第5話(3):過去
ブライは、まじまじとベキムの顔を見た。
「……それ、確かか? つまりその、確かにお前さんを尾けてきた男だったのか? こっからホームまでは結構距離があるし、それに、一瞬のことだったんだろう? 」
「……いや、間違いない。顔も特徴的だし、それに何より義手の男なんてそうザラにいるもんじゃない」
ベキムは言いはったが、ブライは釣り込まれなかった。やや深刻な表情にはなったものの、静かな口調でブライは答えた。
「まあ、十分予想できることではあるな。隠れ家が焼かれたら下に逃げ出すのは、向こうとしても想定内だろう」
「それで、どうするんだ? 」
不安げに聞き返すベキムに、ブライは何やら考え込みながら答えた。
「どうもしないさ。予定通りだ。俺は下で調べ物をしなきゃならないし、お前さんはしばらく第3を離れて隠れてなきゃならない。『敵』が何をしてこようが、こっちがやることは――いや、やれることは限られてるんだ」
それきり黙ってしまったブライを前に、ベキムもそれ以上言葉を続けられなかった。2人は黙って、再び扉の隙間を見張りはじめた。
それを除けば、第6までの旅は予想よりも順調なものだった。首尾よく見張りに見つからずに発車時刻を迎えた後、2人は車内のビュッフェに移動しコーヒーを飲んで時間を潰した。夜には再び貨物車両に戻り、交代で眠った。第6大隧道駅へ突くまでの時間を、2人はそうして何とか乗り切り、停車寸前の速度が落ちた頃合いを見計らって、こっそり外へ飛び降りたのだった。
「一時はどうなることかと思ったが……何とかなるもんだな」
ベキムは安心した様子でブライに声をかけた。しかしブライは無反応だった。心ここにあらずと言う顔で、何やらぼんやりと考えている様子だった。
「おい、どうした? 」
ベキムの問いに、ブライは無言でホームの一角を指さした。今しも、一台の列車が入ってきたところだった。列車を曳く竜を見て、ベキムは目を見張った。背中に、コウモリのような翼が生えている。有翼種だ。大竪穴のドラゴンは、環境に合わせて羽根のない種類へと品種改良されている。その翼を持っているということは、原種――外界のドラゴンだということだ。
見ると、後ろには銀の二重円をあしらった美麗な客車が一台ついていた。
「外界の、王族用の列車か? 」
ベキムが聞くと、ブライは頷いた。
「多分な。だが、略式紋しか記されてないから公務用の車両じゃない。王族の遊行か何かだろう……どうも、気に入らないな」
ブライの言葉に、ベキムはその意味を察して、顎をひねった。
「確かに、タイミングが良すぎる気はする。第6での作業妨害が疑われているこの時期に、まさにその第6へお偉方が遊行にやってくる。しかも、ちょうど第3からの直通便が届いたのと同時だ。ここで不祥事でも起こったら、大竪穴ギルドの自治権剥奪もまんざらありえない話じゃない……話が、一気に現実味を帯びて来たな」
ベキムは独り頷いた。が、ブライは首を縦には降らず、何か考え込んでいるようだった。ベキムは訝しみ、肩を叩いた。
「どうした、私の言ったことは、そんなに見当違いだったかな? 」
「あ……いや、何でもない。ちょっと考えてたんだ。そう、この後のことをな」
ブライは虚ろな声で答えた。ベキムは訝しんだが、それ以上の詮索を拒むかのように、ブライは背を向けた。
「さあ、こっから先は歩きだ。急ぐぞ。義手の男に見つかったらコトだ。『敵』に気付かれないうちに、俺の事務所まで降りよう」
早口にそう言い、既に歩き始めているブライに、ベキムは言葉を書ける機会を失った。そのまま2人は、一言も口を利かぬまま深層への道に入り、殺風景な降り道を無言で歩き続けた。
深層のさらに奥へ続く道とあって、人通りはほとんどなかった。道はまだ新しく、踏みならされておらずでこぼこしている上に、ところどころに荷車の通った轍の跡があった。幾度も転びそうになりながら2人は降りていき、ついに、開けた場所へ着いた。下り道の中腹に開けた踊り場とでもいったところだろうか。その片隅、ほとんど竪穴のふちと言ってもいいギリギリの場所に、ブライの事務所は建っていた。
「まあ、入ってくれ。何のもてなしも出来ないけどな。台所にまだ鉱石珈琲が残ってたはずだから、飲みたかったら勝手に入れてくれ」
ブライはそれだけ言うと、戸を開けてすたすたと事務所の中へ入り、安楽椅子に座って腕を組み目を閉じた。その眉間には深い皺が寄り、何か非常に苦しい決断を迫られているかのような表情を作っていた。ベキムは黙って、言われた通りに台所へ入り、そこらじゅうを引っ掻き回した挙句何とか2人分のコーヒーを作り上げて、ブライの元へ戻ってきた。
ブライはまだ安楽椅子に座っていた。何かの紙切れを取り出し、何度も何度も読み返している。近づいてみると、それはカミルがベキムを介して渡した、第6大隧道の建材倉庫の住所だった。
「何だって、そんなものを見てるんだ? 」
ベキムの声に、ブライはびくりと身を震わせた。ゆっくりと振り向き、こわばった笑みを浮かべる。
「……まあ、ちょっとな。こっちへ来てからずっと、考えていることがあるんだ……お前さんも言ってたよな。「タイミングが良すぎる」。そう、確かにその通りだ。第3からの直通便が着き、王族が物見遊山にやってきて、さらには怪しげな義手の男までここに集まってきた。オールスターキャストだ。こんなことが、偶然でありうるもんだろうか? 」
ブライは両腕を広げてみせた。大袈裟な身振りはいつものことだが、この日はなんだか、広げた腕に力がないように思えた。ベキムは頷き、言った。
「だから、仕組まれたことじゃないかって言うんだろ? 王族が遊行に来る日を狙って、直通便の到着日を都合する。その便から降ろされた物資に何らかの「事故」が起こる。場所は、カミルが教えてくれたその倉庫である可能性が高い。重大な事故じゃないといけないからな。王族の面前で起こった不祥事が問題となり、大竪穴ギルドには自主運営の能力がないと見なされ、運営権は開発局のものとなる……そういう筋書きだろう」
ブライは目を瞑り、ベキムの話を聞いていたが、やおら目を開け、相手の顔をまともに見た。
「お前さん、気づいてないのか? オールスターだぞ。考えてみろ……「スター」の末席には、憚りながら、俺たちコンビも連なってるんだ。このタイミングはどうなる? 」
「……フーム? 」
ベキムは唸り声を漏らした。
「……私たちが今日ここへ来たのは、あの放火事件があったからだ。あれが、私たちを追い立ててここまで降りさせるためのものだったというのか? 」
ブライは帽子のひさしを深く下ろすことで肯定の意を示した。
「その可能性は十分にある。考えてみれば、俺たちを殺すには確実性が低い罠だった。たかだか2人を殺すのに、『敵』があんな手間をかけるとも思えない。私兵の手練れを何人か寄越せばカタがつく。それをせず、わざわざ回りくどい方法をとったというのは……」
「しかし、一体何のために? 」
ベキムの問いにブライは答えなかった。ただ黙って椅子から立ち上がり、窓へと歩み寄って、外を眺めた。雑草が思うさまはびこった裏庭が、太陽苔の光を受けてみずみずしく輝いていた。陰謀だの『敵』だのいう陰鬱な話が全てバカバカしい虚構に見えてしまうような、腹立たしいほどにのどかな日だった。
やがて、ブライは向き直り、言った。
「俺はこれから出かけてくる。例の、カミルがくれた住所へ。ベキム、お前さんは残れ」
ベキムは目を細め、続く言葉を待った。ブライは何やら苦しげに言葉を選んでいるようだった。
「……これから俺は、ちょっとばかり嫌な仕事をしなけりゃならない。誰も、得をしない仕事だ。依頼人のためにもならないし、ギルドのためでもない。俺にとっても損な仕事だ――もしかしたら、死ぬかもしれない」
「おい……何を言い出すんだ、突然? 」
思わずベキムは口を挟んだ。が、ブライは気にする様子もなく言葉をつづけた。
「お前さんは、しばらくこの家に隠れてたらいい。2、3日食いつなぐだけの蓄えはあるし、それくらい経った頃にはもう全部終わっているだろう。お前さんは元々、巻き込まれただけだ。じっとしてる分には、連中もお前さんには手を出さないだろう」
ベキムは不審げな顔で言い返した。
「ここまで来て……最後の最期で、何の事情も明かさずに行こうってのか? 最初に言ったはずだ。私は自分の好奇心を満たすために行動しているのだと。最後の所だけ秘密にされて、我慢できると思うか? 」
「頼む、ベキム」
ブライの声を聞いて、ベキムははっと顔を上げた。ブライの目には、哀願するような光が灯っていた。黒いスーツの色が、太陽苔の光に溶けてしまいそうなほど薄くなっているように見えて、ベキムは思わず目をこすった。
「お前さんは何も知らない……だから、安全なんだ。逆に言えば、お前さんが安全でいるためには、何かを知っちゃあいけないんだよ。信じてくれ……『敵』は巨大だ。巨大で、執念深い。お前さんのためなんだ。なあ、ベキム」
言いながら、ブライは両手をベキムの肩にかけた。熱いほどの温もりが伝わり、ベキムは思わず顔をしかめた。ブライはそれを見て寂しげに笑い、帽子をかぶり直すと、それきり振り向かずに出ていこうとした。
「おい、待てよ! 」
ベキムの口から言葉が漏れていた。その先を続けようとして、舌がもつれる。先の割れた舌のせいではない。言うべきことが分からなかったのだ。このまま行かせてはいけないという漠然とした不安と、何を言っても奴は出ていくという根拠のない確信がせめぎ合っていた。ブライは、背中を向けたまましばし立ち止まった。
「……何だ? 」
「……帰ってきたら、全部話してくれるんだろうな? 」
ベキムはようやくそれだけ言うことが出来た。口に出してしまうと、何だかそれがタチの悪い冗談になってしまったような気がした。ブライは、ひと息ついた後に、静かな声で答えた。
「ああ、当然だろ。真っ先に聞かせてやるさ、相棒」
それが最後だった。ブライは戸を開け、さんさんと降り注ぐ光の中に出て行った。戸の向こうから数歩分の足音がかろうじて聞こえ、消えた。遺されたベキムは、ただただ立ち尽くすことしか出来なかった。
それが、ベキムとブライの、最後の会話だった。




