッカ水のビンを鉄格子ごしに渡した。


「飲めよ。こんなくせェ所には飽きただろ、それ飲んだらちっとはマシになるかもな」


「おーやおや。いつになく優しいじゃないか。濡れ衣も着てみるもんだな」


 くるりと目玉を回しておどけながら、ベキムはビンのフタをひねった。椅子に座り、ハッカ水を飲みながら、居ずまいを正して真剣な口調で聞いてくる。


「それで、現場はどうだった? 何か見つけたか? 」


「見つけた、っつうか、文字通り『嗅ぎつけた』って感じなんだけどさ……」


 あたしは、枝道の手すりに刻まれた傷と血の匂いのことを話した。ベキムはビンを握り込んだまま、長々と考え込んだ。この事件が始まって以来、最も長く深い長考だった。


「……悪くないぞ。若干、希望が見えてきた」


 やがてベキムは口を開いた。言葉とは裏腹にその口調は重く、緊張がにじみ出ていた。


「とは言え、誰でも一目見て分かるような性質の証拠でないのはちと痛い。裁判の場でそのまま言っても、お前さんが私をかばうために嘘をついていると思われるのがオチだ。手すりの傷は使えないこともないだろうが、いつ付いたのかも分からないんじゃ、証拠としては弱すぎる。補強が必要だな」


「補強、って言うと? 」


 あたしの問いに、ベキムはちょっと驚いたようだった。


「何だ、思いついてなかったのか? お前さん、さっき自分で言ったはずだぞ。『手すりの傷は、人の体くらいの幅だった』って……手すりの方に傷がついたんだ。傷をつけた『人の体』の方にだって、傷が残ってたって不思議はあるまい」


 あたしはレギナムの体に残っていた打撲痕と擦過傷を思い出した。そういや、あれはちょうど、手すりの角か何かで擦ったような傷だった……


「被害者の体か」


あたしは思わず立ち上がっていた。


「よし、見てくる。他には何かないか? 」


「せっかちだな。ま、時間もないしな……さてと。他にか? そうだな、エディオル先生とやらに会って、裁判の時に遺体を証拠物件として持ち出せるよう段取っておいてくれ。何枚か、傷のところだけ写真か録光機に撮ってくれればいい」


「それだけか? 」


 あたしはベキムの顔を見つめた。ベキムは驚くほど平然とした顔で頷く。


「そう、それだけだな。情報は、だいたい揃った。あとは裁判の日を待つだけさ」


「つったって……どう戦う気だ? これだけの手がかりで、あんたの無実を証明できんのかよ? 」


 聞き返すあたしに、ベキムは落ち着いた眼差しを投げかけてきた。


「陪審員に対して無実を証明するとなると、これは、情報があろうとなかろうと難しい。連中には先入観があるからな。亜人が純粋人類を殺したという、分かりやすいストーリーが。この顔を見てくれれば、特に女性は私に好感を持ってくれることと思うが……」


「法廷に出てきたとたん射殺されても文句言えねえツラして、よく言いやがる」


 あたしは吐き捨てるように言った。


「とはいえ、ツラが悪いのはあんたの責任でもないしな。そのせいで死ぬってのもちいと気の毒だ」


「だから、心配するなって。事件の筋書きは、だいたい読めた。後はこれを、陪審員にもはっきり分かる形で示してやる策を練らなきゃならない。お前さんにも協力してもらうぞ、マフィ。それから、キブルにもだ」


「あんなうらなりを頼るようじゃ、あんたもおしまいだと思うけどね」


 あたしの言葉に、ベキムはやれやれといった顔で首を振った。


「裁判の場で実際に私の弁護をするのは奴だからな。奴の協力は不可欠だ。なあマフィ、陪審員がどうこう言う前に、お前さんも多少は先入観を捨てて他人を見てみろよ」


「あんたの遺言がそれだってンなら、まあ、考えておくとするよ」


 あたしは言い捨て、踵を返すと、大股に独房を出た。

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