第2話(前):過去
過去・ベク=ベキムの家
ブライはカップの中身を一口すすり、顔をしかめた。
「何だ、鉱石か……」
「飲ましてもらって、その言いぐさか。仕方ないだろう、豆のコーヒーは高いんだ」
ベキムは左手に持ったカップを揺らし、鉱石珈琲の香気を吸い込みながら、右手の銃を構え直した。
「……なあ、いい加減、そいつをしまってくれないか? お前さんだって、俺が今さら何かするだなんて思っちゃいないだろう? 」
「真夜中に人の家へ忍び込む奴を信用するほど、私はお人よしじゃないんでね」
ベキムはそっけなく答え、鉱石珈琲をすすった。
2人は、殺風景な部屋の真ん中で向かい合って座っていた。ベキムは書き物机の縁に、ブライはベキムが座っていた椅子に。この家には、椅子が1脚しかないのだ。ベキムのカギ爪が生えた手は、先ほどブライが落とした拳銃をしっかりと握り、相手の胸に狙いをつけていた。
「それより、いい加減、事情を話す気にならないのか? 何だって、ギルドの連中に追われてるんだ? 」
「だから……何度も言ってるだろう。探偵が依頼の内容を他人に明かせるかってんだ」
うんざりした様子で首を振るブライに、ベキムは右腕を伸ばし、銃を突きつけた。
「私の方もさっきから言ってるが、私があんたを助けたのは好奇心ゆえの気まぐれだ。このまま何の事情も聞かせてもらえないとなると、私にとってあんたを匿ってるメリットはなくなる。大体、何の事情も説明しないでただ匿ってくれなんて、虫が好すぎるってもんだ」
ベキムは黄色い目を見開き、ぎろりとブライを睨んだ。ブライは思わずすくみ上った――だいぶ慣れて来たとは言うものの、ベキムのトカゲ顔を向けられるとやはりたじろいでしまう。何を考えているか分からない表情と、暗いものをたたえた瞳が、息の詰まりそうな迫力を醸し出している。
「わ、分かった分かった。多少は説明してやる……本当は、何も言わない方がお前さんのためでもあるんだが」
ブライは観念し、鉱石珈琲を飲み干すと、椅子に座り直した。ベキムはまだ疑わしげ顔つきで、拳銃を片手にブライの顔を見守っていた。
「ま、発端は俺の方だ。連中の事務所の一つに、忍び込んだんだ。ちょいと探し物があってねえ。ところがそいつを見つける前にドジこいちまって、手ぶらで夜の街を駆けずりまわるハメになっちまったてわけさ」
「何だ、本当に泥棒か……こりゃ、ギルドの連中に悪いことをしたかな? 」
ベキムがしれっと言うと、ブライはムキになって言い返した。
「言っとくが、タダのこそ泥と一緒にするんじゃねえぞ。俺にゃあちゃんとした目的があるんだからな。それも、正義の目的がよ」
「正義……? 」
呆れたような顔で口を開けるベキムに、ブライは自信満々の体で続けた。
「連中の悪巧みを未然に防ぐ、それも、表沙汰にならないうちに――依頼人の手前詳しくは言えねえが、そいつが俺の請け負った依頼だ」
「……言っちゃあなんだが、随分と胡散臭い話だな」
額を掻きつつ、気の抜けたような調子でベキムは言う。
「しょうがねえだろう、詳しいことを話しちまうわけにはいかないんだ。依頼人の望みもあるし、お前さんを撒きこんじまう恐れだってあるからな。それに……」
ブライは飲み干したコーヒーのカップを置く場所を探しながら、ふとベキムに鋭い目を向けた。
「……そもそも、お前さんだって頭から信用してかかるわけにゃいかないんだ。俺の敵は、デカい奴らしいからな」
「その考えなしには逆に感心する。この状況でまあ、よくそんな口が叩けるな」
ベキムに銃を突きつけられて、慌ててブライは両手を挙げた。
「おいおいおい、マジに取るなって。分かってるよ、お前さんにゃ素直に感謝してるって。こっちだって、例代わりに話をしてやりたいのは山々なんだが……ああ、そうだ! 」
不意にブライは膝を打ち、椅子を引いてベキムに近寄った。
「こいつも何かの縁だ。どうせなら、お前さんも俺たちの仲間になってくれよ。俺はしばらく身動きが取れないことだしさ」
「俺『たち』だって……? 」
困惑するベキムに、ニヤつきながらブライは語り始めた。
「俺には『協力者』がいる。まだ敵さんも気づいてねえことだがな。実は、そいつとどうやって連絡を取ろうかと悩んでたんだが……考えてみりゃ、こいつは好都合だ。ありきたりの方法で連絡を取ったんじゃ、敵に協力者の存在がバレちまう。だが、お前さんは俺と全く接点がない。あいつと会っても、何の警戒もされねえ。どころか連中に気付かれさえしないだろう」
「さっきから、独りで何を言っている? 私に何をさせようと? 」
ベキムは流石に戸惑って聞いた。ブライは、急に真面目な顔になり、ベキムの顔をまっすぐ見つめた。
「助けられついでに、頼みがある。『協力者』に会いに行ってほしい。俺が無事だってことと、ギルドへの潜入が失敗したってことを伝えてきてくれ。その後のことは、そいつが何とか考えてくれるだろう」
「おいおい……初対面の私に、そんなこと頼んでいいのか? 私を完全に信用するわけにはいかないって言ったのは、あんた自身だぞ」
ベキムは言い返した。が、ブライの決心は揺るがぬようだった。
「いいんだ。どうせ、俺はしばらく外を歩けない。お前さんに頼る他はないんだ。
いいか、アカデミー通りのどんづまりに、小さな新聞社がある。『サニーデイ・ガゼット』って名だ。花屋の2階に間借りしてるからちょっと分かりづらいかもしれないが、まあ、よく探してくれよ。そこへ行って、ズィエタって奴を訪ねてくれ」
ベキムは黙って聞き、首を傾げた。面白がるような様子と、警戒心が半分ずつ入り混じったような表情だった。
「どうも分からないんだが……あんた、私がその頼みを聞くって前提で話してないか? 何故そんな風に思う? 私が、初対面の相手の頼みを迷わず聞いてやるようなお人よしに見えるのか……見えないだろう。私だってそこまで自惚れちゃいない」
「いやァ、なんだかんだ言ってるけどお前さん、結局は俺の言うとおりにするんじゃないかと思うぜ」
ブライは意味深な笑みを浮かべながら帽子を脱ぎ、それを手でもてあそびながらベキムの目を見つめた。
「お前さん、そういう目をしてるもの……一度足を突っ込んだことからは抜け出せない、いや、抜け出さないんだ。お前さん自身が、自分に逃げることを許さない。義務感なのか好奇心なのか分からねえけどな。
お前さんのその目、ある意味俺に似てるよ。だから分かるんだ」
ベキムは横に大きく割けた口を不興気に曲げて、黙り込んだ。その表情には「図星を突かれた」という思いがいくらか滲んでいた。ブライは一際大きく笑い、帽子を投げあげて己の頭にかぶせた。
「ま、俺は強制はしねえ。俺の言いようが気に障ったんなら、無理に従う必要はねえよ。それどころか、ギルドに俺のことを垂れ込んだっていい。俺は何の抵抗もできねえ。お前さんのなすがままさ。
……ところで、寝床はどこかな? 悪いが、疲れてるんだ。今日は早めに寝かしてくれるとありがたいんだが」
ベキムは肩をすくめた。
「そうか、純粋人類はベッドで寝るんだな。日頃君らのような連中と付き合わないから、つい忘れていた。生憎だがこの家に人類用のベッドはない。私は床に布を敷いて、その上で寝るもんでね。鱗の生えた体には、それくらいでちょうどいいんだが――やれやれ、人間ってのは不便なものだ」
「……ま、仕方ないさ。異文化交流ってのは時に苦痛を伴うもんだ」
ブライは諦めのため息をつき、天を仰いだ。
* * *
翌日――ベキムは、砂色のフードつきローブを引きずりながら白昼の通りを歩いていた。
結局、こうなってしまった――通りを行き交う人の目を気にしながら、ベキムは自問していた。何故あんな奴の口車に乗ってしまったのか? 奴の言う通り、ギルドに通報して引き取ってもらうのが一番賢明なやり方だっただろう。そうすればすぐにでも静かな生活が戻ってくる。書物と向き合い、大竪穴の歴史に想いを馳せる、自分だけの時間が。
だが、そうしなかった。それを良しとしなかったのだ。奴に言われたことのせいではない。自分自身の中に、そういう思いが元からあったのだ。これでいいのか、このままの生き方でいいのかという思いが。
ふと気づいて、ベキムはフードの陰から注意深く辺りを窺った。そろそろ、ブライの言っていた新聞社が近いはずだ。顔を上げて探したいが、あまり頭を動かすとフードがずり落ちてくる可能性がある。この顔を衆目に晒したくはなかった。
結局、『サニーデイ・ガゼット』の場所は、目ではなく鼻が教えてくれた。強い花の香り。太陽苔の光に照らされて、濃厚な香りを放つ蘭や薔薇、その他深層の珍しい花々。かなり大きい花屋だ。2階を見上げると、なるほど確かに小さな看板がかかっている。黄色い円形と、放射状に突き出す無数のトゲが描かれていて、その中に飾り文字で『サニーデイ』とある。
ベキムは建物沿いに設けられた階段を上って、2階に上がった。中に続くドアを開けると、狭い事務所が視界に飛び込んできた。机が6つ組み合わされて、そこで記者と思しき純粋人類たちが、せっせとペンを動かしていた。誰もかれも仕事に夢中で、客が来たことにさえ気づかぬ様子だ。ベキムは記者たちの顔を一つ一つ観察した。みな、かなり若い。ベキム自身よりは多少年かさだろうが、それでも30代を大きく出る者はいないようだ。
しばらく玄関の上がり框で突っ立っていると、やがて一番近くの机に座っていた丸眼鏡の男が、ベキムに気付いた。
「何だ、隙間風が入ってくると思ったら、お客さんか……何か用かい? 」
男は椅子から立ち上がろうともせずに、ベキムの方へ声を投げかけた。ベキムは少々ためらいながらも、先の割れた舌を苦労して動かし、ブライに教えられたとおりの合い言葉を紡ぎ上げた。
「情報を売りに来た。オオガラスのヒナについての話がしたい」
眼鏡の男は意味ありげな含み笑いを漏らした。
「おいおい、またかよ……おおい、ズィエタ! お前のお客さんだぜ! カラスの話だ、今日はなんだか妙な仮装をしてご来場だ! 」
男の声に答えて、奥の席で黒髪の青年が立ち上がった。回りの記者たちがにやにや笑いを浮かべて見送る中、その青年は机を大回りして、ベキムの前に歩み寄った。
「もう……また、何かのゲームなの、ブラッド? 」
そう言って笑う顔を見て、ベキムは息を呑んだ。ベリーショートにしているので遠目には分からなかったが、彼は――『彼』ではなかった。女性だ。
「あんたが、ズィエタ? ブライの知り合いの? 」
ベキムは思わず声を上げた。その言葉に、ズィエタは眉をひそめた。
「あんたが、って……あんたこそ、誰? てっきりブラッドかと思ったら。何、そのフード? 」
ベキムが声を上げる暇もなく、ズィエタは彼のフードを降ろした――記者たちの間から、声が上がった。先ほどの眼鏡の男などは、ギャッと叫んで椅子から転げ落ちそうになっていた。ズィエタも、ただでさえ大きな黒い瞳をひときわまん丸く見開いて、露わになったベキムの顔を見つめた。
「……ワオ。これは、かなり……そう、大竪穴らしさに溢れてるね」
しばしの間の後、ズィエタはそう言って、笑った。今度はベキムが息を呑む番だった。トカゲの顔を見せられて、笑い、しかも、手を差し伸べてきたのだ。
「おっしゃる通り、あたしがズィエタ。カミル・ズィエタだ。ブラッド……ブライの知り合いってのは、あたしのこと。よろしく」
ベキムは差し出された手を握り返すことも忘れ、ただ呆然と彼女の顔を見つめていた。




