第3話(後):過去
ベキムは聞いた内容をよくよく頭の中で反芻し、コーヒーをさらにひと口呑んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「話としては、あり得なくもないってことくらいは認めよう。だが、情報が少なすぎる……ギルドとひと口に言っても、その内幕は複雑怪奇だ。どこの誰が、何を考えているとか、そういう情報はないのか? 当て推量でもいいから……」
焦れたようなベキムの問いに、カミルは肩をすくめて答えた。
「そりゃ、ないことはないけど……秘密にさせてもらう。そこだけは、記者としておいそれと明かすわけにはいかないからね。君のためにも良くない。あんまり具体的なことを知らない方が幸せだと思うよ、どう転んでも」
「事情は分かった。ご心配、痛み入る」
ベキムは皮肉な顔で一礼した。
「それでも、出来の悪いゴシップ以上の説得力は感じられないな。大竪穴の自治権力と外界の王国政府がギルド内部で暗闘してる……だなんて」
カミルはふうっと息をつき、前のめりになっていた体を戻して椅子に背を預けた。
「まあ……そうかもしれない。半分がたは、夢見がちな探偵さんの妄想かもね。でも、残り半分の事実だけでも興味を惹かれるには十分なのよ、記者としてはさ」
「それで、ブライをそそのかしてギルドの事務所に忍び込ませた、ってわけか? 」
やや険のある口調でベキムは問うた。カミルは冷静に首を振った。
「そこまであくどいことはしないって。第一、それで何か分かったとしても、どうやって記事にすればいいのさ。あれは、ブラッドが勝手にやっただけだよ。あたしは、記者のツテを使って調べてやるからちょっと待ってろって言ったのにさ。ああいうせっかちなとこさえなければ、もうちょっと要領よくやれそうなもんなんだけどね」
「せっかち、か……そのせっかちのせいで、私は大迷惑だ。夜中に大勢で押しかけられて、強盗が逃げて来たなどというデキの悪い嘘を聞かされ、脅かされて……」
ベキムは途中で口を閉じた。笑って聞いていたカミルの表情が、不意に強張るのを見たのだ。
「それ、どういうこと? 」
「……『それ』というと? 」
「だからその、「強盗」ってとこ。それ、ギルドの連中が言ってたの? 」
先ほどまでとはうって変って真剣な表情に、ベキムは少々気圧されながら答えた。
「ああ。私の家を訪れた奴らは、人探しの理由をそういう具合に説明していた。近所の店に銃を持った強盗が入り、この近くまで逃げてきていると。バカバカしい話だ。私の家は裏町で、自慢できた話じゃないが近所に強盗に入られるほど儲かってる店はない。
それがどうかしたか? 真夜中に人の家へ押しかけるんだから、多少怪しくても一応の言い訳を用意しなきゃならんだろう? 」
カミルは難しい顔をして腕を組んでいた。
「……まあ、そうなんだけどね。あたしの考えすぎかもしれない。
だけどそいつら、君曰く『デキの悪い嘘』をついたわけでしょう? 「ギルドの事務所の一つに間抜けな泥棒が入った」っていう、デキのいい真実を話さずに……何のために? 」
ベキムは、右手で持っていたカップをゆっくりとテーブルに置いた。
「……『デキのいい真実』こそが、奴らにとって隠しておきたいことだったから? 」
「その可能性は、あると思う」
カミルは、心もち眉をひそめて頷いた。
「事務所に泥棒が入ったということを伏せておきたかった――それはつまり、事務所の中には実際に「明るみに出したくないもの」があるから……かも知れない。俄然、ブラッドの話が現実味を帯びてきたってところかしらね」
少しの間、2人は黙って顔を見合わせた。昼下がりのカフェの喧騒が、周囲を遠巻きに取り巻いて妙にしらじらしく聞こえていた。しばらくして、カミルはふっと目元の緊張を緩めた。
「ごめんごめん、まだハッキリしたことが何もわからないって言うのに、そんな深刻ぶっても始まらないわよね。とにかく、ブラッドが無事だったんだからよしとしましょうか」
その名を聞いて、ベキムはハタと手を打った。
「そうだ、ブラッドと言えば――今後のことをあんたに聞きたい。どうしたらいい? あいつは、あんたが何か打開策を考えてくれるんじゃないかと期待していた。私としても、いつまでも奴を泊めてやるわけにもいかないしな」
「ええー? さんざん勝手して、後のことはあたしに考えろって? 随分なハナシだなあ、どうも」
カミルは声を上げ、頭を掻いていたが、それでも考え考え話し始めた。
「そうねえ……下へ行ってみるってのも、手じゃないかな」
「下へ? 」
怪訝そうな顔をするベキムに、カミルは一枚の紙きれを差し出した。手帳の切れ端のようだ。走り書きで、どこかの住所らしき一文が書かれている。文頭には大きく「6」という文字。
「第6大隧道の住所よ。今度、大規模な工事計画が持ち上がっててね。このあたりからも盛んに建材やら何やらが運び出されてる。この住所は、そういう資材が集められる倉庫の場所ってわけ。もし一連の事故が誰かの引き起こしたものなら、次に狙う場所として最適じゃない? 」
「……また、ブライを顎で使おうってわけか」
ベキムは疑い深げにカミルを見つめた。当のカミルはそ知らぬ顔で、コーヒーの残りを飲み干した。
「どのみち、あたしには新聞社の方の仕事もあるからさ。そうそう第6までは行ってられないんだよね。そもそも半分当てずっぽうみたいな手がかりだし。ブラッドだったらそういうしがらみもなく、自由に動けるじゃない? 第3でほとぼりが冷めるまでの時間を有効に使えると思えば、そんなに悪い話じゃないと思うけど」
屈託のない表情で言いながら、カミルは席を立った。
「さて……あたしは、そろそろ戻るよ。ブライによろしくね。何か見つかったら、真っ先に報告してよね。あいつが第3で動けない間は、あたしが色々と情報収集しとくからさ」
カミルは最後にキャスケットの下からウィンクを投げると、コーヒー代を払い、カフェを後にした。ベキムは椅子に座ったまま、彼女を見送るでもなく、少し考え込む様子だった――と、おもむろに立ち上がり、フードを目深にかぶり直すと、通りに向かって歩き出した。大股に、しかしゆっくりと。何かを待ってでもいるかのような足取りだった。
表通りを進み、小さな路地に入る。建物の間をくぐって数ブロック行けば、じきに家に着く。が、ベキムはやけにのろのろと歩いた。歩きつつ、フードの陰からこっそりと周囲を窺う。1ブロックほど離れて後ろに、人影がひとつ。男だ。
ベキムは、気づいていた――蜥蜴人種には持ち前の鋭い聴覚がある。その男が出す金属音、鋲の擦れる音、袖の中で接合部ががちゃつく音を、はっきりと捉えていた。カフェにいた時から、時折聞こえていた音だ。今も、遠くなり近くなりしながら絶えず自分たちを追い続けている音。
角を曲がる時、ベキムは何食わぬ顔で後ろをちらりと振り返った。背の高い、薄汚れたコートの男が、通りをこちらへ歩いてくる。長くのっぺりした顔に、高く大きい鼻をしている以外、目立った特徴もない冴えない男。だが、ベキムは聴いて知っていた。その右腕が、義手であることを。そして、その男がカフェからずっと自分たちを尾けてきていることも。
さて、どうするか――ベキムは考えた。このまま自分の家まで、あの男を道案内してやるというのもぞっとしない。家にはブライがいる。奴の安全などどうでもいいが、奴を匿っていたということが『敵』にバレるのはまずい。そうなったら、平穏な暮らしが今以上にかき乱されるのは避けられない。
何とか、撒くしかないか。
ベキムは意を決し、突然コートの裾をひるがえして走り出した。後ろからついて来る足音も速まる。義手の男もベキムを追って走り出したのだ。やはり、尾けられていた。走り出したということは、義手の男の方でもベキムが尾行に気付いたと悟ったのだろう。隠れるでもなく、走って追いかけてくるとは――ベキムも素直に引き下がってくるとは思っていなかったが、流石に背筋の寒くなる思いだった。向こうは強硬手段で来るようだ。捕まれば、何をされるか分からない。
迷路のような裏路地を、2人は走った。周囲の建物を見回しながら、ベキムは右へ左へ不規則に角を曲がり、適当な場所を探した。あまり時間はない。足音は近づいてきている。義手の男はじわじわと距離を詰めてきているようだ。最高の条件とは言えないが、このあたりで勝負に出るか――ベキムはくるりと振り返り、義手の男と真っ向から向き合って立ち止まった。
流石にたじろぎ、追ってきた男はベキムから数歩離れた辺りでたたらを踏んで立ち止まった。その一瞬の間に、ベキムは左拳を握りしめ、大地を思い切り叩いた。
左手の甲から、一瞬だけ強烈な光がほとばしり、次の瞬間、打たれた地面から猛然と砂埃が舞い上がった。狭い路地の一角が、濃霧に閉ざされたかのように白く染まる。大地の古代魔術だ。無機物に魔力を注入し、撃ち出す力。物心つく前に魔神の神殿で刻まれた契約印の恩恵であり、ベキムが一族から受け継いだ唯一の財産だった。
「……! 」
義手の男は思わず利く方の腕を顔の前に上げ、激しく咳き込んだ。視界は完全に閉ざされた。今だ。ベキムは砂埃の煙幕に紛れて、傍の建物に飛びついた。その手から伸びた長く黒いカギ爪が、建物の外壁をがっちりと捉える。そのまま両腕を器用に使い、ベキムはひと呼吸のうちに建物の屋上へと躍り上った。
屋上に身を伏せ、頭だけ伸ばして下を覗きこむと、ちょうど下に撒き散らした砂埃が晴れたところだった。義手の男はまだ咳き込みながら、うろたえた様子で周囲を見回していた。一瞬のうちにベキムが消えたのに驚き、戸惑っている様子だったが、やがて忌々しそうに足元の小石を蹴飛ばすと、足早に通りを駆けて行った。周囲を闇雲に探し回る気か、それとも奴らのアジトへ報告にでも行くつもりなのか――どっちにしろ、当面の危険は去った。あとは壁伝いに下へ降りて、家へ帰ればいい。ベキムはため息をついて、屋上の上で寝転がった。
(しかし……奴は、カミルではなく私の方を尾行してきた。これはどういうことだ? ブライを匿っているのがバレた? ……いや、それなら尾行なんぞしなくても、直接私の家へ行けば済む話だ。むしろ、最初のうち尾行者はカミルの方についていたと考えるのが自然だろう。カミルが出会った怪しげな男の正体を突き止めるため、いったん監視を中止してついてきたってところか……。
ブライめ、何が「協力者には気づかれてない」だ )
好奇心のせいで、どんどん面倒なことに巻き込まれていく――ベキムは暗澹たる気分で、大竪穴の天井をぐったりと眺めた。




