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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ かくて幕は降り…… ~
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第4話(後)

「……そうか、あんたは、それで来たのか」


 私はあやうく聞き返しそうになった。が、踏みとどまり、黙って意味深な笑いを浮かべていた。何か後ろ暗い心当たりがあるようだ。しばらく喋らせておいて、何を言い出すか聞いてみよう。

 私の沈黙が、さらにプレッシャーとなったようだ。ハパールクは早口にまくしたてはじめた。


「知っていたんだろう、初めから、『炎を見る人々』がないことを……市場に出回ったのが、もう深層でも噂になったのか? それで、みんな聞きつけて、来るようになったんだろう? 」


 私は帽子を深くかぶり直すことで、内心の驚きを押し隠した。「深層でも」「みんな」だって? どういうことだ? 私以外にも、深層から来た商人が訪ねてきたとでも?


「耳が早い奴というのは、どの業界にもいるもんですからね」


 私はうわっつらだけは余裕の態度を装って、帽子の下からハパールクの表情を窺った。相手も、こちらの顔色を窺っているようだ。腹の探り合いか。


「喋ってはいないだろうね、その……あまりそういったことが噂になるとだ。私の職業上、あまり良くない評判が立ちかねない。そこのところを、きちんと配慮してもらわなければ困る」


「ご心配には及びませんよ。儲かる話を、わざわざ他人に漏らすバカはいませんて」


 わざと下卑た笑いを浮かべて見せると、ハパールクはびくりと体を震わせた。その目には、子供じみた猜疑心が暗い炎のように宿っている。無知と恐怖から来る不信の念。自分を守るどころか、かえって徒に人を遠ざけるばかりの精神状態だ。


「ざっくばらんな話をすると、君が深層からの商人だというのはある意味好都合だ。こちらでものを捌くより、噂になりにくい……それで、だ。なにを目当てに来た? 狙っているものがあるんだろう? 聞かせてみたまえ」


 体を前に傾けながら、ハパールクは早口に言う。その調子になにやら手慣れた感じを聞き取って、私は目を細めた。私より前に来た「誰か」は、目当ての品を伝えたのだろうか。とにかく、私は私の仕事をまっとうすることにした。


「そうですね……『イユル=ゲマフの歌』。あの写本をお持ちだと、伺っていますが」


 ハパールクは笑った。静かな、落ち着いた笑いだった。目元から神経質な表情が消え、余裕を取り戻している。


「そうか、あれか……だがね、あれはそう簡単には手放せんよ。貴重な品だ。王立アカデミーからのお墨付きもある」


「ほう、アカデミーの? 」


 そらとぼけて私は聞き返す。ハパールクは自信ありげに頷いた。


「元々あれは私の父が、アカデミーの研究者から買い取ったものでね……押し売りみたいな形で売りつけられたそうだが、結果的には良い買い物だったと笑ってたものだ。来歴は確かだよ。

何しろ、発掘者自らが売り込みに来たというからね」


「……なるほど」


 私は出しかかった驚きの声を押しとどめ、小声で答えた。

 押し売りのような形で、研究者が売りつけた? アーキソン教授の話とはずいぶん食い違う。彼の言い分では、先代ハパールクが無理矢理買い取っていったということだった。今の話だと、写本をハパールク家に売りつけたのはアーキソン教授本人ということになる。


 とすると、どういうことになる? アーキソン教授は、発掘した写本を自分で売りとばしておいて、今になってそのことを隠したまま私に写本を買い戻させようとしているのか。しかし何故――そうすることに、何の意味がある?


「まあ、能書きはともかく、あの写本はそう簡単には譲れないね。それなりの価値があるものだ。手に入れたいという話も絶えない……」


 ハパールクは両手を広げて見せた。やはり、慣れた様子だ……もしや、という思いが私の胸の中でだんだん大きくなっていった。私が写本を欲しがっていると知った時から、露骨に強気になった。話す言葉にも、余裕がうかがえる。

これはもしや、『競争相手』がいるのではないか? 私より先にハパールクと接触した深層の商人、そいつが欲しがっている品も、『イユル=ゲマフの歌』の写本なのではないか?


「すると、もう誰かに譲るという約束でもされたので? 」


 私は心配そうな口調を取り繕って聞いてみた。ハパールクはますます笑顔になり、もったいぶった調子で答える。


「いや、そういった、具体的な話ではないがね。まだ打診といったレベルさ。こちらからは、手放したいとも何とも言ったことはないのだが……しかし、条件次第では、価値の分からない私が持っているより、もっと大事にしてくれる方にお譲りするというのも、まんざらあり得ない話ではないと……分かるだろう、君」


 私は辟易しながら頷いた。やれやれ、これで交渉のつもりだろうか。こちらより立場が上になったと確信した途端、急に態度を変える。やはり、子供じみたところのある男だ。


「なるほど、条件ですか……」


私は考えるそぶりを見せた。本気で交渉するつもりはなかったが、競争相手がどれだけの条件を提示しているのか確かめたかった。もし、アカデミーが出せないような高額を提示しているようなら、その競争相手と交渉するなり、カネ以外の手を考えるなり、急いで手を講じなければならない。


「ああ。少なくとも、5千以下はないと言っておいたよ」


ニヤつきながらハパールクは言う。


「5千? そりゃまた、競売のスタート金額としても安すぎはしませんか? 」


 もっと吹っかけて来ると思っていた私は、思わず聞き返してしまった。待ってましたとばかりに、ハパールクの口角が耳くらいまで吊り上がる。


「勘違いしとりゃせんかね。5千、万だ。5千万ゾル。ゼロが7つだよ」


 私は言葉を返すことも出来ず、ただエヴロ・ハパールクをまじまじと見つめた。こいつ、これを言いたいがためだけに、わざと紛らわしい言い方をしたのか。


「それくらいの価値はある。私だって、それくらいは知ってるんだ。最近、アカデミーの方からも研究させてくれとうるさく言ってきていてね。何でも、珍しい魔神のことが書いてあるんだって? 」


 アカデミーというと、恐らくシエラたちのことだろう。彼女らの調査が、ヤブヘビの形でハパールクに写本の価値を教えてしまったのだ。ますます、面倒なことになった。

 だが考えようによっては、競争相手もこれでおいそれとは手が出せなくなったとも言える。少なくとも、ハパールクが私と競争相手とを両天秤にかけて法外な値段を提示している間は、競争相手も動きがとれまい。作戦を練り直す猶予期間が出来たということだ。


「……そうですなあ、5千、ねえ」


 私は出来るだけ期待を持たせるため、大げさに悩む演技をした。


「地元でならともかくこちらでは、今日明日にポンと出せる金額ではありませんよ。お分かりでしょう、ねえ」


「そりゃ、もちろんだとも。今すぐ結論を出せなどと、強制はしないよ」


 憐れみを乞うような私の言葉に、ハパールクは鷹揚に頷いた。


「だが、忘れないでほしいね。君以外にも、あの写本を欲しがっている者はいると……当然私としては、誰に譲るかよく考えたうえで決めるつもりだが」


「左様ですね……では、ひとまず今日はこれで」


 まだベラベラと喋りつづけようとするハパールクに、私は早々と別れを告げた。仕事とはいえいい加減うんざりしてきたのだ。このまま居たところで、どうせ大した情報は得られまい。商売の愚痴か半可通のコレクション自慢を聞かされるだけだ。


「おや、もう帰るのかね? 写本はともかく、他の本のことだって相談には乗るがね」


 暗に『写本を譲ってほしければ、抱き合わせで他の本も引き取れ』と言っているのだ。当然私はそっけなく断った。ハパールクは「減点1だ」とでも言いたげな顔をしていたが、構うものか。どうせ深層の古美術商・エメネスが現れるのは、今日かぎりだ。


 物腰だけは丁重に挨拶した後、私はハパールクの屋敷を後にした。帰りに詰所を見ると、門番は噛み煙草交じりの唾液を口から垂らしながら眠りこけていた。挨拶代りに軽く帽子を上げ、通り過ぎる。


 高級住宅街を抜けて寮に戻る途中、考えをまとめようと、私は通りの喫茶店に立ち寄った。昼さがりとあって、学生たちでごった返している。まだ太陽苔は明るく照っているというのに、ほのかにアルコールの匂いもする。けしからん、私が若かったころは――思い出して、まあ似たようなものかと思い直す。むしろもっとひどかったかもしれない。

 何とかカウンターの1席を確保して、コーヒーとサンドイッチを頼み、あたりを見回す――と、雑踏のざわめきを越えて、不意に私の耳に聞き覚えのある声が突き刺さった。


「それでは、また――真の世界のために」


 私はくるりと後ろを振り返り、声の主を探した。喫茶店の出口を今まさにくぐろうとする、2つの影。大きい方を先に送り出し、声の主は後から出ていこうとしていた。背の低い、商人風の服装。額のツノ。笑い皺のある顔――竜列車で見た矮鬼人(コボルト)だ。

 私は思わず、席から半分腰を浮かしかけた。だが次の瞬間、矮鬼人(コボルト)は喫茶店を出て、人波に紛れていった。追いかけるには遅すぎる。大体、コーヒーとサンドイッチもまだ来ていないのだ。私は浮かした腰をそろそろと椅子に降ろし、考え込んだ。


 さて、これは偶然だろうか。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ハパールクの元へ深層から商人が訪れたこと。竜列車内で何か秘密の待ち合わせをしていたらしい矮鬼人(コボルト)が、このあたりをうろついていること。その矮鬼人(コボルト)が「真の世界」――イユル=イエグに言及したこと。そして、イユル=ゲマフ……すべて、偶然と言えば言える。しかし……


 混乱しかかった私の前に、コーヒーが突き出される。


「おまちどおさま……お客さん、どうかしました? 」


 ウェイトレスが、怪訝そうな顔で私を見る。私は諦めて、カップを取った。


「何でもないんだ。知り合いかと思っただけでね。よくあるんだ……ところで、君も以前どこかで会ったことないかな? 」


 ウェイトレスは苦笑と嘲笑の合いの子みたいな笑みを口元に浮かべた。


「ちょっとした勘違いをなさる方なんだと、好意的に解釈しておきますよ、お客様。本当なら口説かれたって悲鳴上げて、店長呼ぶところですよ」


 ウェイトレスが親指で示す先には、難しい顔でコーヒーメーカーと向き合う、中年の店長がいた。冒険者崩れだろうか、禿げあがった頭にも顔にも刀疵だらけ、チョッキの上からも筋肉の盛り上がりははっきり見て取れる。私はぶるぶると首を振った。


「お慈悲に感謝いたしますよ、お嬢さん」

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