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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ ブリング・バック ~
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第1話(後)

 翌日、昼下がりに私は家を出た。


 行き先が第5大隧道(だいずいどう)となれば、そんなに早い時間に行っても仕方がない。それに登りの列車は、昼間の方が空いている。

 家を出る間際まで、オーバーシューズを履いていこうかどうしようか迷った。昨日の雨で道がぬかるんでいるのは確実だが、見てくれを重視して結局履かないことにした。太陽苔(たいようごけ)の光が反射してまぶしいくらい磨き上げた靴を、ぬかるみで汚すことも恐れずに履くのが粋というものだ。


何しろ第5大隧道へ行くのだから、気の抜けたファッションではいけない。黒地に墨色の刺繍で縦縞の入ったジャケットに、きっちりスミレ色のネクタイを締め、同じく黒のスラックス。足元はアナグラバッファロー革の靴でシックに固めて、いつものように黒のフェルト帽をかぶる。実に素晴らしい。気取ったステップで歩きだしたら家の庭を出ないうちに転びかけたので冷静に戻る。

とにかく、早く庭掃除はしよう。


 竜列車(りゅうれっしゃ)で直接第5大隧道へは向かわず、まず第6大隧道駅で降りた。腹ごしらえがてらに、少し調べ物をしていくためだ。

 ミス・テアーが第6大隧道の話を始めた時、そして私が『煮える大鍋』の話を出した時――彼女の態度や口調にためらいはなかった。店の場所を聞き返したり、道順を確認したりということもなかった。第6大隧道のことをよく知っている可能性は高い。もっと言えば、今の彼女のねぐらが第6大隧道にあるということも考えられる。直接調査に関わる内容ではないが、調べられるときに調べておいて損はないだろう。


 列車から降りると、ホームにあるスタンドでちょうど新聞が焼きあがったところだったので、焼きたての早売りを一部買う。大竪穴では、新聞は魔導印刷機で刷られる。要は魔導蓄光機(ちくこうき)の応用だ。太陽苔(たいようごけ)インクで造った原版に熱を当て、炎の魔力を大地の魔力に変換する太陽苔の作用で原稿の情報を磁気として魔導合金板に写す。その磁気を、竪穴の内壁にはりめぐらされた魔力伝導線を伝って大竪穴じゅうに伝える。伝わってきた原稿の情報は、スタンドや個人商店などに設置された魔導印刷機で磁気から炎の魔力に変換され、特殊インクを染みこませた用紙に印刷されるという仕組みだ。


 炎の魔術で印刷するため、刷りたての新聞は温かくパリパリに乾いている。その感触を楽しみつつ小脇に抱えて、私は駅前大通りを歩いた。目的地は『煮える大鍋』だ。遅い昼飯をとるためと、何より本当に開いているかどうか確かめるためだ。ああ言った手前、場所を間違えていたりしたら目もあてられない。


 幸いなことに、私の記憶は確かだった。巨大な大鍋を描いた、色あせた看板が私を出迎えてくれた。

帽子をしっかりかぶり直してから中に入る。中途半端な時間のためか、テーブルには空きが多い。入っている客は大概が工事労働者か、近所のヒマな商店主かだ。冒険者はほとんどいない。気心の知れたもの同士が集まって、だらだらと呑んだり、たわいもない話で盛り上がったりしている。

一時の冒険ブーム、開発ブームは下の階層へ去り、落ち着きと過疎の中間くらいをいったり来たりしているのが今の第6大隧道だ。この、猥雑でありながら静かな雰囲気は、私も嫌いではない。


 小さなテーブルに座り、ウェイトレスが近くに来るのを待ちながら店内を見回していると、見覚えのある小さな背中が目に入った。短い白髪を綿毛のように生やし、背筋をぴんと伸ばした老人。

私は思わず立ち上がり、声をかけた。


「教授! ジョルダンスン教授では? 」


 呼ばれた老人――ヴァーニ・ジョルダンスン教授は振り向き、丸眼鏡の奥の目を大きく開いた。


「オー、ジンナ! ジュナ=ゲール! お、お久しぶりです」


 教授は甲高い大声を上げ、テーブルから立ち上がり両手を広げて私を迎えた。


「どうも、教授……ご無沙汰してます」


私は苦笑まじりに頭を下げ、帽子を取った。


 「ジンナ」は『うちびと』の言葉で「一族から出た者」を意味する。時代が下ると意味が転じて「息子」を表す言葉になり、そこから若い者への親しみを込めた呼び名にも使われるようになった。意訳すれば「お若い方」だ。「ジュナ=ゲール」は「美しい緑」。どちらも、ジョルダンスン教授が私を呼ぶ時のあだ名のようなものだ。


「ほ、本当に、久しぶりで……長いこと研究室に来ないものだから、みんな寂しがってますよ、若い方(ジンナ)。手を借りたい翻訳もいくつかあるのに」


「このところ、本業が立て込んでましてね。今日こっちに来たのもそのためで」


私は申し訳なく思いながら答えた。


「そ、そうですか……私の方は逆で、これから空中市場(くうちゅういちば)に降りるところなんですよ。古文書の出物を探しにね」


 ジョルダンスン教授は『そとびと』――地上から来て、大竪穴(おおたてあな)に定住していない人間だ。地上では『うちびと』に関する民俗学研究の権威で、王立アカデミーの名誉教授位と終身年金を授与されている。齢は70を超えているはずだが未だに元気で、地上のアカデミーに顔を出す時間より竪穴でのフィールドワークに精を出している時間の方がはるかに長い。普段は第3大隧道にあるアカデミーの出張研究室で、学生たちを率いて古代遺物や古文書の研究に忙しい日々を送っている。


 私と彼とは、私が探偵を始める前からのつきあいだ。事務所を持つ前、日雇い仕事をして金を貯めていた頃に、『うちびと』の言葉や風俗が分かる者として雇われ、翻訳や研究補佐で日銭を稼がせてもらったのが始まりだった。今でも時々頼まれて翻訳仕事をやったりする。本業の収入が安定しない身としては、正直有難い臨時収入だ。


「まあ、今日は再会を祝して、ツチドリのソテーでも奢らせてください。わ、若いツチドリの、いいのが入ったそうですから」


「それはどうも……じゃあ、お言葉に甘えて」


 私は教授の向かい側に腰を下ろした。教授は手を上げてウェイトレスを呼ぶと、どもりながら注文を伝えた。ツチドリのソテー一人前と、自分のためにクリーム入り鉱石珈琲。


 来たツチドリは確かに旨かった。

ツチドリはその名の通り空を飛ばず土中に穴を掘って暮らす鳥である。元々は大竪穴の土着種だが、ガチョウよりひとまわり小さいくらいの体格とおとなしい性質から飼いならされて、今では家禽として重宝されている。普通食肉用に育てられているツチドリは、管理のため穴を掘らせず地面の上に立てた小屋で飼育されるが、この店はどうやら野生かそれに近い環境で飼育されたツチドリを使っているらしい。身が締まっていて味も濃い。


 食べながらしばらく教授と『うちびと』の信仰について話していたが、ふと思い出して私は質問してみた。


「教授、『メイユレグ』というのをご存知ですか? 」


「メイユレグ……? 」


教授は首を傾げ、口の中でその言葉を何度か繰り返した。


「メイユレグ、メイユレグ……発音は本当にそれで合っていますか? 」


「それが、分からないんです。また聞きなもんで。ある宗教団体の名前らしいということしか分からないんです。どうやら『うちびと』の言葉らしいと思ったんで教授にお聞きしたんですが――」


「宗教団体……メイユレグ……」


教授はしばらくうつむいてぶつぶつと何か呟いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。


「合っているかどうかは分かりませんが……どうも、メ=イユル=イェグと切るのが自然じゃないかと思います。第8大隧道より下の、かなり古い言葉ですね。

「メ」は「成す」という意味の接頭語、「イユル」は「真実」、「イェグ」は「世界」。「真の世界を成す」、すなわち、本当に正しい世界を造る、といったような意味の言葉ではないでしょうか」


「真の世界、ですか」


 顎をひねって考え込んだ私に、教授は笑って手を振った。


「そ、そんな深刻に考えるほどの意見でも、ありませんよ。年寄りの当てずっぽうです。実際にその、メイユレグの人たちが聞いたら、怒るかもしれませんよ」


「いや、大変参考になりましたよ、教授。ありがとうございます。……ところで、実際にメイユレグという団体のことを聞いたことはないと? 」


 教授は申し訳なさそうな顔で首を振った。


「あ、あいにく、第5大隧道の情勢には疎いもので――いや、そもそも、浮世の動き一般に弱いのですな。研究室にこもっているか、遺跡をうろついているかですからね、このところ」


「いや、うらやましい。夢中になれることを、夢中になってやるのが一番ですよ。やっぱり」


 教授は私を丸い目でじっと見つめた後、真剣な表情で言った。


「ま、ま、前から考えていたのですがね……あなた、今の仕事をずっと続けていくつもりですか? 私の研究室に来て、アドバイザーとして研究に加わる気はありませんか? 」


「私が、研究者? 」


 思わず私は大声を上げてしまった。

いくらなんでも冗談が過ぎる。私が、アカデミーで『うちびと』の研究を生業にするなどと――いや、そんなに飛躍した考えでもないのか? 私は考えた。元々、『うちびと』のことを調べるのは好きである。教授や研究室の学生と話すのも楽しい。何より、彼らは私の顔を恐れない。多少もの珍しがりはするものの、それもプラスの興味を持ってのことだ。


「あなたは『うちびと』の風俗に明るいし、頭もいい。

何より私は、『うちびと』の歴史は『うちびと』によってこそ編まれるべきだと、そう思っているのですよ、若い方(ジンナ)

それに、不安定で危ない今の仕事を続けていくより、ずっといいんではないでしょうか? 」


 そうだろうか。

そうなのだろう。どうひいき目に見ても、今の探偵稼業が儲かっているとは言い難い。私1人が食っていくだけでカツカツだ。そのくせ危険だけは盛りだくさんときている。どちらが良いかは、火を見るより明らかだ。


「ジョルダンスン教授」


私はため息交じりに言った。


「せっかくのお申し出ですが……私がその申し出を受ける日は、まだしばらく来ないと思いますよ」


「……そ、そ、そうですか」


 教授は残念そうに首を振り、冷めかけたコーヒーを口にした。


「何とも説明しがたいのですがね……そう、生きられる限りは、私は竪穴の社会の中で生きていたいんです。薄汚れた中でね。その中で、誰かがたまたま私を必要として、私がそれに応える、そういうのが何だか好きなんですよ。酔狂です、単なる」


「い、いや、残念です……残念ですが、何だか、分かるような気もしますよ」


 教授は寂しそうに、空のカップを見つめた。私が誘いに応じなかったことだけが寂しいのではないだろう――自分のことをも、考え直しているような顔だった。浮世を離れ、研究に身を投じてきた自分のことを。

 私は、励ますように笑った。


「第一、研究者と言うより探偵と言った方が、モテますからね」


 ジョルダンスン教授は目を丸くして、私の顔をまともに見据えた。


「モテて、いるのですか? あなた」


「……真面目に聞かないでくださいよ」


 私は小声で答え、帽子のひさしを深く下ろした。

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