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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ ブリング・バック ~
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第1話(前)

 竪穴に、まっすぐ雨が降っていた。


 私は窓を閉め、雨音をうるさく思いながら蔵書をめくっていた。

空のない大竪穴(おおたてあな)にも雨は降る。竪穴の内壁に生えた植物が水分を放散するたび、それが舌から吹き上げる風に煽られて穴の内部に霧のように立ち込め、やがて下に落ちてくるのだ。雨降りの日は、太陽苔(たいようごけ)の光も弱い。放散する炎の魔力が、水の粒子に散らされてしまうからだと言われている。

なんにしろ、雨の日は気分が重い――自分が巨大な穴倉の中にいるということを、否応なしに思い知らされる時だからだ。


 私は憂鬱な気分で額を掻き――帽子は脱いでいた――本を閉じると、独り言のように呟いた。


「黙って座っていても、別段面白いことは起こりませんがね――いかがです? 」


 声をかけられても、その少女は身じろぎ一つしなかった。

 黒いヴェールをすっぽりと被り、一目で高価なものと分かる仕立ての黒いドレスに身を包んでいるものの、まだ十代であろうことは容易に想像がつく。手袋をした手を膝の上に置き、行儀よく座っている。ちょうど10分前、突然事務所に入ってきてから、今までずっとそうしている。黙ったまま。


「……」


 少女は黙ったまま、傍らに置いたハンドバッグを取り上げ、応接テーブルの上で逆さにした。

素朴な深層織りのテーブルクロスの上に、紙幣の束がドサドサと転がる。バザール発行の紙幣だ。使用済みの、しわだらけのものが束になっている。少なく見積もっても2、30万ゾルはあるだろう。私は目を細め、しばらく札束を見つめた後、少女に視線を戻した。


「……で? 」


 少女は相変わらず無言だった。


「お金は私も、御多分に漏れず好きですがね。理由を聞いてから受け取るカネの方がもっと好きなんですよ。そろそろ、どういうことか説明していただけませんか? 」


「バーク・ビルボニー……」


 少女は、聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。


「失礼、今なんと? 」


「第5大隧道です。バーク・ビルボニーを連れ戻してください」


 今度は、少し大きな声だった。それだけ言うと、少女はまただんまりに戻ってしまった。

 私は安楽椅子の背もたれにぐっと寄りかかり、目をつぶって少し考えた。それから、読みかけの本に未練を込めた一瞥を送った後、立ち上がって少女を見下ろした。


「あのね、お嬢さん。どういう話を聞いてきたか知らないが、私はカネさえ受けとりゃなんだってこなす何でも屋とは違う――少なくとも、自分じゃ違うつもりでしてね。仕事をするんだったら、一応それがまともな仕事だってことを確認しときたいんですよ。

ましてそれが、第5大隧道に関わるとなったらね」


 第5大隧道は、大竪穴きっての歓楽街だ。かつては大竪穴の先住民である『うちびと』の都市だった大隧道がまるごと複合アミューズメント施設になったようなもので、酒、女、ギャンブル、およそ考えられる全てが備わった都だ。地上から流れ込む観光客と、深層から上がってくる発掘ビジネスのカネ。それらが滞留し巨大なマーケットを生んでいる。

当然、それを仕切る強大なギャング組織も多数形成され、日夜激しくしのぎを削っている。第5大隧道での仕事と言えば、ヘタな深層遺跡の『深み』にもぐるより危険な場合もあるのだ。


 少女は私の言葉には答えず、黙って胸元からロケットを取り出すと、テーブルの上に置き、開いた。中には笑顔の若い男の顔写真。金髪を後ろになでつけた、顔立ちの整った男だ。これが、バーク・ビルボニーとやらだろうか。


「違法性はありません。彼は私の……家族です」


 「家族」という言葉を口にするまでに、妙なためらいがあった。私は肩をすくめた。


「口だけでそう言われても、ねえ。大体、あなた自身のことだってまだ伺っていない。話してくれませんか? スリーサイズまで教えろとは言いませんから」


「素性を明かすつもりはありません。あなたにも、詮索はしないでもらいたい。その分報酬は弾みます。探偵って、そういうものではないのですか? 」


 少女は言った。堅い声だ。精一杯、タフに見せようと虚勢を張っているのが感じられる。


「ま、そういう手合いもいるにはいますがね。顔を見ても分かる通り、私は変わりダネでして……逆にお聞きしたいんですが、なんでまたよりによって私なんかを選んだんです? 第5大隧道と言ったらそれこそ、カネ次第で何だってやる連中が溢れてるでしょうに」


「信頼できる方に頼まないといけない状況なんです。誰からも圧力を受けない、独立した立場の人間が。あなたは、フリーランスだと聞いています」


「そう買いかぶってもらっても困る。長いものに巻かれるのが嫌いってわけでもないし」


 どうにも話が噛み合わない。私は額を押さえ、考えた。いったい何者だ? 単なる世間知らずのお嬢様にしちゃ妙にスレた知識も持ち合わせているし、何よりこのカネだ。私の相場で言えば、軽く仕事2、3回分の額になる。見逃すにはあまりにも惜しいが、だからこそ危うい。


「なんにしても、事情を説明していただかないと――彼がバーク・ビルボニー? 結構。で、彼は今どこで何をしてて、どうして私が連れ戻しに行かなきゃならないんです? 第一、『連れ戻す』ったって、どこに引っ張っていきゃいいかも分からないんだし」


「メイユレグ、というのを、聞いたことがおありですか? 」


 ヴェールの向こうから、彼女は私を見つめているらしかった。私はちょっと辟易して、無意味に窓の方を眺めながら答えた。


「メイユレグ――はて、メイユレグね。聞いたことがありませんな。言葉の感じは、『うちびと』の古代言語に似ていますが」


「最近、第5大隧道に出来た新興組織です。詳しいことは、私もよく知りません。どうも、宗教団体らしいのですが……」


「すると、バーク・ビルボニー氏はその団体に? 」


 少女は小さくうなずいた。


「ひと月ほど前のことです。彼が急に失踪したのは。仕事も放りだして、誰にも何も告げずに、家も引き払って――私含め、家族や友人たちが総出で探したのですが、何の手がかりもありませんでした。

 それが、つい3日前、酒場に入っていく彼の姿を見たという情報が入りました。『眠る蛇』という酒場なのですが、調べたところどうやら、メイユレグの溜まり場らしいんです」


「それ、本当に確かな情報ですか? 」


 私は口を挟んだ。


「それも含めて、あなたに調べてほしいのです。

『眠る蛇』とバークに関係がなければそれでよし、もしもバークがメイユレグに関わっているようでしたら、足抜けできるよう交渉していただく。もちろん、私たちの代理としてです。いかがでしょう? 」


 私は考えこんだ。家出人を連れ戻すだけで20万。相当にボロい仕事だ。しかし……


「その、バーク本人の意志はどうなんです? 見る限りでは彼も立派な成人のようだ。彼自身が決めて家を出たんだとしたら、連れ戻すとか連れ戻さないとかの話じゃあないでしょう」


「そんなはずはありません! 」


 少女は不意に大声を上げた。先ほどまでとは打って変わって強い語調に、私は思わず首をすくめた。彼女の手袋をはめた手が、膝の上できつく握りしめられている。


「……すいません、大声を上げて」


彼女はおずおずと謝った。


「でも、信じてください。詳しい事情は申し上げられませんが、私には、彼が今の状況を望んでいないと信じる理由があるんです。仕方なく行方をくらましたんです、あの人は」


 少女は肩を震わせ出した。泣いているのかもしれない。これは弱った。そういうのには慣れていない。だいたい私自身が涙を流せる身体に生まれついていないから、分かりようもないのだ。

 何か飲み物でも用意していたら、まだ間を持たせることが出来たかもしれないが、あいにく鉱石珈琲(こうせきコーヒー)は切らしているし、マンドラゴラ煎茶も戸棚でカビさせてしまったところだ。湿気の多い最近の気候が悪い。半分押し流されるような形で、私は決心した。


「……仕方ないですな。ま、取りかかるだけ取りかかってみましょうか。ちょいと調べるくらいなら、別に危険もなさそうだ。ただし、少しでもヤバいと感じたり、あるいは聞かせていただいた話と食い違う点が出てきたら、この契約は即刻破棄ということで……どうです? 」


 少女は少し迷っているようだったが、やがて、幾分鼻にかかった声で答えた。


「それで、お願いします。仕事をしていただけるなら……」


「よし、と。それじゃ、顔写真の複製を取らしてもらいますよ。

 それと、もう一つ。調査の過程でどうしても、あなたご自身やその周りのことについても調べることになるでしょう。ご希望ならまあ多少は気を使いますが、やはりバークのことを調べるためにも、また私の身の安全を守るためにも、あなたの素性への詮索は避けられない。それに関してはご了承願いたいんですがね」


「……出来る限り、触れないようにお願いしますとしか言えません」


 少女は小声で返した。私はやれやれと首を振った。とことんまで秘密主義を貫くつもりらしい。


「いいでしょう、契約成立と。それで料金のことですが、短期の仕事のようですから日当制よりも成功報酬といきたいんですがね。ご都合いかがです? 」


「どうぞ、お好きなように」


少女は目に見えて熱意を失っていた。


「前金は、それで足りますでしょうか? 」


「……いやいやいやいや。足りないどころか、これじゃあ頂きすぎだ。私の相場には高すぎる」


私は思わず大声で打ち消してしまった。奇特な方もいらっしゃったものだ。このご時世に、カネを投げ捨てて何とも思わないとは。頂いておいてもよかったのかもしれないが、何しろこれだけのカネだ。受け取った後でどんな罠が仕掛けてあるか分からない。


「ひとまず、半分だけお預かりします。後の半分は、成功報酬ってことで。

それから、さっき言ったように私から契約破棄を申し出た場合、受け取った前金も経費を差し引いてお返しします。その方が私にとってもいいんですよ、後腐れがなくてね。よろしいですか」


 最後の言葉は、別に質問ではなかった。どうせ相手が同意することは分かっていたからだ。案の定、少女はすぐにうなずいた。


「結構。ありがとうございます。さて、今後のことだが、調査報告はどこに送ったらいいんです? あなたも途中経過をお聞きになりたいだろうが、どこの誰とも分からない相手に郵便の送りようもありませんしね」


「そうですね……直接、会ってお話しすることにしましょう」


少女は答えた。


「場所は第6大隧道のどこか……話せる場所で。第5大隧道で会うと、噂が流れて調査しにくくなるかもしれませんから。

ひとまず3日後に一度お会いして、その後のことはその時に決めましょう。場所は……どこか、静かな場所をご存じ? 」


「そう、第6大隧道の駅から大通りを突きあたりまで進んだところに、『煮える大鍋』って店がありましてね。喫茶店と食堂のあいのこみたいな店だ。あそこならまあ、落ち着いて座って話ができるでしょう。そこでいいですか? 」


 少女はやはりうなずいた。


「お任せします。では、私はこれで――仕事には、すぐにかかっていただけるんですね? 」


 私は肩をすくめ、帽子をかぶった。


「準備もありますからね。ま、明日から始めますよ。どれ、外まで送ります。雨も降ってますしね」


 私はデスクの椅子にかけておいたレインコートを拾い上げた。少女は、少し焦った様子だった。


「どうぞお構いなく、一人で行けますから――」


「何も、竜列車の駅まで着いていこうとは言ってませんよ。別にあなたの行き先を突き止めようだとかそういうんじゃない。ただ、うちの庭は歩きづらいですからね。エスコートを申し出ているだけでして」


 少女はなおもためらっていたが、やがて無言でハンドバックを取ると、すたすたと戸口に向かって歩き出した。その無言を許可と受け取った私は、うやうやしく数歩の距離をとりつつ彼女についていった。


 雨脚は弱まっていたが、まだ止みそうな様子はなかった。彼女は、玄関の支柱に立てかけていた傘を広げた。黒いレースの、小さな傘だった。子供が持つようなデザインだ。まだ、『子供』をやめてから間がないのだろう。私はレインコートに当たる雨の音を聞きつつ、そんなことを思った。


「敷石で滑らないようにしてください。雑草もひどいでしょう、最近草取りを怠けているもんで。気をつけて」


「こんなところにお住まいで、不便ではありませんの? 」


 少し青ざめた顔で、少女は問うてきた。そうかな、と私は思い、振り返って、そうだな、と納得する。

私の家は、地の底まで続く大竪穴のふちに立っている。景観は実に雄大だ。岩壁がうねりながら遥か下へと続いていくさまが一望できる。一応柵は巡らしてあるものの、心の準備なしにうっかり覗きこもうものなら引きずり込まれそうになる。


「ま、多少不便な方がいいんです。私には。しょうもない客がフラフラ入り込むこともないですしね。

「コールドブラッド探偵社」って名前も、実はそのためなんです。「冷血」。あんまり、親しみの湧く名じゃないでしょう? そういう名前にもひるまないで、ついでに私の顔にもひるまない依頼人からこそ、私は仕事を受けたいんですよ」


 少女は気のない様子でうなずいた。品のよいパンプスはあまり踵の高くない歩きやすいデザインだが、濡れた敷石の上ではよく滑る。私たちは、ゆっくりと庭の出口まで歩いた。門の所で、私は思い出したように言った。


「そうだ、ところで、あなたを何とお呼びするか決めていませんでしたね」


「えっ? 」


「本名でなくて結構。名無しでは呼びにくいですし、記録をつける時も、領収書を切る時も難儀しますのでね。差し支えなければ、何か呼び名を決めていただきたいのですが」


「呼び名、ですか……」


少女はあたりを見回し、柵にまつわりついて生えるマメ科の雑草を見て、


「では……あれで」


豌豆(テアー)……ミス・テアーと。妙な名だ」


 私は帽子の下で笑みを作った。少女――ミス・テアーはびくりと身を引く。私の笑顔はどうも威嚇的に見えるらしい。悲しいことだ。


「では、またしばらくのちに、ミス・テアー。実りある報告が出来るよう努力しますよ。何せ、豌豆(えんどう)は実りが早い植物ですから」


 ミス・テアーは答えず、小さく1つお辞儀して去って行った。ヴェールはしていたが、内側で笑っていたとは思えなかった。私の言う冗談なんてだいたいそんな感じに終わるのだ。私はため息をつきながら、家に戻った。

この仕事が終わったら、庭掃除をしよう。

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