第4話
ハッカ水を口に含んだとたん、爆発的な痛みが口じゅうに広がった。のたうち回りたいところだったが、なんとかこらえた。一応、人前だ。
「しかしまあ、いつにも増して、男前になっちまったもんだね」
マフィ・エメネスはそっけなく言うと、自分のハッカ水をラッパ飲みした。いつもだったら何か冗談口で返すところだが、今の私はそれどころではない。
ここはマフィの営む古道具屋だ。相変わらず、わけのわからない品物が乱雑に置かれた中に、うっかり落っことしたかのように唐突に丸テーブルが置かれている。椅子はない。今日は、私は『うちびと』が造った石の道しるべに腰かけている。
こんなもの置いておいて、売りつける当てがあるのだろうか。あるのだろう。マフィ・エメネスはそういう女だ。
「それで? 男前っぷりを見せつけに来たわけでもねえんだろ? 今度はどんな厄介ごとを持ち込みに来たのか、言ってみろよ。聞かねえけど」
マフィは栗色のぼさぼさ髪をかきあげながら、丸っこい顔に露骨に嫌そうな表情を浮かべて言った。
さっきまで、私は彼女に今度の仕事の顛末を聞かせていた。人探しの依頼を受けたこと、第5大隧道でメイユレグなる集団と勇敢に戦ったものの敗れたこと、依頼人から調査の打ち切りを宣告されたこと。当然、世間話のつもりではない。
「お前さんの力を借りたいんだ、マフィ」
「そら、おいでなすった」
マフィは歯を剥きだして言った。
「まあ、そう言うな。第5大隧道のことなら、私よりもお前さんの方が遥かに詳しいだろう、仕事がら」
マフィは「古道具屋」を名乗っているが、実際の所「故買屋」だ。市場を仕切っているギルド複合体「バザール」に属さず、独自に裏マーケットとの関わりを持っている。その手づるの中には、当然第5大隧道の裏社会と繋がるものもある。蛇の道はヘビだ。
「とりあえず、まずはこいつを見てくれないか?」
私は渋るマフィに、右手のひらを差し出した。
「あァ? こいつ、って……何もないじゃねえか」
差し出した手が空だったことに、さすがのマフィも興味を覚えたようだった。
「よく見てくれ。手のひらに、キズが出来てるだろ? そのマークを見てほしいんだ」
手のひらに生えた鱗が、堅いもので削られてキズになっているのを、私は左手で示した。
三角形に近い台形で、上の端がヒョウタン状にくびれている。バークのえりを掴んだとき、私はそのえりの裏に留められたバッジを握り込んでいたのだ。その状態で強く握りしめたから、手のひらにバッジの形が型押しされた。本当はバッジをもぎ取りたかったのだが、流石にそれは出来なかった。
マフィはキズをじっくりと眺め、しかめっ面で言った。
「ひっくり返った杯のマーク――ボルゴんとこだな。こりゃ、フッドの代紋だよ」
私は頷いた。
『フッド』とは、兄弟組合の略で、第5大隧道におけるギルドのようなもの――もっとはっきり言えば、ギャング団である。各々が縄張りを持って歓楽街の商売を仕切り、時に縄張り争いに鎬を削る。あまり、関わりたくない連中だ。
「その、ボルゴって奴、知り合いか? 」
マフィは「分かってないな、こいつ」という顔で首を振った。
「あのね、あたしの商売で「知り合い」って言葉にゃ意味がないの。あたしからヤバいブツを買った連中にとって、あたしと知り合いだなんて話はもう邪魔でしかないし、フッドの連中は連中で、カネになる話しか聞かないし」
「じゃ、聞き方を変えよう。ボルゴって奴のことを、どれくらい知ってる? 」
「あんまり。通りで見かけたことくらいはあるし、噂話もたまに聞くけどね。
バルナバス・ボルゴ。翡翠通りにデカいシマを持ってるボスらしい。とんでもないデブだ。けど、結構なやり手って話だよ。ボケーッとした面してるくせして、容赦がねえんだ」
「すると、バークが言っていた『親父』というのは、そのボルゴのことか……」
私はあの酒場での会話を思い返した。奴は私を、ボルゴからの使いだと勘違いしたのだ。と、いうことは、奴には組合から追われる心当たりがあるということ――簡単に考えれば、組を勝手に抜けてきた可能性が高い。
「それで? ンなこと聞いて一体どうするってんだよ。もう依頼人もいねェんだろ? 」
頬杖を突き、聞いてくるマフィの前で、私はテーブルに札束を叩きつけた。
マフィの目の色が変わる。私も、カネを目の前に突き出された時、こういう顔をしていたのだろうか。
「20万ゾルはある。お前の時間を買いたい。
私は第5大隧道へ戻って、今度の件にケリをつける。そのために、お前さんの顔の広さと、腕っぷしが欲しいんだ。力を貸してくれないか、マフィ? 」
「おい、おい、おい……」
マフィは札束と私の顔とを交互に見た。
「正気かよ? なんでまた、そんなことをわざわざ……」
「理由はいくつかある」
私はマフィの顔に指を突き付けた。
「ひとつ。バークは『証』という言葉を口にした。私を殺して『証』にすると言っていたところから見ると、どうやらそれは、人殺しに類するようなことらしい。
さらにジャムフは、その『証』を立てる機会がこの先あると言っていた。つまり、連中は殺人か、何かそれに準ずるヤバいことをバークにさせようと企んでいる。それを知りながら何の手も打たないってのは、あんまり寝覚めのいい話じゃない。
ふたつ。私自身の問題だ。
私はこの件で、まず暴力で叩きのめされ、さらにカネを握らされた。仕事をする上で、そりゃ妥協を強いられることもあるし、ギルドやらバザールやら、デカいとこと折り合いをつけなきゃならない状況は今までにもあった。だが、突っ張らなきゃならない時ってのもある。
暴力やカネで簡単に転ぶ探偵って名に甘んじて、この先やっていくというのは、あんまりぞっとしない話だ」
「おーおー、ご立派な理屈だよ」
マフィは白けた顔で口を挟んだ。
「だがな、そんなのは言い訳だ……ハッキリ言えよ。てめえが気に食わないだけだって。ぶちのめされて、札束で横っ面引っぱたかれて、ムカついたってだけだろ? 」
そんなことは……言い返そうと身を乗り出し、肋骨に鈍い痛みが走る。私は思わず背中を曲げて黙り込んだ。
黙っている間、考えた。そう……そうなのかもしれない。誰に頼まれた訳でもない。バークが人殺しに手を染めようが、私には関係ない。依頼人のミス・テアーは、むしろ私に手を引かせたがっている。
「それがどうした」
私は口に出して、自分自身に言い聞かせた。初めは小さく、徐々に大きく。
「そうだ、お前さんの言う通り、私自身が気に食わないんだ。だから私のカネでお前さんを雇って、私なりのケリをつけに行こうと言うんだ。どうする? 受け取るのか、受け取らないのか? 」
「私のカネ、って……それ、依頼人からの口止め料じゃねえの? カネは貰っとくけど勝手やるって、あくどいね、アンタも」
「それは違う。そもそも、バーク・ビルボニーを探し当てるという依頼自体は完了したんだ。そこで依頼人が調査打ち切りを決めたのは、あっちの都合。少なくともそこで契約は切れているわけだから、これからのことに関しちゃ依頼人とはいえ私に余計な口出しをする権利はないし、このカネだってもう私のものなんだから、どう使っても構わないわけだ」
「屁理屈だな」
マフィは言い、鼻で笑いながら札束をひっさらった。
「だが、この世には正しい屁理屈ってのもある――つまり、あたしにカネをくれる屁理屈だ。いいだろ、ガキのお守りでそれだけ貰えるんなら、悪くねえ。乗ってやるよ」
私は肩をすくめ、結局ほとんど飲めていないハッカ水の瓶を置き、代わりにその辺にひっかけてあったフェルト帽を手に取った。
「……ま、手のかかる子供かもしれないが、お世話のほどよろしく頼むよ。今日じゅうに出られるか? 」
マフィは目を丸くした。
「すぐ行く気かよ? その体で? せっかちな野郎だな、冷血動物のクセに」
私は帽子をヒョイと投げあげ、キザな仕草で頭に乗せながら答えた。
「即断即決、リーダーシップ……モテる男の秘訣だよ。ついて行きたくなるだろう? 」
マフィは珍しく怒らず、代わりに不思議そうな顔をした。
「なんつーかさァ……例えば今ここであたしに思いっきりドつかれたら、今度こそアンタ確実に死ぬよね? それなのに、そういうバカ言わないといられないわけ? なに、呪いかなんかなの? 」
「真面目に聞くのはやめてくれ。傷に障る」
私は杖にすがり、帽子のひさしを深く深く下ろした。
* * *
竜列車のホームで、スーツケースを傍らに置いて小説を読んでいると、ようやくマフィが姿を現した。
いつものツナギの上から、厚ぼったくて長いカンバス地のコートを羽織っている。体のラインが全く出ない、なんとも野暮ったい格好だ。
「よッ、待たせたか? 」
「暑くないのか、それ? 」
私は本を閉じながら聞いてみた。
「オシャレには犠牲が伴う」
マフィは私のようなことを言ってニヤリと笑い、コートを上からパンパンと叩いた。
「オシャレと……それから、いろんなもんだ。備えだよ。備えあれば憂いなし、ってね」
私は唸った。あの裏側に、どんな物騒なものが隠されているのか――知らずに済むことを祈ろう。
「で、列車は一等かい? 」
「と行きたいところだが……お前にもカネを先払いしてるし、これから上にどれだけ滞在しなきゃならないかも分からんしな。ここは三等に乗っとこう」
「ちぇッ、相変わらずケチくさい男だな……」
言いながらも、マフィの顔は心なしかうきうきしているようだった。
「ま、広い心で許してやるけどね。旅行の時は機嫌がいいんだ、あたしは。特に旅費が他人持ちの場合は」
マフィは両手にカバンを持ち、軽い足取りでスタスタと列車の方に向かった。私も杖にすがって立ち上がり、慌てて後を追う。
「早くしろよォ、ケガしてんのを気遣って、荷物持ちだけは勘弁してやってんだから」
マフィが振り返り、勝手なことを叫んでくる。私はため息をつきながら、重いスーツケースを運んだ。これでは、どっちが子供のお守りだか分かりゃしない。先が思いやられる。




