第5話(1):過去
ブライがベキムの家に転がり込んでから、一週間余りが経っていた。
カミルと会い、片腕の男に尾行されたあの日、ベキムは家に帰りつくなりそのことをブライに話した。が、ブライはさほど動揺した様子もなかった。
「ま、いずれこうなるとは思ってたさ。彼女は秘密に近づきすぎたからな」
「『敵』は、彼女の存在に気付いていないんじゃなかったのか? 」
ベキムが恨めしそうな目でブライを見る。自分の家に変ええるにも尾行を撒かねばならない状況を恨んでいるのだ。
「やけに、彼女を買ってるんだな。勤め先が弱小新聞社だから選んだってだけのくせに……」
「それ、彼女が言ったのか? 」
ブライは目を丸くして聞き返した。
「だったら、そりゃ謙遜だよ。確かに小さな所ならギルド上層部とのつながりが弱いかとは思ったけど、それだけじゃない。彼女の記事には前々から目をつけてたんだ……ほら、見てみろよ」
ブライは懐からぼろぼろの手帳を取り出し、開いて見せた。しわだらけになった新聞の切り抜きが、何枚も挟んである。日焼けの度合いが違うため色はまちまちだが、活字の段組みなどから見ると同じ新聞からの切り抜きのようだ。
「過去にまでさかのぼって調べてみると、彼女の書いた記事によく突き当たるんだ。なかなか突っ込んだことを書いてる。事故の頻発はギルドにも責任があるんじゃないか……ってことまでな。一連の事故に弱いながらも関連性を見出してるんだ。なかなか鋭いだろう? 」
「あんたの主張通り、本当に『関連性』とやらがあるとしたらだがね」
まだ不服そうな顔で、そっけなくベキムは言った。ブライはやれやれといった様子で大袈裟に顔をしかめてみせた。
「その点なら、もう証明されたと思うけどな。お前さんが尾行されたってことが、何よりの証拠だよ。連中は焦ってるんだ。俺が嗅ぎまわってることに感づいて、尻に火がついてきてるのさ。
ところで、次に頼みたい仕事なんだがな……」
「次!? 」
ベキムは横に広く裂けた口をぽかんと開け、声を上げた。ブライはしゃあしゃあとした顔で続ける。
「何だ、やってくれないのか? 乗り掛かった舟じゃないか。それとも今さら俺を叩きだして、追っ手に殺されるがままにしようっての? そんな人でなしじゃないだろ、お前さんは。顔を見れば分かる」
堂々とそんなことを言い、ニヤリと笑うブライを前にして、ベキムは口を開けたまま黙り込むしかなかった。
結局、押し流されるようにしてベキムはブライの手伝いを始めた。街をうかつに出歩けないブライの代わりに情報を集め、カミルとのやりとりを仲介した。時には、ブライの書いた手紙を『依頼人』に届けることもあった。届けるといっても面と向かって渡すのではなく、しっかりと封をした手紙を持って指定された場所へ行き、頃合いを見計らっておいてくるという方法だった。場所は、通りの隅に置かれたクズかごの下だったり、喫茶店の看板の裏側だったりした。翌日になると、返答の手紙が同じ場所に残されている。
こんな芝居がかったことをして、何の意味が――どこか白けた思いを抱きながらも、ベキムはいちいちブライの指示に従った。乗り掛かった舟として成り行きを最後まで見守りたくもあったし、また、「仕事」自体にどこか不思議な充足感を覚え始めてもいた。目的を同じくする研究仲間とともに書物と取っ組むことでは得られない種類の感覚。利害を異にする相手とも渡り合い、時にはこちらの思惑を隠しながら、目的を達成していく快感。自分から認めたくはなかったが、ベキムは「探偵」という職業にのめり込みつつあった。
「だいぶ、分かってきたみたいじゃないか。流石に、師匠がいいと違うな」
手紙を届けて戻ってきたベキムに、ニヤつきながらブライは言った。
「いつから師匠になったんだ。こっちはあんたが早いとこ出て行ってくれるように「仕事」を早く終わらせようとしてるんだ」
歯を剥きだして答えるベキムに、訳知り顔でブライは手を振った。
「ま、それならそれだって構わねえや……ともかく、お前さんのお蔭で何とか下へ調査に行く段取りが組めそうだ。恩に着るぜ」
「その日が待ち遠しいね。あんたの顔を見ずに済むようになる日が、さ」
ベキムは椅子に座り、尖った歯を見せびらかすようにして口を開いた。ベキムの喋り方はここ数日で目覚ましく上達していた。実際に純粋人類と喋ることで、ベキムの口調からは深層の亜人らしい訛りや蜥蜴人種の割れた舌による特徴的な発音が抜けていっていた。
「憎まれ口を叩き返せるようになったか。こりゃいいや。相当な進歩だぞ。タフな探偵の話法は憎まれ口と冗談口で成り立ってるんだからな」
部屋の中でも脱がないフェルト帽をちょいと傾け、ブライは気取った笑みを作って見せた。ベキムは呆れ顔で首を振る。
「しかし……カミルから情報を得て、もうずいぶん経つぞ。事件が起こるなら、もうとっくに起こっていてもいいんじゃないのか? 」
「その点は大丈夫だ。依頼人には、カミルからの情報も伝えてある。第6の倉庫へ向かう便は、極力止めてもらっている……だが、それもあんまり長くは続けられない。あっちだって仕事でやってるんだし、下での建設が遅れたら今度はそれをネタに乗っ取りを企んでくるだろうからな、開発局の奴らは」
ブライの答えに、ベキムは少し考えた後、顎をひねりながら言った。
「ギルドが万全の警備を固めているなら、何もあんたが行く必要はないんじゃないのか? 探偵ひとり来たところで、状況は大して変わらんだろうに」
「そんなことが出来るかよ。一度手を付けたからには、最後までやり遂げる。それが探偵の意地ってもんだ。
いいか、探偵ってのは傭兵でも冒険者でもない。ああいう連中は、何をやったらいいか教えてもらえる――ここで戦争やれだの、この遺跡に潜れだの、な。探偵は違う。依頼人の望みだけ聞いて、何をやったらいいかは、自分で考えなけりゃならない。そして、自分で決めた目的に向かって、脇目も振らずに突っ走る。依頼人ってやつがいるにはいるが、基本的に探偵の仕事ってのは、自分自身との契約なんだと俺は思ってる。自分が自分に課した、絶対に破れない約束だ」
熱っぽい目を帽子の下で輝かせながら、ブライはとうとうと語った。ベキムは、黙っていた。考え込む様子のベキムに、ブライは愉快そうな笑みを浮かべながら付け加えた。
「第一、ここで終わりにしたらつまらねえじゃねえか。一番面白いところをわざわざ見逃す手はない。お前さんだって、そのために今まで俺を手伝ってくれたんだろう? 」
ベキムは言い返しかけ、ぐっと言葉に詰まった。確かに、興味本位であったことは否定できない。少しの間気まずそうに視線をさまよわせたのち、ふと思いついたという調子でベキムは質問した。
「ところで、あんたを深層に送り込む段取りをつけた『依頼人』ってのは何者なんだ? 探偵を雇うだけじゃなくギルドの建材輸送について意見するほどの影響力があるってことは、ギルド内部の相当高い地位にいる奴なんだろうが……あんたが行っちまってから、後腐れがあったんじゃ堪らんのだがな」
「ああ、それなら安心してくれ。この件が済んだら、もうお前さんは無関係だ。どの道、俺の依頼人と『敵』のどっちが勝つにしろ、負けた方はもう大竪穴には居られない。つまり勝った方には敵がいなくなるんだ。敵のないところに争いは生まれない。従ってお前さんが争いに巻き込まれることもない。と、こういう理屈だ」
冗談めかして語りながらも、ブライの瞳は硬い光を宿していた。それ以上の詮索は許さない、という目だ。共に仕事をしたことによる親近感よりも、プロとしての意識が上回る領域がそこにはある――そう伝える警告灯だ。ベキムは口を閉じた。と、その瞳がぐるりと巡り、壁の方へ向く。
「……おい、何の音だ? 」
「音? 」
ブライは眉をひそめ、ベキムの視線を追う。2人が見つめているのは、本棚兼部屋のパーテーションとは反対側の、書き物机が接している方の壁だ。
「……俺には、何も聞こえないがな」
ブライの言葉にも耳を貸さず、ベキムは壁を睨みながらゆっくりと椅子から立ち上がり、耳を近づけていった。
蜥蜴人種の鋭い聴覚は、確かにかすかな音を捉えていた。ネズミの鳴き声にも似た、甲高くキュウキュウ囁くような音。聞き覚えがないわけではない。何だったか……ベキムは眉間に皺を寄せ、思い出そうとしてみた。あれは、冬のことだった。老朽化したアカデミー研究棟の解体現場かどこかで聞いた気がする。寒さをしのぐために、作業員たちがバラした建材の端切れを焚火に放り込んでいた。その中から、炎の吹き上がるゴウゴウという音とともに、あの音が聞こえて来た。野ざらしで水分を含んだ木から、熱で水分が抜ける音。
熱――炎。
「危ない! 伏せろ! 」
ベキムがそう叫び、目を白黒させるブライに飛びかかって床に押し倒した、その瞬間だった。
壁から、鮮やかなオレンジ色の炎が噴き出した。




