第5話(1)
酒を染みこませた布のおかげで、その後しばらくは静かな旅が続いた。ゴーレムはその後も何体か現れたが、酒の匂いを嗅ぎつけると静かに通路の端へと引っ込んでくれた。
通路は舗装もされておらず、ぬっぺりとした岩壁で囲まれていた。岩を掘りぬいて造ったもののようだが、鑿などの工具の跡は見受けられない。何らかの魔術で開けたものだろうか。手で触れると、湿ってはいないが手に吸い付くような不思議な滑らかさがある。
「……しかし、順調なのはいいが、ちょっと拍子抜けだなァ。最初にデカいのが出てきたと思ったら、それっきりシーンとしちまってよ」
ジェリオがあくび交じりにぼやく。酒のせいで気が大きくなっているのか……いや、あの程度の酒で酔うような奴でもないし、やはり元々の性格だろう。
「発酵したような匂いが、強くなってきましたね……」
ジギーが鼻をひくつかせながら呟く。
「匂いからすると、何かの果実酒……ベリーではなさそうだ。何かもっと糖度の高い果物らしいですが、それ以上は私にもなんとも言えません。嗅いだ覚えのない、不思議な香りだ。もしかすると、深層に生える未知の果実かも知れない」
「今のところ、人が通った痕跡のようなものはないですね……」
ルビエは、床を見渡しながら言う。曽祖父ジョアン・ユーベルに繋がる手がかりを探しているのだろう。
「で、どうだバーテン? 蒸留所は近そうか? ]
「はっきりと分かるわけではありませんが……そう、遠くはないと思いますよ。酒は結構重いですからね。そんなに長距離を運んだとは思えない。じきに、何らかの施設が……おや? 」
話の途中でジギーは、急に黙り込んで通路の奥を見つめた。私もつられてそちらを見る。手持ち魔導ランプの弱い光に照らし出される、大きな影が一つ、行く手を遮っていた。
「なんだ、またゴーレムか? 」
気にせず進もうとするジェリオを、ルビエが押しとどめた。
「待って……なんだか様子がおかしいわ。なぜ、通路の真ん中から動かないの? 他のゴーレムたちはみんな、私たちが通る前に道を空けたのに……」
私たちは立ち止まり、息をつめて前方のゴーレムを観察した。ゴーレムは太い腕を床について、四つん這いの姿勢のままじりじりとこちらへにじり寄ってくる。
「……酒の匂いが薄まっていたのかもしれんな」
私はハンカチに改めてビンの酒を染みこませつつ、前へ出た。
「ちょっと試してみる。私なら万一の時も、魔術があるからな。ひるませて逃げるくらいは出来るだろう。後ろから見ていて、何か変わったことがあったら教えてくれ」
3人を後ろに残して、私は歩いていった。足音が近づくにつれ、ゴーレムの動きが変わってきた。その場で何やら震えているようだ。徐々に上半身が下がっていき、土下座でもしているような格好になった。ひょっとしたら、このまま崩れて土に戻ってしまうんじゃないか――そう思いながらも、油断なく契約印に意識を集中させる。その時だった。
左手の契約印が、揺れた。
いや、揺れるどころではない。うねっている。鱗を削り、皮膚に刻み込んであるはずの契約印が、水に漂う浮草のようにふらふらとくねり踊っている。私は自分の目を疑った。
「な、なんだ、これは……! 」
私は顔の前に手をかざした。見慣れた、エメラルド色の鱗に覆われた手――その、びっしりと生えた小さな鱗が、突然マツカサのように逆立った。立ち上がった鱗の一枚一枚に、小さな顔がついていて、それがこちらを見つめて甲高い声で笑っている。見覚えのない、細い目と細い鼻をした、陰険そうな顔だ。
「バカな……」
私は眩暈を覚えながら、後ろの3人を振り返った。3人は、怪訝そうな顔をしてこちらを見守っている。何も気づいていないようだ。
「……おい、大将、どうした? 」
ジェリオが近寄ってくる。差し出したその手に、緑の鱗が生えてきた。指先からじわりと広がり、プレートアーマーをも覆い尽くして、全身へと広がっていく。鱗の笑い声はいよいよ耐え難く、私の頭蓋骨を揺らして砕きそうだ。
「やめろ……やめてくれ! 」
私は頭を抱え、体を二つに折って叫んだ。叫び声の振動が私の鱗をさらに揺らし、揺れた鱗は一枚また一枚と落ちていく。ショッキングピンクの閃光を乱反射しながら……
「だから、一体どうし……うわっ! 」
私の肩に手をかけたジェリオが、熱いものにでもふれたかのようにその手をひっこめ、大剣を抜き放った。
「畜生……何だ! 羽虫が……しかも、こんなにデカい虫が、後から後から……畜生! 」
ジェリオは中空に向かってでたらめに剣を振り回しはじめた。その勢いで、ジェリオの体に生えた鱗も、コバルトブルーの炎をまき散らしながら飛び散る。甲高い笑い声は一段と高まり、私まで吊られてなんだかおかしくなってきた。肺が引きつって、痙攣的な笑いが喉から漏れ出す。止めようにも止まらない。
「水を……ルビエさん、早く、水を! 」
遠くでジギーの声がする。飛び散る鱗をすかして見てみると、水筒をこちらに向けて銃のように構えるジギーの姿が見えた。水筒の口から、青白い光がほとばしっている。光がどんどん強くなる。私の鱗から発する七色の光が、青い光に溶け合って視界をふさぐ。
そして笑い声が、笑い声が、笑い声が!!
突然、冷たい霧雨が私の肌を撫でた。
光が、音が、弱まっていく。頭の中を満たしていた笑い声が遠のいていき、その代わりに重苦しい頭痛が後頭部のあたりから這い登ってきた。ふらつきながら体を起こし、おそるおそる手のひらを見る。何ともなっていない。契約印も、元のままだ。
「あ……何だ? 俺、どうしてたんだ? 」
横で、大剣を所在無げに振りながら、ジェリオも不思議そうに呟いた。
「……すると、今までのは、幻か? 」
きょとんとした目を見かわす私たちの元へ、静かに笑いながらジギーが歩み寄ってきた。手の中の水筒に光が流れ込んでいる――いや、あれは、霧だ。魔力を帯びて光る霧が、水筒の中へと吸い込まれているのだ。流れは次第に弱くなり、やがてすっかり消えた。ジギーは水筒にしっかりとフタをし、私たちの目の前で振って見せた。
「幻覚剤の水割り、一丁上がりというわけです」
「幻覚剤? 」
驚いて聞き返す私に、ジギーは頷いた。
「ほんの一瞬、あのゴーレムの体からもやのようなものが出るのを見たんです。何かのガスのような……それを浴びてから、あなたの様子がおかしくなったので、幻覚剤のたぐいだと判断しましてね。水の魔術ですよ。水を細かい粒にして空中に浮かせ、霧を作って、その中にガスを溶かし込んだんです。
いつもはシェーカーの中で、材料を均一に混ぜる時に使うんですがね」
「しかし……よく思いついたな? 」
ジェリオが剣を鞘に納めながら口を挟む。
「なに、ゴーレムには水の魔術も使われているという話を思い出しましてね。あのガスは、元々ゴーレムの体内の水分に溶けていたのが発散されたんだろうと見当をつけまして、水溶性なら水を出してやれば溶けるだろうと、そう思ったわけで」
「そうだ! あのゴーレムは? 」
私は慌てて、通路の奥を見た。問題の幻覚剤ゴーレムは、相変わらず通路の真ん中にうずくまったままだった。もう、動く気配もない。足元を見ると、体内から浸みだした水が滴っている。内部から崩れて機能停止しているようだ。
「どうやら、動かなくなったらしい。避けて先へ進もう。幻覚剤を吸い込まないように気を付ければ、横をすり抜けられるだろう」
「しかし、一体なんだったんだ、こいつ? 今までのゴーレムには、あんな力は無かったのに……」
ジェリオが首をかしげる。
「蒸留所が、近いからじゃないかしら? それで警戒が厳重になってるとか」
ルビエが自信なさげに答える。
私も、その意見にはあまり賛成できなかった。ガスを撒き散らすような危険なゴーレムを、重要な場所の警備につけるだろうか? しかし、他に思いつくこともないし、ここで考え込んでいても仕方がない。
「何にしても、先へ進もう。考えるのは後回しだ」
私たちは、湿らせた布きれで鼻と口を覆いつつ、ゴーレムの残骸の横を通って通路の奥へと進んだ。歩いていくうちに、空気の感じが変わっていくのが分かる。温かく、乾いた空気。炎の魔力が溶け込んだ空気だ。やはり、蒸留所は近いとみえる。
「おい……来てみろ! 」
先頭を歩いていたジェリオが、不意に声を上げた。
「ほら……ここが、そうじゃないのか? 」
ジェリオは私たちに向かって手招きしながら、行く手に向かって指をさしている。私たちは急いで彼の元に駆け寄った。
「これは……」
誰かが思わず息をのむ音が聞こえた。
通路の先は、巨大な広間だった。天井は通路の数倍高く、見上げると首が痛くなるほどだ。それを支える高い壁面には、白い紋様がぎっしりと刻まれていた。どうやら、壁に無数の白い石を埋め込むことで描いてあるようだ。渦巻きと鋭い刃の峰のような曲線とで複雑に構成された紋様は、天井にまで広がっている。
「炎の魔神の契約紋ね。それも、こんなに大規模に……」
ルビエがかすれ声で呟く。
「どうやら、ここが終点で間違いなさそうだな」
ジェリオが顎をひねりながら言う。
「だが、肝心の蒸留施設ってのは、一体どこにあるんだ? 」
「みなさん! ちょっと、これを見てください! 」
ジギーの声が、広間の中から聞こえてきた。見ると、いつの間にかジギーは広間の中ほどにいて、さかんに手を振っている。
「おいおい、勝手にそんなところまで進んじゃ……おっと? 」
ジギーの元へ急ごうと踏み出した足が、溝のようなものに取られた。ふと床を見回して、驚愕する。
床も、うねる紋様で埋め尽くされている――だが、床の紋様は石で描かれているのではない。床そのものに溝を穿つことで描かれているのだ。
「これ、水路ですよ、きっと! 」
ジギーは興奮気味に叫ぶ。
「分かりますか? ここに、酒を流すんです! この広間自体が、巨大な蒸留装置なんですよ!」




