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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ かくて幕は降り…… ~
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第5話(2)

 私は暗澹たる気分で考えた。ハパールクが写本の価値を知ったのはつい最近――深層から来たあの矮鬼人(コボルト)が、写本を買い取りに来たからだと思っていた。が、それは間違いだった。貸し出しを渋るようになったのは、十中八九、売る算段を始めたからだろう。それが1と月前となると……矮鬼人(コボルト)が「今」着いたことには、どういう意味があるのか? 奴らは、何をするつもりだ?


「あの……すみません、不快に思われたのでしたら謝ります」


 男性研究員が深刻そうな顔で恐るおそる頭を下げた。私は自分がテーブルに手を突いたまま固まっていたのに気づき、苦笑いしながら手を振る。


「あ、いや、これは別に何でもないんだ。怒ってるわけじゃない。知人の話題かと思ったものでね……いや、実際いるんだよ。カネ次第で何でも売り買いするって奴が、私の知り合いにも」


 偽名を使ったのに続き、ここでもまたマフィを引き合いに出してしまった。あいつ、知ったら怒るだろうな――心の中で謝りつつ、場の雰囲気を戻そうとする。


「いいから、話を続けてくれないか……『イユル=ゲマフの歌』の写本が手に入らない現状をどうするか、という話だったと思うが」


「そうですね……後は、ジョルダンスン教授の発見した序文の原本が一次資料ですね。あれは、素材の年代から言っても疑いなく古代のものなんですが」


 男性研究員が考え込みながら答える。


「本物だということを証明するのはたやすいけど、主張されている年代よりも新しいものだ、って証明するのは、なかなかねえ。同じ年代のものと比較しようにも、そもそも古代の書物自体、発掘が進んでないし」


 おかっぱ頭がため息をつく。眼鏡が頷いて同意を示す。


「そもそも、写本だってもっと出てきてもいいはずなんですけどねえ。他の歴史書にも、盛んに『イユル=ゲマフの歌』っていう言葉は出ているのに。現物が、ジョルダンスン教授の原本とアーキソン教授の写本だけだなんて、おかしな話ですよ」


何気なく聞いていた私だが、この時、ふと頭の中にひらめくものがあった。

 メイユレグ――かつて出会った片目の導師・ジャムフの言葉だ。『世界は夢、世界は歌。賛歌だ』――イユル=ゲマフの歌の序文にも、似たような表現があった。


「命は果てなし、命は歌、歌は果てなし……」


「えっ? 」


シエラが私の顔を見つめる。私は独り言のように話し始めた。


「イユル=ゲマフの歌とされるものの序文だ。今まで、我々はあれこそが『イユル=ゲマフの歌』という文学作品の一部だと考えてきた。『イユル=ゲマフの歌は偉大なり』という慣用句をはじめとして、歴史書にたびたび見られる『イユル=ゲマフの歌』という言葉はみな、その文学作品を指したものだと。

 だが、そもそもそんな『歌』が存在しないとしたら? 『イユル=ゲマフの歌』というのは、本当に書物の名なのだろうか? 」


「……それは、また、大胆なことをおっしゃる」


眼鏡をかけていない方の男性研究員が、どう反応したらいいのか分からないといった表情で言う。


「単なる、素人の珍説だがね。そのつもりで聞いてくれ……以前、ある魔神崇拝の宗教家と話したことがある。謎めいた口ぶりで、喋っていることの半分は分からなかったが、そいつは『世界は歌』だと言っていた。一方、ジョルダンスン教授の発見した古文書には『命は歌』とある。『イユル=ゲマフの歌』とは、つまりはそういうことじゃないのか? イユル=ゲマフが造りだした世界、生命、そういったもののことを『歌』と称した。

 失われた神・イユル=ゲマフというのは、古代『うちびと』の創造神だったんじゃないだろうか。そう解釈すれば、「イユル」すなわち「真の」神と呼ばれた理由の説明にもなる」


「結構、面白いんじゃないかしら、その説」


 おかっぱ頭が興奮気味に頷いた。が、シエアは浮かぬ顔だ。


「でも、そうすると……今『イユル=ゲマフの歌』と呼ばれている写本は、一体どうなるんです? もともとその言葉にどういう意味があったにせよ、少なくとも、『イユル=ゲマフの歌』という文学作品が存在するのは事実ですよね? 」


 私は少し考え、答えるのをやめた。本当は、その点についても憶測があったのだ。『イユルゲマフの歌』全文とされている写本は、後世の作どころか『うちびと』の歴史的遺産ですらなく、意図的な贋物――捏造ではないのか。

 とすると、その捏造を行ったのは誰か? 写本を見つけた張本人。『うちびと』の古文書を模造できるほど、古代『うちびと』文化に精通した人物。金持ちに歴史的遺産を売りつけておきながら、今になってそれを買い戻そうとしている人物――アーキソン教授しかいない。


 当然、証拠はない。私への依頼が不自然だ、という個人的印象と、もし仮に『歌』というのが実際の詩歌を示した言葉ではないとしたら、という仮定から導き出した、砂上の楼閣だ。そんな話を今、シエラに聞かせるわけには行かない。


「いや、そこまで考えて喋っているわけではないんだ。あくまで、こういう説も考えられるんじゃないか、というだけの話さ。言ったろう、素人の珍説だって」


 ごまかし笑いを浮かべると、周りにも笑いが起き、場の空気がようやく緩んだ。


「でも、いい線言ってるかもしれませんよ。あの写本は後世の創作だっていうのがシエラの説ですからね。『イユル=ゲマフの歌』っていう言葉をテーマに、後世の『うちびと』が本当に歌を創作したって筋書きも考えられなくはないでしょ」


 眼鏡でない方の男が、如才ない受け答えをする。


「本当にそうだったら、大変なことですよ。考古学界がひっくり返る……アーキソン教授が、どんな顔をするか! 」


 眼鏡の研究員が、おかっぱの娘に目配せを送りながら、大げさに震えあがって見せる。みな、弾けるように笑った。私も合わせて笑いながら、胸の中では考え続けていた。


 今までの流れは、こうだ。シエラ・パルテが『イユル=ゲマフの歌』をテーマにした研究をはじめ、その資料的価値に疑問を投げかけるような論文を書く。アーキソン教授は、恐らくは何らかの方法で捏造を隠すため、私に写本の入手を依頼する。それに先立つこと1と月前、メイユレグの連中はハパールクから写本を入手するため密かに工作を始めていた。シエラの論文がきっかけだった可能性は高い。


 となれば……今まで私は、メイユレグが「本物の」写本を追っていると考えていた。だが、そうでなかったとしたら? ニセモノの写本に対し、メイユレグはどういう行動にでるだろうか? 不安が私の心を締めつけた。片目のジャムフの笑いが、冷たい刃のように胸をさいなむ。連中は、何をするかわからない。

 じっとしていられず、詫びを言って退席しハパールクの家にでも向かおうかと考え始めた、その時だった。


 突然ノックの音が響き、それに答える間もなく、ドアが勢いよく開いた。


「すまんね、邪魔させてもらうよ」


 言葉は謝罪だが、調子は命令形の、はっきりとした容赦のない声。私の鱗が震えた。開いたドアの向こうに、旅行用マントを着たままの、アーキソン教授の痩身が立っていた。


「教授!? 」


「ど、どうしてまた、急に……出張においでだと聞きましたが」


 目を白黒させながら、席から立ち上がりかける研究員たちをよそに、教授はつかつかと部屋に入ってきた。


「今しがた、深層から帰ってきたばかりだ。ここに、ベク=ベキム君が来ていると聞いたんでね……ああ、居たな、ベキム君。

 若者と遊ぶのもいいが、頼んだ仕事の方はどうなってる? 途中経過を聞かせてもらいたいもんだが」


「頼んだ……仕事? 」


 シエラが息を呑む。その顔が見る見る青ざめていく。私は見ていられずに、目をそらし、防止を深くかぶり直した。まったく、アーキソン教授も、最悪のタイミングで戻ってきたものだ。

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