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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ ブリング・バック ~
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第5話(3)

「聞きたいこと、か……」


ボルゴはパンをちぎりながら、独り言のように言った。


「まあ、聞くがいい。ここは食卓だ。気兼ねない話をする場所だ。ただ、俺が答えるかどうかは別問題だがな」


「結構。上出来です。落ち着いて話が出来るだけいい」


私は最近の面談を思い出しながら言った。メイユレグにミス・テアー。まともな話が出来ない相手とばかり当たっている。


「さて……まず、この手のマークが分かりますか? 」


 私は、バークのバッジが刻印された手のひらをボルゴに向けた。ボルゴはわずかに瞳を動かしただけだった。


「ある男と格闘した時、そいつのつけていたバッジが食い込んで出来た傷です。これは、おたくのマークで間違いないでしょうか? 」


「それだけじゃ何とも分からん」


ボルゴはそっけなく言った。


「まあ、結構。それでは仮定の話として、これがおたくの代紋だったとしましょう。そのバッジをつけた者を、私は追っていた。彼はメイユレグという宗教組織のメンバーになっていました。メイユレグ――この名に、心当たりは? 」


 ボルゴは目を細め、首をわずかにかしげることで否定の意を示した。


「『うちびと』の魔神を崇める宗教らしいのですがね」


「あいにく、俺はジェマイアス派でな。毎週教会にも行っている。魔神信仰は、否定はしないが、よくわからん」


「……男の名は、バーク・ビルボニー。ご存知ですか? 」


ボルゴの表情は読み取れなかった。だが、人より鋭い私の聴覚は、列席者の何人かが息を飲んだのを捉えていた。やはり、バークとボルゴの組合には、つながりがある。ボルゴはワインをゆっくと飲み、重いため息をつくと、口を開いた。


「それで? 結局、俺に何を聞きたいんだ? どうも、お前が何をしたいのか、見えてこないんだが」


「そうですね……私は依頼を受けて、失踪したバーク・ビルボニーを追っていた。見つけることは見つけたが、連れ戻すことは出来なかった。それを依頼人に報告したら、カネを渡されて、このことにはもう触れるなと言われた」


「金を受け取り、仕事が終わった――万々歳じゃあないか。これ以上、何を嗅ぎまわる必要がある? 」


 ボルゴの問いに私は答えなかった。

考えていたのだ。次の問いを投げかけるべきか――あるいは、的外れかもしれない。あるいは、問いを投げかけたことによって私自身が窮地に追い込まれるかもしれない。しかし、揺さぶりをかけなければ何の情報も得られはしないだろう。私は意を決して口を開いた。


「私に依頼をした人間――バークを探すよう頼んだ人間が、誰なのか、知りたくはありませんか? 」


 ボルゴはツチドリの肉に伸ばしかけていたフォークを途中で止めた。


「……何のことだ? 」


「彼女は――ああ、依頼人は若い女性でした――かたくなに顔を隠し、身分を隠していた。バークを探しているということを、誰かから隠しておきたかったのでしょう。

さて、バーク・ビルボニーは組合(フッド)を抜け、組合(フッド)からの追手を警戒していた。そして、バークと依頼人は恋人同士だった。2人がどちらも誰かから追われているというのなら、その追っている「誰か」というのが同一である可能性をまず考えるべきだ。

 私の依頼人が警戒していた相手とは、あなたなんじゃないですか? 」


 ボルゴは、目を閉じて長い間無言だった。年代物のワインでも味わっているような様子だった。しばらくの沈黙ののち、ボルゴはゆっくりと目を開いた。


「女は、今どこに? 」


 声に、苦悩が滲み出ていた。


「残念ながら、そこまでは……ただ、第5大隧道の中ではないかと思いますね。自分で直接バークと連絡を取るつもりのようでしたから」


 私は嘘をついた。ミス・テアーへの、せめてもの義理立てだった。彼女は恐らく、第5大隧道にはいない。自分でこちらに来られるなら、最初からそうしているはずだ。だが、ボルゴに彼女の依頼を伝えるという裏切りをしたのだから、せめてボルゴの手が伸びにくくしてやるくらいのフォローは要るだろう。

 それに、これは私のためでもあった。ミス・テアーから話を聞くなら、組合に身柄を押さえられる前でなければならない。


「そうか……」


 呟いたボルゴの顔には、何の表情も浮かんでいなかった。どういう考えを隠しているのか、少なくとも顔色からはまったく窺えなかった。


「先ほど、マフィの手紙にもありましたが――私は執念深い。例えあなたからなんの答えもいただけなくても、捜査は続けますよ。結果として、第5大隧道じゅうにあなたに関する噂と憶測をバラまいたとしても、私としては知ったことじゃない。それを考えたら、今ここで私を納得させてくれた方が、結局は得なんじゃないですかね」


 私は演技力を総動員して、タフでしたたかな私立探偵を演じた。ボルゴは無言だった。少なくとも、私の演技にスタンディングオベーションで答えるつもりはなさそうだった。


「リディア……」


 あまりに小さな声だったので、危うく聞き逃すところだった。私はボルゴの唇を見守った。彼は、小声でさらに続けた。


「お前の依頼人の名だ。

バークとリディアは、人目を忍んで会う仲になっていた。それに俺が気づいたのがひと月前だ。バークは組合を抜け、行方知れずになった。リディアは塞ぎこんでいたが、そのうち忘れるだろうと思っていた――今思えば、既に腹を決めていたんだろうがな。

 3日前、リディアも家を抜け出した。最低限の荷物と、大金の入った手金庫を持ってな。行方は未だ分からん」


組合(フッド)のボスが探しても……ですか? 」


 私が聞くと、ボルゴの目が一瞬だけ怒りに輝いた。


「もう、薄々分かっているんじゃないのか?

 リディアは俺の娘だ。組合の揉め事に巻き込むのを恐れて、第6大隧道の商家で育てさせたがな。その娘が、俺の手から離れてうろついているなんて情報が流れてみろ。敵対する組合(フッド)が喜ぶだけだ」


 私は頷いた。バークが組合(フッド)を抜け出さなければならなかった理由も、ミス・テアー・リディアが身分を隠さなければならなかった理由も、つじつまが合う。


「……ここまで聞かせたということは、分かっているだろうな? 」


 低い声でボルゴは言った。憂い顔は相変わらずだったが、その両目には決然とした光が灯っていた。目的のためなら手段を選ばない人間の目だ。


「バークのことを嗅ぎまわるのはいい。だが、リディアの件が外部に漏れるようなことがあったら――楽な死に方が出来ると思わないことだ」


「それは、まあ、約束しますよ」


私は急いで答えた。


「私の目的は、バークとメイユレグが何を考えているのか突き止めて、その企みを止めることだ。その後バークをどうするかってことに関しては、あなた方にお任せします。ミス・テアー……もとい、リディアさんに関してはなおさらだ。私がどうこうする権利はない」


「信じよう」


ボルゴは頷いた。


「お前の傷に免じてな。そういう、必要のない傷を負う奴は、目先の利益のために約束を破るタイプじゃない。言ってみれば、賢くないんだ、お前は」


 私は肩をすくめた。ごもっともだ。ごもっとも過ぎて、聞く気も起きない。


「それで……その、メイユレグという連中だが。何をするつもりだ? バークは、何のつもりでそんな所へ? 」


「あまり友好的な話が出来なかったもんでね」


私は顔の傷痕を指さした。


「何か、純粋人類に対して危険なことを企んでるようですが、まだ何とも。どういう経緯で、純粋人類のバークがメイユレグに帰依するようになったのかも分からない。ことに、ボスが敬虔なジェマイアス派だと言うんではね」


 ボルゴは考え込んだ。何かを言うべきかどうか、思案しているような様子だった。しばし、食器がぶつかり合う音だけが食堂を満たした。やがてボルゴは口を開いた。


「今のところ、これ以上は俺も分からんな。

バークは確かにうちの構成員だった。お前に依頼をしたのは俺の娘、リディアだろう。それだけだ、俺から言えるのは」


 何を考えていたのかは知らないが、何にしろそれは言わないことに決めたらしい。私はため息をつき、答えた。


「……分かりました、ありがとうございます。推理の確認にしかなりませんでしたが、まあ、有益な時間でしたよ」


 ボルゴは居心地悪そうに皿の上のパイをつついていたが、やがて顔を上げ、自分に言い聞かせるようにして言った。


「何もかも、なかったことにして、放ってはおけないものだろうか? こんなことをしていても、結局誰も喜ばない結末しか待っていないような、そんな気がするんだがなあ」


 その声は、ぎょっとするほど無垢な、心からのものだった。私は思わず考え込んだ。第5大隧道に再び上がると決める前の迷いが、再び鎌首をもたげる。しばらく考えた後、私は言った。


「どの道、もう歯車は動き出した。バークとメイユレグはじきに行動を起こすでしょう。リディアも、どこにいるのかは知らないが、このまま黙ってあなたの元に帰ってくるとは思えない。結末に向かって全てが動き出している――後戻りはできない。私も、あなたも、せめてどんな結末になるかを動かすことは出来ると信じて行動するほかない」


 ボルゴは子供が怖いものを見た時のように目を閉じ、頷いた。


「……とにかく、今は食事の時間だ。楽しい時間なんだ。食っていってくれ、まだ料理はある」


 ボルゴは食卓に向けて手を差し伸べた。私もつられて、色とりどりの料理を見る。実に旨そうだ。だが、不思議と食欲がなかった。ただ、ぐったりとした疲れだけがあった。


「土産に包んでもらう……って、わけにも行きませんかね、やっぱり」


 冗談も、広い食堂の中では空虚に響いた。

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