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真名を捧ぐ  作者: kim
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踏みにじられた名

  踏みにじられた名



 私は弟に、文字通り最初で最後のお願いをされた。

 三つ。

 姉と息子と娘のこと。

 弟は罪を重ねていた。

 そして、これからも重ねていくのだろう。

 姉と同様に。

 父母そして義母と同様に。

 私も弟に最初で最後のお願いをした。

 弟は肯いてくれた。



「ここから出るんだ。」

 唐突に僕は牢獄から解放された。

「真犯人が見つかったのですか?」

 その問いに牢番は黙って肯いた。

「スコール…ライネージですか?」

 この問いには返答がなかった。

 でも、それが正解なのは牢番の表情で一目瞭然だ。僕は歯噛みしながらも、男についていった。


 昨晩、ラクス姉さんが言っていたじゃないか。

「三人の分まで生きて」

 と。

 牢屋の中が完全に闇に閉ざされてから、僕はその言葉の意味に気づいた。


 できればシェス姉と話がしたかったのだが、それはかなわぬ望みだった。

 僕の身柄は牢番から近衛兵へ、そして警邏へと引き渡された。

 僕は無言で神殿の尖塔を振り返った。

「お帰り。」

 出てきた裏門のすぐ脇にフードをすっぽりと被った三つの人影を認めた。

 声に聞き覚えがあったのだが、すぐには状況を把握できずにいた。

 僕の出所を出迎えてくれたのは不死の三人。

 ミサ、メール、そして、

「姉さん。」

 僕の掠れた声に表情も変えず、出迎えていた。

 表情も変えず、ではない。

 ラクス姉には表情がない。骨だから。


 だったら何故その骨をラクス姉さんと見做す?


 僕の既視感は近親故のものだ。

 ラクス姉さんはいつも僕のことを見守ってくれていたのだ。

「着ろ。風邪引くぞ。」

 とミサがローブを差し出してきた。純白のローブ。

 農業区で捨てた過去を彼は差し出してきた。


 蕭雨が身体を濡らす。

 しとしとと降り続く秋の雨は、本当に冷たかった。


「何で…」

「あたしが拾っておいた。」

 いつ遭っても変わらないメールのしゃべり方と会話の微妙なずれに、僕は小さく笑った。

 なぜ、僕を出迎えているのか。と訊きたかったのだが。


 呪いによって不死化したヒューマン族。

 冥界から真祖としてこの世界に具現化した吸血鬼。

 肉を失っても死に切れずに彷徨う骨。


 体温のない彼らが、雨の中凍えるとは思えなかった。

 しかし、僕の出所を待つ義理もない。

「ありがとうございます。」

 ミサの手からローブを受け取った。

「ホントはイヤでしょ、それ。

 過去を捨てたくて、ポイしたんだもんね。」

 メールが意地悪く笑んだ。

 ミサが険しい顔で制そうとしたが、僕は

「いいんです。メールが言ってるのはホントのことですから。」

 と自嘲しながら白いローブをまとった。


 前面に付けられた隠しボタンを全部留め、腰ベルトをゆるめに締めて、背中にたれたフードを整えた。

 膝下まである裾の縁から体の前面中心を辿りフードの縁へと、金色の線が繋がった。

 襟のフックをかけるといかにも窮屈な光明神官ができあがった。

 手縫いの小さなベルトが右肩の裏と左腰の後ろ側についているので、トネリコの十字架をベルトで締めた。

 胸の紋章は当て布で覆い隠されていて、洗っても取れない血痕が純白を穢していた。


 僕のローブだ。

 当たり前だけど、やっぱりキライだけど、安堵する。

「ラクス姉さん。

 昨日は来てくれてありがとう。」

 来た、というより表に出てきてくれてなのだがきっと伝わるだろう。

 僕は少し緊張しながらも、握手を求め左手を伸ばした。

 骨は答えなかった。

「姉さん?」

 もう一度声をかけ直したが反応はない。

 助けを求めるようにミサを見た。

 ミサは肩をすくめただけ。

「残念だけど、生きてるヒトとは交信できないみたいね。」

 メールが答えてくれたが、ホントかウソかは不明だ。

 でも、そんなことは瑣末なこと。

 特に伝言を頼みたいこともないので、感謝の意が伝わればいい。


 僕はつかつかとミサの前に立った。

 半径一メートルぎりぎり。半数のヒトがプライベートゾーンとして、近づいてきた相手を受け入れるか否かの選択に迫られる距離だ。

 ナイフで刺せる距離とも言う。

 もちろん刺すつもりは毛頭ない。

 後ずさるかと警戒したのだが、ごくあっさりと僕の存在は受け入れられた。


 覚悟を決めて尋ねた。

「ミサさん〈転送〉は使えます?」

 一瞬彼の眉間に皺がよった。

 しばし間が空き、

「使える。」

 と小さく答えが返ってきた。

 きっと僕の緊張が彼らに伝わることも、理解されることもないのだろう。

「僕をあの島へ連れて行ってもらえませんか?」

「あの島って…」

「スコールが地獄って言ってた島です。」

 今度は眉間にはっきりと深い皺が認められた。

 強く握った僕の掌はじっとりと汗がにじんでいた。

「今日一日だけでも、地獄を知りたいんです。」


 決して、スコールの絶望を理解することはできないだろう。

 それでも、僕はこの瞳で確かめなければならない。


「気が進まない。」

 無下に断られた。

 予想はしていたけど。

 だよねーとか軽く話題を変えることも、そう言わずにとか粘り強く懇願することもできなかった。ただただがっくりと肩を落とした。

 あからさまに落胆している僕を見かねたメールが

「いいんじゃないの。連れてってあげたら?」

 と言ってくれた。

「簡単に言うな。あの場所に何ら希望はない。

 ましてやスコールの心に近づける要素なんて一つもない。」

「そんなの彼だって理解してるわよ。

 それでも本人が必要だって言ってんだから、別に連れてってあげたっていいじゃない。」

 半ば喧嘩腰の二人の間で無駄におろおろしてしまう。


「彼は死にたいんだろう。その手助けをするつもりはない。」

 いや、そこまで思いつめてはないつもりだった。

「確かに好きな女が明日死ぬとなれば、それくらい思いつめるかもしれないけど、この子は死なないって。」

 僕の死を勝手に扱うな、と憮然とした表情を見せてしまった。

 二人と目が合ったがそこは流された。

「生半可な場所ではないことは君だって知ってるだろ。」

「知ってる。

 いいわよ。じゃあ、あたしが一緒についていくから。」

 強引に僕の手をとった。冷たい手だ。

 大きく溜息をついた。


 先に折れたのはミサだった。

 ムツけたように唇をとんがらかすメールを苦々しく横目にしながら、ミサは自分の腰にぶら下げた小袋を手探る。

 そして、出てきた一枚の長方形の紙に何事か書き込んだ。

「何ですか、それ?」

 尋ねると同時にそれを眼前に差し出された。

 手書きの文字は『鬼族島』。あの島の正式な呼称だろうか。

「〈旅券〉っていう魔道具。移動系の複合魔法。

 自分が知ってる場所なら、問題なく行ける。」

 聞いたことがあるようなないような。 

 いずれにせよ、連れて行ってくれるということだ。

 未だ気の進まない様子を見せるミサから、メールが紙切れを奪い取った。

 行くよと僕らを見渡し、右四分の一程度を真っ直ぐちぎった。


 刹那………


「ヒッ!」

 思わず悲鳴を上げた。

 想像以上の世界が眼前には広がっていた。


 地獄絵図。

 魑魅魍魎が跋扈し、奪い合い、殺し合う。血と体液と排泄物の混濁した臭い。

 疫病に膿んだ臭い。

 無数の血痕が残る地面と腐った泥水がどす黒く混濁していた。

 抜けるような青空に眩暈がした。


 心の底から憂鬱そうに、ミサはぼそぼそ呟いた。

「後は二人で行っておいで。

 メールからはぐれなければここに返ってこれるから。」

 初めてじゃなかろうか。

 ミサがここまで露骨に感情を顕わにしたのは。

「しょうがない。

 スコールだって言ってたでしょ。この島のこと。

 ミサだって、元はといえば純粋なヒューマン族だもん。

 心がもたないんでしょうよ。」

 この弱虫。

 なんて捨て台詞が似合いそうな言い回しだったが、メールの表情にはからかいも嘲りもなかった。

 淡々としたもので、逆に不思議な気がした。


「メールは? 大丈夫なの?」

「へ? あぁ、んと…」

 中空を見つめ、言い澱んだ。

「よくわからないの。

 あなたたちヒューマン族が怯えたり、嫌がったりする理由が、感覚として掴めないのよ。」

 別に、好きでも嫌いでもない。楽しくもないし、悲しくも、怖くもない。そんな表情だった。

「当たり前に存在する風景の一つじゃないの?」

 と彼女は笑った。


 そんな会話をしている間も、いろんな種族の老若男女が襲ってきた。

 魅惑的な女性と弱そうな男。

 小綺麗な恰好した乱入者から何かしら奪おうと、愉悦に浸ろうと襲い掛かってきた。

「あぶなッ!」

 慌ててかがんだ僕の頭上を、メールの細腕が呻りをあげて通り過ぎた。

 と同時に遥か後方で爆音が聞こえた。

 それがメールの拳に吹き飛ばされた老若男女たちだ、と理解するまで数秒を要した。

 そしてそれは、略奪者が立ち向かってくるたびに続いた。

 僕は武器を構える隙もなかった。


 物陰から様子を見ていた略奪者たちは、さすがに恐れをなして逃げ出したらしい。

 殺気は気取れるものの向かってくる様子はない。

 メールの力の一部を垣間見た。一対一で勝てる気がしなかった。

 再度問いかけた。

「ミサは何故この島に来たの?」

「ここは破壊神サクル・ファクスの島だから。

 神と天使が喰えると思った。

 って、言ってたわ。」

 そうなんだ。としか答えられない。

 正直別世界だ。

「あれ、集落か何かかな。」

 目の前が急に開け、僕らの王国でもよく見かけるような村に着いた。

 多少の違和感は、通りを歩くヒトビトが色々な種族だからだろうか。


 子供たちの笑い声や母親たちの立ち話。

 鉄を打つ音や気を削る音。

 何ら変わらぬ日常風景が、秋空をキャンパスに広がっていた。

「おにがきたぞー! にげろーッ!」

 鬼ごっこをしているらしい。

 やけにはしゃいだ女の子の声が、続いてパタパタと小さな足音が聞こえた。


 グシャ。


 満面の笑みで僕らの前を走っていった女の子が、その背格好と同じくらいの握りこぶしに潰された。

 のっそりと姿を現した一つ目で単角の巨人が、潰した女の子をつまんで口に運んだ。

 それを見ていたほかの子供たちが、

「おいしい?」

 と笑顔で訊ねていた。


 呆然と立ち尽くす僕の前を二組の女性が通った。

 幼子を連れ歩くためのカートを二人とも押していた。

「あんまりにもヘタクソだから、ついヤッちゃったのよね~」

「うん、わかるわかる。」

「あの店だったら、高く買ってくれるわよ。」

「え~、あの店ご用達なのぉ。

 あんた変態ねぇ。」

 通り過ぎたカートの中には、幼子ではなく色々な瞳をした青年男性の生首がたくさん入っていた。

「あら? 旅人さん?

 奇麗な黒目ね。貰っていい?」

 獲物に気づいた一人が、僕に向けて妖艶な笑みを浮かべた。

 怯える横ではメールがさっきの一つ目巨人を縦に裂いていた。


「あぁぁぁぁぁぁっ!」


 僕は思わず女性を突き飛ばし、絶叫を上げながら通りを駆け出した。

 全力で。

 全てが悪夢だ。


 両足を隙間なくボルトとナットで留めてる男。

 壊死して腐り始めた足を啜る子犬。

 子犬の足を毟り取っていく小人族。

 小人も蟻にたかられ一瞬で骨になり、蟻は巨人の排尿に流された。

 森の民と呼ばれる種族の女が、木の枝に刺した同属の長く尖った耳にしゃぶりつき、半人半馬の男が、馬の腸を自分の身体に巻きつけて駆けていった。。


 気の狂うような光景にぎゅっと目を閉じた。

 いくつもの笑い声が耳に響いた。

 怒号や泣き声なら、まだ頭が処理できた。

 嘲笑や下卑た愛想笑いなら、なんとか怒ったり嘆いたりできたのに。

 さも楽しげな、なんかのイベント会場のような嬌声をあげながら、生物が死んでいった。


「こんなトコにしゃがんでると危ないわよ。」

 メールが、原形をとどめないヒト型と思われる肉を引きずりながら、追いついてきた。

「なんで平気なんだよぉ…」

 どんなに情けない顔をしているのだろう。

 吸血鬼に指差され、げらげらと笑われた。

 しかし、それに憤る気力もなかった。

「キミの倫理観やら、社会常識をあたしに当てはめるから混乱するのよ。」

 肉片を放る。

 土団子を作っては積んでを繰り返していた有翼のヒトを巻き込み、ベチャリと潰れた。


「私たちの住むこの世界は、修羅界と呼ばれている。

 修羅界は骨を持っている。

 骨は器だ。

 精霊界から価値もしくは魂と呼ばれるモノを、魔界から思考もしくは精神と呼ばれるモノを手にいれ、修羅界から肉と色と感情を手に入れる。

 神界から生を、冥界から死を手に入れ、初めてヒトとなるのだ。」

 僕はぼそぼそと神学の教科書を暗唱した。

「五つの世界との関わりを一つでも失ったものは、ヒトとは認められない。

 価値を判断できないものは妖鬼と呼ばれ、感情を理解できないものは妖魔と呼ばれ、自らの思考で意思決定できないものは妖精と呼ばれる。

 死を持たぬものは神族であり、生を持たぬものは冥族である。」 

 僕は立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。


 トネリコの十字を手に取った。

 ナイフの刃を僕に向けて突進してくる同種族の女の子に力いっぱい振り下ろした。

「アレは感情が壊れている。

 ヒトじゃない。」

 表情を作れぬまま、十字架のめり込んだ満面の笑みを見つめた。

 同種族のやたら髭の長い翁が巨大ミミズに説教をしていた。

 一瞥して通り過ぎたが、なにかしらが気にくわなかったらしい。

 なにやら僕に魔法をぶつけてきた。

「コレは熟考せずに魔法使うから、ヒトじゃない。」

 ぶつぶつと自分でも何言ってるか判らない。

 十字架でなぎ払った。

 栄養失調のように痩せ細った老人は、呪文が完成する前に背骨をグニャリと曲げて、吹き飛んでいった。


 血が飛び散る。狂気が蝕んでいく。目の前のは敵だ。敵じゃない。虫けらだ。害虫は殺せ。自分より弱くて小さいものは、死ねばいい。この世は弱肉強食だ。僕を苦しめるものよ、消えうせろ。僕を怒らせるもの、僕を泣かせるもの、傷つけられる前に傷つけろ。むしろ殺せ。僕は正しい。僕は正義だ。僕の行いは神の命だ。僕は笑う。現実なんかに戻るものか。僕は今楽しい。ぷちっと潰れていくのが楽しい。


 自然と笑みが浮かんでいた。

 地獄絵図の中、ここの住人はなぜニコニコしてられんだろう。

 最初は不思議だったが、よく理解できた。

 笑いしか表出してこないのだ。

 なのに、

「なんで泣いてんの?」

 とメール。


 泣いてる? 僕が? 笑ってるはずだけど? ほら、きちんと口角を上げて、目じりを下げて、左右対称にもなってるはずだ。視界は揺らめいているが、それは地獄の窯がぐつぐつと煮え立って、地上いっぱいに湯気を出してるからだ。きっとそうだ。


「スコールは…ここに…どのくらい…いたの…?」

「知らない。ミサに訊いてよ。

 しっかし辛そうねぇ。

 そろそろ帰ろうか?」

 大して心配しているような口調ではないが、きっと彼女なりに気を使っているのだろう。

 それは理解できる。僕を心配している。

 ミサに頼まれているのもあるが、半分以上は自由意志で僕の傍にいてくれている。

 それも頭では処理できているのだ。


 なのに、僕を追い詰め、蝕む自分自身という悪意。

 誰かを頼る弱さに苛立ち、漫然とした不信感に苛まれる。

 目の前の女の唇が血に染まっていた。

 吸血鬼だからそう見えただけか?

「五月蝿い!

 人外は黙ってろ!」


 怒鳴ったのは誰だ?

 僕?


 罵倒しておいて、なぜ吸血鬼の腕にすがってるんだろう。

 そもそも僕の手なのか、コレは。

 で、メールなのか、このヒトは。


 思考がまとまらない。

 感情が安定しない。

 生きてるのか、死んでるのか判らない。

 僕はヒトか?


「あのさぁ。」

 爪が立てられた腕を振り払いはしなかった。

 穏やかに諭してくれている。

「ココにいても、スコールの気持ちはわかんないと思うよ。

 キミ自身の気持ちもはっきりするとは思えないし。

 同情と愛情は、きっかけとか執着とかになるかもしれないけど、やっぱり別物だし。」

 僕の張り付いた笑顔は偽者だ。

 人外と貶したメールの笑顔は本物だ。

「理解できないこともないの。

 彼女の過去を追体験することで、彼女がどんな思考パターンを持ったのか知りたい。

 それはそれで一つの愛情だと思う。」

「吸血鬼に愛情なんてわかるの?」


 胃が痛む。

 偏頭痛がやまない。

 食いしばる顎が、歯がぎしぎしいっている。


「キミは残酷だね。」

「気に入らないなら、僕を殺せばいい。」

 一瞬赤い瞳がぎらついた。

 でも、それは溜息と共に消えた。

「キミが望むなら、リクエストにはお答えしますが。」

 振りほどいた腕を瞬時に伸ばした。

 尖った爪が僕の頬を裂いた。

 感情に任せて振り回した十字架は彼女の頭蓋を捕らえた。

 まるで岩を叩いたような反動が僕の腕を痺れさせた。

「安心して。

 キミの言うとおり、愛情なんて知らない。

 それでもね。あたしはキミを決して見捨てないから。」


 十字架が手から落ちた。

 膝が崩れた。

 全身が弛緩し、僕はまるで神を前にした巡礼者のように、冥界の住人を見上げていた。

「この狂った世界は僕自身だ。」

 勘違いするな。

 自分に言い聞かせる。

 何を失おうとも、なにが欠けていようとも、ひいては命を失ったとしても、この世界に存在する限りはヒトだ。

 この島で傷ついただけだ。彼等はヒトなんだ。


 じゃあ、僕もヒトか?


「キミはヒトよ。」

 僕を肯定する瞳。

 卑屈で、脆弱で、欠損だらけの僕を独りのヒトと受け入れてくれた。

 今度こそ認める。僕は泣いている。


 感情が壊れてるから? 正しい判断を下せないから? 思考する脳が退化しているから? そんなのが人の価値を決めるのか? 生きてる死んでるに何の意味がある?


「僕の弱さは、それだけで罪だ。」

 砕けたように脱力する体を無理やり引き起こした。

 十字架を杖に吸血鬼に再度近づく。

 血の臭いにえづいた。

「いいのよ。弱っちぃときくらい頼ってくれて。」

 メールは僕の手を引き、今来た道を戻った。

 僕の心を蝕んだ景色が遠くなっていった。

「おかえり。」

 ミサが僕らを出迎えた。

 傍には様々な種族の死体が積み重なっていた。

「殺したの?」

 さっきの自分の行動を棚に上げてなじってしまう。

「自己防衛。」

 変わらず表情は乏しいままだ。

「ミサは怖い?」

 何が? と言うように首を傾げられた。

 僕は、この島が、と付け加えた。

 彼は無言で肯いた。


「じゃあ、なんでスコールを助けたの?

 ヒトを殺すのが日常化してるこの島の住人と、スコールという女の子にどんな違いがあったの?」

 メールを横目で睨んだ。

 でも、すぐに答えてくれた。

「スコールに遭ったのは偶然だった。」

「それだけ?」

 助けた理由にもなっていない。

 でも、それを言ったら、僕につき合わされているのだって不自然だ。

「彼女の父親が光明神を罵倒しなければ、天使が天罰を与えに光臨することはなかった。

 天使がそこに降りたからスコールに遭った。」

「何それ?」

 幾分冷静さを取り戻していた。

 説明がヘタクソだな、なんて考える。

 もしかして、ヒトとあまりコミュニケーションをとってこなかったのかもしれない。そんなことまで勘繰ってしまう。

「スコールを襲ったのは、元光明神官。

 父親がその男を殺した。

 天使が父親に天罰を与えた。

 天使は剣に喰われた。」

 天使を罵倒した罪で天罰。

 神はヒトの殺し合いには無関心で、ヒトが神界にケンカを売ると天罰を与えるのか。

「私にとってはたまたま。

 結果的にスコールを助けることになったから、そのまま拾った。」


 この二人は決して善人ではない。

 でも、ヒトとしての優しさを持っている。

 逆に僕は、善人として育てられてきた。

 でも、優しいヒトだとはとうてい信じられない。

 何が善で、何が悪だ?

 何がヒトで、何がヒト以外だ?


「優しいんだね。」

 自嘲する。

 僕の言葉に、二人はお互いの顔を見合わせて肩をすくめた。

「僕はちっちゃいころ世界を優しくしたいと思ってた。

 御神の前で世界の平和を願ってた。

 いつからだろう。僕の世界が壊れていったのは。

 優しいヒトになりたかったのに。」

 再び顔を見合わせて肩をすくめる二人。

 首をかしげて、不思議な生物を見るように僕を見つめて、メールが言った。

「世界平和? 優しいヒト?

 基準が判らないからだけど、あたしもミサも目の前のヒトと、自分なりに思ったまま関わっただけよ。

 それがたまたま外から優しいって言われることもあったけど。

 優しいヒトである為に、何かしら行動するってコトはない。」

「手段が目的になってる。」

「ま、あたしも別の意味で似たり寄ったりだけどね。」

 僕があまりに落ち込んでいるからか、メールが軽く付け加えた。


「キミさ、前に訊いたよね。なんで、ミサに付いてんの? って。」

 メールがミサを一瞥した。

 ミサが憎々しげに僕を睨んだ。

 それを認識しながらもメールは続けた。

「依代なんだと思う。」

 と。僕もミサも意味が解らない。

「ヨリシロ?」

「本来は御神体の意味合いよ。

 もちろんあたしは神様じゃないけど、異世界の住人であることは一緒だから。

 だからミサは、あたしがこの世界に存在するための理由。

 でなければ、ヒトの夢に乗っかることで自分の夢にする、みたいな。」

「つまり、この世界にいるための自分理由がないから、ミサの目的を共有することで存在しているってコト?」

「不老不死ってそういうことなのよ。

 何かしら理由があってこっちの世界に来たはずなんだけど、全ては忘却の彼方。」


 存在意義。

 誰もが一度は悩んだことがあるだろう。

 僕は、この世界において、というより、シェスにとって、の存在意義にいつも苦悩してきた気がする。


 あぁ、そうか。僕とメールはそこが似てたんだ。


 メールは出会ってからかなりの頻度で接触してきた。

 種族も性別も、育ちも考え方も、まるで似ていないのにどこか仲間意識を持っていた。

 赤い瞳。

 血を吸う牙。

 黒づくめの衣装。

 おちゃらけた口調や態度。

 僕はメールという女吸血鬼を見定めた。


 強烈な個性が必ずしも自分という存在を証明してくれるわけではない。

 なぜならば、誰かの目がなければ個性が個としてなりえないから。

 男とも女とも取れる容姿。

 ぼそぼそとはっきりしない喋り方。

 くたびれたローブ。

 次に、没個性なミサという魔術師を見定めた。


 揺るがない目的を持ってるヒトは、誰かがいなくても個だ。

 目的を失ったときの弱さはある。

 そう考えると、儚く消えるもの、すぐに手が届くもの、そんなのを目的にすべきではない。

 誇張でもハッタリでも、神を目指すヒトはそれ故ブレないのだろう。

 目標が、決して消えない存在だから。


 いや、それも違う。

 進む道を信じることだ。

 儚ければより強く信じればいい。

 手が届いたらその先を求めればいい。

 ブレてもいい。

 消えてもいい。


「キミの存在理由は見つかったかな?」

 思考の迷宮にはまり込んだ僕を無理やり引きずり戻したのは、やっぱりメールだった。

「僕は…」

 キッと前を向いた。

 揺れる蜃気楼の先に骸骨が見えた。

「僕はシェスの隣を歩くと決めた。

 スコールも助ける。

 ご都合主義と貶されようが、僕は僕を取り巻くものを守る。

「優しいんだね。」

 二人の声がハモった。

 一瞬皮肉か、とも疑ったのだが、彼らの表情は違った。

 柔らかかった。


 壊れた自分は、コレで少しは元に戻れただろうか。


「しかし、ヒューマン族の心は脆いわねぇ。」

 吸血鬼の小さな呟きに反論できなかった。

「ミサさん、カラトンに戻してもらっていいですか?」

 見上げた空は厚い雲。

 でも、遠くの雲が青い目を開いた。

 差し込む陽光が天使の梯子を象った。

 僕は天使を信じない。

 あの梯子を昇るつもりは毛頭ない。

 鐘楼のてっぺんからヒトを見下ろすような生き方は僕にはきっと似合わない。


 カラトン市に戻った僕は、立て看板を前にぼんやりと立ち尽くしていた。

 目線をゆっくりと上げていく。

 夕日を背に木の十字架が長い影を落としていた。

 洛陽の紅に染められた世界と、紅蓮の世界に翳って真っ黒な十字架。

 明日、僕はコレを涙で見つめることになるのか。


『明日十時に、ここ光明神殿前広場にて、暗殺犯スコール・ライネージを火刑に処す』


 解っていたじゃないか。想定内だ。

 たとえ自己満足で終わるとしても、僕は自分の思いのまま一人のヒトの罪を許さなければならない。

 そして、僕を許して欲しい。

 今、一番大事に思う一人の女性に、僕がこの世に存在することを許されたい。


 どこをどう歩いてきたのかは覚えていない。

 我に帰ったときには、晩風吹きすさぶ丘の上に立っていた。

 紅く咲き乱れる彼岸花。

 血が滲むくらいに固く握られた拳に決意を込めた。

 僕を励ましてくれた骸骨はいなかった。


 その夜。まことしやかに噂されたことがあった。

 大神殿から英雄墓地に至る通路すなわち『御許への道』、その足と呼ばれる工業区と農業区を繋ぐ地下通路から、お化けが出てきたと。

 それは、赤子をぶら下げた骸骨だったと。

 そのまま、南の農業区の牧草地へ消えていった、と。

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