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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ かくて幕は降り…… ~
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第6話(1)

 せわしなく人の行きかう白昼の大通りを、私は歩いていた。


 まだ、堂々と顔を上げて昼間の通りを歩くのには抵抗があった。周りがどうこうというより、私自身の慣れの問題なのだ。卑屈になるつもりはないが、実際に不快を感じる人間がいると考えると、わざわざ躍起になってこの顔を見せびらかすこともないだろう、というためらいが生まれる。それで結局、帽子を深くかぶってうつむきがちに歩いてしまうのだ。


 行き先は、ハパールクの邸宅だった。今度は中にまで入るつもりはない。一通り、周囲を回ってみるつもりだった。私が写本を狙う悪党だったとしたら、どう動くか? どこを狙うか? 計画を立てながら、重点的に見張る場所を決めるのだ。一人でできることには限りがある。

 歩きながらも、私は通りを行き交う人々に油断なく目を配りつづけた。十数人に一人ほどの割合で、亜人を見かける。その中に見覚えのある顔を探し、私は空しく目を凝らした。この雑踏の中、いるかどうかも分からぬ相手を探すなど、ほぼ無意味なことだろうとは分かっていた。それでも、何かせずにはいられなかった――


 視界の隅に、影が映った。


 誰かが、私の方を見ていた。そちらに顔を動かした途端、その影は物陰に消えた。私は立ち止まりかけ、思い直して何事もなかったかのように歩を進めた。数ブロック歩いたところで、不意に裏道へ入り込む。足早に数歩歩いて、壁際に体をぴったりつけて待つ。案の定、数秒遅れて、誰かが裏道の入口をひょいと覗きこんだ。私はそいつに飛びかかり、胸ぐらをつかんで裏道に引き込んだ。その顔が、白昼の陽ざしに照らされる。


「……シエラ? 」


 シエラ・パルテは視線を外し、恥じらうような、ふてくされたような顔で横を向いた。


「こりゃ、失礼……誤解しないでくれよ、私は迫る時には紳士的に行きたいタチだから」


 シエラの胸ぐらをつかんだ手を慌てて離し、苦笑いしながら軽口を叩く。が、彼女は無言のままだった。私はため息をつき、両手を上げて降参の構えを見せた。


「私のファンというわけでもないんだろう? どうして、私の後を尾けた? 」


「……はっきりした目的があったわけじゃないんです。けど、知りたいって思うじゃないですか、何をしてるのか。何の弁解もなしにアーキソン教授と行っってしまったきり、戻ってこないんだもの」


 シエラはおずおずと言った。いたずらを見つかった子供のようだ――と言うか、事実そのものだ。私はもう一度ため息をついた。


「じゃあ、言い訳でもしておこうか……いいか、シエラ。私は何も、君を騙して近づいて、論敵の内情視察をしたりとか、この男性的魅力にものを言わせて論文を取り下げさせようとか、そういう目的のために雇われた訳じゃない。教授がああいうタイミングで現れたから妙な雰囲気になってしまったが、イユル=ゲマフに関する君の研究に興味があるのは事実だ。

 そして、仕事抜きにして個人的には、君の研究が認められることを願っている。先輩と言うか、年長者としてね」


 私は精一杯の誠意を込めて語った。シエラは、それを信じたのかどうか、黙ってこっくりと一つ頷いた。


「で、私の行き先だったね……別に隠すことでもない。ハパールク氏の邸宅だ。アーキソン教授の依頼が、例の写本を買い戻すことだというのは真実だ。少なくとも彼自身からは、公平に君の主張の真偽を問うためだと聞いている」


「そう……でしょうね。その通りなんだと思います。アーキソン教授は厳しい人ですけど、そういう筋は通す人ですから」


 シエラは神妙な顔でそう答えた。自分の論敵ではあっても、この娘はアーキソン教授を尊敬しているのだろう。自分が進むと決めた道の、遥か遠く先を行く相手だ。

そして私は、その道を横からただ見ているだけ……一抹の寂しさを覚えながらも、私はそれを隠して明るく話し続けた。


「ここだけの話なんだが、ハパールク氏は最近商売がうまく行っていないようでね。写本を手放すことも考えているという噂なんだ。アーキソン教授としては、それを防ぐために慌てて私を雇ったんだな。そういう事情がなければ、君にも説明したかもしれない」


 私はそこまで喋って、続きを話すかどうかちょっと迷った。私が今ハパールク邸に向かっているのは、彼に会って写本を手に入れるためではなく、ハパールクと写本に迫るメイユレグ動きを影ながら警戒するためだ。そこまで、彼女に伝えていいものか? いや、出来るならそれは避けたい。どんな危険が及ぶかも分からない。だが、目的を明かさずに、ハパールク本人を訪ねないことをどうやって説明すればいいというのか?

 私が考えていると、シエラは私のジャケットの袖をつかみ、通りに向かって歩き出した。


「お、おい、どうしたんだい? 」


 慌てて声をかける私に、シエラは振り返り、子供のような笑顔で答えた。


「ハパールクさんのところへ行くんですよね? 私も行きます。写本の現物も久しぶりに見ておきたいし」


「いや、それは……」


 私は困惑した。ハパールクのところに行くことは行くが、ハパールクに会うつもりはないのだ。彼に気付かれぬままの方が身辺を見張るには都合がいいし、何よりハパールクにとっての私は深層の古美術商・エメネス氏なのだ。そのへんをシエラに説明するのは骨が折れる。と言って、私がハパールクを見張るつもりだということを彼女に話してしまえば、メイユレグの話も出さないわけにいかなくなる。


「その……あまり、アカデミーの人間が直接交渉するのは望ましくないんだ」


 私は必死で頭を回転させながら、言い訳をこねくりだした。


「足元を見られる、ってことがあるのは分かるだろう? アカデミーが研究に必要だと知ったら、ハパールク氏も値段を吊り上げて来るかもしれない。だからこそ、アーキソン教授も私に仕事を頼んだわけで……」


「だったら、写本を買い取ることは黙ってます。閲覧だけで用が足りるから、写本を買い取る必要はないんだって風を装っていたら、かえって攪乱になるんじゃないですか? 」


「フーム……」


 私は額を掻いた。まあ、一理あると言えば一理あるか。


「いいでしょう? 私、探偵の仕事って、見たことないものですから……」


 ちょっと恥ずかしそうにシエラは言い、ぼさぼさの短髪を掻く。なるほど、それが本音か。急に機嫌を直したのも、この冒険ムードに興奮しているからかもしれない。


「さあ、とにかく、行きましょう! もしどうしても仕事に差し支えるのなら、外で待ってますから! 」


 元気よくシエラは歩き出した。私も引きずられるようにして後を追う。さて、どうしたものか……もはやメイユレグどころではない。私はハパールク邸まで歩く時間を、頭の中で今後の計画を大幅に書き換えることに費やした。


 ハパールクの屋敷は、相変わらず荒廃の臭いのする静けさに覆われていた。塀越しに覗くと、前来た時にも見た雑草がそのまま生えている。どこもかしこも、あれ以降に手入れをされた様子がない。私はいっそう憂鬱な気分になりながら、裏門に回った。


「あれ、正門からは入らないんですね? 」


 無邪気に尋ねてくるシエラに、私は仕方なく説明した。


「私のような職業の人間は、正門から堂々と入っていく立場にはないんだよ。ことに、こういう大きな屋敷だと、世間体なんかもあるからね」


「本格的なんですね……! 」


 目を輝かせて、シエラは言う。私はほとほと困り果てた。

何が困ると言って、この状況を私自身まんざら悪くないと思っているのが困る。仕事柄、仕事中にあまり人から尊敬されたり慕われたりといったことがない私だ。こういうのは気恥ずかしいと同時に、かなり嬉しくもある。特に相手が若い女性となればなお素晴らしい。何度も言うようだが、若い女性は素晴らしい。


 などと頭の悪いことを考えているうちに、結局何の言い訳もひねり出せぬまま私たちは裏門に着いてしまった。シエラが、門番の詰所に向かって歩いていく。このままでは、探偵ベキムと古美術商エメネスが鉢合わせしてしまう――とにかく彼女の歩みを止めてから、何か説明を考えようと決め、シエラを追おうとした時――シエラの足が、止まった。


「……あの、ベキムさん」


 シエラはこちらに、ぽかんとした顔を向けて言う。


「なんだか……この人、様子がおかしいんですけど」


 私は彼女の方へ歩み寄り、一緒に窓から詰所の中を覗いた。中には、昨日と同じ髭面の門番がいた。椅子にもたれ、大口を開けて寝ている。くすんだ色の舌に、唾液まみれの噛み煙草が乗っている。


「居眠りか。なっちゃいないな」


 だが、私にとっては好都合だ。起きていたら、主人を呼ばれてしまったかもしれない。この間にシエラを連れ戻して、話して聞かせよう――そう思いかけた時、異変に気付いた。


 噛み煙草が、微動だにしないのだ。


「これは……シエラ、下がってくれ」


 口の中が乾いていくのを感じながら、私はシエラを押しのけて、詰所のドアに駆け寄った。鍵がかかっている。肩をぶつけたが、ビクともしない。私はやむなく、左手の手袋を外して、ノブを握った。

 私の左手には、大地の魔神との契約印が入っている。大地の魔力を私に与えてくれる、古代魔術の印だ。使える魔術はひとつ、無機物を銃弾のように撃ち出すこと――私はノブに魔力を流し込み、見えない「引鉄」を引いた。

 ノブが吹き飛び、ドアに隙間ができる。私はその隙間をこじ開けて、部屋の中に躍り込んだ。手袋をはめ直して、門番の体に障る。


 鼓動は無かった。

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