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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ こちらコールドブラッド探偵社 ~
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第6話(1)

 ぢりぢりと炎が音を立てる。

静けさの中ではひどく大きな音に聞こえ、男はハッと息をのんだ。その、息が唇をこする音が、炎のささやきを上塗りする。男はゆっくりと息を吐くと、再び覗き穴から外を見た。


 眼下には黄色い灯り――街の灯だ。彼の見ている前で、一つまた一つと消えていく。後には暗い水のような闇が残る。

彼の目に、うっすらと疲れがにじむ。濁った瞳が見つめているのは、一軒の酒場だ。厚い闇の中、皮肉を投げかけるように煌々と明かりをともしている。


 「何だってこんなことになったのか……考えてるのか? 」


 私の声に、男は弾かれたように立ち上がり、燭台を持った右腕を突き出した。

蝋燭のか細い光が、男の顔を闇の中に浮き上がらせる――奇怪な刺青が縦横に走った顔を。映像の中で見たのよりはだいぶやつれているが、まぎれもないトッシュ・ガルムの顔だ。


「最初に正直に言っとく。私はヒューゴー・アルカヒムに雇われているものだ――ああ、ちょっと待ってくれ。そういうことじゃないんだ」


 ヒューゴーの名を聞くや体をこわばらせ、左手を懐に入れたガルムに、私は慌てて手を振った。


「あいつが……もう、ここを嗅ぎつけやがったのか? 」


「だから、違う。ここまで来たのは私の独断だ。ヒューゴーには伝えていない……しかし、何が起こったのかは、だいたい分かっているつもりだ。だから……」


 私が言い終わらぬうちに、ガルムの懐から左手が飛び出した。2本の突起を備えた奇妙なガントレットを握っている。と見るや、ガントレットの突起から、二筋の蒼い炎が噴きだした。

 迅い。私は危ういところで蒼い炎の鞭をかわし、傍にあった柱の陰に隠れた。


ここは、枝道の裏側――建物の土台として枝に張り渡された補強坂の下にある、桁と支柱で構成されたスペースである。下を望めば、『空に星』亭の入口がちょうど真下に見える。市場じゅうでガルムのねぐらを探しても、見つからないわけだ。奴は「市場の中にありながら市場でない場所」という、ナゾナゾの答えのような場所にずっと潜んでいたのだから。

私は枝道の手すりにロープをくくりつけ、一本の命綱だけを頼りに道の裏側へ回ったのだ。降りるのに使ったドクイバラ製のロープは、また登る時のために結んだままにしてある。


 炎の鞭が蛇のようにくねり、私の隠れている柱を打った。

焦げ臭いにおいを残して、斧でも打ち込んだような切れ込みが柱に残る。魔法の炎だから延焼するようなことはないが、こんな狭い場所で何発も撃たれれば危険なことは疑いがない。ガルムは分かっているのだろうか?


「殺す……殺してやる! オイ、出てこい! 焼いてやるからよォ! 」

 ガルムの喉からかすれた声がほとばしる。長いこと隠れていたせいか、大きな声が思うように出せないらしい。

何にしても、あまり建物への配慮をしているような精神状態とも思えない。私はあたりを見回した――柱、床、天井の桁、どれも木材だ。木は有機物であり、大地の魔人の力の対象外である。私の魔法で「撃つ」わけにはいかない。釘くらいなら引っこ抜くことも出来そうだが、それをやると私までこの不安定な場所をぶっ壊すのに協力することになりそうだ。


 準備してきたものを使うなら今だ――私は、腹に巻き付けていたものを解きにかかった。

大きな、汚れた毛布。ロープと一緒にマフィに用意してもらったものだ。マフィから受け取った時は新品同様だったが、今は乾いた泥汚れで見る影もない。私が自分で、泥を染みこませて汚したのだ。あまり洒落た衣装じゃないので身につけてくるのには抵抗があったが、必要なのだから仕方ない。


 ガルムは、柱を回り込んで炎を撃ち出そうと走り出していた。私は柱の逆側に回る。

炎の速さは矢より速く、銃弾よりやや遅いくらいだろうか。いずれにしろ、撃ち出されたのを見てとっさにかわすことのできる代物ではない。

 だからこいつが役に立つ。私は、泥だらけの毛布を左腕に巻き付けた。そうしているうちに、ガントレットの銃口が上がる、。まばたきする猶予もない。私は左手を上げ、契約紋に魔力を集中させた。


 乾いた爆発音が、立て続けに響いた。一拍遅れて、ガルムの魔導ガントレットから蒼い炎が走る。しかし、炎は途中で遮られた――宙に浮かぶ、無数の砂の風船玉によって。

 「撃ち出す」魔術の応用だ。魔力を流し込み、毛布に染みこんだ泥だけを空中に飛ばしたのだ。砂でできたシャボン玉のような球体には殺傷能力はないが、火を通さないし、魔力が残留しているので、吹き散らされるまで炎に対する壁となってくれる。


「な……何だ、こりゃあ!? 」


 狼狽したガルムは、炎の鞭を闇雲に左右に振リ回している。煽られて砂風船がいくつかかき消される。

私はさらに泥布から砂風船を打ち出しながら、砂風船の弾幕を盾にして渦巻きを描くようにガルムに迫った。息が切れる。強く発光する契約紋が、皮膚を焼き切りそうに疼く。大して強い術ではないが、もちろん無尽蔵に連発できるわけでもないのだ。


 近づく私に動揺したガルムは、砂風船の壁が薄い足元を狙ってガントレットの銃口を下げた。

チャンスだ。

私は足元をすくおうとする炎の鞭を飛び越えながら、左手に巻き付けていた毛布をほどき、広げながらガルムに投げつけた。一瞬視界が遮られ、ガルムの動きが止まる。

その手に向かって私は蹴りを放った。下を向いていたガントレットは、蹴り上げられて宙に飛び、そこらの物陰に転がった。


「こ……この野郎ッ! 」


 ガルムが毛布をまとわりつかせたまま殴りかかってくる。が、動きは緩慢だ。

私は左手で毛布を引き上げ、相手の顔をふさいでおいてから、ボディに右フックを見舞った。毛布をかぶったままのシルエットがガクリと崩れる。続けて、顎あたりに大体の見当をつけてもう一発。左フック。頬骨かどこか、硬いところに当たった。

相手の膝が、床に落ちる音が聞こえた。


「勝負ありだ」


私は息を切らしながら、目の前でうずくまる男に声をかけた。


「……なあ、どうでもいいけど、ここ最近ぶちのめされない限り話を聞かないってコミュニケーション方法が流行ってるのか? 」


「……さ、先に手を出してきたのは、お前らの方じゃねえか」


 ガルムは鋭い目でこちらを見上げながら、きれぎれにそう口走った。派手なディープブルーの刺青が、その表情をさらに険悪にしている。また殴りかかってきそうな雰囲気だ。私は慌てて呼びかけた。


「だから待てって。私は、ヒューゴーの思惑とは無関係だって言ってるだろう。

私にはもう分かってるんだ、あんたがハメられたってことまで――ここに来たのだって、あんたが『空に星』亭に戻るチャンスをうかがってるんじゃないかと考えたからだ。誰にも見つからずに『空に星』亭を見張れる場所を考えたら、『空に星』亭から見て上空に見える枝道しかないと思って、ヤマをかけたんだよ。

あんたは何も企んでるわけじゃない。ただ、元の通りに暮らしたいだけだ。そうだろ? 」


 ガルムは床に膝をついたまま、追い詰められた顔で何やら考えている様子だった。


「……何のつもりだ? 何故俺にそんなことを言う? 」


「確かめたいんだ」


私は必死に頭を絞り、言葉を選んだ。


「探偵として、依頼はこなす。だが、依頼自体に嘘があるなら、バカ正直に従うわけにはいかない。

ヒューゴーは、あんたが古代魔法の遺物を盗んだと言った。パーティが全滅したのをいいことに、深層の調査で偶然発見された遺物を着服した、と。だが、そうとは思えない」


 激怒を顔ににじませ立ち上がりかけるガルムを見て、私は慌てて前言を否定した。


「私の予想では――あの、3か月前の第7大隧道への踏査自体が、造成ギルドではなくヒューゴー個人の計画で行われたんじゃないかと思っている。ギルドには表向き、水の神殿への開発目的での踏査と偽っておいて、その実は未発見の遺跡を狙った盗掘だった。

裏マーケットで、炎の魔導書の出物があったことも確認した。多分、情報源はそれだ。あんたは最初から、炎の魔法にまつわる遺跡を踏査するためにヒューゴーに雇われた。


 その後のことは、詳しくはあんたに聞かないと分からない。が、何があったか推測はできる。

ヒューゴーは『パーティは遺跡で全滅した』と言ったが、私は最初から疑っていた。それじゃ、あんたが1人だけ生き残って潜伏してることに筋が通らない。熟練のパーティが全滅するような遺跡があったとして、そこから1人の力で財宝を持ち帰ることなんて出来っこない。じゃあ裏社会に協力者がいるのかとも考えてみたが、それならいつまでも空中市場に潜伏せず、もっと早くにずらかっているはずだ。

少なくとも、今頃になってタリスマンを古物商に流したりはしない」


「食い詰めたんだ――最初は、冒険用の非常食や、近場のゴミ捨て場を漁ったりして凌いでたんだが……どうにもならなくなった。まとまったカネになりそうなものと言ったら、あれと、あとは魔導ガントレットくらいだったから」


 ガルムの顔に、少しずつ落ち着きが戻っていく。今や床にすっかり腰を下ろした恰好だ。悪くない兆候だ。私は続けて話しかけた。


「私は、パーティは生還していたのだと考えた。生きて遺跡から戻ってきた後、ここで――空中市場で殺されたのだと推理した。

だからこそ、生き残ったあんたは隠れた。宝を独り占めするためではなく、追手から身を守るために。そう考えればつじつまが合うんだ。

 状況から考えて、やったのはヒューゴー達。元々、盗掘の後は実行犯の口を封じる必要が出てきただろうからな。殺されるほどまでこじれたのは多分、盗掘のことをネタにヒューゴーをゆするか何かしたからじゃないか? 」


「俺じゃないんだ」


ガルムは叫んだ。


「俺は関係ない。俺は、ザナ……酒場の店主のツテで参加しただけだ。ヒューゴーとモメたのは他の連中だ。それだって、盗掘自体が空振りだったからで……」


「空振り? 」


私は思わず声を上げた。どういうことだ?


「そんな……そんなはずはないだろう? だって、あのタリスマンがあったじゃないか」


「タリスマン? 」


ガルムは目を丸くした。


「あんなもんは、ほとんどガラクタさ。錆びてボロボロで、美術品としての価値すらない。二束三文にしかならなかった――」


「どういうことだ? 何を言っている? 」


 驚きながらも、私はガルムの言っていることを理解しようとつとめた。

考えてみれば、ガルムが古道具屋に手渡した時のタリスマンはまだ古い状態だったのだ。それが、古道具屋にしまわれている間に新しくなった。当のガルムはそれを知らない。それが失われた古代魔法の遺物であることさえ――だからこそ、手がかりになるとは露ほども思わず無造作に手放した? そう、つじつまは合う。

そもそも、足のつきやすい古代遺物を追われる男が不用心に売り飛ばすというのが話としておかしい。じゃあ、本当にこの男は未発見の遺跡のことなど何も知らないというのか? しかし――


 不意に、首筋に冷たい風を感じた。

危ないと気づいて振り向いたときには、既に手遅れだった。何か重たいものが、目と目の間に落ちてきた。痛みを感じる暇もなかった。ぐッ、と、水の中に引き込まれるような抵抗感があり、そのまま私の意識は暗く冷たい中に堕ちていった。

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