第5話(2)
私はあたりを見回し、もう1度目的の店を見上げて、頭を掻いた。
目線の先には、どぎつい魔導灯で照らされた、巨大な女の看板がそびえている。胸元と尻回りだけを銀色の鎧で包み、うつぶせに寝そべってこちらを扇情的に見つめている絵柄だ。どういう仕掛けなのか、蓮っ葉に立てた片足がゆらゆらと間断なく動いている。風の魔導具でも埋め込んであるのだろうか。とにかく……ひと目見て、いかがわしい店だと分かる。
私は少々迷った。無論、こういう店が嫌いというわけではない。嫌いではないが、今回の待ち合わせは半分仕事のようなものでもあるし、まだ宿さえとらぬ内にこういう店に入るというのも気が引ける。しかし……ふと気づけば、ポケットの中にはボルゴがくれた紙幣の束。夜も更け、少なくとも明日の昼までは自由時間だ。私は意を決して、看板の娘に向かって一瞥を投げた後、『躍る剣』のガラス戸をくぐった。
薄暗い店内に入ると、まず中央に細長いステージが見えた。サキソフォンの低い調べが聞こえる。あまり上手くはない。ステージのピットに、小規模なバンドが居るのだ。その周りを取り囲むようにして、薄汚い丸テーブルがばらばらと配置されていて、鎧をつけた娘たちがテーブルを回り、酒を給仕していた。
「鎧」とは言うものの、彼女らの着けている金属片は防御力などほとんどない代物だった。一枚板の鉄で作られた胸甲はほとんど帯のような細さだし、腹はむき出し、腰に垂れた鎧板も腰蓑程度の長さしかない。それでいて、ベルトにはご丁寧に長剣を提げ、がちゃがちゃ言わせながら歩き回っている。分厚い冒険者用のロングブーツが、汚れた板張りの床に当たって高い音を立てていた。
なるほど、そういう店か……私は独り合点し、給仕の娘とすれ違うたびに「あの鎧の下には下着をつけているのだろうか」という哲学的命題について考えつつ、奥のテーブルを探した。
入口から見てステージのちょうど裏側になる薄暗がりに、テーブルがひとつ。そこにレフは居た。椅子にもたれ、相変わらず細い紙巻を吹かしている。卓上にはコーヒーカップがひとつ。こういう店にしては、不釣合いな注文だ。
黙って反対側の席に座ると、レフは目を上げ、心もち吊り上がった目を見開いて傲然と笑った。
「なんだ、顔を隠さない方が男前じゃないか。私服のセンスはイマイチのようだが……」
「……言ってくれるじゃないか」
私は帽子の下で渋面を作った。今日は仕事着の黒ジャケットに、第5大隧道ということで上品な薄紫の装飾襟つきシャツ、ネクタイは黄金色で全体の印象を引き締めている。自分では、相当に気合の入ったファッションだと思っているのだが。
「それはともかく……こんなところで、仕事の話をするのか? 」
最初の注文を聞きに来た甲冑娘にソーダ割りを頼みながら、私はレフに小声で聞いた。レフはふっと鼻で笑った。
「なかなかいい店だろう? 元は本職の冒険者が、仕事終わりに同業者に鎧のまま給仕したのが始まりらしい。それから第5が繁華街になっていくにしたがって、客寄せのため徐々に鎧の面積が減って行って、今に至るってワケ。結構、ファンも多いんだぜ。なじみになるとこうして、メニューにない注文も聞いてくれるしな」
言いながら、レフは見せびらかすようにコーヒーを飲んだ。
「そういうことを言っているんじゃなく……ああ、私も嫌いじゃないがね」
「それに、こういう所の方が密談にはかえって都合がいいんだ」
レフは言い、椅子からぐっと身を乗り出して周りを手で示す。
「見な、テーブル同士の間は結構離れているし、音楽も流れている。何より、客はみんな女の体に夢中だ。盗み聞きされるようなこともない。悪巧みにゃあ、もってこいの場所なんだ」
「悪巧み、か……内容の方も気になるが、何だって私なんだ? いや、その前にそもそもまず、どうして私が「仮装」してるって分かった? やっぱり、あの扮装に無理があったのかな? 」
「いやァ、服の方は別に……深層の金持ちなんて、あんなもんだと思ってたよ」
レフはしれっとそう答え、私を落胆させた。
「ただね……バクチに臨む態度で何となく分かったんだよ。あんた、勝ちたいって思ってなかっただろう。楽しみたいとさえも思っていない。バクチ打ちってのは大抵、2種類の顔をするもんでね――勝負の顔と、遊びの顔だ。あんたァ、そのどっちでもなかった。仕事の顔だったよ……ボルゴと、ここいらのボス……名前は、そう、ベルーニか。奴と一緒にいるのを見て、大体察しがついた。
あんた、ベルーニに雇われたんだろ? リライアのことを調べるように。バクチ打ちにしちゃあ手口が凝ってるから、そう、さしずめ探偵かなんかだろ」
「こりゃどうも、お見事。正解だよ。流石ギャンブラーだけあって、当てずっぽうはお得意ってところか」
私は負け惜しみ半分に答え、運ばれて来たソーダ割りを呷った。どうにも水っぽい。これだから、この手の店は。しかしまあ、給仕の娘がグラスをテーブルに置く拍子に屈みこんだ時の光景は絶景だったから、良しとするか。
「こっちからも聞きたいぜ、あんたがどうして俺を選んだのか……卓から呼ばれた時は、流石の俺もぎょっとしたよ。ああいう注目を浴びる場所には、あんまり出ていきたくないんだよな、本当なら」
レフは片目をすがめ、試すように私を見た。私は軽く肩をすくめた。
「はっきりした理由があるわけじゃない。探偵のカンってやつさ。あんたの口ぶりには、ちょっと聞き捨てならないものがあった。リライアに敬意を払うような、それでいて敵視するような、単純でない感情が裏に読み取れた。当人と引き合わせてみたら、面白いことになるんじゃないかと思ったんだ。あちらさんは眉ひとつ動かさなかったが、あんたは随分と怖い顔をして睨んでいたな。
リライアと、何があった? あの女は何者で、あんたとはどういう関係なんだ? 」
今度はレフの方が肩をすくめる番だった。
「やれやれ、質問の投げ合いか。せわしねえことだぜ……まあいいさ。
俺の話なら、気にしなくていい。俺は単なる、善意の第三者さ。……いや、悪意の、かな。俺はあの女に、まあ婉曲に言っても「悪意」を抱いてる者だ」
「……悪意、というと? 」
レフは答えず、私の方へ右手を差し出した。怪訝に思いながらも、半ば反射的にその手を握り返そうとすると、左手の指を立てて制された。
「違う。そいつを……その手袋を取ってからだ。カジノでの握手の時は、そいつのせいで分からなかったみたいだからな。素手で、俺の手に触れてみてくれよ」
私はきょとんとしながらも、言われるままに右手の白手袋を外し、レフの手を握った。熱いくらいに温かい――それに、変にザラザラしている。私の手も鱗に覆われてゴツゴツしているが、それと同じくらいの違和感だ。手の形も妙で、下手な粘土細工でも握っているかのようだ。
「分かるよな? この手、おかしな形してるだろう? 」
レフは言い、私が頷いたのを確認すると、右手をひっこめてテーブルの上へ置いた。あらためて広げられた手を見てみると、その歪みは歴然としていた。指がまっすぐ伸びておらず、手入れを怠った植木の枝のように曲がりくねって、節くれだっている。皮膚もぼそぼそとあちこちささくれている。
「この手だって、元からこうだったわけじゃない。昔は綺麗なもんだった。目を見張るくらい滑らかにも動いたもんさ。今じゃあ針金でくくられてるみてえな動きしかしねえし、動かすたびに重たい痛みがはしるけどよ。
ちょいとドジ踏んでね……こいつは潰されたんだ。組合の荒くれどもにな」
「潰された……? 」
次の言葉を継げない私に、レフは自嘲するような笑みを浮かべ、愉快そうに話し出した。
「『笑う狼』と同じような裏カジノでよ、イカサマがバレてな……命まで取っても仕方ないし、利き手を奪っちまえってなことになったんだ。それで奴ら、何を持ち出してきたと思う? 工事現場なんかで使う、魔導揚水機さ。
「落とし前としてイカサマだけは封じさせてもらうが、日常生活に不便が残るような傷を負わせるのもスマートじゃない」だなんてのたまいやがってね、あいつら。有難くって涙が出るぜ。で、どうやったかって言うと……こう、右手を万力で固定されて、その上から揚水機の吸い込み口を手の甲に当てられるんだ。魔導揚水機は水の魔力で水分を吸いつける装置だが、魔術の常として生物の体には効かない。とはいえ、血液だって水だし、出力をめいっぱい上げれば皮膚を通して体内の水分に干渉だって出来る。医療用魔術と同じ原理だな。
それで、奴らは揚水機の出力設定をいじってからスイッチを居れた。俺の右手の中で、血液に異常な圧力がかかり――肉を裂き、骨を砕いた。一瞬のうちに、皮膚の中身だけがミートパイになっちまったんだ。連中はそれを何分、いや何時間も続けたように、俺には感じられた。実際の所は数十秒だったらしいがな。
それ以来、俺の右手は使い物にならなくなった。メシを食ったりなんだりには困らねえくらいまで回復したが、イカサマに使うほど素早くは動かねえし、精密でもねえ」
私は流石に顔をしかめ、グラスを置いた。水割りがまずくなるような話だ。
「あんたに起こった災難のことは、よく分かったよ。お気の毒様。で、それとリライアと、何の関係があるんだ? 」
「ありゃ、これだけ言ったら、分かりそうなもんだけどな」
小バカにしたような顔でレフは言い、わざとらしく右手を使ってコーヒーを口にした。
「イカサマが、何故バレたと思う? そりゃ、俺だってドジは踏んだが、ただドジなだけで裏カジノに制裁を食らうほど、マヌケでもない。密告者がいたのさ。パートナーに裏切られてな……リライア・ロレン。あいつは俺の、かつての相棒なんだ。そして、今じゃあ最も憎むべき敵、右手の仇ってわけさ」




