第1話
玄関の呼び鈴がけたたましい音を立てたので、目が覚めた。
ベッドから上半身を起こし、窓の外を見る。まだ太陽苔の光は薄暗い。こんな朝っぱらから、なんだってんだ――あたしは欠伸をし、布団をひっかぶってもう一度寝ようとした。が、呼び鈴の音は鳴りやまない。意地になっていやがるのか、まるで鎧をまとった一個大隊がダンス大会を開いてるような音を立てている。あたしは舌打ちをし、渋々起き上がった。
窓を開けると、湿気を含んだいやな匂いを感じた。雨の予感を含んだ空気の匂いだ。畜生め。天気までサエないときてやがる。ベッドの脇に置いた鉢植えのアオヒマワリも、今日はけだるげに首を垂れている。
ちょっと考えた末、下着の上からローブだけ羽織って寝室を出る。こんな時間からあたしの店で、呼び鈴を近所じゅうに聞こえるくらい打ち鳴らすやつなんて、どうせろくな客じゃない。せいぜい、あのトカゲ野郎か……いや、違うな。あいつならベルなんて鳴らさないで、勝手に上がり込んでくるだろう。
ローブの裾を引きずりながら玄関まで行き、ドアを開けると、見覚えのないひょろっとした男が不興げな顔で立っていた。なまっ白い、くたびれた顔の男だ。鱗を残した墨染めドラゴン革のジャケットを着ている。仕立ては悪くないが手入れは中途半端だ。それに、手首からインクの匂いがする。部屋の奥に引っこもって一日中帳面いじくってるタイプのヤツだ。
また、カネの匂いのしねえ奴が来たもんだ――あたしはうんざりしながら、ともかく聞いた。
「なんか、用? まだ開店時間じゃないんだけど」
「買い物に来たわけではない、マフィ・エメネス殿」
男は真面目くさった顔で答え、あたしの脇をすり抜けて上がり込もうとした。すかさず、腕を伸ばして道をふさぐ。
「だからさあ、開店時間じゃねえって言ってるだろ? 店を開けてねえってことは、店に誰も入れねえってことなの。分かる? 」
「買い物ではないと言っているだろう」
鼻筋に皺を寄せ、嫌悪感もあらわに男は言う。目線は、あたしを素通りして店の中を無遠慮に見回している。軽蔑が表情ににじみ出ている。いけ好かない野郎だ。
「私は、バザールから来た。運営委員会の使いのものだ」
「バザールだァ……? 」
あたしは苛立ちも忘れて、ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
大隧道のなかば、大穴を横切るように生えている幾本もの巨樹の上に栄える空中市場は、大竪穴で最も栄えている商業地域だ。そこのギルドを統括し、私兵と自治権をも握っているのが、バザールと呼ばれる商業ギルド複合体。ギルドと言うより小さな政府みたいなもんだ。
あたしは古道具屋だが、バザールの傘下には入っていない。おおっぴらに楯突くようなことはしないが、ギルドに入るにはちょいと都合が悪い事情があるのだ。
「これはこれは、バザールの方がわざわざのお見えたァ、有難くって涙が出るね。あたしの店なんて、高貴なお方のおみ足が触れたら腐って崩れっちまうんじゃないの? 」
憎まれ口を叩いたが、男は別に動じた様子もなく、一歩も引かずに腕を組んで立っていた。
「とにかく、詳しい話を聞きたまえ。それとも、私兵を引き連れて無理矢理押し入って欲しいのか? おおっぴらにされたくないものが、幾つも転がってるように見えるが……」
痛いところを突いて来やがる。あたしは心中舌打ちした。
ぶっちゃけて言えば、あたしの本当の商売は故買屋だ。カネになるモノだったら何でも買うし、売る。それがどっから来たかなんて関係ない。あたしがギルドへ入らない理由はそれだ。当然ながら、商業ギルドやバザールの方でもあたしにいい顔はしない。ま、別に愛想よくしてもらいたいとも思っちゃいないけど。
「……入んなよ。ただし、椅子はねえぞ。うちには椅子が一脚しかねえんだ。あたし用のしか」
ドアに掛けていた手をひっこめると、バザールの男はあたしを侮蔑するように見た後、早足に中へ入り、テーブルの前で立ったままこちらを見つめてきた。あたしはドアを閉め、のろのろとテーブルに向かった。
「さて……さっさと用事を済ませよう。私だって、こんな所に長居したいわけではないんだ」
無造作に置かれた魔神像に、胡散臭げな視線を投げながら、男は言う。よく言いやがる、その魔神像とどっこいどっこいのしょぼくれたツラしてるくせによ――思ったが、口には出さない。
「私の名はキブルという。冒険者ギルドの運営役員で、バザール運営委員では書記官をしている。書記官というのは、バザールでの内規運営にも携わっている――知っているね? 」
「さァね。興味を持ったことさえないからねえ、あたしは」
あたしはテーブルに肘を突き、耳をほじりながら答えた。キブルとやらは咳払いをし、先をつづけた。
「今日訪ねたのは他でもない。実は先日、空中市場内で殺人事件が起こってね。直後に容疑者が捕まり、近々裁判が開かれることになったんだが、その容疑者が君に面会を求めているのだ。私は、裁判でその容疑者の弁護側に立つことになっている。その責任上、君を連れに来たというわけだ」
「あたしに、面会? 」
こいつは意外だ。てっきりまた、あたしの商売にバザールが因縁をつけに来たんだと思っていた。あたしは一旦ホッとしかけて、すぐに思い直した。そんな妙な話ってあるか? やっぱりあたしに難癖つけるためのウソじゃねえのか? いや、そもそも本当だったとしたら、そっちの方がヤバい。あたしは出所の怪しい魔導武器や古代の兵器なんかも扱っている。どっかのバカがあたしの店で買った商品で人殺しをやった挙句、苦し紛れにあたしの名前まで吐いたんだとしたら、こりゃもっと面倒だ。
「おいおいおい、何だよそれ……殺人犯なんかに、知り合いはいねえけどな」
表向きは涼しい顔でそらっとぼけると、キブルはフンと鼻を鳴らした。
「見りゃ分かるさ。君のお仲間だろう? 混じりけのないヒトじゃないって、すぐに分かるツラしてたからな……」
「……おい、何だ、その言い方? 」
『ヒトじゃない』という言葉を聞いた瞬間、あたしは立ち上がっていた。キブルはあたしが向って行っても、特に警戒する様子もなく続けた。
「だから、その男も君と同じく、純粋人類でない亜人だと……」
言い返すより早く、あたしの裏拳は男の顎を弾いていた。
男は横っ飛びに吹っ飛び、1、2度とバウンドした挙句ガラクタの中に転がった。その胸ぐらを引っつかみ、ガラクタの中から引きずり起こしたところで、あたしはようやく口が利けるくらいに冷静に戻った。
「……なあ、よく聞こえなかったんだがよ……だァーれが、亜人だって? 混じりっけのある、出来そこないの亜人って言ったか、今? 」
恐怖を両目に浮かべて、キブルは首をブンブン振った。額が切れて、血が眉まで流れ出している。首を振るたび、その赤い筋が滲み広がった。
「お、落ち着いてくれ、頼む」
キブルは震え声で懇願した。
「言葉の綾だ。君を貶めるつもりはなかった……許してくれ」
あたしはフンと鼻を鳴らし、キブルの襟から手を離した。拍子に、毛の生えた腕が露わになっているのに気づいて、舌打ちしながらローブの裾を伸ばす。
あたしは猿人の混血だ。腕や脚に、猿のような毛が生えている。まともな純粋人類でない、『うちびと』の血を引いて生まれてきた。世に言う「亜人」だ。このクソ面倒な血筋のせいで、生まれてこのかたクソ面倒な目にばかり遭ってきた――そのせいで、「亜人」などと頭ごなしに呼ばれると、つい頭に血が昇ってしまう。
「……ほら、立てよ。話を続けろ。てめェだってこんな所、早く出ていきたいんだろ? 」
投げつけるようにそう言うと、キブルはびくりと体を震わせ、弾かれたように起き上がった。墨染めの革ジャケットが、埃で真っ白になっている。神経質そうな身振りでジャケットをはたきながら、キブルは弱々しい声で話し始めた。
「本当に、申し訳なかった。だが、ともかく、その容疑者と言うのが君の知り合いであることは確かなんだ。
名前を言ったら分かるだろう――ベク=ベキム。蜥蜴人種の私立探偵、ベク=ベキムだ。君の店にもよく顔を出すそうじゃないか? 」
「ベク=ベキム……! 」
あたしはこみ上げて来る頭痛に、髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。あの野郎……色んなパターンの面倒事を持ち込んでくる奴だとは思っていたが、今回のは新機軸だ。自分じゃなく、わざわざバザールの書記官を駆り出してまで面倒を運び込ませるとは――
「それで、どうなんだ? 来てくれるのかね? いや、私としてはその、君の都合次第であって、無理にとは言わないのだが……」
明らかに逃げ腰になっているキブルに、あたしはため息をついて見せ、苦笑交じりに答えた。
「……行くよ。檻ン中に閉じ込められたトカゲを見に行くってのも、悪くないレジャーになりそうだしな」
キブルは、爆弾の詰まった箱の上でベーコンエッグを作れとでも言われたような顔をした。




