第6話(3)
鳥力車の御者に運賃とチップを支払い、私は駅のロータリーへ飛び降りた。
滑り出しは悪くない。ハパールクの家を出てすぐ、通りを流している鳥力車を見つけることが出来た。若い御者だったが、技術はまずまずだった。オオツチドリも若く元気で、私の無理な注文にも、よく応えて走ってくれた。駅までの道のりは、考えらえる限り最短の時間で済んだ。
さて、ここからは私が駆けずり回る番だ。私は駅にあふれる人々の顔を見回しながら、雑踏の間を駆け抜けた。通りすがりにちらりと見た時刻表によれば、次の列車が出るまでにはまだ時間があるようだ。既に逃げられてしまっていればもうアウトだが、階層を超える直通竜列車は一日にそう出ない。私は焦る気持ちを押さえつつ、深層行きのホームを目指し走った。
一瞬――視界のすみに、見覚えのある顔が映った。
私はつんのめりながら立ち止まり、そちらを見た。雑踏をすかして、矮鬼人と巨猪人の2人連れが見え、消えた。後姿だったが、登りの竜列車で見た連中か……? 確信はない。だが、亜人2人の取り合わせは珍しい。賭けてみる価値はある。私は2人の後を追い、人ごみと駅舎の柱を利用して身を隠しながら進んだ。
大小2つの背中は、ホームには向かわず、それどころか駅舎を出て線路づたいにどんどん遠くへ歩いていく。行く手には車庫や倉庫が立ち並んでいるだけだ。
建物の陰づたいに追う私の心に、次第に疑いが忍び寄り始めた。何故、列車に乗るどころか、駅から離れていこうとしているのだ? 周囲に人影はなく、声を上げてもすぐには気づかれないだろう。まさか、おびき出されたというのか? いや、私は連中のことを知っているが、連中は私がハパールクの件に絡んでいる探偵とは知らないはずだ。ハパールクに対しても深層の古美術商としか名乗っていない。たとえ雑踏の中で私を見つけていたとしても、私に追われているとは思わないだろう。しかし――
兆しはじめた疑いが、私の反応を一瞬速めた。
建物の陰から飛び出しかけた体を、無理によじって後ろに倒れ込む。一拍遅れて、熱が胸元をかすめた。ジャケットの胸部分が焦げている。そのまま建物の陰に転がり逃れる。一瞬だけ、こちらを見据える矮鬼人の顔が見えた。笑っては、いなかった。
「追ってきたか……思っていたより、早かったな。それが貴様の不幸だ」
ゆっくり歩み寄ってくる足音と共に、矮鬼人の声が聞こえてくる。列車で見た、好々爺然とした顔からは、想像できないほど冷たい声だ。
「聞いておるぞ、帽子をかぶった蜥蜴人種の探偵に会ったと、片目のジャムフからな……群れを抜けて人に混じる蜥蜴人種は珍しいと、笑っておったわ」
私は体を起こし、低い姿勢のまま立ち並ぶ倉庫の影を縫って走った。出来る限り、矮鬼人から離れたかった。声と足音は急ぐ様子もなく、かといって遠ざかりもせず、私を追って飛んできた。
「ジャムフの考えは甘い。儂は、たとえ同胞と言えど邪魔者は取り除く方針だ。来たるべき我々の真世界が、二度と奪われぬようもにな」
相手はやたらとこちらに話しかけてくる。私の注意を惹こうというのだろう。今までの手がかりと、さっき食らった一撃から、奴の能力はだいぶ想像がついていた。
建物と建物の間隔が大きく空いた場所に来た。私は左手を翻し、地面をこすった。砂が宙に浮き、防御壁がうっすらと出来上がる。私は砂埃に隠れて走った。走る私の後を追って、魔力が砂の壁に当たり弾ける音が聞こえてきた。向こう側の建物に駆け込む際、矮鬼人の顔をちらっと見た。その両の眼は、血のように赤い輝きを放っていた。
やはり――建物の戸を開け、薄暗がりの中に逃げ込みながら、私は身震いと共に確信する。奴の能力は、現代の純粋人類たちが言うところの『邪視』だ。
ハパールクの死にざまから、ある程度の想像はしていた。机の上に倒れていたワイングラスと、そこに残ったワインのカス。あれは、ワインが蒸発した跡だ。そこから、炎の魔術だと当たりをつけた。表情に驚きや恐怖が無かったところを見ると、一瞬で効果を発揮するタイプの魔術だろう。
加えて、門番の死体との共通点だ。2人とも目を閉じ、椅子に座って死んでいた。浮かび上がってくるキーワードは、「目」だ。座れば目線が低くなる。身長の低い矮鬼人が立って向き合えば、目と目がちょうど合う。目が炎の魔術の直撃を受ければ、水分が蒸発して眼球は縮み、瞼はそれに引っぱられて自然に閉ざされる。
あの矮鬼人はいずれの場合も、座っている相手に話しかけると見せかけて、目が合った瞬間に『邪視』を使ったのだろう。『邪視』は『うちびと』の間に伝わる古代魔術で、特殊な儀式と共に頭部を切開し、頭蓋に契約印を刻むことで使えるようになるという魔術だ。視たものを炎上させるほど強烈な炎の魔力を、瞳から放つ。特に、目と目が合っている時に使えばその魔力は瞳から視神経を通じて脳にまで達し、頭蓋骨の中身を煮込み料理に変えてしまう。苦痛を感じる暇もないうえ、外傷もまったく表れない。
視界に入らないものは撃てないという弱点こそあるものの、視界に入れさえすれば反応できない速さで魔力が飛んでくる。一撃必殺の魔術だ――だが、私の使う「撃ち出す」魔術との相性は悪くない。砂で壁を作っている限り、奴の邪視は私には届かない。時間を稼いで、その間に――そう、思った時だった。
頬に冷たいものを感じた。
一瞬のち、ハッと気づいて私は足元の床を殴った。溜まった砂が舞い上がる――だが、その砂は、ドアから吹き込んできた突風に吹き流された。私の魔力を凌ぐ、強い魔力のこもった風――ドアの向こうに、両手をかかげて矮鬼人が立っていた。その手が、暗闇の中に青白く輝いている。
私は跳びすさった。が、視線より速く動けるはずもない。脚に焼けるような痛みを感じる。とっさに、そこらに転がっていたガラクタの奥へと転げ込む。右の腿が、手のひら大に焼けただれている。深い火傷だ。血が流れずに済むのが、唯一の救いだ。
矮鬼人は両手の光を消すと、商人風のローブを翻してこちらへ歩き出した。複合魔術だ――警戒してしかるべきだった。私は片目のジャムフとの邂逅を思い出した。奴のように、同時に強力な魔術を併用できるわけではないようだ。契約印を2つ持っているだけなのだろう。だが、私の魔術が通用しないのは痛い。
「大人しく、死んでおいてはくれんかね……騒ぎになると困る。獲物を持って帰れなくなるでな。じき、街の自警団も騒ぎ出そうて」
相変わらず、感情の見えない声で矮鬼人は言う。まだだ……まだ、遠い。私は後ずさってガラクタの間を移動しながら、時間を少しでも稼ごうと言葉を投げた。
「やっぱり、あんたらはメイユレグか……何故だ? 深層の魔神崇拝教団が、何故『そとびと』の金持ちから盗みを働く? 」
「盗んだのは連中だ。貴様も同胞なら分かろうに」
初めて、矮鬼人が声を荒らげた。
「我らは、連中からすべてを取り戻す――宝を、記憶を、神を、そして世界をな。だが、我ら自身も我らの神のことを全て覚えているわけではない。イユル=ゲマフは、忘れられた真の神だ……真の神の記憶を取り戻さねば、真の世界はない」
相変わらず、神秘主義じみたことを言っている。それでも今までの口ぶりから、いくばくかは推測できた。メイユレグがイユル=ゲマフを信仰していること、そしてメイユレグの中にも派閥があること。ジャムフとこの矮鬼人は、対立する立場にあるらしい。思想とか宗教における解釈の違いってのは、どの世界でも厄介なもんだな――痛みのためにともすれば薄れそうになる意識の中、私はぼんやりと思った。
「それで、その写本が、あんたらの神の歴史だとでもいうのか? 単なるおとぎ話に過ぎない、そんなものが……」
「写本? 」
矮鬼人は怪訝そうな声で聞き返し、やがて得心がいったという風に手をひとつ打った。
「そうか、貴様もあれを『写本』と思うたか。ま、それならそれでよい。そう思ったまま死んでおれば、なおさら好都合というものよ」
それだけ言い切ると、矮鬼人は口を閉じ、またゆっくりとこちらへ近づき始めた。とどめを刺す気だ。脚をやられた私が、もう逃げられないと見て――そして、実際その分析は当たっている。次に邪視を放たれたら、もう避けられまい。しかし――
「なあ、あんた、鼻が悪いのかい? 」
私の言葉に、矮鬼人は何の反応も示さなかった。ガラクタに身を隠し後ずさりながら、構わず言葉を続ける。
「よく気を付けてみろよ。何か臭わないか? そもそもこの建物、何だと思う? 薄暗くて分かりづらいだろうが、よく注意してみろよ。そら、私の後ろの薄暗がりに、何か見えないか? 」
「いい加減にせんか」
呆れた様子で矮鬼人は言う。
「くだらん時間稼ぎのつもりなら、もう止めろ。往生際の悪い……!? 」
その言葉が終わる前に、私の左手が冷たい鎖に触った。ようやくだ。ここまで来れば――私は鎖の輪の一本に魔力を流し、敵目がけて勢いよく撃ち飛ばした。
「小細工を……! 」
矮鬼人の目から、邪視が放たれる。鉄の輪は邪視の魔力に触れ、魔力の反発作用で小爆発を起こした後、その場にぽとりと落ちた。
「悪あがきはやめろと言っておろう。さあ、これで最後だ」
矮鬼人の両目が、再び赤く輝きだす。私は身をかがめながら、最後の言葉を口にした。
「光は、まずいぜ。言っただろう、ここが何の建物なのか考えてみろって……私が飛ばして千切ったのは、鎖だ。その鎖に、何が繋がれてたと思う? 」
その言葉に応えるかのように、私の頭上をかすめて「繋がれていたもの」が飛んだ。巨大な質量と、鋭い爪を持つ、濃赤の影。鱗の臭いを漂わせながら、「それ」は弧を描く動きで矮鬼人の頭めがけて飛び、薙ぎ払った。
どッ、という、濁った音が響き渡った。
私はガラクタの中から身を起こし、おずおずと様子をうかがった。矮鬼人は、まだそこに立っていた――が、赤い光を放つ両目は、もうそこになかった。首から上が、跡形もなく吹っ飛んでいた。
「随分と残酷趣味なんだな、兄弟」
私は背後を振り返り、また眠りに入ろうとしている巨大な竜に話しかけた。赤角種の巨大なドラゴンは、私の声など聞こえなかったかのように、深く細い寝息をたてはじめた。
ここは竜列車を曳く竜の厩舎だったのだ。私は、鎖が飛ぶ音と邪視の光で竜を目覚めさせ、四肢を繋ぐ鎖を一本だけ引きちぎった。自由になった腕で竜は、眠りを妨げる光を出す小さな頭を、うるさいハエでも追うがごとくに払い飛ばしたわけだ。
私は竜を刺激しないようそろそろとガラクタの山から這い出ると、矮鬼人の死体の方へ向かった。あまり楽しい仕事ではないが、仕方がない。体にまだ残る温かみに吐き気を催しながらも、服の中を探ると、案の定写本が出てきた。幸運なことに血痕も付着していない。こいつが後生大事に服の奥にしまい込んでいたおかげだ。
私は写本をジャケットのポケットに写すと、薄暗い厩舎から出た。




