第6話(2)
窓の向こうで、シエラが何か喋っているようだ。声は聞こえないが、その表情からして、何があったのかはまだ分かっていないらしい。それならそれでいい――私は門番の亡骸が 乗った椅子をぐるりと回し、窓に背を向けさせると、ゆっくり詰所から出た。
「どうしたんです、ベキムさん? あの人、どうかしたんですか? 」
駆け寄ってくるシエラに、私は極力静かな声で答えた。
「近くに、自警団の派出所かなにかないか……この階層だと、王国軍の憲兵がいるのかな? なんでもいい。とにかくその手の連中を呼んで来てくれ。死んでいるんだ」
「死……! 」
シエラは両手で口を覆い、息をのんだ。体が小刻みに震えている。だが、叫び出したりしなかったのは良かった。私は震える肩に手をやり、ゆっくりと喋りかけた。
「落ち着きたまえ。とにかく、すぐに人を呼んでくるんだ。君一人で行けるな? 」
シエラは、青ざめながらも何とか頷いた。
「ベキムさんは、どうされるんです? 」
「館の中に入る。ハパールク氏の身が危険だ。犯人も、まさか門番を殺すためだけにやって来たわけじゃないだろうからな。人を呼んで来たら、そのあたりのことも説明しておいてくれ」
「でも、そんな! まだ、中に殺人犯がいるかもしれないのに……」
目を見開くシエラに、私は肩をすくめて見せた。
「そういう危ない橋を渡って、メシ食ってるわけだしな。大丈夫さ。それより、後のことは任せたよ。くれぐれも、私が殺人犯だなんて疑われないようにうまく言っといてくれ」
私は帽子を上げ、軽くウィンクして見せてから、小走りにハパールクの屋敷へと向かった。
軽い口ぶりとは裏腹に、心は重かった。
本当は、門番の死体をもっとよく調べておくべきだったのだ。パッと見た限り、目立った外傷はなかった。苦悶の表情すらない。いったいどういう方法で殺されたのか、見当もつかない。何かの魔術か、あるいは毒か……そんな相手と策もなしに対峙するのは、あまり楽しみな事態じゃない。
だが、そんなことを言っている場合ではなかった。シエラにも言ったが、殺人者の狙いは間違いなくハパールク本人か、彼の持ち物だ。単なる物盗りということも考えられなくはなかったが、そんなことを期待するほど私は楽観的になれなかった。
裏口から、ハパールクの書斎をめざし走る。明るい日光の中に、私が蹴立てた埃が霧のように浮かぶ。白っちゃけた視界の中、私は書斎のドアを勢いよく開け放った。
と同時にドアの脇に身を隠し、顔だけ出して部屋の中を覗く。まだ殺人者がモタモタしていないとも限らないのだ。幸い、この部屋の中に人影は無かった。ただ、無事とはいかなかったようだ――そこらじゅうが荒らされている。本棚は引き倒され、貴重な蔵書が無造作に床へ叩きつけられている。壁に掛けてあった古代『うちびと』の絵も、額縁ごと放り出されている。
一見したところ骨董の価値を知らない無知な物盗りが荒らしまわったように見える。だが、どうもそうではないらしい。私は足元から、ひびの入った額縁の一つを拾い上げた。ちょうど書籍くらいのサイズのリトグラフだ。手荒に扱っているように見えるが、中の絵は無事だ。ざっと見回したところ、他の美術品や書籍にも修復不能なほどの損傷は与えられていないようだ。
見るべきものを見尽くしてしまうと、私は少し迷った。ハパールク邸で知っているのはこの書斎だけだ。他にどのような部屋があるのか――もっと言えば、どこにあの写本が保管されているのかも分からない。手当たり次第に調べてみるほかはないか――そう思いかけた時、私の耳がかすかな物音を捉えた。
頭上、天井の上――2階だ。何かが倒れるような音だった。
私は駆けだした。蜥蜴人種の耳は、純粋人類はおろか他の亜人と比較しても鋭い部類に入る。そうでなければ、聞き逃していただろう。それほどかすかな音だった。少なくとも、人の体が倒れた音ではなかった――そこに無理矢理にでも希望を見出そうと努力しながら、私は階段を駆け上がった。
広い廊下を見渡し、音の方向から大体の見当をつけて部屋を探す。ひときわ大きく分厚そうなドアが、ちょうど書斎の真上あたりにあった。近寄ると、巨大な錠までついている。そして――細い隙間が開いている。鍵がかかっていないのだ。首筋の鱗が、軋んだような気がした。私は祈るような気持ちで、ゆっくりと重たいドアを開けた。
希望は、あっさりと潰えた。
エヴロ・ハパールクは、笑ったような顔で椅子に腰かけていた。首をわずかに傾け、だらしなく広がった口からは、舌の先がはみ出していた。目は眠っているかのように閉じている。あの門番と同じだ。離れた場所からでも、はっきりと分かる。
その体は、とうの昔に生命活動を止めていた。
私は出来るだけそちらを見ないようにしながら、部屋の中を観察した。下の書斎よりもやや大きく、部屋の一角には巨大な書棚が数列並んでいた。やはり書斎と同じように、書棚の本は引っ掻き回され、床にばらまかれている。目当ての写本があるのかないのかも、今となっては分からない。
私はハパールクの座る椅子と、その前の書き物机に視線を移した。机の上には栓を抜かれたワインと、ワイングラスが2つ。片方にはなみなみとワインが注がれ、片方は足が欠けて倒れている。どうやら先ほど聞こえた音はこのグラスが倒れた音だったらしい。私はまじまじと目を凝らしてグラスを調べた。不思議なことに、ワインがこぼれた痕跡はない。底のあたりに、ほんの少しだけねばねばした赤いものがへばりついているだけだ。
私は顎に手をやり、少しだけ考えた――私の憶測どおりなら、下手人はあの矮鬼人――メイユレグだ。一か月も時間を引き延ばしたのは、あの矮鬼人が深層から第3まで上がってくるための準備を整えるためと考えれば説明がつく。ただ押し込み強盗をするだけなら、情報が入った直後にやればいい話だ。それを、1か月もの準備期間を経て、こうまで素早くやってのけた。
門番もハパールクも、声を立てる間もなく謎の方法で殺されたらしい。偶然私が屋敷に立ち寄らなければ、発見はもっと遅れていただろう。その間に、犯人は写本を持って遠くへ逃げる――長い準備をしたからには、確実に成功する算段があるのだろう。あの矮鬼人は、ハパールク邸襲撃を成功させるために必要な「何か」を持っていたのだ。恐らくは、門番とハパールクを殺した「何か」。魔術か、あるいは単なる技術なのかは分からないが。その「何か」が揃ったのを機に、連中は行動を開始したのだろう。
さて……これからどうするか? 私の仕事は写本を確保することだ。連中が写本を持ち出されなかったのだとしたら、もうハパールクは殺されてしまったのだし、私は動く必要がないということになってしまう。私はこの際、「奴らが写本を盗み出した」という前提の下に行動することにした。としたら、奴らが次に向かうのはどこだ? 奴らは深層から来た。当然、戻る場所は深層だ。
「とすれば……竜列車か」
私はひとりごちながら、何気なく窓の向こうを見た。と、ハパールク邸に続く通りを、制服姿の男たちが走って来るのが見えた。シエラが呼んだ自警団か、憲兵かだろう。
だが、ちょっと困ったことになった。彼らに見つかれば、死体の第一発見者としてなにやかやと話をしなければならなくなる。しかし、私には時間がない。こうしている間にも、メイユレグの連中は写本を持ったまま深層へ逃げてしまっているかもしれないのだ。
私は独りで動くことに決め、机の中からペンと紙を探し出してシエラ宛に書置きを残した。「竜列車駅へ向かう ベキム」――とりあえず、行き先を明らかにしておけば逃亡犯扱いはされないだろう。後はシエラが事情をうまく説明してくれることを祈るしかない。
さて、急いで犯人を追わなければ。だが、どうやって? 自警団の連中は裏門へ向かうだろうから、裏門から出るわけには行かない。と言って、階段を下りて正門に回っている時間はない。いっそ、2階から飛び降りることでも出来たら――そこで、私はふと思いついた。
部屋を出て、正門の方向を目指し廊下を進む。突き当たりに、ちょうどよさそうな出窓があった。窓を開けると、正門はすぐ目の下だ。これで後は、掃除をしていなければ……窓枠を調べてみると、案の定砂埃がたっぷりと溜まっていた。これなら2階の高さくらい何とかなりそうだ。私は左手の手袋を外した。
魔力を込めて、窓枠に拳を打ちつける。と、溜まっていた埃が舞い上がり、雲のようにその場に滞留する。大地の魔術の応用だ。魔力を帯びさせた、砂のシャボン玉。魔力を反発する力を持つ。いつもなら、相手の魔術に対する壁として利用するものだが――私は砂のシャボン玉に向けて再び魔力を注ぎ、「引鉄」を引いた。
たちまち、砂でできた雲がなだらかな傾斜を描きながら長く伸びて、帯のように地面まで垂れ下がった。魔力がこもっているため、散らばらず滑り台のような形を保っている。そう、まさに砂の滑り台だ。私は念のためその場でちょっとばかり準備体操をした後、無事を祈りながら左手で砂の帯を掴んだ。
左手から発する魔力が、砂にこもった魔力と反発しあい、私の体は宙に浮いた。自分自身を反動で「撃ち出し」ている状態だ。長くはもたない。私はそのまま体を揺らし、下まで一気呵成に滑り降りた。
恐怖で危うくほとばしりかける悲鳴を押し殺し、私はどさりと着地した。妙なところに力が入る姿勢をとったために体のあちこちが痛むが、何とか足をひねったりもせずに着地できたらしい。駅まで行くぶんには問題ないだろう。あとは運だ。通りでうまく鳥力車を拾えるか? 竜列車が出る前に、たくさんの乗客の中から犯人を捜し出せるか? そして――犯人が見つかったとして、わけの分からぬ方法で人を殺す奴ら相手に、私は何が出来るのか?
答えを出す代わりに、私は正門に向かって闇雲に走った。




