第2話(1)
一張羅を着込んで、私は空中市場行きの竜列車に乗り込んだ。
一等に乗りたかったのだがカネがない。まさか列車券を買うのに旧貨幣を使うわけにもいかない。
当座の経費、と言われてほいほい受け取ってしまった自分を呪いつつ、三等の客車に乗り込んだ。
三等車の何が嫌と言って、列車を曳くドラゴンのすぐ後ろにくっついているのが辛い。
ドラゴンの鱗の臭いというのはどうも好きになれない――こう言うと知人はみな「またつまらない冗談を言う」という顔をするのだが、これは冗談ではない。人間だってけもののくせに、獣臭いのは嫌いではないか。
だいたい竜列車に繋がれるドラゴンというのはちゃんと洗っていない場合が多く、フンや腐った餌の臭いまで混じって、まったくたまったものではない。
今日は3頭立ての列車だが、手入れが行き届いているとはお世辞にも言えない黒鱗種の3頭で、走り出す前から気が滅入ってきた。
ドラゴンはもともと外界の生き物だが、冒険者たちによって労働力として持ち込まれ、品種改良を加えられて大竪穴にも普及している。羽のない黒鱗種はその代表的な種類で、力があって気性はおとなしい――はずなのだが、この3頭はかなり苛立っている様子だった。
運転手もひどかった。あんまり揺れるので客車の窓から様子をうかがってみたが、たぶん新人だろう。
やたらに鞭をくれる。
ドラゴンというものはそもそも厚い鱗に覆われていて、鞭で叩かれたところで痛がるわけではない。ただ、音を感じ取る器官が鱗に近いため、鞭の衝撃で鱗がこすれる音を嫌がるのだ。
そこのところを理解していないのか、今日の運転手は動きの悪いドラゴンをやたらにひっぱたいていた。顔つきが似ているだけに、ドラゴンたちには同情せざるを得ない。
そんなこんなで、空中市場駅のホームに降りた時にはすっかり疲れ果てていたし、よそ行きの淡紫のシャツはすっかりしわになっていた。顔の色が緑だと色味の気に入るシャツがなかなか見つからないというのに。
げんなりしながらも、私は竪穴外周部の大通りを通って、まずは馴染みの古道具屋へ向かった。
風が強く、帽子が飛びそうになる。竪穴の底から吹き上げる風は大竪穴の名物だが、空中市場付近はとくに風が強い。空中市場自体が、風の通り道を遮っているからだ。
帽子を押さえながら、枝道に入り、市場の中心地を目指す。
枝道と言っても別に細く別れた道ではない。大竪穴の内壁から伸びた巨大な樹が、穴を横切って反対側の壁まで突き抜けている、その枝を板やらロープやらで補強して、道にしているのだ。
かつて大竪穴に入り込んだ最初期の植民者が、穴の両端どうしでのやりとりを迅速化するためにロープやら梯子やらを使って試行錯誤した挙句、維持の手間も少ない簡単な建築法として編み出したのが、このやり方らしい。
空中市場は、竪穴の内壁に何本も生えた樹の上に栄える通商の中心地なのだ。
枝道は道幅こそ広いものの、端には腰の高さほどの手すりしかないので、危なっかしくて仕方ない。
空中市場は市場全体が大竪穴の真ん中に浮いている形になっているため、ヘタな落ち方をしたらそのまま竪穴の底まで落ちてしまいかねない。底、なんてものがこの穴にあるとすればだが。
まあ、大抵はその前にどこかの安全網か枝道にぶつかって止まるだろうが、理屈から言って可能性があるということに変わりはない。
道をしばらく歩いていくと、屋台の群れや通行人がはっきりと見えてきて、ようやく人心地がつく。
基本的に、市場外周部ほど個人経営の小さな店が多く、中へ行くにしたがって大手ギルドの本拠地や、バザール直営の商店などが並んでいる。
目当ての店はかなり端っこだが、中央区の大手商店などよりよほど信頼できる。
例によって、重い扉をノックもなしに開ける。
「今日は開けねえ。帰れ」
ドアのきしむ音に負けない大声がすかさず飛んでくる。
「私だ。ほら、顔を見ればわかるだろう」
「お前だからだ、ベク=ベキム。このうろこ野郎め」
よどんだ空気をくぐって、奥から栗色の髪をした小柄な女が出てきた。
丈夫そうなグレーのつなぎと、丸い顔を取り囲むようにして茂っているぼさぼさ髪のせいで、ほとんど肌が見えない。
「……マフィ、他人の容姿についてどうこう言うのは本当によくない。よくないぞ」
「繊細なハートが傷ついたとでも言うのかよ、色彩感覚ゼロのトカゲが」
言いながらマフィ・エメネスは大股に歩を進め、放り出してあった第6大隧道期の壺にけっつまずいて悪態をついた。
「人のファッションセンスに関する口出しもよくない。
それに薄紫のシャツと黒のジャケットの組み合わせは、私には似合うんだ。断言する」
そう、強く言ってから、私はそのへんにあった椅子らしいものに腰を下ろした。
腰かけてから、やたらととげとげしい金属の装飾があることに気付いた。椅子じゃなくて拷問具かもしれない。
しかし一本脚の洒落たテーブルの前に置いてあるし、やっぱり椅子のようにも見える……どっちでもいいか。
「そういう風にふざけたことをほざいてる時は、頭ン中でなんか切り出すタイミングを見計らってる時なんだ。
うまいこと言いくるめてあたしを利用してやろうってな。知ってんだよ」
そう言いながらも、マフィは旧神の像らしきものをがらがらと押し倒しながら戸棚に向かい、中から小瓶を取り出してこっちに投げてよこした。ハッカ水だ。マフィが勧める飲み物と言ったら、これしかない。
私は手袋をはずし、ビンの蓋を親指でひねって開けた。
「今度のはそう悪い話じゃない。約束するよ」
「前ン時そう言って、結果はどうだったよ? 足の骨折ったドラゴン2体をカネにしろなんて話持ってきやがって……治療代と飼育費で足が出た」
「動物愛護の精神を忘れないでくれよ、マフィ」
私は哀れっぽく言いながら、急いでポケットを探った。この調子で話を聞いていると、何時間愚痴を聞かされるかわからない。
「ほら、証拠を見せよう」
私がテーブルに投げ出したもの――旧貨幣を見るや否や、マフィの目の色が変わった。
「……ほんものの、カネじゃねえか。ずいぶん長いことご無沙汰だったんで、形を忘れかけてたよ……なに? くれんの? 」
「ンなわけないだろう」
私はあわてて旧貨幣を拾い上げた。こいつは本当に持っていきかねない。
「両替を頼みたいんだよ。中央街じゃ目立ちすぎるからな。手数料は払う」
「言ってみただけだよ」
フン、とマフィは鼻を鳴らした。目元は相変わらず険しかったが、口角が心もち上がっている。こういう素直なところもあるのだ。よくまあこれで、生き馬の目を抜く空中市場でやっていけるな、と思うような一面だ。
「手数料は……まあ3割が相場ってとこだね」
私はハッカ水にむせた。
「あ、あんまり無茶を言うな。どんだけボる店だってせいぜい1割ってとこだぞ」
「うん、まあ手数料の方は1割としてもだ。この間の損害賠償やら、お前が考えなしに買いあさる本のツケやら、いろいろ溜まってんだよね。
その分含めたら、もう2割くらいもらっとかなきゃ割に合わねえんだよ。どうする? ヨソで換えるか? 」
マフィはニヤつきながらそんなことを言う。
素直は素直でも、欲望に素直すぎる。これだからこそ、空中市場でやっていけるのだろうな、と思わされる一面だ。私は首を振った。
「……負けたよ。3割でいい。換えてくれ。ただし今回だけだぜ」
「ほい、毎度。7千ゾルだな。バザールの貨幣でいいか? 」
マフィは言いながらいそいそと金庫の方に向かった。
単位こそ一応「ゾル」という形に統一されているが、大竪穴には統一された通貨というものは無い。
バザールの保証つきで発行される私鋳貨幣や、大小のギルドがそれぞれ発行する手形、竪穴の外から持ち込まれる種々の貨幣、あるいは純粋な金、銀、魔導合金のインゴットに至るまでが、雑多に取引されている。
その中でも旧貨幣が最も希少なことは既に述べたが、だからこそ、まともな取引で旧貨幣を無造作に使うと非常に目立つのである。
マフィもそれを知っているからこそこちらの足元を見てくるのだ。
マフィの店は「まとも」ではない。表向きは古道具屋を名乗っているが、マフィ・エメネスは有体に言って故買屋だ。盗品、盗掘品、魔法学会から危険物認定されているヤバい遺物まで何でも買うし、売る。
それでいて、まともな日用品や美術品なども扱う。個人レベルの商店で、これだけ雑多かつ大規模な取引を行っている店は空中市場どころか大竪穴じゅう探してもない。
仕事を選ばないからこそ便利扱いされて、盗賊ギルドなどといった裏取引の大手とも張り合えるし、めちゃくちゃな量の取引をこなすからこそ、かえって1つ1つの取引の実態が掴みづらくなり、機密が守られる。
彼女なりの、生きる知恵なのだ。
「……で? こいつをもらう代わりに、今度はどんな面倒事を引き受けたんだい? 」
マフィは紐で束ねたバザール発行のゾル紙幣を投げ出し、代わりに旧貨幣をひったくっていった。その動作で起こったわずかな風が、ふわりとスミレの香りを運んだ。
「よく、分からん。そこんところを調べるのに、お前さんの助けが欲しい」
「そら始まった。便利屋じゃねえんだぞ、あたしは」
「カネなら払う。あ、領収書は書いてくれよ。経費で落とすから」
「セコい野郎だな……で? 何をしろっての? 」
フン、と鼻を鳴らしながら、マフィは私の向かい側に座った。どこから出してきたのか、背もたれつきのちゃんとした椅子に座っている。




