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真名を捧ぐ  作者: kim
2/7

神殺しの名

  神殺しの名



 神の住まう街で姉弟は初めて道をたがえた。

 互いを信じてか、疑いてか。

 当人らも答えを明示することはできまい。

 神と黄泉の逢着がいかなる事象を導くか。

 見守っていよう。



「何かご質問でも?」

 僕らの視線を感じて、メールは横目でチラ見しながらにやりと笑んだ。


「アレは魔法なの?」

 とシェス。

 喧嘩腰だったのをすっかり忘れている。

「いーえ。

 あ、でも治癒魔法を使いながらヤるからなぁ。

 まぁ、簡単に言えば、頭の中の記憶媒体の一部を傷つけて記憶データにアクセスできなくしたの。」

 そう説明されても、シェスはとても不可解そうな表情をしている。

 首を傾げながら、僕に助けを求めてきた。


 一瞬言葉につまる。

 知識量もさておき倫理的な観点で。

「正確じゃないかもしれないけど。

 つまり、ヒトの、または生物の頭の中には記憶するための場所があって、そこを傷つけられると記憶の一部が思い出せなくなるってこと。」

 と説明しながらも、今度は僕がメールに助けを求めた。


 メールは意外そうに僕を見ながら、僕の言葉に補足する。

「大体当たり。

 ほら、例えば紙に何か書いて、引き出しにしまったとして、引き出し自体を見えなくしたらなんて書いてあったか見れなくなるでしょ?

 そんな感じ。」

 メールにとって何が意外だったかというのは、シェスの驚いた顔が如実に語っていた。

「記憶は神が授けてくれるもので、何かを忘れるということは神に言葉を返還することである。

 それが教会の、如いては王国の教えだからね。

 記憶媒体が頭の中にある、なんて言ったら、この国では異端の煽動者扱いで牢屋行き間違いなし。

 僕が知ってることに驚いた?」

 とメールに問う。


「社会の常識と正しい知識は、必ずしも一致しない。」

 答えたのはミサのほうだった。

「お、強引に割り込んで議題を戻してきたね。」

 とメールがケラケラ笑った。

 あまり表情が変わらないが、彼女を横目に睨んでいる。


「さて邪魔者は消えたし、お姉さんも落ち着いたみたいだから本題に入っていい?」

 シェスはさっきまでのやり取りを思い出し、再度食って掛かろうとする。

 僕は今度こそ制止する。

「リヤの墓、発いたのはキミ?」

 突然の質問に一瞬何を言われたのか、全く理解できなかった。


 一応冷静になったらしい。

 問われた僕ではなく、シェスが質問の確認をした。

「リヤ…さんて、さっき話に出たミサさんの…殺されちゃった恋人だよね?

 デルにさっき聞いたヤツでしょ?

 デルがリヤさんを復活させたの?」

 シェスの問いに大慌てに否定してミサを睨む。

「そんな疑われ方をしたら、僕もあなたと契約を考え直さなければなりません。

 そもそも、墓を発く権利があるのは僕ではなく、ミサさんのほうです。

 僕はあくまで許可をだすだけ。

 それに墓守だっていたはずでしょ?」

 と詰め寄る。

 ミサは、それをいなすように肩をすくめ、

「だよね。」

 と小さく呟いた。


「つまりは、誰がやったかはわからないけど、リヤさんのお墓が発かれて死体が消え失せていたってこと?」

 シェスの問いに肯き、話を続ける。

「先月末くらいからの話。

 先月中旬には墓参りに行ってる。

 そん時墓守とも話してる。

 でも、昨日行ったときは、墓守はゾンビ化して、リヤはいなかった。」


 墓守がゾンビ化して、ってことに悪意を感じる。

 死霊術師が絡んでいるということだ。


「リヤさんの死体を持ち出して、得するヒトっているの?

 それこそあなたくらいじゃないの?」

 とシェス。

 わずかに苦笑するミサを見て、メールはニヤついていた。

 答えに窮するミサを詰問し始めるかと思いきや、シェスは大げさに肩をすくめて言った。

「ないか。

 自分が一番疑われるのが解ってて、わざわざデルに会いに来たりはしないわよね。」

 ミサは無言で肯いた。


 そして、独り言のように付け加えた。

「だから、考えられるのは誘導もしくは罠。」

「でも、見つけたら力ずくで取り返すんでしょ?

 あなたより強いって条件がつけば、対象は絞られんじゃないの?」

 シェスの問いにしばらく考え、やっぱりぼそぼそと答える。

「僕を狙ってるのは、ラクリア・ディオン。

 その仲間にミアロートの娘がいたはずだから、降霊もできる。

 でも、ラクリアもリヤのこと好きだったから、眠りを妨げるようなことはしない。」

 神殺し言ってる割に、純粋な瞳で遠くを見ている。


 それを苦々しげにメールが見ている。

 僕の視線に気づいて意味深に笑んだ。

 そして、ミサの手を引いた。

「この子達は何も知らないみたいだし、他探そう?」

 ミサは少し迷ったようにこっちを見たが、諦めたように溜息をついて小さく肯いた。


「疑ってゴメン。

 でも、もしかしたら、また訪ねるかもしれない。

 そのときは手を貸して欲しい。」

「もちろん。

 管理者としてほっとけることではないですし。

 何か分かったら連絡取り合いませんか?

 王国に通告したり、ミサさんに不都合な情報を他に流すことは絶対にしませんから。

 立場上できないのもありますけど。」


 死体管理人は中立でなければならない。

 それはたとえ王国が相手でも貫かなくてはならない。

 ただし、死体の遺棄、紛失等に関しての相談、協力の依頼があった際は、理由の如何に関わらず、依頼者の立場で協力する。


 といった感じの条文があった気がする。

 違反した際、誰が僕を罰するのかはよく分からないけど。


「ありがとう。」

 僕が散々思考を巡らしたところで、彼は頭を下げた。

 ミサとメールはすっと踵を返し、工業区へと歩き出した。

 北へと向かう道がゆるやかなカーブを描き、左に折れていく。

 おそらくそのまま英雄墓地へと行くのだろう。


「さて、僕らはどこに向かおうか。」

 街角に二人が消えていくのを見送って、僕はシェスに問いかけた。

 返答が聞かれない。


「ねぇ、デル…」

「ん?」

 シェスはさっきのことが未だしっくりこない様子だ。

 僕の問いに答えることなく質問が返ってきた。

「墓荒らしの犯人は誰?」

 多分、そんな質問が来るだろうことは予測していた。

 平然と答えを返す。

「ラクリアさんかな。」

「なんで?」

「愛情より憎しみのほうが勝るから。」

 死んで憎しみは残っても、愛が残ることはない。

 断言していいものかは分からないが、僕は出会ったことがない。

「ミサを憎み、彼を殺すためなら死への冒涜すら意に介さない。

 僕はそう思う。」

 淡々と述べた僕の言葉に、シェスは露骨に嫌悪の表情を浮かべた、

「デルのそういうとこ、キライ。」

 小さく呟く。

「しょうがないでしょ。性格なんだから。」

 僕はムツけて、そっぽを向いた。


 そっぽを向いた先に大きな建物があった。

 箱型の飾りっけのないなんかの工場。

 途絶えることのない黒煙が午後の陽光を遮っていた。

 周囲から切り離されたかのように、僕らだけ薄闇だった。

「あれ?

 この辺って大きな公園じゃなかったっけ?」

「ずいぶん前に潰されたでしょ。

 何年前の話よ。」

 僕の問いに、シェスがあくび交じりに答えた。


 公園があって、その奥に河があって、確か遊歩道になっていたはずだ。

 二人で何度か遊びに来た覚えがある。

「なつかしいな。」

 僕らは建物の脇を抜けて水害用の土塁を登った。

 ぱぁっと視界が開け、太陽に照らされる。

 手入れこそされていないが川原の遊歩道は残っていた。

 殺風景な建造物が並ぶ両岸に比べ、自然に満ちてる分不自然だった。


「シェス姉、よくここにつれてきてくれたよね。」

「だっけか。」

 遊歩道に下りた。

 シェスはさして興味なさげに後ろをついてきた。

「水、ずいぶん汚れちゃったね。」

 工業用水が勢いよく垂れ流されている。

 夕日を照り返さない濁った流れに、溜息が出た。

「昔からどぶ川じゃなかった?」


 姉の年齢との数年の差は記憶の美しさの差に比例するのだろうか。

 僕はここの夕日が好きだったから。


「昔からロマンティストよね。デルってさ。

 まぁ、あの頃のあんたはいろんなものに傷ついてたもんね。

 きれいな景色に涙しても仕方ないかな。」

 と呆れられた。

 僕の苦笑にシェスもくすりと笑う。


 僕は突然恥ずかしくなって話題を戻した。

「で、今日はどうしようか?

 おかしな邪魔が入って話途中になったさ。」

 教会からの刺客に襲われる前、これからどこに向かうか話し合っていた。


 この街に来た理由はある。

 ミサたちとの会話にちょっとだけ出たスコールという女性に逢う為に来たのだ。

 僕は何度か逢っているが、シェスが逢うのは久方ぶりのことだった。 

「約束は明後日だっけ?」

「うん。」


 正直、そんな理由でもなければこの街には来たくなかった。

 ウチらの嫌う父親のお膝元。

 何かしらのトラブルは予想済みだ。

 まさか、即生き死にのネタが飛び込んでくるとまでは、予想してなかったが。


「やっぱり私も一緒に行かなくちゃダメなの?」

 と今更なことを訊いてくる。

「だって、二人でってスコールが言ってたでしょ?」

 僕ら二人を招いた理由はわからない。

 しかも、シェス姉に連絡がいったあとに僕にも誘いがきた。

 今更何の用だか、と首をかしげるシェスに代わり、理由を尋ねてみたが教えてくれなかった。


 シェスは道端に座り込んでドブ川をじっと見つめた。

「ねぇ、せめて宿決めよう?

 暗くなっちゃうよ。どの辺にする?」

「どこでもいい。」

 何が気に食わないのやら。

 ぶっきらぼうにシェスが答えた。

 微動だにしない。


 しばらく間が空いた。

「もしかして、まだ骨、視えるの?」

 おずおずと訊ねた。

 シェスは曖昧に肯いた。

「そっか、初めてだよね。シェスがそんなコト言うの。

 僕は時々視たことあったから、そんなに驚かなかったけど。」

 姉は怖がってるんだと思ってた。

 それゆえの軽口だったつもりだった。

「視えてる…?

 視えてたの!」

 急に目を見開いて僕を見つめた。


 驚愕というか、いや、憤怒?

 何に?


 戸惑い、慌てて言い訳してしまった。

「昔からだよ。

 時々僕を見てたから、結構怖かった覚えがあって。

 今日も何回か見たけど…

 まぁ、特に実害はないし、ほっといていいかなって思ってたんだけど。

 シェス姉まで視えてるって思わなくて。」

 余計なことを言ってしまったのだ、と気づかされる姉の表情。

 僕は言葉に詰まって俯いた。


 嫌な沈黙が二人の間に流れる。それから数分後。

「やっぱスコールのトコには行かない。

 私、ヘスに逢いに行く。」

 と、小さく呟いた。


 僕らの息子ヘシアン・ヴィクセン。

 僕とシェスは丸5年、ヴィクセン家から逃げ続けている。

 他者を拒絶し、二人ぼっちだった僕ら。

 街を出た二年後子供が産まれた。

 光明神殿の目が届かない遠い町でシェスとヘスと三人で暮らしていた。

 ヘスには真名がない。

 神の御前で名づけることができなかったから。

 それでもヘスは生きていた。

 健康にすくすくと。平穏な日々が続くはずだった。

 しかし、ヘスが三歳になったとき僕らの父親に奪われた。


 この街の教会に、大神殿の真ん中に、その子はいる。

 真名はつけられたのだろうか。

 後付で名づけることができるのか、できたとして神に認められるのか、僕は知らない。


「そうだよね。元気にやってるか、気になるね。」

 言い方が他人事になった。

 確かに父に奪われて以降、今日まで我が子には逢っていない。

 奪い返しにすらいけなかった。

「でも、危険だよ。

 それに今更監禁されることはないだろうけど、明後日の約束に間に合わなくなるかも。」

「わかってる。

 でも、逢う。」

 逢いたいと希望を述べてはいない。

 僕だって、逢いたい気持ちがなかったわけではないが、リスクを考えると、今逢いに行くのは得策ではないと思っていた。


 しかし、シェスは母親だ。

 その気持ちは僕には計り知れないものがあるのだろう。

 僕は覚悟を決めた。

 何より、シェスの喜ぶ顔が見たいから。

「じゃあ、最低限の準備をしないと。」

 と言いかけた僕を制すように、シェスは言葉をかぶせてきた。

「そうね。だから、別行動にしよ。」

 とシェス。


 僕は思わぬ返答に戸惑った。

「私はヘスに逢いにいく。

 大司教がすっごく邪魔だけど、なんとかこの手に抱いてみせる。

 だから、デルはお仕事がんばって。」


 いや、そんな単身赴任の旦那に向かって言うような台詞聞かされても、はいそうですか、とは言えないから。


 僕だって、わが子を抱きたい気持ちはあるんだけど。そこは無視?

 それとも、父親としては認められていない?

 僕の言い方がマズかったのだろうか。

 確かに二人で行こうものならば、なにかと周囲の目を気にすることになるだろう。

 ただ、神殿内に入ってしまえば殺生はないはずだ。

 いずれかが軟禁されるかもしれない。

 そうなれば、もう二度とシェスに逢えないかもしれない。

 このまま、道を分かつよりも可能性は高い。


 そんな長台詞を心の中でだけ言ってみる。

 僕が何を言っても、シェスが意見を変えるとは思えないから口にはしなかった。

 そんなにスコールに逢いたくないの?とも言いかけたが、それもやめた。

 とりあえず呼び出しの理由を確認して、どうしてもシェスが必要なら再度話し合えばいいか。

 無事神殿から抜け出せるかは不安だけど。


 僕は大きく深呼吸をした。

「一つだけ条件。真名の交換をしてから別れよう。」

 僕は有無を言わせぬ口調でシェスに提案する。

 先程のトラブルを受けての提案だった。


 真名の交換とはお互いの真名を一時的に交換することで、呪術等に対抗する手段のことである。

 当然、他者に自分の真名を預ける以上、悪用される危険性を孕む。

 よって、よほど信用できる相手としか交換することはない。


 シェスは少し間をおいて肯いた。 

 人目がないのを確認し、川原の道で僕らは両手を繋いだ。

 静かに神に祈る。


 僕らの信仰している神でなくても、例え神に見捨てられていたとしても、真名交換の魔法は成り立つ。

 なぜなら、特定の神に祈る魔法ではなく神界に祈る魔法だから。

 神界につながりのないヒトは神官職の立会いの下行うことも可能だ。

 近年、真名の売買やら詐欺やらが横行しているから、真名の交換を法律によって禁止している国もある。

 また、交換したわけでもないのに本人が知らないところで真名が広められるケースもあるという。

 ほとんどのヒトにとって、必要のない情報だけど。


 僕らは同時に目を開けた。

 なんでかシェスは微笑んだ。

「デルってさ、観察力も、推理力も、論理も知識も、ほとんど完璧だけどさ。

 何かが見えてないよね。」

「へ? 何が?」

「何でもない。」

 と諦めに似た笑み。


 気になった。

 気になったけど、問い質してもそれ以上は答えてくれないのが予想できた。

「そう…じゃあ、頃合い見て連絡するから。」

 僕の言葉にシェスは再度肯き、カラトン大神殿へと歩き出した。

 ここからは南西に一時間ほど。

 迷うこともないだろう。

「そんじゃね。」

 シェスは軽く手を振ると、一度も振り返ることなく歩き去った。


 僕は、少しだけ寂しいような、後ろ髪を引かれるような、気持ちを抱いたまま姉の消えていった道を背にする。

「シェス姉、大丈夫かな…」

 悪の巣窟へ単身乗り込みわが子を救うヒロインを想像しながら、今一度振り向いた。


 家々の屋根を越えてそびえたつ大神殿の鐘楼が、真っ赤な太陽に突き刺さっているように見えた。

 流れる深紅がゆっくりと空に滲み出て、どぶ川へと流れていく。

 太陽が墜ちていくに従い夜の薄闇が流した血液を飲み込んでいった。


 僕はシェスと別れた後、ミサに追いつこうかとも考えた。

 少し西日に向かって歩いた。

 立ち止まって考え直す。

 結局、南西に広がる農業区を抜けて、西へ向かうルートを選んだ。


 結局姉を追うことになったが、それは選択の結果。

 特にそれが大きな理由ではない。

 強いて言うならば、西日が綺麗だったから。

 建物ばかりで地平の見えない工業区の道を歩く気分にはなれなかったから。

 そんな言い訳ばかりが頭に浮かぶ。

 僕は必死に幻想を追い払おうと頭を振った。


 この街は東西に長い。

 空から市壁を眺めたとしたら、東西の直径が北西の3倍はあるだろう楕円だ。

 その中心に光明神殿は鎮座していた。

 周辺に市庁舎、軍司令部といった市の中心施設があり、合間合間に宗教関係者及び王宮関係者、市職員らが住居を構えている。


「あいかわらず、ここの神様は世の中を拒否ってるなぁ。」

 僕の歩く右手には漆喰の壁が続いていた。

 神殿を取り巻く外壁だ。

 その高さたるや僕の背丈の五倍はあろうか。

 さらに内壁もあるのだから、むしろ監獄のように思えてくる。


 大きな門に着いた。

 もう夕暮れ時だというのに、未だ巡礼者の行列が門の外まで伸びていた。


 門の中は光明神の立像がある。

 信徒はその光明神像に祈りを奉げる。

 神像前に跪く一般信徒、その一人ひとりに白いローブに身を包んだ神官が「光あれ」と掌を翳していく。


 ときには感激に涙を流す信者もいた。

 掌をかざすのが入信して間もない、信心深さでは一般信徒と大して変わらないような下級神官の祝福だとしても。

 もしくは、義務としか思っていないようなやっつけ神官の祝福だとしても。


 同じ白の神官着を着たニンゲンが近寄ってきたので、気づいた信者が一斉に僕を見た。

 僕は俯き、何も言わずにその列を横切った。

 この世の終わりみたいな大きな嘆きを背中に感じながらも、僕は振り返ることはなかった。


 そのまま神殿を丸く囲む壁を辿ると、西に真っ直ぐ伸びる壁にぶつかる。

 その壁は遠くに見える丘の上まで続いていた。


 まるで巨大な白蛇だ。

 いや、巨人族の背骨と表現すべきだろうか。

 地面の凹凸を抉って真っ直ぐに伸びる骨。

 背後やや北側には天を突く尖塔。

 僕の向かう先には丘陵に広がる墓地がある。


 顎は死者を喰らい、尾は天を刺す。


 そんな標語を思い出した。

 だから何?って言いたくなるような標語だが、光明神殿の天狗っぷりがわかる標語だとは思う。

 金の亡者である神殿が、金運の土地神である白蛇をイメージしたのは皮肉だろうか。

 学校では幸運をつれてきてくれるホワイトドラゴンとして描かれていた。


「あ〜、なるほどね。もうそんな季節か。」

 独り言が空虚に響く。


 神の導きと呼ばれる日。

 一般信者にとっては奇跡だが、神殿にとっては金集めメインな俗の日。

 神官たちの思いはさておき、人工物と自然の織りなす神秘は一見の価値はあるだろう。


 太陽が真東から昇る年二日。

 奇跡のような情景を見ることができる。

 陽光が巨大な正門を照らすと、透かしに掘られた神の言葉が門と神像の間の広場に映し出される。

 さらに尖塔の影が丘まで続く壁の背に一寸のずれもなく伸びていき、太陽が昇るにつれ短くなっていく様は、あたかも英雄が蘇り翳を駆逐していくように見えるのだ。

 そして、太陽が昇りきった神殿はあらゆる翳をなくし、光に包まれる。


 そんな奇跡の光景をヒトは目の当りにするのだ。

 で、今度の日曜日がその日。

 だからヒトが多いのか。


 建物がまばらになってきた。

 農業区にはいる前に僕は神殿の外壁に沿うのをやめた。

 日も傾いた。商業区に戻ることにした。


「明日一日どうしようかな。」

 慣れない左隣に少し戸惑う。

 独り言にも何かしらリアクションをくれた姉はいない。


 今までだって、単独行動がなかったわけではない。

 そこまでベッタリしてたいワケでもなかったし。

 だからきっと気分的な問題だ。

 今までだったら、身体は離れていても心は隣にいる、みたいなことを自信もって言えた。

 けど、今日は心ごと離れた気がするのだ。


 久々の孤独感。

「泊まってるトコがわかれば先にスコールとの約束を済ませちゃうんだけどな。」

 そしたらシェスを追えばいい。

「で、そのスコールのことなんだけどさぁ…」

「うん、スコールがどうしたの?」


 ん?

 今、僕は独りを実感したばかりだったはず…

「へ?」

 誰もいないはずの左隣に見知った顔がいた。

 しかも、つい数時間前に会ったばかりの顔が。

「な、なんでここにいる…んですか?

 ミサさんは?」


 何事もなかったのように隣を歩いていたのは、女ヴァンパイア。

 ニタリと笑んだ口元からヒトより長めの糸きり歯が覗いていた。

 紅い瞳がぬらりと光った。


「リアクション薄いなぁ。

 昔から?」

 どうでもいい質問をしてきた。

 これでも心臓が飛び出すくらい驚いたというのに。

「ミサのほうがまだ楽しい反応してくれるよ。」

「そっちのほうが想像できないです。」

 メールは僕の返しにげらげらと笑い出した。


「で、何の御用ですか?」

 僕は憮然と訊いた。

 ひとしきり笑ったメールは少し真顔になった。

 ちょいちょいと手招かれ、橋の欄干に腰掛けた。

 ちょうど僕が渡ろうとしていた橋の真ん中だ。

 川は街灯や店の灯りを蜃気楼のように写しとっていた。


 ここなら誰にも聞かれないでしょ。

 きょろきょろと巡らす視線はそんなことを語っていた。


 なるほど。

 往来も適度にあるから、盗み聞くなら立ち止まるしかない。

 しかし、僕らみたいに敢えてここで会話を楽しんでます、みたいにしないと奇異の目で見られる。

 僕は納得した上で再度同じ質問をした。

「何用ですか?

 ミサさんは?」

「今は別行動よ。 

 でさ、キミが逢おうとしてるスコールって女性について訊きたいの。

 とりあえず人違いだと困るんで確認するけど、キミの言うスコールってライネージ家のよね?」


 間違ってない。

 でも、僕は答えない。


 彼女の軽い喋りが余計に僕を警戒させた。

 曲がりなりにも相手は冥族。

 黙秘、即殺害ってことはないだろうが、いつ何時豹変するかは予測できない。

 しかもこの女吸血鬼は冥族特有の不気味さがないから、余計に不気味だった。


 僕が否定をしないこと、を返答と判断したらしい。

「あたしはよく知らないんだけどさ。

 ミサとスコールって顔見知りらしいよ。

 なんだか、スコールがまだちっちゃい頃に保護したとか何とか。」

 あなたの知らない過去でしょ。

 メールの浮かべる薄ら笑いが語っていた。


 …


「んー、じゃあ、キミがスコールに逢う理由は訊いていい?

 キミは彼女をどうするの?

 殺す?」

 何故そうなる。

 微妙に頬がひくついたのが…バレたか?

 メールが目を細めた。


 …


「じゃあ、あたしたちが彼女を殺す為にキミから情報を得ようとしてると言ったら、守る?」

 さすがにポーカーフェイスでいられなかった。

「彼女に何する気?」

 声が大きくなった。

 慌てて口を紡いで周囲を見回した。

 しかし、橋を渡る人たちは、コッチがびっくりするくらい無反応だった。

 せいぜい痴話喧嘩か、みたいな呆れ顔で一瞥されたくらいだった。


 僕の動揺を確認するとメールはひらりと欄干に跳び乗った。

 宵の藍空に漆黒が広がる。

 川の流れも同じ藍色。

 魚がパシャリと跳ねた。


 ざわざわ 


 さすがにその行為はヒトの流れを止めた。

 まるで投身自殺でもするかのように欄干に屹立する女。

 黙ったまま止めようともしない僕に批難の目が集まるのを感じた。


 痴話喧嘩じゃないのに。

 そもそも、カラスみたいなマントを翻し、高笑いする女の子とお付き合いする勇気は僕にはない。


「あの…話しますので、そこ降りてもらえます?」

 僕は誤解に塗れた視線を避けるように、橋の欄干に手をついて彼女を見上げた。

「なんですか。

 その失恋少女みたいな瞳は。」

「いや、周囲の期待がさ。

 失恋して、その男の目の前で川に飛び込む少女、だったんで。」

「いりません。そういうの。

 どうせ飛び込んだところで死なないでしょうし。」

 メールの体が下に落ちた。

 周囲が一瞬息を呑んだ。


 すとん。


 しかし、彼女の身体は河に消えることはなかった。

 欄干に尻を預け、掌が僕の肩に置かれた。

 上から目線ににやりと牙を見せ付けてきた。

「ホント、リアクション薄いなぁ。」

 橋の上に日常が戻った。

 ほっとしたのとがっかりしたのが交じり合った溜息を残して。


「さて、キミとスコールの関係は?」

 そのままメールが訊いてきた。

「友達。

 5年前に僕と姉と彼女の三人でパーティ組んだことあるんです。」

「ふーん。」

 それ以上は問い詰めてはこなかった。


「で、そっちは何でスコールを捜してんです?」

「確定ではないから、それは答えらんないわ。

 ま、ミサが懐かしい名前を聞いたから会ってみたくなったんじゃないの。」

 あからさまなウソをつかれた。

 スコールの名前が出てきたときの男のあの表情。

 懐かしんでるようにはとても見えなかった。

 おそらくリヤの遺骨の遺棄に関わってるんだ。


「あまり真面目に話す気ないですよね。

 スコールに逢うな、ってことでもなさそうだし。

 代わりに守ってほしい、ってことでもない。

 わざわざ呼び止めておいて僕にどうしろと?」

「あら、ずいぶんと辛辣な言い方ね。

 用がなかったら、話しかけちゃダメ?」

「でも、用がなかったらわざわざ話しかけます?

 半端な脅しみたいなことまでして。」


 少し悩んだ横顔は人間のソレ。

 ふと、疑問を口にしてしまった。

「なんで冥族のあなたが日中に外出られんですか?」

「へっ?

 あぁ、あたし、睡眠時間短くて大丈夫なほうなの。」

 いや、そうじゃなくて。

 今でこそ太陽の欠片もない時間だが、二人が乱入してきたときはお昼前。

 吸血鬼が太陽の真下を歩くってのが、疑問の焦点であって…


 そんなことを続けようとして口を噤んだ。

 視界の隅に警邏隊の姿。

「あら、あたしかしら?」 

 メールの言うとおり僕らの方に一直線に向かってきた。

 種族を判別できる誰かが通報したのかもしれない。

 吸血鬼の女が光明神官を襲っている。

 もしくはニセ神官と怪しげなことを画策している。


「あんな目立つことするから…」

 僕の溜息に彼女は何故か優しげな笑みを浮かべた。


 警邏隊が近づくや否や、

「チッ。この男、自力で〈魅惑〉を解きやがった!」

 そう叫んだ。

 と同時に、再度欄干に飛び乗った。

 メールの体は直立のまま川に倒れていく。

 水音はしない。

 消えた。

 警邏隊が一人を残し、橋の下へと走っていく。


 残った一人が僕に尋ねた。

「大丈夫か?

 一応のため、首筋を確認させてくれ。

 数日前も司祭様が吸血鬼に襲われているんだ。」

 僕は素直に従った。

 警邏が「大丈夫」と肩を叩いてくれる。


 そして、一通り調書を書き始めた。

「さぁ、気がついたら、この騒ぎだったので。」

 僕は弱々しく警邏に答えた。

 吸血鬼の去り際の捨て台詞があったから僕の言葉は信用され、すぐに開放された。


 僕は橋からぼんやりと警邏隊の捜索活動を眺めていた。

 この河は澄んでいた。

 農業区のほうから流れてくる水だし、周辺の生活用水も市で管理されている。

 このヒトたちは工業区のあの河でも必死に捜索するのだろうか。

 吸血鬼に襲われた司祭。

 役職付の神官だったら、どぶ川も浚うのだろうか。


「メールがヤッたのかな?」

 呟きはざわめきに溶けていった。

「社会の常識と正しい知識は必ずしも一致しない。」

 女吸血鬼が僕にだけ聞こえるように言った最後の台詞を反芻した。


 あの女吸血鬼は何しに来た?


 僕は彼らからスコールのことを守らなければならないのか?

 スコールとの約束は明後日。

 英雄墓地のあるヒトのお墓の前だ。

 彼女が指定してきた。


「シェスといい、スコールといい、さっきのメールといい、何がしたいんだよ、一体…」

 ぼやきながら歩き出す。

 とりあえず今晩の宿を探すことにしよう。なんかいろいろありすぎたな。


 リンゴーン…


『希望の鐘』が鳴っている。

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